第5話

 ゴートと共に地上に降りたわしは、物色するために建物内へ歩を進める。なにがしかの敵がいた場合を考えて、身に巣食う悪魔をゴートの他にもう一体喚び出すことにした。ゴートと異なり、異形ではない。この世界でも、わしの世界でもよく見られるメジャーな犬種、艶やかで短い毛並みに筋肉質で立ち耳の、ドーベルマンの形を成した悪魔である。周囲を探索するには犬の耳や鼻があると楽でよい。犬型悪魔の名前は、サンディ(オスじゃ)「辺りを見回っておいてくれ」と頼むと、サンディはわしの前をずんずん進んでいく。数分待つと、建物から出てきたサンディは、中は安全だと合図をくれたので、今度は後を付いていく。たしたしと爪が地面を蹴る音が可愛らしい。犬の形をしているのは、わしの趣味じゃ。



 あの日、寒気がするほど清潔だった建物は見る影もなく、ただの瓦礫の一つと成り下がったようだ。砂粒一つも落ちていなかった部屋は吹き込む風に晒されて砂まみれだし、床には崩折れた人だったろう塊が落ちていて見るに堪えない。腐臭というより獣臭く、埃っぽくカビ臭い。既に挽き肉はカラカラに乾いており、生ゴミのような腐った臭いは仄かで、乾いているため鼻を塞ぐほどの臭気ではない。屋内には充血した目のカラスが我が物顔で蔓延り、気配を察してぎゃあぎゃあと鳴いたが、ゴートが眼光と嘶きで威嚇すると窓や壁にぶつかりながら一目散に逃げて行った。


 肉塊と化している死体やロッカーなどから、剥ぎ取れるものを剥ぎ取り、身につけていく。靴の大きさはどうやっても合わないので、布を丸めて足先に詰めた。中を探索している内に、無事な壁に囲まれた頑丈そうな部屋を見つけたとサンディから言われて行った場所は、あの日の尋問室だった。部屋の中には、固定された机と椅子には飛沫した何者かの血がこびりついていて、高い位置にある小窓にはヒビが入っている。床を歩けば吹き込んできたらしい砂が靴の裏に擦れ合いじゃりじゃりと音を立てる。視界にチラリと入った先客が部屋の隅にいたが、既に事切れていて静かなものだ。特に面白くもないので視線を戻したわしは、「今度は自分から座るのか…」と独りごちて椅子に落ち着いた。


 肉に巻き込んだ異物を体の外へ放り出さないことには、気持ちよく動くことはできん。そういうわけで、ゴートとサンディの二人に自分の体を守らせて、目を閉じて体の中に集中する。体の中に張り巡らされた血管をイメージする。自分の肉でないものを、異物を、上へ上へと送り出すイメージだ。ミチミチと肉が盛り上がり、中に食い込んで癒着した散弾を皮膚の外へと放出する。カツン、カツンと細かな鉛玉が皮膚から弾かれ、床へと落ちる。頭に食い込んだ散弾は肉の中を通り、口の中に押し出され、わしはそれを、ぺっぺと吐き出した。おいしくなーい。


 さて、身支度も済んだ…というところで、扉の向こう側からサンディがギャンギャンとけたたましく吠える声と「やめろ!噛むな!こら!」という焦った人間の声が聞こえてきたので、部屋の中にいるゴートとわしは呆れながら肩を竦めた。


「なーにをやっとるんじゃ…」


扉の隙間から体は部屋の中、首だけを向けて覗き見てみると、そこにいたのは…誰じゃっけ。


「…ハッ!?ウ、ウワーッ!??!?!」


 犬に腕を噛まれ、組み敷かれている男を眺めていると、視線に気付いたのか、こちらと目があった。男は一瞬固まって、それからお化けでも見たような情けない悲鳴を上げる。ちなみにわしの背後から顔を出しているゴートも人間の目に映るので、このあともう一度今度は喉が枯れるまで叫ぶことになる。

 ゴーグルと口布で全く顔は見えないが、なんだか聞き覚えのあるような、ないような。しっかり着込んだ男は床に組み伏せられながらこちらを指さしてわなわなと震えている。ゴーグルを外して目をしばたかさせているその顔はいっそ蒼白だ。



「お前ッ…なんで生きてッ…!!!!

それに、なんだ、それ!!!ば、化物ッ!!!!」



男の素っ頓狂な、上ずった声にニヤニヤ笑ってしまう。こちらの頭を躊躇なく吹っ飛ばしておきながら、化物だなんて全くもってひどい話じゃなかろうか。少し脅かしてやろうかの。


「そうさなぁ…化物かもしれぬなぁ…

お前たち人の子からすればのぅ…ふーむ…

そうだ、生き血でも分けてくれんかの!」


「ふざけるな!だいたいお前は…なんで生きて…!!!」


「何度も同じことをお言いでないよ。わしは訳あって、不死である。

たったそれだけのことじゃよ …生き血は冗談じゃい」


───殺しておくか?


風が嘶いてこちらに尋ねる。「首を刎ねる事なんぞ、いつでも出来よう。ひとまずは話を聞こう」わしが首をはねるジェスチャーをしながらヒヒッと笑ってそう言うと、男は息を飲んだ。

 なんだか滑稽な光景じゃ。一度はこの人間たちに捕まり、かつてこの硬い椅子へ座らされたのはわしであった。しかし今、眼前にあるのはまるっきり逆である。男がグンソウと気付いたのは「子供だと思って優しくするんじゃなかった…」と彼が言ったからだ。「まあまあ、化物でも子供ではあるからいいじゃないか」と返す。なにがいいのかはアレじゃ…言葉のあややイエーイめっちゃほーン゛ン゛ッなんでもない、何も言ってはおらぬ…


「レモン水、おいしかったのじゃ」


「そうかよ…」


「あれから、どうなったのじゃ?どのくらいの時間が、流れたのじゃろうか?起きたのは、ついさっきでのー」


「へえ…不死なんて言う割には不便そうだ」


「そうだとも。いいことばかりではないぞ、人の子よ(`・ω・´)フンスッ」


そんなふうに、しばらく会話をしていると緊張が解れたのか、グンソウはぽつりぽつりと、あの日から今までの話を始めた。


 あれから、わしが殺されてから7年もの月日が流れたそうだ。運がいいのか悪いのか感染者とやらにまだ出会ってはいない。その感染者じゃが、グンソウの話によれば一時は爆発的な増加を見せたものの、そもそもの人口が減ったことにより感染しようがなくなり現在は以前のようには増えなくなったのだとか。


「感染者は喩えるなら狂犬病に冒された動物のようなものだって話だ。感染の元になったウィルスは生物兵器として開発されたものだ。これに感染するとまずは発熱や倦怠感など一般的な諸症状を発症、それから本人の意思や思考や思想なんかとは関係のない奇行が目立ってくる。ウィルスが体に回りきった頃に脳は死に、人間として死ぬのはその時点なのだとか」


苦しみ抜いて死んでいく。何が起こったか自分では分からぬまま。苦しむ間は長いような短いような…苦しみ己のが形を失って?それは孵化のようじゃな?人の子の身を養分として新たななにかが生まれ出ずるのじゃろうか。


「頭を落として、体だけが別のものに生まれ変わるように、自我を失くし意識を亡くすのだと偉い学者先生は言った。そして、体が腐り落ちて脳や体液まで干からびるまで、感染者は動き続ける。やつらに動けと命令しているものが残った脳からの電気信号なのか、やつらと意思の疎通はできないらしいんでわからないままだ。ウィルスが作用する体液や肉や筋繊維が不足しても完全に動きを止めるまでの間、感染者は周囲のものを貪り喰らう。いくら食ったところで自身の栄養にはならないんだがな、それを考える頭は既に持たないのでやつらが気づくことはないだろうよ」


何も失われたようで、飢餓だけが彼らに残ったのじゃろうか。いつまでも報われぬ。


「時を同じくして、各地で異常気象が続出した。感染者が神の怒りを買ったのだと人々が噂した。豪雨で街が飲み込まれ山は崩れた。日照りに人も作物も焼かれて砂漠が広がった。夏には季節を間違えたように豪雪が降った。太陽と月と空の星が狂ったように姿を隠し、世界中に長い夜が訪れた」


ああ、だからここは暗いままなのか。星の巡りが変わったのは、感染者のせいではなく、おそらくは偶然じゃろう。しかし人の子は迷信と結びつけたがる。自分の想像を超えるものと出会うと考えるのをやめるのじゃ。


「長い夜が始まってから、燃える星が燃え尽きないまま地上へ落下した。都市部へ落下したその大きな塊のせいで地上には大きく深い穴が出来た。それはまるでどこまでも続く底なしの淵のようだった。すると穴の中から有象無象の恐ろしい数の蟲たちが這い出してきた。蟲たちは地上を覆い黒く染め上げ、蟲たちの針に刺されると焦げた針に刺されるよりも長く痛んで苦しめられることになった」


星星が落ちるのは何の予兆だったのか。その蟲が地中から這い出たものなのか、その流星と一緒に空から来たものなのか。わしにはわからん。夜が地上を支配して生態系が急激に変化したのかもしれない。焦げた針とは蠍の毒のようじゃ。


「忌まわしい感染者にもウィルスと適合し、人ではなくなったものの明らかに意思を持つものが生まれた。俺たちが確認したのはたった四人だった。しかしその四人の適合者は数多の感染者共を束ねて俺たちを襲ってきやがった。俺たちの武器を奪い、その爆炎と穴から吹き出てきた硫黄ガスで俺たちは散り散りになった」


四人の適合者とはまるで空から遣わされた御使いのようじゃ。行進を導くように飢餓を叫ぶように喇叭を猛々しく吹き鳴らし、塵にまみれた地上を箒で掃いて一掃するのじゃ。



言われてみれば、グンソウの顔は記憶の中のあの日と比べて、なんというか…スレた?ような気がする。なるほど、彼の言う通り、あれから随分と経ってしまったらしい。ボロ布が布の形を保てなくなったのも納得じゃな。

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