第二十八話 愚者のかける世界

 軍事会社や警備会社と行政機関との間には協定が結ばれている。

 それは市街地に大規模な幻想生物襲来があった場合の対応に対するもので、有事には各自の判断で出動し一般市民の救助を行う事になっているのだ。

 しかし、この協定が結ばれてより一度もそのような事案は発生しておらず、毎年訓練の様子がテレビ報道されるだけにまで形骸化していた。

 故に、突然流れ出した緊急放送にほぼ全てのものが戸惑った。

『緊急入電緊急入電。名児耶市内に幻想生物の大群が発生、災害協定に基づき全班ただちに出動せよ。繰り返す、緊急入電緊急入電――』

 電子音声の抑揚のない放送が流れ、笠置かさぎ蓮太郎れんたろうは自席で跳び上がった。

――来た!

 もう両親を救うためまでのリミットは残り数日。もはや一刻の猶予もない。

「笠置班、出動します!」

 動揺する同僚たちをよそに蓮太郎は装備室へと飛び込むと装甲服に着替えた。外に出ると、何故かベテラン兵士の如く素早く着替えた老人兵たちと合流。

 そのまま装甲車両で出撃した。

 全ては死ぬために。

 あの日あの時、とても単純な事に気付いたのだ――弔慰金を貰えばいいのだと。

 勿論、本心を言えば死にたくなんてない。

 しかし年老いた両親を救うには、ここで死ぬしかなかった。

 そうすれば以前に殉職した同僚と同様に、あの赤嶺伽耶乃が年老いた両親を救ってくれるはず。さらにはミヨにだって少しは資産を遺して貧乏脱出も可能。ついでに殉職したとなれば、少しは外聞も良くなるやもしれない。

 全く役にもたたぬ四十男の命一つで残り三人が幸せになれるならば、どうして命を惜しむ必要事があるだろうだろうか。

 心を定めた蓮太郎の装備は、いつもと違う。

 皆から笑われていた重装甲両手シールドではなく、軽装甲服に小銃といった身軽なものだ。そんな装備に、同乗する五人の老人兵は意外そうな顔をした。

 その中で皮肉屋の熊野がさっそく茶化してくる。

「あんた、いつもの装備はどうしたのかねはて、盾はどこかに落としたかな」

 移動する車両の中に老人たちの笑いが広がる。

「こりゃすまんな、儂は耄碌したせか落とし物に気付かんかったわい」

「しかし、そんな薄い装甲で外を歩けるとは知らんかったわい」

「もしかしてイメチェンってやつかね?」

「あんたにゃ、両手盾の方が似合うと思うんだがのう」

 他の者たちが嘲笑う中で、蓮太郎は静かに下を向き大きく息を吸い吐く。

 そして無言のまま顔を上げるのだが……それを見た老人兵たちは黙り込む。蓮太郎の目が異様なまでにギラギラと輝き、激しい意思が宿っていたのだ。

 車両は市街に入り速度を落とす。

 窓の外を見れば、青空の下に街のあちこちで黒煙が幾筋も立ち上がり、火の手と爆発の止む気配がない。警報サイレンがしつこく鳴り響く中を大勢の人々が逃げ惑い、炎をあげる車の横をすり抜け瓦礫を乗り越え懸命に足を動かしていた。

 当たりは混乱を極めている。

「これ以上は車じゃ無理ってもんじゃな。別の道を探すしかあんめぇ」

「なんちゅう酷さだ。こいつぁ昔の大侵攻を思い出すわい。また大勢死ぬのう」

 交差点の入り口で車は止まった。

 目の前では何台もの車が衝突。トラックは横転したままで、道は塞がれている。運転手と助手席の者とで別ルートを検討していると、蓮太郎がドアを開けた。

「ここからは徒歩で移動。市街に突入して市民を救助する」

「ちょいっ、勝手な行動はすんな! 儂らの仕事はあくまで警備なだけじゃろが。勝手な事をしなさんな」

「この先にいるはずなんだ、急いで行かないと」

 蓮太郎は言って車外へ飛び出す。誰よりも早く、小銃を手にトラックの荷台の間をすりぬけ駆け走り出した。その姿はまるで、逃げ遅れた人々を一刻も早く救おうとするかのようだ。

「これっ、あんた。そっちに行ってはいかん」

 老人たちが後を追おうと動きだし――そこに人々が悲鳴をあげながら走ってきた。必死の形相でで駆けてくる背後にはホムンクルスの群れ。

 ハンドカメラで後方を撮影しつつ走っていた男が躓き転び、追いつかれ取り囲まれてしまう。それでもカメラをホムンクルスに向けるのだが、そんな事をしているから死地に陥るのだ。

「よっしゃあああぁっ!」

 蓮太郎は小銃を手に一切の躊躇なく突撃した。

 小銃を撃ちまくり逃げ遅れた者を取り囲むホムンクルスを倒す。片手で助け起こした相手を逃がすと、自らはその場に留まり戦い続け迫り来る敵の憎悪を一身に集めた。

「これでいいんだ! これで!」

 殺到するホムンクルスの姿に蓮太郎は恐怖した。

 本当を言えば悲鳴をあげ逃げだしたい。今すぐにでも逃げたい。

 それでも、それでもだ。

 年老いた両親の諦めきった顔と、皆に囃し立てられ悔しそうなミヨの顔を思い浮かべ必死に耐える。どうか苦痛が一瞬で終わりますようにと願っていた。

 蓮太郎は為す術もなく引き裂かれる。

 そのはずだった。まさにそうなる瞬間、濃密にして正確な狙いの銃弾が降り注ぎ周囲のホムンクルスを撃退しだす。

「遅れるな! 撃て撃て殺せ!」

 雄叫びを上げた老人兵たちが突撃してくる。

 その腕前ときたら見た事もないぐらいに凄まじい。片手の銃で精密な連射な射撃を行い、もう片手の抜き放った刃でホムンクルスを斬り倒していく。まるで歴戦の精兵の如くだ。

「来なくていいからぁ! 止めろ止めて!」

 必死の叫びは猛烈な銃声に掻き消され、瞬く間に数十を越えるホムンクルスが倒された。

 そして老人兵の一人、松山が呆然とする蓮太郎を掴んだかと思うと地面に投げつける。その形相は鬼のようであった。

「こんの馬鹿たれが! なんて無茶すんだ死ぬとこだったぞ!」

 その叱り声に、しかし蓮太郎は猛烈な怒りを覚えた。様々な鬱積した感情の爆発と、死の覚悟を邪魔をされた事に対する感情のうねりだ。

「うるさい決めたんだ! 絶対に皆を救うって決めたんだ、無茶でも何でもやってやるんだ!」

「っ!」

 その言葉に老人兵たちは息を呑んだ。

 もちろん本人は自分の家族を救うために言っているだけである。しかし、その言葉は幻想生物襲撃という大混乱の中で人々を救おうとする決意表明にしか聞こえなかっただろう。

「次だ、次に行く。次の敵を探すんだ!」

 それに応えるが如く、激しい振動と共に建設中のビルの外壁が次々と落下しだした。壁面材が地面に激突し大きな音を立てだす中を、のっそりと現れたのは巨大な半裸の姿だ。上半身は異常なまでに逞しく、発達した上腕は電信柱を軽々と振り回していた。

「おいおいおい、ありゃオーガじゃぞ。この装備では、ちと辛い」

 松山があげた声で皆が慌てふためきだし、その中で蓮太郎は気付いた。

 オーガの進む先には逃げ遅れた女性の姿がある。両手で小さな棒――恐らくはマイク――を握りしめ、腰が抜けたように座り込んでいるではないか。

 巨大な存在は明らかに、その女性を次の獲物として狙っている。

 誰も女性について触れぬのは、もはや間に合わぬ命と諦めているからだ。もう死んだ者として女性を扱っていた。

 だが蓮太郎だけは違った。

 確かに自分が死ぬつもりではいる。しかし同時に逃げ遅れた女性の姿に、自分の娘を救おうと孤立無援の中で抗い死んでいった妹の姿を重ねてもいた。

 絶対に助けねばならぬと、かつて救いにすら行けなかった妹を救うつもりで走る。

「どっしゃああああっ!」

 猛烈な勢いで突進するとオーガの足元に滑り込む。そのまま女性を抱きかかえ飛び退けば、直後に激しい轟音と共に電信柱の棍棒が叩き付けられた。飛び散った小礫を浴びてしまうほどの距離だ。

「そこに隠れるんだ!」

 跳ね起きた蓮太郎は女性を物陰へと思い切り追いやる。そして両手を広げオーガの前に立ちはだかった――まるで、その動きを押し止めるように。

 その顔は最高の笑顔であった。

「さあ来い!」

 素晴らしい完璧だ。女性を救って死んだのであれば、もうこれは誰もが称賛するしかない。これぞ最高のシチュエーション。弔慰金もたっぷり。迫るオーガの足は、まるで天国へと誘う天使の足のようだ。きっと痛みすら感じず死ねるに違いない。万歳。

「あれ?」

 オーガは吹っ飛んだ。

 建設中のビルにあったクレーン車が突如として転倒、そのブームと呼ばれる長いクレーン部分が激突したのだ。さらに工事現場の上から鉄骨資材が落下してくる。

 オーガは死んだ。

「……なんで?」

 ハンドカメラの男がマイクを持つ女性へ駆け寄っていき、何か言葉を交わしている。言い訳めいた感じに思えるのは、きっと彼女を置いて逃げた事を謝っているのだろう。

 老人兵たちが駆け付けるが、今度は誰も投げ飛ばそうとはしなかった。しかし代わりに泣きそうな何かを堪えた顔をしている。

「笠置さん、なんちゅう無茶を! あんた死ぬ気ですか」

 死ぬ気なんだよ、と言いかけた蓮太郎だったがそれを辛うじて堪えた。

 それを言ってはお終いだ。

 弔慰金を貰うには、あくまでも職務上で立派に死んだ事にせねばならないのだ。

 蓮太郎は力強く拳を握った。

「まだだ、まだこの程度では終われない! 次だ次に行くんだ!」

 吼える姿は、助けを求めている人々を少しでも救おうとする男……にしか見えなかった。

 力強く歩きだす蓮太郎の後ろには、助けられた女性にカメラを持った男。そして救われた大勢の人々が自然と集まりだしていた。

 その姿に老人たちは顔を見合わせ、深く静かに頷き合う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る