第二十話 金出せばグレムリン
月の後半に訪れる給料日。
誰もがそうであるように、
そして絶句。
「なんだ、この数字は。嘘だろ、給料少なすぎ……」
給料が少ない事は分かっていたが、想像以上だった。担当生徒が少なく減給されているのもあるが、それにしても安すぎる。生活費とネコのエサ代、そしてちょっと何かを買えば消えてしまう程度。貯金など夢のまた夢。
もちろん焼き肉代なんて届かない。
「あの二人が焼き肉を忘れるような事は……ないな。うん、絶対にないな」
なにせ講義で二人して焼き肉の歌なんぞを口ずさんでいたぐらいだ。とても楽しみにしている様子で、そんな相手に金がないので無理と言えるだろうか。
ガッカリさせる云々の前に、埴泰のプライドが許さない。
「なんとかせねば」
世界でも有数の資産家である女性の姿、または本来の職場の上司や同僚の姿が脳裏に浮かぶものの、それを頭を振って否定する。そちらに対してもプライドってものがある。
そうなると――。
「自力でなんとかするしかない……あそこに行くしかないか」
埴泰はゆっくりと目を開けた。
独自の金策ルートがあるにはある。だが、ため息を吐いて立ち上がる様子から分かるように、積極的に頼りたくはなかった。しかし背に腹はかえられない。
「ちょっと出かけてくる」
声をかける相手は、もちろんネコである。返事は尻尾が揺れただけだ。
バスで市街に出ると地下鉄に乗り換える。
目的の駅でホームに降りるのだが、それは埴泰一人だけ。混雑する車両の乗客たちは奇異の視線を向け、ドアの閉まった車両は加速しながら去って行った。
「相変わらず酷い場所だな」
改札口を出た地下道で呟いた。
無事な照明は半分あれば良いぐらいで、それも明滅をしながら薄暗い。壁は落書きや傷だらけ。通路脇にはゴミや汚物が散乱し、周囲は鼠が徘徊し得体の知れぬ虫を追い回す。迂闊に鼻で呼吸すると、しばらく酸っぱい臭気に悩まされそうだ。
興味本位で来た者であれば、ここらで回れ右して引き返し、怯えながらホームで次の電車を待つに違いない。けれど、埴泰は気にする様子も無く地下道を進む。
急な階段から地上へと出る。
そこは混沌とした景色であった。
半ば崩れたビルや家屋に違法建築物が増築され、薄汚れた仮設テントや廃材で出来た小屋が並ぶ。板どころか、木やプラスチックの箱や何かの梱包材といったものまで使われている。
ここはスラム街であった。
十五年前に焦土と化した名児耶の街は、再開発の過程で様々な闇を生み出していた。世界各地から押し寄せる難民や、災害で行き場を無くした者が集まりできあがったのが、この地区だ。
今ではそこにマフィアやヤクザといった組織が入り込み、治安組織でも迂闊に手を出せないぐらいになっている。
とはいえ、ここらはまだスラムでも浅い層で人の営みがある。
薄汚れたシャツ一枚の老人が座り込み、荷を担いだ男が乱暴に歩く。狡猾そうな目をした子供が走り回り、痩せた犬が彷徨きゴミを漁っている。道端で洗濯物が吊され簡易コンロで料理がなされ、廃材を燃やすドラム缶の側では立ち話をしている。
埴泰が歩きだすと、そこら中から探るような視線が向けられた。
それでも平然として歩くのは、ここで妙にビクついてみせたり警戒した様子を見せれば、格好の獲物だと判断されてしまうためだ。何も気にせず恐れてなどいないと態度で示す事が大事なのである。
だが、それはそれで寄ってくる者もいる。
「お兄さん、どうだい良い幻薬があるよ。見てかないか」
薄汚れた男が手招きする露天では、幻想生物が原料とされる薬が売られていた。
スライムのダイエット薬、オーガの強壮薬、マンドラゴラの薬酒、アルラウネの媚薬、ドラゴンの万能薬、麒麟の霊薬。本当にそれらが使われているか、本当に薬効があるかは、下手くそな文字で段ボールに書き殴られた看板を見て判断するべきだろう。
ニュースでは、こうした類の違法品による健康被害を伝えているが、それでも需要は尽きる事はない。
「要らないし興味ないな」
「そうかな、お兄さんにはオーガの強壮薬なんてお勧めだよ。そろそろ必要になる年頃だろ?」
「…………」
「でも大丈夫。こいつを飲めば一晩中どころか二晩でも三晩でも元気ギンギン。何せあのデカいオーガのデカい――」
男の声を無視して通り過ぎる。
後ろに舌打ちや小声の罵りを聞いたが、気にしないでおく。もちろん強壮薬なんて不要であるし、精力剤など活躍する機会すらない。
とはいえ、そんなものが必要だと言われた事で内心傷ついた。断言すれば全くもって必要ないぐらいで、むしろ持てあましているぐらいなのだ。
気分を切り替え、本来の目的に集中する。
「確かこの辺りのはずだが……また道が変わったか」
違法建築物が出来ては倒壊するため、目的の場所は方向と距離から予想するしかない。ぼろ小屋を無視し突っ切るという手もあるが、それは最後の手段だ。
多少の回り道をして一件の店に到着。
そこは元銀行の建物だ。
頑丈な構造物は合板やら装甲板により強化され、さらには対人近接防御兵器なども設置されている。ここに押し入ろうとすれば、要塞戦用装備が必要に違いない。
「おーい生きてるか、小松井の爺さん」
店主の名を呼びながらドアを殴るように叩く。
しばらく続け、蹴りを入れたあたりで解錠の音が小さく響いた。
ドアノブを回し中に入った店内は、何かの香と埃臭い独特な臭いが漂っている。入った直ぐに小部屋があり、そこはかつてのATM置き場。次の部屋に続く扉は鉄格子だが自動でスライドした。
天井まである棚が壁際に並び、そこには様々な品が置かれている。象牙の置物、伊万里の皿、翡翠の盃、祭の仮面といった骨董品や古美術品。そこに新式の軍用品や子供や大人の玩具など無秩序に棚に置かれている。
混沌としているが不思議と乱雑ではなかった。
「よく来たな乃南。なんでも古城の会社から出て、お上品な学校で働いてるらしいわな」
一番奥の席で老人が言った。
鷲鼻の顔には幾重もの皺が刻まれ、薄めの頭髪は白色。人の悪そうな顔をしている。この店のオーナーである小松井の爺さんだ。
やり手で金が絡む事に関しては右に出る者はいない。油断すれば骨までしゃぶられる金の亡者で、対応には注意の必要な相手だ。
とはいえ、金さえ出せばこれ以上頼りになる相手は居ないのだが。
「相変わらず耳が早い。外では触れ回ってないはずが、どうして知ってる?」
「金を出せば教えてやるよ。で、今日は何を買ってくれるんじゃ」
「いや実は金がなくってな」
「そうかい、じゃあとっとと帰れ。特別にタダで返してやる」
「酷いな、今までここで幾ら買ったと思う? 爺さんの墓が県庁前に建つぐらいはあるだろ」
「こりゃ、縁起でもないこと言うな。儂は二百歳まで生きるんじゃからな。まあ、挨拶はここまでとして、何の用じゃ? 先に言っておくが金なら貸さぬからな」
にやにやと笑う。金の亡者ではあるが、一方で多少の義理人情ぐらいある。そうでなければ付き合いなんてするはずがない。
「爺さんから金を借りる! そんな恐ろしい事をするはずないだろ。手っ取り早く稼げる仕事を紹介して欲しいんだけど」
「金融関係のデータを抹消されたんで、根を上げたか。ざまあない」
「どっから情報を抜いてる? 盗聴器仕込んでないか?」
この地獄耳は恐くなってしまうぐらいだ。
「金に関係する情報なら、この世で儂の右に出る者はおらんわい。もちろん稼げる仕事の情報もな。紹介料は報酬の半分ってとこじゃな。それで良ければ紹介してやるが、どうする?」
人の足下を見た暴利を言っているようだが、そうでもない。
金を稼げる仕事となれば、様々な方面への挨拶やら謝礼も発生する。そうした諸々に対するフォローを行う事を含め、報酬の半分と言っているのだ。
それぐらいの理屈が分からねば、小松井の爺さんは客を客として扱ってくれない。ここは客が買うのではなく、店が売ってやる方針なのだ。
「それでお願いします」
「よしよし、では任せておけ」
松井の爺さんは相好を崩し頷くと、どこかに電話をしだす。なんと驚きの黒電話だ。実物が稼働しているのは、恐らく世界でここだけだろう。
「――ああそうじゃ。飛び入り参加したいって馬鹿が目の前におってな。ひと枠頼む。なに? 急すぎるじゃと? かーっ、馬鹿言うでない。文句あるなら次からアレを回してやらんぞ。ええんか? アレが来なくてもええんか? ああん? そうじゃろが、うむうむ。最初からそう言えば良い」
さらに幾つか雑談を交え電話を終えるなり親指を立ててみせる。いったいアレとは何か気になるところだが、きっと知らない方が幸せだろう。
「少ししたら迎えが来るそうじゃ。で、その内容だが――」
仕事の内容を聞き埴泰は苦笑した。
他の者であれば怒りそうな内容だが、埴泰としてはむしろ大歓迎な事だったのだ。とはいえ、そのために準備が必要で――棚の中から古い面を手に取る。
「なあ爺さん。この面って何だい? 犬かな?」
「馬鹿こくでない、どう見たって狐じゃろが。そいつはな、由緒正しい神社の祭礼で使われておった狐の面じゃ。犬なんぞと言ったら罰が当たるわい」
「なるほど狐なんだ。その由緒正しい面が、どうしてこんな場末の店に?」
「喧嘩売っとるんか? もっと口に気をつけんかい」
流石に店を貶され不機嫌そうな顔だ。笑ったり怒ったりと忙しい。
「そいつは神主のどら息子が売りに来たんじゃ。なかなか良い品じゃが、思いっきり買い叩いてやったわい。欲しいんか? 安くしてやるぞ」
「そいつの方が、よっぽど罰当たりじゃないか。買った爺さんも大概だけど」
埴泰は狐面を手にすると、しげしげと見つめた。
顔の上半分を隠す半面で木製だ。白塗りとなった表面に朱や黒で紋様や髭が描かれ、耳の部分は朱で塗られている。大きく空いた目の穴は隈取りのように黒で塗られる。両脇に結ばれた面紐には鈴がつけられていたが、どうやら飾りというだけで音はしない。
「じゃあ爺さん。こいつを貰ってくよ」
「毎度あり、金は――」
「今回の報酬から引いといてくれ」
埴泰はにこやかに言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます