白狼と紫龍・下

 アルマスの体力は無尽蔵ではない。対してマオウは一般的な古龍族ほどでは無いにしろ、あまりにも強靭な肺を持っていた。己の得意な武器を用いて黒花獣と戦う場合は息切れもするようなものだが、殴り殺さない程度に力を抑えた状態で戦うのであれば話は別、気を使うので精神力は減るものの、驚異的なスタミナと攻防に優れた腕力と脚力を持つ化け物でしかないのだ。

 疲れで気が付くのに一瞬遅れたマオウの回し蹴りを背後に跳んでなんとか衝撃を抑えられたものの、あまりの威力に大きく吹っ飛ぶアルマス。しなやかな足腰を使って上手く着地はしたが、自分が戦っていた競技場の中央付近から観客席の傍まで蹴飛ばされていた。


「クッソ……はぁ……あー……」

「一撃でダウンかぁ? おいまだ俺ぁ遊び足りねぇぞ」


 中央付近で仁王立ちし、遠くで片膝をつくアルマスを睨むマオウ。平気そうな顔をしては居るものの、無意識のうちにか腹部を片手で押さえているのをアルマスは見逃さなかった。


「誰がダウンだって? 一度お前の馬鹿力を利用して距離を取っただけだ」

「ぬかせ。体力無くなって対応が一瞬遅れたんだろうが。んな嘘はきかねぇぞ」


 マオウは喧嘩っ早い所や機械に異常に弱いという欠点などがあるものの、決して馬鹿ではない。母親譲りの薬学、毒物学の膨大な知識を有していることに加え、単純に振るだけでは実力を発揮しきれないハルバードという武器を巧みに扱いこなす地の頭の良さがある。

 故に敵の状態を見抜くことにも長け、この手の嘘はよっぽどマオウが疲弊でもしていない限り通用しないのである。

 シャルロッテはマオウを凌ぐ天性の才を持って武力で互角に渡りあうが、心理戦や騙し合いであれば勝つことは不可能に近い。とはいえ、常に感情や野生の勘のようなもので行動しているシャルロッテに心理戦や騙し合いが通じるのかと言われれば、花の騎士達は誰もが首を横に振るであろうが。


 観客席の一角にいる花の騎士一行と篠生 萌華。二人の戦いを見て技を盗もうとでもしているのか前衛のリリアやシャルロッテ、残り十名ほどになって棄権して戻ってきていたアリサに、どちらかと言えば勉強の方が得意そうに見える萌華も含めて一言にしゃべらずに見守っていた。


「よくやるよほんとに……」


 横にいるゼルレイシエルとミイネが大声で応援していることなのか、それとも本気で殴り合いをするマオウとアルマスの事か。レオンは震えた手で、ミントタブレットを複数個同時に口に放り込んでガリガリ同時に噛む。その表情は苦々しく、何かに必死に耐えているような苦悶が浮かんでいた。


『素晴らしい戦いを見せる両名!只今入って来た情報によるとお二人は同級生で寮では同じ部屋だそうです! ライバルというやつでしょうか……これは燃える展開ですねベリスさん!』

『そうねぇ、二人とも授業の成績も良いしこんなに強いなんてとっても素晴らしいと思うわぁ』


 実況席で悠長に会話をしているベリス達。観客も面白い展開に歓声をあげているが、相手に集中した状態である二人の耳には完全に意識の外での出来事である。


「なぁ、もう一回聞くぞ。なんで喧嘩を売って来た」

「……あーったく、面倒くせぇなぁ」

「なんか、焦ってるのか?振るう拳でわかる。何かを焦ってるな」

「……あぁ、そうだよクソッタレ。やっぱりわかったかよ」


 アルマスはゆっくりと歩きながらマオウの元へとむかう。マオウは思っていることを看破された事に苛立ちを覚え、舌打ちを一つした。


「俺の目指すは最強。黒花獣を殺し、神獣をも地に伏させる事だ」

「あぁ、知ってる」


 二者の距離は徐々に狭まるがアルマスは淡々と歩を進め、マオウはドンと構えながら雄弁に語る。


「俺は古龍の一族だが、俺は全力を出せねぇ理由がある」

「あぁ、知ってる」

「全力を出せば全身から血を流して死ぬ。欠点があるならば仲間の助けを借りて倒せば良い……んな生っちょろいもんは好かねえ。俺が目指すは唯一無二、俺一人での最強だ」

「わかるさ。俺は最強を目指してるわけじゃないから、同意はしないけどな」


 距離にして一メートル。どちらにも絶好の間合いと言える距離を残してアルマスは立ち止まり、呼吸を整える為に一度だけ大きく息を吐いた。


「俺はこの体の性質上、筋力はもう強化を望めねぇ。それどころか、生まれた時より力が弱くなってる可能性すらある。それなら技量をひたすらに上げる。だとすれば挑発して本気の奴と戦うのが、技も盗めて経験も積める最も優れた方法だろうと、俺がそう勝手に判断しただけだ」

「まぁ本気の奴と戦うのが一番良い方法なのは確かだな……巻き込まれた方は堪ったもんじゃないが」

「おいまさかここまでやって棄権とかすんなよ?」

「……するわけが、ねぇだろアホが!!」


 両手を腰の脇で引き、その溜めから勢いよく前方へと伸ばして両手での掌を放つアルマス。脚も踏み出して勢いと威力を上げているが、マオウは容易く反応して両腕を体の前でクロスさせてガードしていた。


「不意打ちはやっぱ効かねぇかよ」


 アルマスは狼らしく歯を剥き出しにしてニヤリと笑う。

 対するマオウも相手が乗ってきた事に喜び、強者らしくニヤリと笑った。


「グオォォォォォ!!」

「グルルルルル!!」


 龍と狼といういつもの姿では見せない本性を現して、雄叫びを唸り声をあげながら殴り合う二名。勝負は傍から見れば互角であり、そして彼らからしても全くの互角の戦いであった。

 龍の攻撃を一撃でもまともに喰らえば狼は戦闘不能となり、狼の苛烈な攻撃を受け続ければいくら龍であろうといずれ力尽きる。


 しかし時間が経つにつれて、いくつもの攻撃を受けつつも余裕の表情見せるマオウと、疲れで意識が朦朧としつつあるアルマスという明確な差が顕著になってくるものである。起死回生を狙ってなのかアルマスが肩や膝や太ももといった急所を狙うようになったのだ。しかしマオウの強靭な体に披露している素手のアルマスの攻撃ではまったく効いている気がせず、存分に四肢で攻撃を放ち続けることが出来た。


「そういやぁよ……」

「なんだぁゴラ」

「技を盗むだとか、言ってるが……それが良いことだと……本気で、思ってやがんのか?」


 アルマスがマオウの両肩に三度目の描剛掌を当てた代わりにマオウの脚での攻撃を受けて吹っ飛び、再び距離が出来ると嘘をつかない狼は息を切らしながら本心からの疑問を聞く。笑いながら。


「あぁ? どう考えてもそうだろ。勝手に技を盗まれてキレられるなんてこともあるだろうがよ……! テメェ!!」

「そうか……まぁ、さ」


 マオウの答えを聞き、アルマスは口から血を地面に吐き出しながらマオウの近くへと歩みよった。


「……チェックメイトってやつだ!!」

「がっ!?」


 脚部に狼時の筋肉を一部だけ現し、高速でマオウの眼前へと近づくとその顎へと温存していた体力で強烈なアッパーを叩きこむ。マオウは棒立ちをしていたが防御が“間に合わなかった”わけでは無く、防御が“出来なかった”のである。


「一撃じゃあお前の肩にダメージを与えられねぇがよ、弱い攻撃を積み重ねて最後に強いダメージでも与えりゃいくら頑丈なもんでも流石に脆くなるだろ」

「……! ぐ……!」


 顎から揺さぶられ脳震盪で意識が朦朧とするマオウ。アルマスは軽く呼吸を整え、目の前のヒトの姿をした龍を睨んだ。


「それは他の弱点でも言えることだ。それで、な。マオウ……いくら技を盗もうが、己に適した武器じゃないといくら強い技であっても、完全に扱うことは叶わないんだよ」


 アルマスはマオウに背を向けて歩き出した。その背中はどこか寂しげで、それでいて勝利の確信に満ちた背中であった。


「限界を感じたなら途中で極めることを諦めろ、そして自分ならではのモノの糧として昇華させ、盗んだ物を捨てるべきだ。技を盗むことは決してそれだけが良い事じゃあない。己の物にしなければ意味が無いんだよ。俺のようになるな。だから、この一撃は」


 獣は遠くから龍を見た。今にも走り出すような地に伏せた姿勢で。相手との距離を目測しつつ。


「……餞別だとでも思え!」


 獣は獣化した足で地面を蹴り、覚醒しかけた龍の足元で地面を擦りながら急激に立ち止まる。疾駆の最中は後方へと伸ばされていた両手は、立ち止まったのと同時に慣性という力によって前方へと飛び出した。

 拳で殴るや剣で何かを斬る時、腕を伸ばし切った瞬間に力を入れて静止することによって最大の威力を発揮すると言われる。ならば全身を用いてこの現象を体現すれば。そう考えられて人狼族の先祖によって作られた拳法の奥義。それが、


狼牙掌ろうがしょう


 全身の慣性の力を腕へと伝え、腕が伸びきった瞬間に敵に掌を当てる。あまりにも使いどころが難しく、目測を見誤れば大した力も無い諸刃の剣な力。しかし、それは上手く決まれば絶大な威力を発揮するまさに奥義という言葉に相応しい技であった。


「……ッ!!」


 龍のがら空きな腹部に、マザーコンピュータの巨大なパイプをも吹っ飛ばした力が当たる。無論、闘技場の狭さや対人ということもあり技に必要な助走の速度はあまり無かったのだが、散々に攻撃を腹部に受けていた手負いの龍には十分すぎる威力であった。

 マオウは気絶して仰向けに倒れ、アルマスは技の衝撃によって痺れ続けている両腕をなんとか空へと向けて雄叫びをあげた。


「ウオォォォォォォォォ!!」


 誰がはじめなのかはわからない。皆勝負の行方に魅入られて沈黙していたのだが、一つの拍手の音を皮きりに大観衆から拍手喝采が鳴り響いた。競技場内には爆音に包まれ、誰もが二人の健闘を賛美していた。

 アルマスは大きく息を吸いながら足元のマオウを見ると、気絶から目を覚ましたらしいマオウがなんとかあげられるようになった左腕の拳をアルマスに向けて笑っていた。


「……あー……俺の負けだよチクショウ。でも気分は良い……おい、アルマス。また今度殴り合いやろうぜ」

「……もういやだっての。筋肉ダルマの馬鹿野郎が」


 アルマスは疲労困憊しつつも、マオウの差し出した拳に己の拳を合わせる。

 そして、互いに屈託なく笑った。

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