67

 数日が過ぎた。


 空はすぐに退院できていた。医者はなぜ回復したのかは不明と言った。身体に異常もないと。

 悪夢を見ることもなくなった。


 あれから椿沢と連絡を取るようなこともしていない。椿沢から空に接触してくることもない。

 生徒会副会長椿沢涼子と一般生徒の海山空。

 廊下ですれ違うことはあれど、立ち止まって話すようなこともない。

 視線が一瞬合ったとしても、すぐに逸らす。

 二人は元々の関係に戻っていた。

 


 日曜日。


 空は部屋の掃除をしていた。もうすぐ小清水が遊びにくるためだ。

 元々綺麗好きであるため、掃除といっても掃除機をかける程度である。

 

 空はもう必要のないアロマ加湿器を物置部屋に運んだ。

 そして窓際に移動させた鉢に目がいく。


「この花ももういらないな。虫が湧くと嫌だし」


 空は鉢を持って下に降りた。

 庭にもっていくためだ。


 リビングに入ると陸が踊っていた。着ている黒いTシャツの背中には大きく白文字で『黒魔術』と書いてある。

 テレビにはアイドルのミュージックビデオが流れている。


「陸……なにやってんだ?」


 陸は踊りながら言葉を返す。


「えっとね。ダイエット」

「ダイエット? お前別に太ってないだろ。むしろ痩せてる方だと思うけど?」


「うるさいなぁ。女の子は気になるの! あっちいってよ」

「うーん。……あのさ。この花、もう必要ないから庭に出すけど。陸、部屋に置きたかったりするか?」


「花? ――あー間違えた! ここの振り付け難しすぎ!」


 陸は踊るのをやめてソファに飛ぶように座った。


「その花なに? 空ニィ花なんて趣味あった?」

「はあ? これはお前が俺の部屋に置いたんだろうが」


 陸はきょとんとする。


「リク知らないよ? そんな花」

「ふざけるのはよせ。あの加湿器を隠すためのカモフラージュで置いたんだろ?」


 陸は首をかしげる。


「リク本当に知らないよ」

「どういうことだ? 俺もこの花買ったりしてないぞ?」


「じゃー誰かが置いていったんじゃない? あの夢魔女とかさ」

「椿沢さんかなー? でも椿沢さんを二階に上げてないしな。ここに来るときは俺も一緒だったし。花を持ってきたことなんてないぞ」


「ふーん。リクはその花のこと知らないし、部屋にもいらない。庭に出していいよ」

「そっか」


 空はサンダルを履いて掃き出し窓を開けて庭に出た。

 花など一切ない芝生だけの庭。

 空はこの白紙状態の庭のどこに花を置くべきか迷う。


「うーん。玄関の方がいいかな」


 空はそのまま玄関の方へ向かう。

 すると小清水が自転車でやってきた。


「よお!」

「春君。ちょっと待ってて、鍵開けるから」


 空は玄関の扉横に花を置いた。そして、庭を経由して玄関を内から開けた。


「お待たせ」

「ってかこの花どうした? 買ったの?」


「いや。知らない間に部屋にあったやつ」

「なんだそれ。ってかこの花エゾムラサキじゃん」


「知ってるの?」

「ああ。ばあちゃんが好きな花だからな」


「そうなんだ。まあ中に入ってよ」

「うい」


 空は小清水を部屋に向かわせ、冷蔵庫からジュースを取って自分も部屋へ向かった。


 今日遊ぶ約束をしたのは空からである。

 空は隣の席の川谷花菜について聞きたかったのだ。


 四人だと思っていた六班が五人で、自分以外の皆は川谷のことを知っている。

 知らないのは自分だけだった。

 学校にいるときは自然を装っていた。幸い川谷から空に話しかけてくるようなことはなかった。


 空はコップに炭酸ジュースを注ぎ小清水に渡す。


「サンキュー。で、さっきの花なんだけどさ。あれは忘れなぐさの種類なんだ。その忘れな草の話。花言葉だな」

「花言葉??」


 小清水はベッドを背もたれ代わりにして寄りかかる。一口ジュースを飲み、人差し指を立てた。


「まずなんでこんな名前なのか。忘れな草だぜ? これには悲しい話があって、昔どっかの国でカップルがいたんだとよ。で、ある日、川を二人で散歩してたら彼氏が川辺に花を見つけた。

 彼氏は彼女にプレゼントしようと花を摘むために川辺に降りた。そのとき誤って川に飲まれちまう。彼氏は溺れながらも力を振り絞って花を彼女に向かって投げた。

 そのときに『俺を忘れんじゃねーぞ!』って言い残して亡くなったんだ」

「へー」


「へーっておい。で、その摘んだ花が忘れな草。彼氏が残した言葉からそう名付けられた。そして、花言葉も『私を忘れないで』って意味がある」

「ふーん」


「ふーんっておい。ばあちゃんがこの話を好きで小さいときよく聞かされたんだ」

「ほおー」


 小清水は不満げな顔をした。披露した豆知識をいなされたからだ。


「で。今日俺を呼んだのはなんか相談があったんだろ?」

「うん。川谷花菜のことなんだ」


「はーん。さすがに倦怠期で辛くなったか? でもそれはお前が悪いだろ! 副会長と仲良くなんてしてたから」

「倦怠期? 待って。まず俺の話を聞いてくれ。俺は川谷花菜のことを知らないんだ。いつから俺の隣の席だった? ずっと同じA組で六班のメンバーだったのか?」


 小清水は口をぽっかりと開けたまま固まった。


「お前なに言ってんだ?」

「いや。だから知らないんだ。思い出そうとしてもそこだけモヤがかかったように思い出せない」


 そのとき勉強机の方から声が上がった。クニツルである。


「垂れ目。実はな――」 


 クニツルは空に起こっている異変について説明した。

 この内容は空自身も初耳であった。


 サキュバスによって女を想う気持ちを消され、その際に川谷の存在も消されてしまったという内容。


「だから垂れ目に頼みがある。今までにあった川谷の嬢ちゃんと空坊の出来事を偽りなく教えてやってくれないか。垂れ目の知っている範囲で構わない」

「…………まじかよ」


 空は小清水から聞かされた。

 毎日夕飯を作りにきていたこと。同じ図書委員であること。空と川谷で小清水のストーカー探しをしたこと。ボッチパワーで見えなくなること。など。


「あとな……花菜ちゃんはお前のこと……いや。これは言わないでおこう。あくまでも俺の推測だしな」

「…………」


 空は信じられないといった表情。


 そのとき部屋に陸が入ってくる。


「あのさ空ニィ。クニツルが起きたら、なんか聞くみたいなこと言ってなかったけ? なんか大事なことだったような気がするんだけど……」

「そんなこと言ってたか?」


 小清水も考える。


 コップに結露した水滴がスッと流れる。

 机の上からはスマホゲームの音。


 そして三人同時に声を上げた。


「桃木先輩だ!」

「桃木先輩!」

「クソぶりっ子桃木!」


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