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 鬼ごっこが始まり15分が過ぎようとしていた。


 白マスクは疲労困憊こんぱい。ぜえぜえと口で息をし、膝も笑い始めている。

 残り時間は15分。紙風船は頭についているひとつ。ボッチパワーも殆ど機能しなくなっている。


 今は校門側の柵近くで身を潜めている白マスク。立っているのすらやっとである。

 

「見つけたじゃん!」


 遠くから茶木の声が響いた。

 

 白マスクはまた走る。陸のために走る。脇腹が痛くなろうとかまわない。喉から血のような味が上がってきてもかまわない。

 でも足がいうことをきかない。それでも走る。


 白マスクは木に隠れ、足元の小枝を拾い上げる。

 茶木はボッチパワーに備え、目を凝らす。


 白マスクはボッチパワーで一瞬姿を消し、茶木の後方に向けて小枝を投げる。

 小枝は芝に落ちて小さく音を立てた。

 

「――後ろじゃん!? もう……あいつはなんで見えなくなるん?」


 茶木は小枝の方に走っていく。


 白マスクは少し安堵する。これで少しだけでも休憩できる。と。


 しかし、すぐにその休憩は意味がないと理解する。

 脚が痙攣していたのだ。力を入れると痛みが走り立つことすらままならない。


 白マスクは涙を流す。そして、イヤホンのマイクをオンにした。


「こちら不可視の花インビジブルフラワー。私はもうだめみたい。脚が痛くて動かないの」


 涙声だった。


 返事は誰からも返ってこない。

 皆返さないのではない。言葉を探しているのだ。


 白マスクが降伏しようと覚悟を決めるそのとき、イヤホンから声がした。


『今どこにいる!』


 その声は白マスクが一番安心できる人物からだった。


「校門東側の木の側」

『そうか。俺は一般生徒を装ってそっちに行く! だからマスクと紙風船をそのあたりに隠しておいてくれ!』


「どういうこと!?」

『茶木先輩は川谷さんの顔を知らない。だからマスクを外せば気づかれない』


「でも――」

『いいから。俺はもうすぐ着く! 通信終了だ』


 白マスクを外した川谷は、言われたとおりに隠す。

 そして、脚を引きずりながら生徒玄関の方へ向かう。


 茶木は川谷に気づくが、白マスクではないと分かるとまた走り出す。

 

 川谷は生徒玄関の階段に腰をおろす。


 すると後ろから頭を撫でられた。


「川谷さん。ありがとう。後は俺に任せて!」


 川谷は手の主を見る。


「海山君! ごめ――!? えぇぇぇぇ――!!!!??」


 そこには女子の制服を着た空が立っていた。

 むき出しのふくらはぎは日ごろのランニングのせいか、かなり筋肉質。そしてヒジキのようなすね毛。くるぶしソックスのせいでそれは全開である。

 眼鏡はかけておらず、真っ赤に充血した眼球。


「ど、ど、どうしたの!? その恰好!?」

「聞かないでくれ! それよりマスクの場所は?」


「いや! 気になるよね!? ――マ、マスクはあの木の下だけど……」

「わかった」


 空は走り出す。

 同時に帰宅中の女子生徒から悲鳴も上がった。


 空は隠してある木の元にたどり着き、無事マスクと紙風船を見つけた。

 そして装着する。


 固い髪の毛は白マスクの細かい網目からいくつか飛び出す。


 残り時間10分。ネオ白マスクは鬼ごっこの舞台に立つ。


 茶木はすぐに発見する。


「そっちか!」 


 ネオ白マスクの脚力はすさまじかった。

 追ってくる茶木との差は開くいっぽうである。

 

「急に足早くなったじゃん?」



 そして校舎の時計は45分をさした。


 芝に大の字で倒れている茶木。30分前はさらりとしていた髪の毛は、汗により顔にいくつか張りついている。

 ネオ白マスクはオー脚に歪んでいる脚でその横にたたずむ。頭の紙風船は球体を保ったまま風に揺れる。


「――ちくしょー! うちの負けじゃん。パシリでもなんにでもしやがれじゃん!」


 茶木は悔しさから、芝をぐしゃりと握る。


 ネオ白マスクは裏声を使い言葉を発する。


「パシる内容は後日メールにて連絡する、わ。それではごめんあそばせ」


 正体がバレる前に早く教室に戻りたいネオ白マスク。踵をかえしこの場を立ち去ろうとした。しかし。


「ちょっと待つじゃん。お前――名前は?」

「…………不可視の花インビジブルフラワーよ」


 ネオ白マスクは走って逃げた。


「見えない花ってか……ふっ。かっこいいじゃん!」


 こうして白マスクの戦いは勝利に終わった。


****


 一年A組の教室。

 そこには二人の生徒がいる。


 一人は足を引きずった女子。黒髪のショートボブ。

 片足は震えている。痛みもある。しかし座らずに立っている。表情は無。ただ目の奥に怒りに満ちたなにかを感じさせる。

 川谷花菜だ。


 もう一人は白いマスクをかぶった女装男子。マスクからツンツンと毛が飛び出したウニヘアー。

 両脚は痺れている。正座しているからだ。表情はマスクにより分からない。ただ目が真っ赤に充血しているのがマスクの穴から見える。

 こちらは海山空だ。


「見たのかってきいてるんだけど?」

「――ません」


 冷酷な声で訊く川谷。空は萎縮いしゅくし声がとても小さい。


「聞こえない」

「見てません」


「なにを見てないの?」

「桃木先輩のパンツです」


「へぇ。じゃあどうやってそのスカートを脱がせたっていうの?」

「目をつぶって脱がせました」


「桃木先輩はどんな体勢だったの?」

「女の子座りで、ゾンビみたいにぐったりしてました」


「その体勢から脱がせるのは大変じゃなかったかな?」

「いえ。ホックを外してチャックを下げて、こう――バンザーイの姿勢にして上から脱がせました」


「それを目をつむったままやったの?」

「はい」


「じゃー、桃木先輩の体をたくさん触らないとできないよね? 見えてないんだから。ホックなんてお腹に触れないと外せないし」

「…………」


「……グーパンチだよ」

「ごめんなさい」


「なにが?」

「――ちゃいました」


「聞こえない」

「本当はパンツ見えちゃいました」


「見えちゃいました? み、え、ちゃ、い、ま、し、た?」

「すいません。パンツ見ました」


 川谷は大きくため息をついた。

 そしていつもの表情に戻る。


「もういいよ。海山君がそうしなきゃ今頃私がパシリになってたわけだし」

「…………」


「ありがと! ――はい。この話はもうおしまい! 早くその制服返してきなよ。すね毛が気持ち悪いし」

「はい」


 そのときグループ通話のスマホから声がした。


『痴話喧嘩は終わったかい? お二人さん。通話繋がってるんだからさー。黙って聞かされる身にもなってくれよー』


 小清水の声である。

 川谷は顔が赤くなる。空の表情は白マスクのせいで分からない。


『でだ。加藤は狸小路たぬきこうじのゲーセンにいるぜ。こっちは暇なんだよー。早くきてくれー。以上』


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