その7


 悶々として言葉もなく、私とトッシュは読書室に戻ろうとしていた。

 掲示板の前には人だかりがあった。ざわざわとしている。私は足を止めた。


「お願いします! 鶴を折ってください! お願いします!」


 ガチャ彼の必死な声が耳に届いた。

 私は人だかりをかき分け、ガチャ彼の姿を見て、頭に血が上っていくのを感じた。


「お願いします。今にも死にそうなんです! お願いします!」


 ガチャ彼は、前にいる学生の腕を掴み、詰め寄ろうとする勢いで、呼びかけていた。

 人だかりから、雑音が私の耳に響いてきた。


「ヘー」


「そうなんだ……」


「かわいそうだね」


 すべては他人事だ。

 ガチャ彼の姿は、私には惨めで醜いものにうつった。


「やめてよ! ハムコは見世物じゃない!」


 私はガチャ彼の前に飛び出して叫んでいた。



 今にも殴りかかろうとする私を、トッシュやガチャコが押しとどめ、読書室まで撤退するも、ガチャ彼と私の言い争いは続いていた。


「なんだよ! 恥ずかしがっている場合じゃないだろ? おまえ、ハムコのことが心配じゃないのかよ!」


 はじめはきょとんとしていたガチャ彼も、だんだん熱くなり、目をうるませていた。

 怒鳴る言葉と共に、唾までも私の顔に飛んできたが、私も負けてはいなかった。


「だからって、見世物にしないでよ! ハムコのこと、なんだと思っているのよ!」


「おまえ、本当にハムコの親友かよ! 見そこなったぞ!」



 まったくの平行線のやり取りに、私はついに教授の研究室まで連行されて、コーヒーを飲む羽目になった。


「あなたの言い分もわかりますが……」


 ハムコと私が取っていたゼミは、法律関係のゼミだった。

 やや堅物の教授は、コーヒー通でもあった。カップもなかなか凝っていると評判だったが、私の記憶には何ものこっていない。

 だいたい、法律なんてやる気はなかったが、人気がないので

「あぶれずに二人一緒に同じゼミに入れる」

 と、ハムコが言ったから取ったのだ。

 教授のいれたコーヒーは、まったく飲む気にはならなかった。


「人それぞれに、気持ちの出し方が違うものですよ。少し冷静になりなさい」



 冷静になんか、なりたくもない!

 ハムコは死ぬんだ! 冷静でいられるはずがない!


 教授は充分大人だろう……。


 大人になったら、愛する人が死ぬ時でも冷静でいられるのか?

 それなら大人になんかなりたくはない。

 そんな凍った心になんて、絶対になりたくはない!

 私はいらいらと、落ち着きなく歩きまわった。


 そのうち、ガチャコが迎えにきた。ガチャ彼も落ち着いて、家に帰ったらしい。


「私、ガチャコには悪いけれど、彼の考え方嫌いだわ! 納得がいかない」


 私はまったく落ち着いていなかった。


「うん……私も。今回ばかりは、彼の行動に納得いかなかったけれど……言えなかった」


 不思議なことに、ガチャコが私の気持ちに一番理解を示してくれた。

 彼の手前、一緒に鶴を折ることを呼びかけていたが、惨めな気持ちで一杯だった……と、ガチャコは言った。

 このことが原因ではないが、ガチャコは数ヶ月後、彼とわかれることになる。

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