その6
読書室で鶴を折っていると、ガチャコが飛び込んできて突然大声で泣き出した。
「ハムコが、ハムコが死んじゃった! もう心臓が止まったって……」
私はびっくりして、立ち上がった。
動揺し、騒ぎまくっていたのは私のほうで、ここ数日、それを押さえてくれていたのは、ガチャコのほうだった。
そのガチャコが、まったく堰を切ったように爆発している。
「落ち着いて! 連絡が入ったの?」
病院で待機している友人が、何かあったら連絡をくれるはずだった。それらしき連絡は来ていない。くらくらする頭で私は「まちがいだ!」と、唱えていた。
「あ、あの……献血のポスターを見ながら、学生が……」
ポスターを見ていたガチャコの後で、見知らぬ学生の声がした。
「おい、このポスターの子さ、まだ生きてんの?」
「いや、しらねー……でも、心臓止まっちまったらしいぞ」
「ふーん……」
ガチャコの頭は凍りついた。
震えが止まらなくなった。心臓が止まった……。
思えばほんの些細なことなのだが、私たちは過敏になっていた。
「そんなの、うそだよ。根も葉もないことを、よくも無責任に……」
「そうだよね。よく考えれば、そうだよね。あの人たちなんて、ハムコのことなんか、知らない人たちだから、勝手なこと言えるんだよね。私、ばかみたいだ……」
ガチャコはすぐに落ち着いた。
その時、ガチャコの彼が飛び込んできた。今度は何だろう?
「おい、折り紙向こうで折るぞ!」
「え?」
「出きるだけ多くの人に手伝ってもらったほうがいい。みんなの善意を集めるんだ!」
そういうと、ガチャ彼は読書室のテーブルを廊下に出し始めた。
私たちは呆然とその様子を見つめていた。
ポスターの前に陣取って、掲示板を見にくる学生に手伝ってもらい、出きるだけ多くの人の手を掛けて千羽鶴をおりあげる。時間も短縮できる……。
ガチャ彼の考えは、実行という形で現われた。
「そうだ、トッシュ、おまえサークル棟を回れ。折り紙配って折ってもらおう!」
なんだかわからないうちに、私たちはサークル棟を回り始めた。
しかし、私には何か気分が晴れないものがあった。
トッシュは、すこし大人っぽいお嬢様タイプで、どこかほんわりした感じの子だ。人当たりが柔らかく、言葉遣いがきれいだ。
「すいません。お願いします」
みんな、快く引き受けてくれる。
もっぱらお願いするのはトッシュで、私は後ろで折り紙持ちをしながら、いっしょに頭を下げていた。
何か……違う……。
何か……。
何が違うのか、私にはわからない。
でも、心が違うと苦しんでいる。なんだろう?
答えは次の部室で出た。
高らかな笑い声が響いている。
学生のサークル棟は、日常とまったく変わらない。
それはハムコが死ぬこととは、何の関係もなく、繰り返されていることだ。トッシュはその部屋をノックした。
幸せな笑顔のままに、くりっとした目の少女がドアをあけた。
「ポスター見ました。早くよくなるといいですね」
快く少女は折り紙を受けとった。
「ありがとうございます」
トッシュは、ふかく頭を下げた。
ドアが閉まった。
……とたん……
「きゃあははははは!!!!」
少女たちの甲高い笑い声が、私たちの背後を襲った。
私の気持ちはプツンと音を立てて切れた。
違う……この人たちと私は違う!
気持ちが違う!
思い入れが違う!
愛情が違う!
誰が軽薄そうなあの笑い声を批難できるだろう?
あの子達は、悪気なんてない。
たまたま楽しいお話をしているところに、私たちがきた。
そして、去ったあとに、話の続きをして笑っただけなのだ。
私やトッシュ、ハムコを笑ったのではない。
早くよくなるといい……その言葉にもうそはないだろう……でも!
あの子達は、ハムコを知らないのだ。
それを責めることなんかできない。でも……!
なぜ、あの子達にまで鶴を折ってもらわなきゃならないのだ?
あの子達は……芸能人のお話や、ケーキのお話や、バーゲンセールのお話や、とにかく甲高い笑い声を上げながら、鶴を折るのだ。なぜ、鶴を折っているかなど、頭の一番隅に追いやられる。
ハムコの名前さえ、きっと覚えていない……。
「冗談じゃない! 私は嫌だ!」
私は折り紙を投げ捨てると、吐き捨てるように言い残して走り出した。
トッシュがびっくりして、私の名を呼んだ。
サークルの部室から漏れる愉快な笑い声が、さらに私を追いたてた。
私は耳をふさいだ。
「まって! いったいどうしたの?」
キャンパスの端っこで、トッシュは私に追いついた。身長に勝る彼女は足が速かった。
私はすっかり息が上がっていた。
見上げると、ポプラの木が上空で葉を揺らせている。
青空がまぶしい。
涙がつつっと頬を伝わった。
この青空の下で、笑って四年間すごすはずだった。
ケーキのお話や、バーゲンセールのお話で笑う日常が、ポプラを揺らす風のように、過ぎ去ってゆくはずだった。
なのに、ハムコ……。
どうして? ハムコ。
青空と緑が溶け出した。涙がさらにあふれだした。
風は……。
ハムコの肺を、強制的に膨らませているのだろう……。
白衣と白衣の間からちらりと見えた死んだ瞳が、私をさらに追い詰めた。
違うのだ……。
誰もわからない。
ここは平和で、死から遠すぎる。あの子達は違うのだ。
「私は嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」
泣き叫びながら、ポプラの根っ子を蹴飛ばしながら、私はわめき散らした。
「何で、あの人たちにまで頭を下げて、鶴を折ってもらわなきゃならないの? あの人たちに何がわかるって言うの! 私は嫌だ!」
振向くと、トッシュは困った顔をしている。
「トッシュ、私たちだけでいいじゃない! ハムコのこと、大好きで、本当に生きていてほしいと願う気持ちがある人たちだけでいいじゃない! 願いを込めるから千羽鶴でしょ? みんなで祈りながら、徹夜して折ってもいいじゃない! ……あの人たちが折った鶴がいっしょなんて、私は嫌だ!」
トッシュはうつむいた。
「……でも……確かにそうだけど……。どんなに思い入れの大きさに違いがあっても、気持ちは一緒だと思う。折ってくれるっていうことは、祈ってくれるってことでしょ? たとえ私たちよりも、気持ちが少ないとしても、気持ちには変わりないと思う……。ね? そうでしょ?」
トッシュの懸命の説得にも、私の心は動かなかった。
むしろ、この優等生っぽい優しさが鼻につく思いだった。
それはきれい事だ。
ガチャコが遭遇した学生の言葉を聞いても、トッシュは同じことが言えるのか?
「おい、このポスターの子さ、まだ生きてんの?」
「いや、しらねー……でも、心臓止まっちまったらしいぞ」
「ふーん……」
そいつらにも、同じことが言えるのか?
鶴を折ってとお願いできるのか?
そいつらだって、普通の学生だろう。
たまたま、見なれないポスターに目を留めただけだろう。
お願いしたら鶴を折るだろうし、助かればいいねって言ってくれるだろう。
私は強情だった。
「私は嫌だ。それでも嫌だ。お願い廻りはもうしない。戻って鶴を折る……」
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