11 清濁の基準

「ヨアフォード」

 アンエスカは顔を上げると、目を細めて、神殿長を見た。それは頭痛をこらえる様子に似ていた。

「お前は、〈峠〉の神を信じないのか」

「何を言い出す」

 神殿長は鼻で笑った。

「信じているとも。物心ついたときから、ずっと。だからこそ、成せねばならぬことに気づき、成した」

「――お前は」

 騎士団長は息を吐いた。

「間違っている」

「意見の相違があることは、とうに判っている」

 彼は首を振った。

「さて、アンエスカよ。では、お前と私の違いは何か。私はルー=フィンを好きに動かす。お前はそうしてハルディールを操るつもりでいる」

「そのようなつもりではない。全てはシリンドル国の」

「シリンドル国のため。同じだ、私もお前も同じなのだ。だと言うのに、何故こうなった? お前がラウディールを支持したからだ」

「何を馬鹿なことを。王家と神殿が意見を異にしたから、それだけだ、神殿長」

「これまで常にシリンドルとシリンドレンが同じことを考えてきたとでも言うのか。意見が異なれば、シリンドレンが引いた。王家を立てた。だがそれは王家を増長させただけだった」

 ヨアフォードは背筋を伸ばした。

「それを私が正した」

「お前のやったことはただの反乱だ、ヨアフォード」

「――もういい」

 神殿長は苛ついたように言った。

「お前があくまでもラウディールとハルディールにつくことは、よく判った。話していても埒はあかない。最初から判っていたことだな。無駄な時間を送ったものよ」

「無駄な時間を終わらせることには、私も同意しよう」

 今度はアンエスカがそう言った。

「ヨアフォード。お前の言い分は、聞いた。だが私に賛同できることはない。話は終わりだが」

 騎士は、腰の細剣に手をかけた。

「こうしてひとりでやってきたということは、私に斬られる覚悟を決めてきた、ということだろうな」

「馬鹿な」

 ヨアフォードは笑った。

「たとえ信頼する神官にでも、お前の王家の汚点を聞かせないでおいてやろうという私の配慮だ。アンエスカ、お前に私を斬ることなどはできん」

「神殿長に刃を向ける騎士はいないな。しかし私にとって、お前はもう神殿長ではない」

「その理屈が通るのであれば、私にとってのラウディールも、王ではなかったということになるが」

「口の減らないことだ」

「その言葉はそっくり、お前に返す」

 それから、とヨアフォードは続けた。

「刃の方も返してやろうか」

 その手もまた、左腰にかかった。アンエスカは片眉を上げる。

「剣を使うのか? 私に敵うと思うのか」

「若い頃であれば、否と言おう。だがお前が負傷以来、ろくに剣を使えぬことはよく知っている。剣を習い立ての若造にも敗れ、イズランにも脅す程度にちらつかせることしかできなかったのであろうに」

 ヨアフォードは指摘した。アンエスカは黙った。

「では、決着をつけるか。〈峠〉の神が向いているのは本当はどちらなのか――今宵こそ」

 神殿長はすらりと、儀式的な装飾と見える腰の小剣を抜いた。

「お前の最後だ」

「……何を企む?」

 剣を抜かずにアンエスカは言った。

「企むだと?」

「お前は鼻持ちならない自信家だが、生憎と愚者ではない。あの若さで騎士の座に就いたレヴシーに私が敗れることは、お前が私に勝てることを意味しないことくらい、判るはずだ」

 引退したニーヴィスがそれでも自信を持っていたように。利き腕が負傷前のようには動かずとも、訓練を続けてきたアンエスカがヨアフォードに敗れるはずがなかった。

「そう思うのであれば、かかってくればいいだろう。お前は望み通り、私の首を手に入れることができる」

 ヨアフォードは嘯いて、挑発するように小剣の切っ先を振った。アンエスカはやはり剣を抜かず、じっと男を見ていた。

「ひとりでは、ないな」

 数トーアの沈黙ののち、騎士はそう言った。

「やはり、イズランがいるか」

「何と。腹の立つ勘のよさだ」

 ヨアフォードは片頬を歪めると、剣を下ろした。

「私はイズランに、くるなと言った。恭順するふりをしていたが、必ずくることは判っていた。案の定、きている。私の命令通り、タイオスとやらを片づけ終えたようだな」

「何だと」

 アンエスカは顔をしかめた。

「何たる、使えぬ戦士か。あれがすぐ戻ると考えたからこそ、私は出てきていると言うのに」

「タイオスも同じようなことを言っていました」

 面白がる口調で言いながら、黒ローブが姿を見せた。それは濃くなりゆく闇に溶け込むようで、そこに魔術がなくとも見る者は惑わされている気分になった。

「もっとも、死んではいません、ご心配なく」

 心配などするものか、とはアンエスカはいちいち言わず、魔術師と神殿長を順番に見やった。

「成程。イズランは、人殺しはしないと言ったな。協会の法とやらに触れるからだとか。だが私がヨアフォードに襲いかかれば、雇い主を守るために術を使うことが可能。そういう目論みでいたか」

「法律というようなものとは少し違いますけれど、その通りです。よくお判りですね」

 イズランは感心したように言った。

「巧くなかったな。膠着した、というところか」

 剣を納めて、ヨアフォードは肩をすくめた。

「私の腕では、その通り、お前を斬ることは無理だ。イズランはお前を積極的には殺さないが、お前が私を斬ろうとすれば私を守り、お前を負傷させるくらいのことはする。今度は左手を駄目にしたいのであればかかってきてもよいが」

 アンエスカはそれに言葉で答える代わりに、剣の柄から手を放した。

「おかしなことにと言うか、それとも当然と? この状況下では、他国の人間である術師が最も公正に立ち回っているかのようだ」

 騎士はそう呟いた。

「正直に申し上げて、アル・フェイルは確かにシリンドルに興味を持っています。通行権を是が非でも欲しいという訳ではありませんが、ラスカルトとの往来を国で管理ですることは面白い結果を呼ぶのではないかと思っています。おっと」

 そこで魔術師は 両手を上げて無害そうな笑みを浮かべた。

「いまの言葉はイズラン・シャエン個人の考えです。アル・フェイド宮廷も我が兄弟子も、私の発言に責任はありませんから」

 イズランの責任逃れについて、ヨアフォードもアンエスカも特に何か言うことをしなかった。

「要するに、私の個人的な興味はさておいて、ここはアンエスカ殿のお気づきになった通り、言うなれば審判役を務めましょうということ。こうして夜陰に紛れて殺すの殺されたのではなく、文明国らしく」

 あくまでもイズランはにっこりとした。

「法律に基づいて、お互いを殺す努力をしてください」

「ふん」

 アンエスカは鼻を鳴らした。

「術で我が命を脅してきたかと思えば、今度は言葉でシリンドルの名誉を脅してきたか。実権なき位とは言え、他国にも名を知られた〈シリンディン騎士団〉のかしらが、王を殺害したとは言え、国の重鎮たる神殿長を暗殺したなどという評判は、シリンドルを実体からかけ離れた、野蛮で血塗られた国に思わせる」

「おふた方のどちらも、シリンドル国を汚すことは好まれないかと。清濁の基準は、それぞれとしましても、ね」

 アル・フェイルの魔術師は、今度は杖を取り出すこともせず、いまのシリンドルでもしかしたら最も敵対しているふたりの邂逅を一滴の流血もなしに済ませるところだった。

 アンエスカにもヨアフォードにも、イズランの努力を台無しにする手はあった。殊にアンエスカは、ここでヨアフォードを下せるかどうかで、今後の動向に大きな違いが出る。ヨアフォードさえ死ねばルー=フィンを擁立できる人物もおらず、残りの問題は全て事後処理、あと片づけのようなものだ。

 だが彼は、魔術師の魔術を身を以て知った。一度は隙を突いたが、二度目を期待するのは愚かなことと判っていた。

 彼は絶好の機会を逃したのだ。

 アンエスカはただ黙って、ヨアフォードを見た。憎しみを込めて睨むというのでもなく、ただ、眺めた。

 ヨアフォードもまた、同じ神に異なるものを求める相手に、ごく近い温度の視線を返した。

「私にお前を殺すつもりはない、騎士団長殿。肝心の話は、済んでいないからな」

「ではどうする。魔術師の魔術を頼みに私を捕らえ、拷問でもするのか」

「それがいい」

 まるで物騒な話ではないように、神殿長はただうなずいた。

「誤解のないように言っておこう。私には、他人を痛めつけて悦ぶ趣味はない。騎士たちを鞭打ちにしたのは、あくまでも弱らせるため。王女には騎士を痛めつけると言って脅しもしたが、脅しただけだ」

「どうだか」

 アンエスカは唇を歪めた。

「嗜虐性のない人間は、他人に言うことを聞かせるために、その友人を鞭打とうなどとは冗談でも口にしないものだ」

「そう思うのであれば、それでいい。いや、そうなのかもしれん」

 ヨアフォードはアンエスカの言を認めるようなことを言って、薄い笑みを浮かべた。

「お前が泣いて私に謝罪することを思えば、心が弾む」

「――私はそんなに、お前たちの反感を買う顔をしているのか」

 思わず彼が言ったのは、タイオスの台詞を思い出してであった。カル・ディアで戦士が彼を脅したとき、泣いて謝れと、タイオスもそんなことを言った。それは演技でありながら、本音も一部はあっただろう。

「お前は小憎らしいがな、シャーリス。憎んではいない。ただ、薬草の在処だけは、必ず吐いてもらうつもりでいるだけだ」

「鞭打って? 無駄だな」

「口を割らぬと? 打たれる前は、誰でもそう言うものだ」

 ヨアフォードは片手を上げた。

「イズラン」

「仕方ありませんね」

 魔術師は息を吐いて、指を複雑な形に組み合わせた。

「殺害はしない、というお約束をしていただく必要がありますが」

「約束しよう」

「何を」

 するのか、という魔術師への問いは、無意味だった。

 アンエスカの手は剣から離れた。力の脱けた両足は、不意に彼の身体を支えることをやめた。地面に激突するのを防ぐため、反射的に手をつこうとしたが、腕にも力は入らなかった。

「若い騎士たちをもてなしたのと同じ待遇に処してやろう。空の見えぬ地下牢で、お前の王子の訃報を待つがいい」

 消えゆく意識のなかでアンエスカの内に浮かんだのは、神殿に七ラクトより近くは寄らぬ、という王子との約束を破ることになりそうだな――という自嘲めいた考えだった。

 誰ひとりとして心安らかでいられぬ夜が、シリンドルに訪れようとしていた。

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