10 奇跡の力など存在しない
「シャーリス」
ヨアフォードは再び呼んだ。
「話をしよう、あの頃のように」
「断る」
間を置かずにアンエスカは答えた。
「あの頃とは何もかもが違う」
「昔は私もまだ神殿長ではなく、お前もシリンディンの騎士ではなかった」
「そして」
アンエスカは唇を歪めた。
「ラウディール様は王子殿下でいらした」
「二十年、いや、それ以上か。遠いな」
「ああ」
これには騎士も同意した。
「遠い」
「では若い頃のようにとは言うまい。神殿長と騎士団長としてでけっこう」
「何を話す。反乱の首謀者ヨアフォード・シリンドレンの処遇についてか」
「それはお前の決めることではない」
ヨアフォードはにやりとした。
「未来が決めることだ」
「笑止」
アンエスカは鼻を鳴らした。
「私の聞きたい話が何であるか、アンエスカ、お前には判っているはず」
「イズランのほのめかしたことか」
彼は肩をすくめた。
「〈峠〉の、それとも王家の秘密、と」
騎士は鼻を鳴らし、馬鹿らしいと言った。
「お前は本気でそのようなものがあると思っているのか、ヨアフォード」
「つまらぬ韜晦はよすんだな。お前は秘密のあることを知っている。私が、それを知っていることも。イズランはみな話したぞ、お前との取り引きのこと」
「馬鹿らしい」
アンエスカはまた言った。
「イズランには乗ってみせたが、それはそうすることであれを動かせると考えたからにすぎん。私の屑札を信じて、魔術師はルー=フィンを連れ戻した。有効な取り引きだった」
「意味もなく愚かなヨアティアを生かしておく手間をかけてもか」
「それが父親の言いようか?」
思わずといった体でアンエスカは呟いた。ヨアティアの父は頓着しなかった。
「ヨアティアを捕らえたところで私への牽制にはならない。無能な者は滅びるのみ。どんな凄惨な死を迎えたところで、それはあれの宿命だ」
「けっこう。では人質にして脅すなどということはすまい。もっとも、私がそれを考えていた訳ではないが」
「であろうな。それは騎士殿の採る手段ではない」
ヨアフォードは揶揄する口調で笑った。
「ならば、ますます手間だ。人質に取るのではなく、敵将の息子を生け捕りにしてどうする?」
「私が決めたのではない。イズランの提案だ。お前のためと思ったか、ほかに策があるのかは知らん」
「イズランの提案。何故乗った」
「お前の顔の横についている一対のものは何だ? 耳じゃないのか」
アンエスカは呆れた。
「ルー=フィンを引かせるためだと」
「驚いたぞ、アンエスカ」
ヨアフォードは首を振った。
「驚いた。お前ともあろう者が、まるで子供のような言い訳をする」
「言い訳と? 事実を語って言い訳だと言われるなら、お前の望む答えを述べる者は〈
「シャック・ハックはシャック・ハックだ」
ヨアフォードは肩をすくめた。
「たったいま、私の目前にいるようだが」
「いい加減にしろ」
「それは私の言うことだ、騎士団長。べらべらと出鱈目を聞きに出向いたのではない。疾く、語れ」
「お前の命令に従う謂われはない。ましてや、語ることもない」
「強情な奴だ。融通の利かないところは若い頃からちっとも変わらない」
「その台詞はそっくりお前に返すとも」
アンエスカは青い瞳を細めた。
「こうと思い込んだら、どんなに真っ当な異論反論も全て自分を騙す作戦だとしか解釈しない」
「そうして嘘を続けるつもりならば、私が代わりに言ってやろう」
ヨアフォードはアンエスカの指摘を耳にしなかったように、自分の話を続けた。
「お前は、秘密を守るつもりでいるからこそ、イズランの話に乗った。あやつをどうにかして、殺すつもりでいたのであろう」
「秘密など、私は知らぬ」
アンエスカは言い張った。ヨアフォードは首を振った。
「王家の起こす奇跡。奇病と神の薬草。その話をしようじゃないか、アンエスカ」
神殿長の言葉に、騎士団長は黙った。
「ふざけた話だ」
男は唇を歪めた。
「あれは人為的な奇跡だ。王の指示に従い、神殿長が毒を作り、奇病を作り出している」
「――いったい、何を言っているのか、ちっとも」
アンエスカはゆっくりと首を振った。
「黙れ」
鋭く、ヨアフォードは声を発した。
「諦めの悪い男だ。シリンドル王家に奇跡の力など存在しないこと、お前が知らぬとは言わせぬ」
「……病を治す奇跡だけが、王家の王家たる所以ではない」
アンエスカの返答は、ヨアフォードの発言を認めた形になった。
そう、彼は知っていた。いまの王家に残されたとされる、奇跡の力。その正体を。
神殿長はかすかに笑った。
「少し頭の働く者であれば、いや、シリンドルの外を知っていれば、気づく。これは詐欺師の手口だ、シリンドル王家は民を欺いていると」
「そうではない。そう取られかねないことを危惧して、私は伝統の存続に反対だった。だが」
「詐欺が伝統か」
ヨアフォードは鼻を鳴らした。
「神殿長が礼拝の儀式の際に、毒を盛る。一旬近い時間を置いて、子供が発病する。そこで王は、神に祈るのではなく、薬草師のように薬草を摘みに行く訳だ」
馬鹿にするようにヨアフォードは笑った。
「それはどこにあるのか。誰も目にしていない。では、王にのみ開かれる扉の向こうか?」
「私が知るはずもない」
アンエスカは淡々と答えた。
「王家の秘密と、お前自身が口にしたではないか」
「存続には反対だったのだろう。隠す必要などない」
「ああ、反対だった」
繰り返してアンエスカは苦い顔をした。
「どの時代にはじまったものか、いまでは判らない。だがいつしか、そうしたものとして定着をした。疑問を覚えた者も……治るのであれば問題はないと目を瞑った」
「であろうな」
ヨアフォードはまた言った。
「だがアンエスカ。私はお前とお前の王家の言い訳を聞きたいのではない。知りたいのは薬草の在処だ」
「在処など」
アンエスカは首を振った。
「王家がこっそり栽培しているとでも思うのか」
「栽培していようと、自生していようと、どちらでもかまわん」
ふん、とヨアフォードは鼻を鳴らした。
「そんなことを知ってどうする。二種の植物を手に、王家の奇跡を地に貶めるつもりか。それとも、通行権や騎士の地位と同じように、金に換えるつもりか。或いは」
騎士は低い声で、続けた。
「毒草と薬草を操り、神殿長家が奇跡の力を持つと、新しい詐欺の形を作るためか」
「説明するまでもないようで、けっこうだ」
ヨアフォードの返答は、肯定だった。
「同じ秘密を持ち、同じ詐欺を働きながら、何故、王家だけが奇跡の血筋と称えられるのか? 代々の、我が祖先たちが抱えてきた暗い思いを私が晴らす」
「戯けたことを」
アンエスカは首を振った。
「私は、反対だと言った。たとえ知っていたところで、お前に告げることはない。いや、お前だけではない。誰にも」
「王子の命と引き換え、としても言わぬ気か?」
あごを反らしてヨアフォードは尋ねた。
「ルー=フィンには、王子を殺せと命じてある。だがお前の態度次第で、命令を生け捕りとしてやってもよい。無論、シリンドルからは追放するが、お前の王子は天寿を全うできる」
「成程」
アンエスカは唇を歪めた。
「私の弱みという訳だ。的確なところを突いた、ヨアフォード。だが返事は否だ」
騎士ははっきりと返した。
「ハルディール様はそのようなことを肯んじまい」
「簡単に言うのだな。王子が死んでもよいのか」
「もとより、ヨアフォード。そのような約束を私が信じると思うのなら、お前は馬鹿だ」
ヨアフォードがハルディールを生かしておくはずはないと、アンエスカはそう理解していた。ヨアフォードはただ「そうか」とだけ言った。
「イズランは『秘密』を求めている。あれは勘がいい。シリンドルの歴史を調べ、神官たちと話をして、だいたいのからくりに気づいただろう」
神殿長は魔術師を評価した。
「しかし奴は、秘密を暴露したい訳でもない。稀少な植物に興味を持っているのだ。だがアル・フェイルにも魔術師協会にも持って行かせない。あれらは、シリンドルのものなのだからな」
「そこだけを聞けば、立派な王の台詞だな」
唇を歪めてアンエスカが言えば、ヨアフォードは少し笑った。
「私が王を気取っている、と?」
「ほう。お前自身、よく判っているようだ」
アンエスカはそう指摘した。
「だがヨアフォード。私は言わぬ。ハルディール様にも、告げぬつもりでいる。奇病はもう、シリンドルには発生しない。その代わり、王は〈峠〉の神とつながっているという主張をほかの形で示さねばならない。だが、そうすべきだったのだ」
「けっこう。そこには同意しよう、アンエスカ騎士団長。病の癒えた子の親が、見舞金という名目で王家から金をもらっていたことも、忘れてやってもいい」
「過去のことだ。もはや」
わずかに視線をうつむかせて、アンエスカは呟いた。
「お前が握りつぶす、という訳だな」
面白がるようにヨアフォードは片手の拳を握って見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます