第11話:退院と監禁



 白い天井が見える。


 これが初めて見る光景だ、と思わなくなって久しい。


 ここで目覚めるようになってから一週間程度か、当初は脳を砂糖水漬けにされたような感覚が続き、記憶も曖昧だったがここ最近はほとんどを思い出してきた。


 ここはどこぞの病院だ、秘密の研究施設云々ではなく一般の病院だ。


 一般の患者を目にすることもあるし、友人も何人か面会に来てくれたこともある。馴染みのない病院だが、どこかも分からないだだっ広い地に建っている廃ビルにいるよりは安心が出来る状況だ。ある一点を除いては……。


「こんにちは」


 見覚えのある顔が病室に入ってくる。記憶が散漫としていたうちは誰かと思うこともあったが今は違う。あの廃ビルで行動を共にし、終いにはあのジジイを呼び出した者、ジェーンの姿がそこにあった。もっとも体はゲイのものではなく、あの頃の俺の姿だが。


「おう」


 ここの病院で、ジェーンが俺を面会しに来るのはこれが初めてではない。


 その度にジェーンと話をすることになるのだが……その内容は、夢だと思いたかった記憶が現実だと思い知らされるようで、俺の記憶が確かであると確証が得られる反面複雑でもある。


 看護師や医師に聞かれるのはあまりよくない話だ。どうせ今回もそれだろうと、受付に一階のカフェで話をしてくると伝え、俺はジェーンと共に一階へと場所を移した。



「あれから色々相変わらずなの?」


 カフェのテーブルに着き、ジェーンが話を繰り出す。


 ちなみに当然、本名はジェーンではないらしいが今更本名で呼ぶのもしっくりこないので俺の中では彼女はジェーンだ。むこうもそれは分かっているようで、ジェーンも俺のことはジョンと呼ぶ。あまり呼ばれる機会はないが。


「まあな。ただ体自体に異常はないわけだから、そろそろ退院って流れらしい。元の生活に戻ることで、記憶も戻るかもしれないって話だしな」


「あら、よかったじゃない」


 ジェーンの言う『色々』とは、まあ色々なのだが……そのうちの一つは、俺が表向きはどのような理由でこの病院に担ぎ込まれたかということに起因する。


 あのジジイに何をされたかは分からないにしろ、体は元に戻った。目の前にいるジェーンも元の体だし、ゲイの姿は見ていないがおそらく彼女もそうだろう。あのジジイに呪いをかけずには済みそうだ。死後にどうやってかけるのかなど知る由もないが。


 だがしかし、体が入れ替わっていたなんてのを病院側に正直に話しても信じてもらえるわけがない。ここで目覚めた当初は色んな記憶がまぜこぜで、なおかつ全ての記憶にもやがかかっていたような感覚だった。問診で霧がかった最近の記憶を話してみた結果、俺は記憶喪失、並びに意識の錯乱をおこしているという扱いになったらしい。


 始めのうちは本当にそうなのかと思ったこともあったが、ジェーンが初めて面会に来た際の話でそうではないと確信が持てた。病院側は信じてはくれなかったが、ジェーンとの会話は記憶にあるものとひどくかみ合ったのがその証拠だ。


 それ以来表向きは入れ替わり云々については、最初の目覚めたてほやほやの時に見ていた夢とごっちゃになっていたと病院側へはフォローをしておいた。そうでもしなければ正気を疑われ続け、退院までが長引きそうだの、埒外な投薬だかもされかねん。


「でも、住んでいた家の場所とかは覚えてるの?」


「退院する際は、友人が迎えに来てくれることになったよ。だから問題ない」


「あらそう。なら安心ね」


 一方で、同時期にどこかの病院に担ぎ込まれたであろうジェーンがこうして俺の面会をしているのは、むこうは体が入れ替わっていただのの話は一切病院側にしなかったかららしい。ただ最近の記憶が朦朧としているだけの軽い記憶喪失という扱いになり、記憶を思い出させるためにもと、体に異常がないかを調べる軽い検査だけを済ませたら即退院という流れになったそうだ。……俺もそうするべきだったなぁ。あんなヘマの結果、一週間近く何の刺激もない生活を余儀なくされた。入院するのなんて初めての経験だが、ここまで暇を持て余すとは思いもしなかった。


「実は退院祝いがてら、三人で食事でもしながら話そうかなと思っていたんだけど……」


「残りの一人はゲイか?」


「ええ」


 成程、それはいい。その話がまともに出来るのはジェーンとゲイだけだ。何の刺激もない入院生活が続いていたのもあって、俺はジェーンの企画を迷うこともなく受諾した。


 だが……。


「ゲイの連絡先とかよく分かったな」


「あの場所に拉致されていた間、表舞台から姿を消していたわけだから、退院したら警察とかから色々事情を訊かれてね。実際問題拉致なわけだし。それで、同時期に私以外にも似たような症状で担ぎ込まれた患者がどこかの病院にいるはずだって質問したら掛け合ってくれたのよ。あなたのいるこの病院だってそうして見つけたの」


 成程、その結果ジェーンとの面会が叶い、俺は夢と現実の区別がついたわけだ。感謝しておくべきか。


「じゃあ退院も近いみたいだし、積もる話は退院後にしましょう。これ私の連絡先。三人で集まれる都合のいい日が出来たら教えて」


 そう言い、ジェーンは連絡先の書かれたメモ用紙を渡してくる。


「ああ、休職中の時間を使うだろうから、結構すぐになるかもしれない」


「そう、よかった。私も復職が近くてその方が都合いいわ」


 そう言い残し、エスプレッソを飲み干したジェーンは去って行った。


 俺も飲みたいが、一応検査とかに引っかからないようここでは模範囚になっておこうという目論見がある。美味しそうなコーヒーの匂いだけを噛みしめ、とぼとぼと俺は病室へと戻った。



 


 それから数日、ジェーンも友人も面会に来ることもない退屈な日々を過ごし、ついに退院の時が訪れることになる。


 待ち焦がれた瞬間だ。俺にそんな経験はないが、出所の瞬間も似たような気分なのだろう。体は悪くないのに入院を余儀なくされるというのは、ただ自由を奪われているのとどう違うのだろう。


 退院の手続きを済ませ、迎えに来てくれた友人と共に病院を後にする。脱出成功だな。まずは何を食べようか、ジャンクフードがいいかな……長い間ずっと食べないと妙に恋しくなる。


 友人が運転する車内で、ハンバーガーショップにでも寄ってくれないかと話す俺だが、


「いや、まずは警察のところに行ってからだよ」


「えっ? 何で?」


 全く面白みがないどころか不穏な行先を提示され、俺は当然の疑問を口にする。


「あれ? 説明してなかったっけ? 拉致についての事情聴取があるからまずそっちに向かうぞって……」


「いや今初めて聞いたけど……」


 拉致についての事情聴取に関しては少し前にジェーンから話を聞いていたので以外という訳ではないが、予想外のタイミングでそれを提示されたのには驚愕だ。


 急だなと狼狽する俺に対し、


「あー……あんまり不安にさせるようなことは話すなって言われていたから伝え忘れてたかも……。でもまぁ諦めて。無下にもできない用事でしょう?」


「まぁそうだけど……」


 病院側の配慮か。病院側としてはトラウマが原因で記憶を失っているとかそういう線もあったわけだ。予想外のタイミングで思い出されて発狂、なんては困ることだろう。


「だけどさ、もう解禁だろうから話すけど、最近は災難続きだったね。ストーカー被害に続いて、拉致と来て、記憶喪失なんてさ……」



 


 ズキン――――ッ。



 


 その一言がきっかけとなったのか、このタイミングで俺の頭に強めの痛みが走る。


 痛みに頭を押さえる俺だが…………。


「――!」


 未だに記憶がおぼろげになっている部分、あの廃ビルに拉致される少し前の記憶が蘇ってきた。ストーカー……思い返してみれば確かにそのような体験に心当たりは……ある。


「……大丈夫?」


 赤信号で停車中なのもあり、俺の方へと友人は視線を移して訪ねてくる。


「なぁ……」


「ん?」


 脳から消えていた記憶が蘇ってきたにしろ、未だにおぼろげではある。確証を得るべく俺は、


「そのストーカーについて俺何か話したことある?」


「えっ……」


 俺の問いに対して友人は、信号が青へと変わったので視線を正面に移し、発進をしながら口を開く。


「たまに見える姿は長い黒髪って話はしてたかな。あと部屋にそういう髪の毛が出るようになってからは引っ越したりしてたよ」


 長い黒髪……。


 最近見たある人物と特徴が一致する。


 あの施設のパソコンで見た資料の写真に写っていた人物だ。


 だからなんだという話だが、何を思ったのか俺は自然とこう口にする。


「…………まさかな」



 



 



 



 


 後日、一人の少女が死体で発見され。


 一人の女性は行方不明となった。

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