天を穿つもの


 夜の闇の中でさえ、スーパーグスタフはゆっくりと、しかし着実に前に進み続ける。


 かつてそこは一面に田畑の広がる農業地帯だった。

 しかしもはや手を加える人間はいなくなって久しく、整然と植えられた作物はとうの昔に生存競争に負け、人間の食料には適さない雑草ばかりが我が物顔で生い茂っている。


 スーパーグスタフのローラーがそれを押し潰し、大地には巨大なわだちがくっきりと刻まれた。

 しかしそれも数ヶ月後には、再び這い上がった植物達によって覆い隠されることだろう。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 スゥが1人で部屋に戻ってきたとき、ジェロームはまだ椅子に座っていて、優雅にティータイムを楽しんでいた。

 コラドの姿がないことに、スゥとメンカはどちらともなくほっと胸を撫で下ろす。


「女王はツアーガイドの任を果たしてくれたかね?」


 ジェロームが訊いた。

 ティーポットを掲げ、要るかと問う。

 スゥは首を横に振った。


「ニアラさんと話してたら、えっと、イクッ……イクなんとかさんに」

「イクッネン。ああ、彼に捕まったというわけか」

「神殿は見ましたよ。あと、死体しか食べないって」

「そうなんだよ!」


 我が意を得たりとばかりに、ジェロームは頷く。


「彼等、非斗ヒトは他者を傷つけない。人類と出会うまで、戦うという概念がなかった」

たたかる者。故に『非斗』というわけですか。ただの当て字かと思っていましたが」


 ジェロームは片眉を上げた。

 スゥの顔つきが変わったのに気づいたからだ。


「そうか、君がメンカか。ゼツトーから聞いている」

「あのお喋りな人、やっぱりわたしのことも……」


 メンカはジェロームの向かいの席に座った。

 

「私は非斗の文化に魅せられた。彼等は真に平和を愛する種族だ。争いを避けるためには自らの不利さえ受け容れる。人類よりもずっと人らしい。私はねメンカ君。彼等こそ、地球の支配者になるべきだと思うのだよ」

「…………」

「ハビタットの人々が地球を手に入れても、かつての歴史を繰り返すだけだ。いや、既に社会的弱者を平気で人身御供にできる彼等だ、もっと惨たらしく冷たい世界になるだろう。そして非斗は、彼等の奴隷にされてしまうはずだ。ベムラなら知っているだろう、ネイティブ・アメリカンやアステカ文明の悲劇を」


 非斗の教義上、自分達の手で他者を死に追いやることはできない。

 それでなくとも科学技術のレベルはハビタットの方が格段に上。

 滅亡した民族・文明のリストに非斗が名を連ねるのは時間の問題だろう。


「だったらどうするつもりだ、あんたは」


 辺村の質問に、ジェロームは窓の外を指差した。

 その先には、斜め前方へ向かって伸びるスーパーグスタフの巨大な砲身がある。

 ジェロームはそのまま人差し指をスライド。

 遙か彼方の空に向け、バン。銃を撃つジェスチャーをとった。


「……まさか」

「そうだ。スーパーグスタフで、ハビタットを狙撃する」

「なにいってんだ、月軌道だろう。何万キロあると思ってるんだ」

「およそ38万4千4百キロ」


 ジェロームはすらりと答えた。


「こんな格好をしているからといって、科学知識まで失ったなどと心配するのはよしてくれ。宇宙速度の突破も、軌道計算も、ちゃんと念頭に置いている。瓶子草械獣を撃ったときのあれが、スーパーグスタフの全力だとは思わないでもらおう」

「だとしても、撃ってから届くまで何時間かかると思ってるんだ?」

「確かに、目で見える先にいる相手を撃つような感覚ではいかないな」

「その間ハビタットが指咥えて見てると思ってんのか?」

「もちろん、直接狙い撃つわけがない。こう言えば納得してもらえるだろうか? 我々は、スーパーグスタフを一種のマスドライバーとして、攻撃能力を持った弾丸ロケットを打ち上げるのだと」

「は……?」


 メンカにはまだよくわからない。

 スゥなどははじめから理解することを放棄していた。


「スーパーグスタフなら『弾丸』を第2宇宙速度で打ち上げることができる。幸い、械獣達が大気上層に細工してくれたおかげで、ハビタット側から地上の様子を観測することは困難な状況にある。打ち上げをキャッチすることは不可能に近い」

「それでも、『弾丸』が接近すれば嫌でも気づく」

「そうですよ」とメンカ。「デブリキラーのこと、知らないわけではないでしょう?」


 デブリキラー。

 スペース・ハビタットを宇宙ゴミスペース・デブリから防衛する、機械制御式の機動砲台である。

 その対応能力は予知にも匹敵するといわれ、少なくともメンカが生まれて以来、彼等が仕損じたという事例は報告されていない。


「『弾丸』には外殻シェルを取り付けてある。全てのロケットブースターを切り離すと同時に外殻もパージ。この外殻には電子妨害機能がついていて、デブリキラーに対する囮になる。その間、『弾丸』本体は無音潜行サイレント・ランニングで接近――ハビタットを破壊する」


 メンカの脳裏に、故郷が宇宙の藻屑となる光景がありありと浮かぶ。


 『杞憂きゆう』という言葉がある。「古代中国においての国に住む人が、天が落ちてきたり地が崩れるのではないかと夜も眠れないほど心配していた」という故事からきた、「起こりえないことに対しての無駄な心配」を指す言葉だ。


 しかしハビタットでは天の崩落も地の断裂も起こりえる話だった。

 大型スペース・デブリの直撃、大気循環システムの故障、ちょっとした爆発事故、管理局の怠慢、その全てがハビタットと住人達の全滅に繋がる可能性は充分にある。


 神経質な子供なら誰でも、ハビタットが崩壊するさまを想像し、恐怖に震えた思い出があった。

 それが現実のものになろうとしている。


「させない!」


 メンカは椅子を突き飛ばすように立ち上がり、レヴォルバーを引き抜く。


「おいあんた、今からおまえの故郷を破壊するって言われて、はいそうですかと答える人間がいると思ってたのか?」

「思っている。私がそうだし、そしてメンカ君、君もそういう人間のはずだ」

「えっ……?」

「あの空に浮かぶ大地に、君の家族や友人がいるのか? 君が爆弾にされたとき、誰か1人でも君のために声をあげたか? 彼等のために君が私と戦ったとして、彼等の1人でも君に感謝するか? 何を代価に支払ってくれる?」

「…………」

「欺瞞はやめたまえ。そんなことをしても、彼等が君を社会の一員として再び迎え入れることはないとわかっているはずだ。君はこっち側に来るべき人間なんだ」


 メンカの指は動かない。


――HCにしてHCではない、かといって選ばれた優良な子供でもない、ひとりぼっちのお嬢さん。


 コラドの言葉がメンカの脳裏に甦る。


「君の父上は、最期に君の心配をしていた。自分が反社会分子になったことで、きっと娘もHCにされるだろうと――」

「見え透いた嘘をつくな!」


 叫んだのは、スゥだ。


「父さんは、あたし達のことなんか気にもかけてなかった! 愚にもつかない世迷い言を誉めてくれる、仲間の方だけ向いてたんだ!」

「あの世界で彼を誉め、認めてくれるのはその仲間だけだったと、彼は言っていた」

「被害者ぶってんじゃねえよ、あのクソ親父ィ! 誉められるようなことしてから言えよ、そういうのは! 大の大人が、娘に……子供に接待してもらおうってか!? 『娘がボクちゃんをいい子いい子してくれまちぇん、さびちいから家庭も育児も放棄するのは当然でちゅ』ってかァ!?」

「そうだな」


 ジェロームは過去を懐かしむような目をする。


「家族を放置したのは、実際悪かった。だが彼はもういない。だから私が代わりに友の罪を贖い、君の憤懣ふんまんを癒やそう」

「は……?」

「私が君の、いや君達の父親になろう」

「…………!?」


 予想外の言葉に、スゥもメンカも硬直する。


「ジェローム様!」


 混乱に拍車をかけるように、コラドが駆け込んできた。

 スゥを見て、凶相を浮かべる。

 父親になる云々を聞かれたのでは、とメンカは焦るが、コラドが怒っているのはレヴォルバーの銃口がジェロームに向いているからに他ならなかった。


「貴様、ジェローム様に何をするつもりだ!」


 コラドがスゥを撃ち殺さないよう、ジェロームは彼女の盾になってやる。


「何かあったのか、コラド?」

「械獣です。蟷螂カマキリ型の械獣がこちらに接近しています」


 3人は部屋を飛び出し、外壁のキャットウォークに出る。

 背の低い森を踏み潰しながら進むスーパーグスタフに併走する、緑色の械獣を肉眼で確認。


「あいつ、あなた達の味方?」

「械獣が人間に味方するわけないだろう」


 コラドは即答した。

 その言葉に強烈な不安を覚えたメンカだったが、考えるのは後にした。

 メンカは手すりに足をかけ、走行する都市から飛び降りる。


「召神!」


 銀のラーディオスが、スーパーグスタフの後ろに出現。

 土を大きく抉りながら着地。械獣とすれ違ったところで背中のハッチが展開し、バーニアが火を噴く。


(あいつらのために戦うの、姉ちゃん?)

(……わからない)


 単にメンカは逃げたかっただけだ。

 ジェロームのやろうとしていることに賛同できなくて、さりとてハビタットのために戦う甲斐がないのも事実だから、械獣退治にかこつけて問題を先送りにしているだけ。

 メンカ自身もそれは自覚している。

 自覚しているからこそ、自分の不甲斐なさに苛々するしかない。


 八つ当たりされる械獣にとってはたまったものではないだろうが。


「テヤアアアアア!」


 蟷螂の形をした械獣にタックルをかけるメンカ。両者とも横転。

 なおもグスタフに追いすがろうとする械獣の進路を塞ぐようにして、メンカ・ラーディオスは立つ。


 蟷螂の複眼に似た巨大なセンサーが明滅し、敵味方信号を送受信。されど応答なし。

 ならば敵だ。


 械獣の攻撃型AIは夜の闇に両腕のレーザーカッターを光らせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る