美少年(アドニス)
プライバシーなど欠片もない空間に、大勢の子供が詰め込まれていた。
子供だけだ。何故ならそれより年上の人間は、とっくに塵も残さず消し飛んだのだから。
申し訳程度に吊るされた電球が
地面には何本かの鉄柱が突き立てられ、だいたいのHCは、そこに鎖で繋がれていた。
中には手足をバンドで拘束され、自決防止の口枷まではめられた者もいる。
テントの隅には仮設トイレが用意されていたが、これでは使いたくても使えまい。
漏れた糞便の臭気が漂うそこは、まさに家畜小屋を連想させた。
テントの中のHCの数はざっと20人ほど。
これだけいればわざわざメンカ達に頼らなくても良さそうなものだが、キャンプ長はあらかじめ与えられたノルマを完璧にこなしたいのだろう。
突然変異の食獣植物などというイレギュラーにHCを消費したくない、だが放置もできない、どうするか――と考えていたときに爆弾の予備が向こうからノコノコやってきたわけだ。
おかげで死期が早まったあの少年にとっては迷惑な話である。
かの少年を見つけて、メンカは隣に腰を下ろす。
まだ鎮静剤が抜けていないのか、少年は抜け殻のようにぼんやりして、一言も発しない。
前髪が顔にかかって邪魔そうだったので、メンカは指でそっとどけてやった。
――しゃっ。
微かな音がメンカの鼓膜に届く。
しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ。
音のする方向へ目を向けようとした直前、ぷっ、と向こうから何かが飛んできた。
ブーツの爪先に散ったその赤黒い飛沫は、血痕。
驚いて目を向ければ、隣に座っていた少女が腕をかきむしっている。
既に新旧いくつもの傷跡が刻まれた肌の上を爪が撫でるたび、しゃっ、と微かな音がした。
その刺激で開いた傷口から血が流れ落ちる。だが少女は自傷をやめない。
「駄目……!」
反射的にメンカは相手の腕を押さえようとした。
相手の少女は抵抗する。
「放っておいて! どうせ死ぬんだから、好きにさせて!」
スペース・ハビタットは有限の空間である。
空気も水も一定量しかなく、それ以上を求めるならどこかから持ってこなければならない。
最初の時点から、ある程度の人口増加を見越して余裕を持った設計がなされていた。
だが長い年月のうちに、そんなものはもうとっくに限度額をオーバーしている。
水や食料はまだしも、住居スペースの欠乏は著しい。
出産制限、安楽死……、様々な口減らしの政策が実行された。
あるいは地球奪還作戦自体が、余剰人口をもっともらしく始末するための方策なのかもしれない。
やがて兵士の水準を満たさない低能力者や社会不適合者が特攻要員として使われることになった。
HC――ヒューマン・クラッカー。自分で歩き、逃げ、隠れ、抵抗する爆弾。
昔、ニュースに出てきたHCは「自分のような落ちこぼれがハビタットの役に立てて嬉しい」というようなことを言っていた。奇特な奴もいるものだとスゥが笑っていたが、少なくともここにそんな奴はいない。
テントの中は狂笑とすすり泣きで満ちていた。
HCにとって、ERFのキャンプは最後のターミナルだ。死は目前。ここから彼・彼女達は指定されたポイントに向かい、そして2度と帰ってこない。
多くのHCはストレスのあまり頭髪がまばらに抜け落ちてしまっている。
自傷は数少ない心の慰みであり、また許されたわずかな自由。
だからといって、生々しい傷跡を見れば、好きにさせておくという発想は生まれなかった。
「なんだよ、1人だけ平気そうなツラしやがって!」
ヒヒッ、ヒヒッ、と少女は喘鳴のような笑声をあげる。
「どうせあんたも『仕方ない』とか『これが天命』とかで納得できてるつもりなんでしょう!? でも、いざ目の前にゴールが見えてきたら、あんただってそんな風に済ましていられるもんか! あんたの泣き喚くところが見られないのが残念だ!」
少女はメンカの顔に唾を吐きかける。
頬に当たって垂れる唾液の感触は不快だったが、メンカは少女を怒る気になれない。
(もうわかったでしょう、姉ちゃん)
それまでずっと黙っていたスゥが、メンカに話しかけてきた。
(ただ能力が低いというだけでこの子達にこんなひどいことができるのがこの世界の『普通の』人間なんだ。班長が姉ちゃんの考えてるとおりの人だとして、そんなのほんの一握りだよ)
(……そうだね)
(わかるはずだよ、姉ちゃん。あいつらに義理立てする必要なんてない。いますぐ召神して、逃げよう?)
少女は暴れ続けている。
自傷でも、それで彼女が楽になるなら好きにさせてやるべきだろうか。
ずっと少女を押さえていたメンカの手から、力が抜けていく。
――その時だ。
「それは駄目だ」というように、背後から伸びた指が、メンカの手ごと少女の腕をつかんだ。
「えっ……」
「駄目だよ、身体を大切にしないと」
赤子を寝かしつけるような優しい声音。
振り返ったメンカの目には、彼女より少し上くらいの年齢の少年が映る。
顔の半分を覆う、福寿草を思わせる明るい金色の巻き毛。
メンカとは人種から異なる、陶磁器のような白い肌。
肩や二の腕、腰回りのラインが描き出す、水鳥のようなすらりとした佇まい。
空のように澄み海の如くに深い碧眼、それを飾る睫毛の長さにメンカは気を取られた。
天使が
「大丈夫。僕等には救いが来る」
「いい加減なことほざいてんじゃあないんだよ!」
自傷少女が激怒する。
美形だからといって何を言っても信用されるというものではない。
「アタシらは死ぬんだ! 械獣の巣の中に連れ込まれて、化物のうようよする中に取り残されて! 独りで惨めに、死体も残さず原子の塵に還るんだ!」
「そうはならない。何故なら、ジェローム様が僕達を救い出すために動いてくださっているからだ」
「ジェローム……?」
少女とメンカは同時に問い返した。
HCなら誰もが知っている、救済者――の都市伝説。
「いい加減なこと言うな!」
「僕は事実を言っている」
少年は手を離すと、真正面から静かに少女を見据える。
まっすぐな瞳は、彼が嘘をついていないと信じさせるだけの力を備えていた。
気勢を削がれ、少女は目を逸らす。
「――みんなも聴くがいい」
少年はテントを見回して言った。
外界に反応する余裕のある者全ての視線が彼に集まる。
気圧されるどころかむしろ誇らしげに、少年は語り出した。
「大人は子供に対し重い責任がある。彼等の怠惰と
少年の声は静かに、しかし朗々と響き渡る。
さながら天上の音楽のように、子供達は聞き惚れた。
「みんなは、こう思ってはいないだろうか。今の境遇は自分の所為だ。努力が足りないから、もっと上手くやれたのにそうしなかったから、人間爆弾にされたんだ――と」
それは違う! と少年は高らかに断言する。
「才能も、資質も、知能も、全て両親から受け継いだ遺伝子によって定められたもの。努力なんてものは、その上に薄く塗られた
自分の抱える不満を親の所為にするのは、ハビタットでは眉をひそめられる行為だ。
しかし少年はそれを肯定する。
「大人でさえ不完全なのに、僕達子供が何故己の不完全さを己の責任として一身に背負わねばならない? 僕達が爆弾で吹き飛ばすべきは自分自身じゃない。自らが未熟でありながら僕等には完全を要求し、それに応えられなければ道具として使い潰す、悪しき大人達だ!」
「大人に……」
「ジェローム様が腐った大人を一掃する日は近い! 心確かにその日を待て! 来たれば共に戦おう! そしてことが成った暁には、大いなるジェローム・ニーモンは僕等子供の真なる保護者となってくださるだろう!」
「一掃する……? 殺すって、こと?」
メンカの問いを、少年は無言をもって肯定する。
他にあるのかい? と言わんげに。
「……駄目だ、そんなの」
メンカは少年を睨みつけた。
「わたし達を人間扱いしてくれる大人だっている」
「君は、HCにして他のHCとは違う景色を見てきたようだ」
(メンカ! やばい!)
スゥの声に、メンカは気づく。
周囲のHCが自分を見つめる目の中に、敵意が浮かんでいることを。
少年の説法を聞いてなお、大人の善性を信じられる存在とは、HCにとって嫉妬と憎悪の対象に他ならない。
――そう信じられるだけの出来事が、あの子にはあったんだ。
――自分達が欲して得られなかった愛情を、あの子は受けている。
――見た目は何も変わらないのに。
――私達と同じなのに。
――非凡なものなど何も持っていなさそうなのに。
――なんであいつは。
――ずるい。
――ずるい。
「君は別の寝床を選んだ方がいい」
少年は哀れむような目でメンカを見た。
「おやすみ、良い夢を。HCにしてHCではない、かといって選ばれた優良な子供でもない、ひとりぼっちのお嬢さん」
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