耳を澄まして、心で感じ


「なんで……?」


 意識の檻の中で、スゥは必死に手を伸ばす。

 表層へ這い上がろうと藻掻くが、底なし沼に似た内的宇宙はむしろスゥを深淵へと引き込んでいく。


――心配しないで。


 最愛の姉の声が響いた。


――お姉ちゃんがあなたを守ってあげるから。


「そんなの望んでない、守るのはあたしの役目だ! 姉ちゃんはあたしが嫌いになったでしょう? 泣くほど酷いことを言われて! だから嫌なことは全部、あたしに押しつければいいんだよ!」


――バカ。嫌いになるわけないよ。


 メンカを怒らせるため、自分を嫌いにさせるため、スゥはわざと酷いことを言ったのだと、メンカはもちろん気づいていた。


 あの時悲しんだのは、ひどいことを言われたからじゃない。

 妹に心ないことを言わせる、自分の不甲斐なさが許せなかったからだ。


――もうあなたに辛い思いはさせない。だから見ていて。わたしの、戦い!



 胸部に大きな傷を負い動けない絶遠・ラーディオスを無視し、メンカは蠍械獣に接近する。


(この形態は、ラーディオスがわたしの願いに応えて変化したものだ)


 メンカの願い。それは逃げることでも、避けることでもない。妹を守ることだ。

 ならば、目の前の敵に対抗する術はあるはずである。


(教えて、ラーディオス。わたしはどうすればいい?)

 

 その時だった。

 稲妻にも似た閃きがメンカの意識を走り抜ける。


(……そうか。わかったよ、ラーディオス)


左掌部展開式光子装甲ソリッド・オレオール!」


 目前で放たれたメーサー光線を、メンカは正面からバリアで受け止める。


「ハッ!」


 そのまま左手を前に押し込むと、メーサーの流れがそのまま反転した。

 逆流するマイクロ波は当然の帰結として発射口を直撃。

 蠍械獣の顔面が小爆発を起こす。


 その隙を突いてメンカは械獣の手前まで接近。

 深く踏み込んだ1歩が砂を巻き上げ、クレーターを作る。

 突き通すように拳を水平に放つ。


 重い衝撃音。

 だが蠍械獣の盾はやはり小揺るぎもしない。


 ――だが、しかし。


 厚いシールドの向こうで異変が起こっていた。

 グリップを握った蠍械獣の手に、ピシリと小さな音と共にヒビが走る。

 それは小片を落としながら瞬く間に手首全体へと及び――。

 械獣のマニピュレーターはやがて粉々に砕け散った。


 「鎧通し」「意勁」「裏当て」――。

 重ねた瓦のうち一番上を割ることなく、特定の1枚のみを割るという技が、古武術にはある。

 メンカには当然そんな技術はないが、形態変化タイプチェンジによって新たに右腕内部に形成された機構が、それを可能とした。


 無敵の盾も保持するアームがなくなっては、ただの鉄の板に過ぎない。

 むなしく砂の上に落ちる。


「Tkrrrrry!」


 最強の矛であるメーサー砲の破損と、無敵の盾の相次ぐ喪失。

 人間であれば茫然自失は避けられなかっただろうが、械獣にそんなメンタリティは存在しない。

 何事もなかったかのように、蠍械獣はただ眼前の敵に戦斧を振り下ろす。


 暗緑色のラーディオスの腕をも落とす一撃が風を切る。

 銀の巨神の敏捷性をもってしても、かわすには距離が近すぎた。

 メンカの願いも虚しく、ラーディオスが一刀の下に両断されると、見守る兵士達は確信した、のだが。


「!?」


 ラーディオスが、溶けたロウのようにぐにゃりと崩れた。

 斧は泥濘ぬかるみのようになった巨神の中を何の手応えも得られぬまま通り抜け、虚しく砂地にめり込む。

 一方ラーディオスは泥となったまま、械獣の背後に回り込んだ。


 粘液化――。銀のラーディオスが持つ特殊能力。

 絶遠の拘束から逃れたのも、もっといえば先の戦いでメーサーに撃たれたと見せかけてその場から逃れ得たのも、この秘技あってのことだった。


 単純火力や防御力と引き替えに、相手の攻撃をかわすことに重点を置いた強化。

 スゥを犠牲にして苦痛から『逃げ』続けてきたメンカに相応しい形態といえよう。

 そうした彼女の在り方が、今、スゥを救うのだ。


「スゥを傷つけた悪い首は、この首か……!」


 原形を取り戻したメンカ・ラーディオスが械獣の長い首を腋に挟み、ねじり上げる。

 メインフレームがへし折れる音がした。フレキシブル・メーサーキャノンの砲身が力を失ったようにだらりと垂れる。関節部から断続的に火花が散る。


 振り向きざまに繰り出された斧の一撃をバック転でかわしたラーディオスは、アロンズケインを引き抜いた。

 ラーディオスの背丈ほどに柄が伸びる。


「スゥの受けた痛み、こんなもので終わらない!」


 ロッドに変化したアロンズケインを振り回すメンカ。

 研鑽を積んだ棒術の達人のように、蠍械獣の弱所を打ち据える。

 大気を唸らせ、鋼の装甲を砕いて散らすその猛攻は、まさに嵐。


 まったく容赦のない打撃は、日頃大人しいメンカが操っているとは思えない。

 鬼子母神、という言葉を辺村は連想する。


「よくも、よくもスゥにひどいことをしたァッ!」


 突き出したロッドの一撃が械獣の膝関節を貫いた。

 千鳥足でふらつきはじめる蠍械獣。

 メンカがキックを入れれば、オートバランサーの必死の抵抗も空しく、械獣は仰向けになって倒れた。

 砂が舞う中、ラーディオスは械獣が取り落とした斧を拾い上げる。


「死ねェッ! この●●●●●野郎ッ!」


 振り下ろされた斧刃が、械獣の胴体を深く抉った。

 胸部から爆発。爆炎がラーディオスを呑み込んだが、巨神はそんなものではびくともしない。


 ゆっくりと絶遠を振り返るメンカ・ラーディオス。

 その黒い単眼が、絶遠には地獄へと通じる虚無のように見えた。


「あなたはスゥを嗤った……」


 地の底から響くような声で、メンカが呟く。


「……わたしも嗤ってもらおうか」


「そうしたいのは山々だが、今日はここまでにしておこう」


 致命打を受けたとはいえ、残り稼働時間の分、絶遠の方に勝利の天秤は傾いている。

 だが限界まで戦って、その後生身で砂漠をうろつく羽目になるのは利口ではない、と絶遠は思った。

 そう、だから撤退を選ぶのだ。

 決してメンカに気圧されたわけではない、ああそうだとも!



 絶遠のラーディオスが飛び去った後、メンカ・ラーディオスもまた溶けるように消えていった。

 2つの――眠り続ける基本人格オリジナルも含めれば3つの――心を持つ1人の少女は、荒い息をついて砂の上にへたり込む。


「……見たでしょ、スゥ。勝ったよ。わたし1人で」


 疲労のあまり、ついには砂の上に寝転がって、メンカは言う。


「これで安心できるでしょ? あなたが辛いことを背負わなくても、もうわたしは大丈夫だから」

「…………」


 スゥの返事はなかった。


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