すれ違う姉妹


 ひゅうひゅうと大気ごとはためかせるような砂嵐の中を、悠然と歩く男が1人。

 絶遠だ。

 砂丘の上に登り詰めた彼は、砂の海の1点に気怠げな視線を送った。

 そこには多重人格の少女が死んでいるか、あるいは気を失っているかしているはずだった。


 何もない。


「まさか、まだ動けたなんてな」


 風で吹き消されたのだろう、足跡さえそこにはなかった。


「――というわけで? ご協力いただきたいんですよ」


 都庁――だった廃墟――の一室。

 手錠とロープで柱に縛り付けられた94班の面々が、戻ってきた絶遠を白い目で迎えた。


「187……」

「ぜ・つ・と・お・りょ・う」


 絶遠は人差し指をメトロノームのように振りながら訂正する。


「……ゼツトーリョー、か。おまえも辺村の同類か」


 レッドが声を絞り出す。

 その顔には痣ができている。

 絶遠に抵抗を試みて、返り討ちに遭ったものだ。


「ならおまえは人間だったはずだ。なんで、械獣と手を組んで……、やがる」


 蹴られた顎が痛むのか、口を動かすたびにレッドは顔の筋肉を引きつらせる。

 絶遠は返事の代わりに脚を振り上げ、その顎を更に痛めつけてやった。


「があっ……!」

「いつまで上官面してるんですか? 質問するのはこっちの方だ。……続けてよろしゅうございますか?」

「……わかったよ、サー」


 忌々しげなレッドとは対照的に、絶遠は「エケケケケ!」と愉しげに喉を鳴らす。


「とりあえずは、あれだ。HCの追跡装置、出してもらいましょうか?」

「……左ポケットだ」


 絶遠はレッドの胸ポケットから、手の平に収まるほどのリモコンを抜き取った。

 それは反陽子爆弾の遠隔起爆装置であり、HCの首輪から放たれる信号の受信機でもある。

 最初にスゥが逃げたときも、これを使って見つけ出したものだ。


 絶遠が受信機を起動すると、ホログラムの矢印が浮かび上がり、ある一方向を指し示した。

 その下には推定距離を表す数字が記載される。


 人工衛星が飛んでいたころのGPSに比べればあまり精度は期待できないが、鬼ごっこには充分だ。

 絶遠は兵士達を見回し、ピンクに目を留めた。


「あなたでいいか」

「は?」

「拘束を解くので、271を連れて来てもらえますか?」

「なんで、私が」

「昼の砂漠を1キロも歩いたら日焼けしてしまうでしょう?」

「おまえな……!」


 歯ぎしりをするピンクの凶相は側で見ているレッド達を震え上がらせたが、絶遠はいたって余裕の表情だった。

 わかっているんですかね、と髪をかき上げる。


「あなた達を生け捕りにしたのには実のところ意味がないんですよ。役に立ってくれないんなら、ここで殺したっていいのですが? エケケケケッ!」


 耳障りな笑い声。部屋の隅に唾を吐くことだけが、ピンクにできる唯一の抵抗だった。


「3時間ごとに、残った奴等を殺します。なに、たった2キロ程度だ。急いで行けば充分ですよ」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 廃屋の中で、メンカは砂と埃ですっかり汚れてしまった服を脱いだ。

 首輪以外は一糸まとわぬ姿になると、目の前にある曇りガラスの扉を開く。


 そこには、砂漠には似つかわしくないものがあった。

 タイル張りの堀の中、湯気を立てるたっぷりの温水。


 メンカ達が逃げ込んだのは、半ば倒壊した温泉施設だった。


「まさか、まだ動いてるなんてな。東京は一面砂漠だってのに」


 電気や水道はとっくの昔に止まっている。

 だが、地下の人工水源からマグマで温められた湯を汲み上げ、濾過してまた地中へと循環させるシステムがまだ稼働していたのだった。


「…………」

「負けたからってクヨクヨすんなよ。何も考えずに暖まってこいって」

「…………」


 辺村に返事をする気力は、メンカにはなかった。

 ただ、浴室と更衣室を隔てるドアを閉め、辺村の声をシャットダウンする。


(負けたことが悔しいんじゃない)


 軽く身体を洗った後で湯船に身を沈めると、全身に痛みが走った。

 ラーディオスの負ったダメージに痛みを感じても、現実の肉体まで傷つくわけではない。

 しかしまるでそこに痣や打撲があるかのように、白い肌の節々から痛覚神経が騒ぎ立てていた。


「うっ……」


 己の肩を抱いたメンカの双眸そうぼうから大粒の涙が零れ、湯に混ざる。


――何もできなかった。


 スゥが傷つくのを見ていられなくて、身体の操作権を奪い、代わりに戦う。

 しかし結果は知っての通り、惨敗。

 こちらの攻撃が一切通じないのでは何にもならない。

 仮にあそこでメーサーにやられなかったとしても、どうせ時間切れになって終わりだ。


「わたしには、スゥを守るどころか、代わりに戦うこともできない……」

「そうだよ」


 湯面に映った自分の顔が薄ら笑いを浮かべる。


「姉ちゃんの役目じゃないんだよ。姉ちゃんは、あたしに守られてりゃいいんだ」

「そんなの、そんなのでいいわけがない! わたしがお姉ちゃんなのに、いつもお人形さんみたいに一方的に守られるばかりで、あなた1人が血を流して……!」

「あたしは納得してる」

「わたしは納得してない!」

「というかさ」


 スゥは苛立ちを発散させるように、忙しなく視線を動かす。


「姉ちゃんが余計なことをしなけりゃ、あそこからでもあたしが勝ってたよ」

「余計なこと……」

「……うん、余計だよ。あのさぁ、あたしのことを思うなら、変に手を出して掻き回さないでくれない? 有り難迷惑なんだよね、それって。かえってあたしの負担が増えるっていうかさ」

「…………!」

「もう2度と戦いに手を出さないで。姉ちゃんには向いてないんだよ」


 言いたいことだけ言って、スゥは意識の深いところに沈んでしまう。

 行き場を失った思いを抱えて1人取り残されたメンカは、激情を叩きつけるように頭の先まで湯に沈めた。

 自傷にも似た水遊びは何も慰めてはくれない。

 癒やされることのない空虚な気持ちを抱えたまま、水面に出る。


 だがその直後、メンカは再び強い力で水の中に押し込まれた。


「――ガボッ!?」


 反射的にスゥが表に出る。

 抵抗するが、頭を押さえる手はびくともしない。

 あきらめかけたとき、スゥは水上に引きずり出された。


「何やってんだ? いい御身分だな?」

「173……!?」


 ピンクがニヤリと笑い、片腕でスゥの頭をもう一度沈める。

 もう一方の手にはレヴォルドライバーが握られていた。


「さっさと出て、服を着ろ」

「あたしはもう、あんたらのところには戻らない!」

「おまえの都合なんざ聞いてねえんだよ。おまえを連れてかなきゃ、みんなが死ぬ」

「みなさんが……?」


 ただごとではない気配を感じ取って、メンカが表に出る。

 放っておけばいい、とスゥは言ったが、もちろん聞き入れてもらえなかった。



 同じ頃。

 彼女達が知ることはなかったが、地下で異変が起きていた。


 そこはボイラーにも似た、温泉の湯を循環させるための機械が身を寄せ合う機械室である。

 居並ぶ機械の1つが、突然、大きな音を立ててへしゃげた。


 ボコン、ボコン、と内部に閉じ込められた何かが必死に外へ出ようとしているかのように、表面が変形していく。

 やがて鉄と鉄の接合部が押し開かれ、わずかな隙間ができた。


 その間隙から、何かがどろりと吐き出される。

 それは、原初的なアメーバを彷彿ほうふつとさせる、悪臭を放つ黒い粘塊だった。

 おおよそ機械の中に収まっているものとは思えない。


 完全に機械からその身を投げ出し、べちゃりと床に広がったそれは、しゅうしゅうと湯気を上げながら床の染みへと変わった。

 同時に、室内の機械も後を追うかのように動きを止めていく。

 LED灯さえその輝きを失い、機械室は完全なる暗闇と静寂に呑み込まれた。

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