第36話 嵐の前の静けさ

鬱蒼と茂った森の中でハンスは壊走するガイアレギオンの兵士を追撃していた。



序盤戦で敗色が濃厚となった敵兵は、我先に逃げており、ハンスの仕事は隊列から脱落した敵の兵士に情け容赦なくメイスを振り下ろすことになりつつある。



朝から行動を共にしているラインハルトが先行するレイナ姫を指さして馬に拍車を入れるのが見えた。



追撃戦の先頭に立つレイナ姫が孤立しないように後を追えと言っているのだ。



「この分なら日が暮れれば城に戻れそうですね」



大ぶりなランスを抱えたダニエルが、ハンスと並走しながら喚いた。



ホフヌングの村の再建が始まったばかりなのに、ガイアレギオンの新手の軍勢が押し寄せたことで、ハンス達は気落ちしてヒアリアの本国方面に逃げようとしていたのだが、レイナ姫が住民を避難させるために義勇兵を募ったのが昨日のことだった。



少数の兵士で敵の司令部を強襲したり、首都から来た救援部隊をレイナ姫が預かって反転攻勢を仕掛けたりと、目まぐるしく情勢は変化している。



ハンスはホフヌング村に住む気の置けない娘のハンナが、エレファントキングの城に無事に逃げ込むことができたので、いつまでも敵の軍勢を追撃するよりもそろそろ引き上げたいと思っていたところだった。



「そうだな、もうすぐ森を抜ける。レイナ姫様も敵勢をホフヌング村の南まで追いやったら、それ以上は深追いしないのではないかな」



日が暮れたら、むやみに深追いすると伏兵に逆襲されることも考えられるから、森を抜けたあたりで引き返すのが妥当な判断だと思えた。



森を抜けて、もはや隊列も作れずに逃げていく敵兵をしり目に、レイナ姫はホフヌングの村がある小高い丘に登った。



森を抜けるまでの追撃で敵兵の数は大幅に減っており、組織的な抵抗はもはやできないだろうと思われた。



しかし、レイナ姫は丘のはずれ辺りの見晴らしがいい場所に馬を止めると、ポケットから望遠鏡を取り出して平原のかなたを眺めている。



「何か気になることでもあるのですか」



ラインハルトが尋ねると、レイナ姫は望遠鏡を手渡して彼に告げた。



「地平線のあたりに新手の敵がいる。兵の疲れも気になるから一度エレファントキングの城まで引いて、休養を取らせたうえで体勢を立て直す必要があるな」



ラインハルトは望遠鏡で平原のかなたを眺めると、ため息をついた。



「かなりの大軍ですね。城に立てこもって籠城するのは上策だと思います」



ハンスは、戦いが勝利のうちに終わろうとしていると思っていたので二人の会話を聞いて気分が重くなるのを感じた。



レイナ姫は集結した軍勢に緒戦の勝利を宣言すると、撤収を指示する。



ハンスは、すっかり自分の部下のようになった村の若者たちを率いて、ゲルハルト王子が率いてきた正規軍と並んでエレファントキングの城への帰途についた。



城に残っていた村人たちは歓声を上げてレイナ姫の軍勢を迎えたが、新たな敵勢が迫っていることを聞くと、先の見えない戦乱に不安な表情の者が増える。



ハンス達は馬をつないで一休みする場所を探したが、追撃戦を一緒に戦った指揮官が手招きした。



「軍の補給が係と村人が一緒に食事を準備してくれたそうだから一緒に食べよう」



指揮官は城門から城の奥へと案内する。城の構造は城門を経て複雑な階段を通り途中にはいくつかの広場も作られている。



城の階段は微妙に歩きにくい幅と段差で構成されていたが、ハンスはそれが人間工学



城が攻められたときに攻め込んできた敵兵が一気に攻め込めないように人の歩幅にあわない階段を作り、踊り場的な広い場所では周囲を囲む城壁の上から集中攻撃を浴びせられるようにしてあるのだ。



城の大広間に到着すると、聞き覚えのある声が響いた。



「ハンス、無事だったのね。心配したのよ」


声の主は、ホフヌング村のパン屋の娘ハンナで、ハンスは自分の表情がゆるむのがわかった。



朝から暗くなるまで戦い続けることができたのは、彼女を守りたいという思いがあったためだ。



「ありがとう。おかげで怪我一つせずに帰ってこられたよ」



ハンナは暖かい笑顔を浮かべてうなずく。



「うちのお父さんがヒマリア軍が持ってきた小麦粉を使って久しぶりにパンを焼いたのよ。奥に行けば食べられるわ」



ハンナはハンスと並んで歩き始める。



「これだけの人数にいきわたる数のパンを焼くのは大変だったろう?パンを焼く燃料もよく集まったね」



ハンナは楽しそうに笑うと説明する。



「パン作りはここに残った兵隊が手伝ってくれたの。パン焼きガマの燃料は、城の近くに薪に使える木が少なかったから、彼女が火炎の魔法で窯を厚くしてくれたのよ」



ハンナが示す先にはヤースミーンが疲れた表情で座っている。ハンスにとっては彼女の火炎の魔法で調理したものを食べるのは初めてではない。



ハンスは感謝の意思を込めて会釈すると、城の奥に向かった。



城の大広間の奥から流れてくる食べ物の臭いで、ハンスは自分がひどく空腹だったことを意識する。



大広間の奥には朽ちかけたイスやテーブルが並んでいた。


ハンスは入り口にある大鍋からシチューをもらい、積み上げてあるバゲットを一つとると空いた席に座った。



気が付けば、レイナ姫とラインハルトそしてミッターマイヤーも近くのテーブルで同じものを食べており、わけへだてをしないレイナ姫の性格がうかがえた。



ハンナは自分の父が焼いたパンをハンスがうまそうに食べるのを眺めていたが、彼が一通り食べ終わると心配そうな表情で尋ねる。



「新手の敵が迫ってきているというのは本当なの?」



ハンスは食べるのを止めてゆっくりと告げた。



「敵の大軍はホフヌングの南まで迫っていた。でも、明日は城にこもって戦うから、少なくとも同じ城の中にいられるよ」



ハンナは無言でうなずいた。

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