七章:奔走 2
市内は大混乱の渦中だった。
レイヤーフィールドの機能が死んだことで、天候維持機構もまた機能しなくなっていた。昼間だというのに夜のように暗くなった市内で、パニックを引き起こした市民が先を争うように逃げ惑い、それを必死に誘導しようとする警察までもが青ざめた表情で頭上を見上げながら声を張り上げている。
車で逃げだそうとしたことで道路は大渋滞を引き起こし、無理と悟った人たちが車を乗り捨てたことでその渋滞は一層酷いものとなり、移動手段は自然と限られる。
交通機関は完全に麻痺していた。広い道路には早々に見切りをつけ、《電脳視界》に表示したナビゲートに従って細い路地を最短で突っ走る。
――ピピッ。
電子音。
電脳による通信。この状況で通信してくる人間など限られている。九角は相手を確認することもせずに通信に応じた。
「姫宮、知っての通り忙しい。用件だけ言え」
『――ああ、もう! いきなり何も言わずに飛び出して貴方何処に行ったのよ! 私一人この場に居て、なにしろってのよー!』
悲痛な叫びが電脳を通して鼓膜に響き渡る。九角は僅かに顔を顰めながら溜息を吐いた。
「喚いている暇があるならモニタを見ろ。地図に表示されている赤い光点(マーカー)の位置はどうなっている。動いているか?」
『まさか! さっきからずーっとおんなじ場所で点滅してるわよ。これがなんだっていうのよ』
「――そこに敵がいる」
『敵って何よ! 説明しなさい!』
「さっきの話聞いてなかったのか? 言っただろう。こっち側からノスタルギアの人間に手を貸している奴がいると。その場所が、そこだ」
『そこって……いやや、どう見ても罠でしょ、これは』
「だろうな」
話しながら《電脳視界》を通して自宅地下のモニタに表示されている映像と、自身の視界に表示された地図と照らし合わせる。
場所は今も不変。
だが、こちら側が察知したことを、向こうも気づいているはず。ならば――待ち構えていると考えてまず間違いないだろう。
(問題は――どうして今、このタイミングで気づかせたのか、だ)
挑発か。侮りか。それとも、ほかに思惑があるのか。
いずれにしても、動くことを躊躇うわけにはいかない。
そう結論付けると同時、《電脳視界》に進路表示が表れる。車体を傾けて左折――した瞬間だった。
劈くような悲鳴が複数聞こえた。右折した先。進行方向にできた人だかりからだ。
何が? と思うよりも先に、理解――いや、認識した。
陽炎のような巨大な何かが、人だかりの真ん中にいたのだ。
それは巨大な虫のような姿形だった。
それは、鋼鉄で出来た生き物だった。
おぼろげな姿。大きさにして五メートルほどの、何処か蟷螂に似た異形の陰影。
鋼鉄の怪物――エネミー・オブ・クローム……
そう認識した瞬間――ぞくりと、背筋に悪寒が走る。拙いと思うよりも早く、危機本能が車体を一気に傾け横倒しになる。
同時に――
――ギチギチギチ……
軋むような音と共に、それは動く。
轟――と空気を薙ぐ払う音を引き連れて、一閃!
持ち上げられた刃の腕を、鋼鉄の蟷螂が一息に振り抜く。結果など、考えるまでもない。
自動二輪ごと倒れた九角の頭上を疾った刃。その刃の間合いに居た人たちが、言葉もなく呆然と立ち尽くし――ひと呼吸。
居並んだ人たちが一文字に両断され、まるで間欠泉のように血を噴き出してばたばたと倒れていく。
何が起きたのか判らない。そう言いたげな表情を浮かべたまま、死にゆく
「――くそったれが!」
頭上から文字通り降り注ぐ血の雨を浴びながら、九角は唾棄するように毒づき立ち上がる。
同時に左手で戦闘用鉈を、右手で大口径自動拳銃を引き抜き、射撃攻撃。
高速で討ち出される
弾丸が到達する寸前、鋼鉄の蟷螂の身体がバチッとスパークした。そう脳が認識したときにはもう、怪物の姿は忽然といなくなっていたのである。
代わりに、今度は背後から悲鳴が響く。あるいは街中からか。
振り返って――九角の視線は、頭上の遥か高みへ。
見上げるほどの巨大な何か。無数の細長い鉄骨を生やした――蜘蛛のような機械がいた。
機械――ではない。
少なくとも電気や石油燃料を動力としたものではない。
巨大な、頭上を覆うほどの巨大な蜘蛛の身体から吹き出す莫大な蒸気がそれを物語る。あれは――蒸気機関を動力としたものだ。
ならば、その正体は即ち――
「――エネミー・オブ・クローム……」
異世界――電脳空間の向こう側に存在する鋼鉄と蒸気の怪物。それが何故、此処にいるのか。
先ほどの蟷螂程度ならまだしも、流石の荒事に手慣れた者(ランナー)とはいえ、あのような巨大な存在を相手に立ち回れる自信はなく、九角は即時撤退の判断を下してその場を離れようとする。
だが、その必要はなかった。
先ほどの蟷螂と同じく、蜘蛛型のエネミーの身体に紫電が迸った。そして幾度かの明滅ののち、紫電が空に立ち昇ると、その身体が忽然と消えたのである。
その現象を見て、九角は双眸を零れんばかりに見開いた。
(まさか……)
脳裏の過ぎった可能性に、思わず自分の発想を疑った。だが、今この瞬間においては、何が起きても全く不思議ではない。
有り得ざることが、現実を凌駕した現象が次々と巻き起こっているのだ。ならば、ノスタルギアに存在する怪物たちが、こちら側に投影されている――と考えても不思議ではない。
いやむしろ、投影というより、これは……
「――……繋がっている、のか?」
空間が。
次元が。
電脳技術の発達を遂げたこの世界と。
蒸気機関が発達し続けたあの世界が。
もし――頭上から迫ってきているレイヤーフィールドの映像を介にして、
それは恐ろしい想像だった。
そして、今となってはあり得ないとも言い難い発想だった。
普段の九角であれば、あり得ないと一蹴するだろう。しかし、今日に限ってはそれもできない。肯定する要素は殆どないが、しかし否定する要素もなきに等しい。
「……夢なら醒めてくれ」
思わず本音が口から洩れた。これが夢ならどれほど救われることかと思わずにはいられない。
だが、途方に暮れる暇もない。
悲鳴が、次々と各地から聞こえてくる。
それと同じ数だけ、様々な姿をした鋼鉄の怪物が、顕われては消え、消えては顕われるを繰り返し、辺りは最早パンデミック状態だった。
夢現入り混じり、現実と非現実の狂騒――まるで古い言葉で言う『魔女の大鍋』だ。と思った。
あながち、間違っていないのかもしれない。
色んなものを詰め込んで、ずっと空に蓋をしていた。そして
そして今も、姿の見えない魔女が鍋の中を引っ掻き回しているのだ。
「……なら、魔女とご対面するとするか」
視線――動かして。
この都市の中心を見る。
二十年近く前。電脳技術の普及と共に改装された、天高く聳える電脳塔――京都タワー。
倒れたままの自動二輪を起こしながら、九角は盛大に溜息を吐く。
「お願いを聞いてくれる魔女だといいが……まあ、無理か」
愚痴一つ零して自動二輪に跨ると、一気にアクセルを回し、血と狂騒に塗れた街路を疾走した。
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