幕間
白衣の少年が走り去っていく。あるいは逃げ去っていく。
声をかける暇すら許さず、あまりにも唐突で、あまりにも鮮やかに。どうするべきか逡巡するアゼレアを置いて、少年は一切の躊躇も見せずに脇道へと姿を消した。
彼の行動の意味が理解できず、思わずその場で棒立ちになる。
(追うべき? いや、そこまでする義理もないけど……)
彼は出会って半時間も立っていない相手だ。わざわざ追いかけて引き留める必要があるかと問われれば、答えは否である。
だけど――
(……なんで? どうして……捨て置けないと思ってしまうのは)
去った少年――トーリと名乗った彼。その消え去った背を思い浮かべると、どうしてだろうか。胸の内に小さな棘がつっかえたような気分になり、アゼレアは眉を顰める。
こんなところで立ち止まっている場合ではないというのに。
周りは今も、あの鋼鉄の怪物の凶手から必死になって逃れようと必死に走る人波で溢れている。いつまでもこんな場所に立っていたら、すぐにでも獲物を求めたエネミーがやって来て餌食になるだろう。
そんな風に状況を客観視していたアゼレアの視線の先――暴虐を尽くしていた鋼鉄の怪物が突然、玩具のように踏み躙っていた人々から興味を失ったように動きを止めた。
それは有り得ざる事態だった。
殺戮の権化。暴虐の徒。何処からともなくやって来て、そしてその鋼鉄の身体によって慈悲なく、目に留まる命を食い漁り、死をまき散らす災害――それがこの都に住む者たちの、怪物に対しての共通認識だ。
その怪物が、エネミーが、生者を目の前にしてその凶器を振るうのを止めたなど、夢かまやかしか。あるいは今わの際に描く幻覚か。
なんにしても、それは有り得ざる光景だった。
鋼鉄の怪物が、金属の軋む音を伴って無貌を動かす。
その方向は、そう。彼――トーリが走り去って行った方向だった。
そのことに気付いたアゼレアを始め、誰もが突然のエネミーの挙動に目を剥く中、突如エネミーが大きく跳躍する。
地を踏み砕いて虚空に舞い上がり、鋼鉄の怪物がトーリの逃げ去った方向へと突き進むのを見て、アゼレアは信じられない物を見たという風に目を丸くした。
「……何故、エネミーが彼を?」
怪物が飛び去ったのを見て安堵の吐息を零す周囲とは別に、アゼレアはエネミーの行動理由を考えてみる。
しかしその答えを出すにはあまりに判断材料が不足していた。
「……まったく、今日は何て日だろう」
小さく零しながら、少女は口元に不敵な笑みを浮かべる。
人の寄り付かないことをいいことに住みついていた場所で、どうにもものを知らない少年に出会ったかと思えば、続いて空からやって来たエネミーに襲われ、挙句そのエネミーは少年一人を追いかけるという奇妙な行動を取ったなんて――。
不変と思っていたこの
彼はまさにこの都市の投じられた、変化を齎す石だ。そう、アゼレアの中の何かが訴えていた。そしてアゼレア自身、自分の中に生じたその直感を疑わずにいた。
ならば、見失うわけにはいかない。
アゼレアは周囲を見回した。
時間にすれば数分だが、その間に離れた距離を取り戻すには少女の足では些か心許ないのである。
そして道の片隅にあるものを見つけて――自然と、少女の口角が吊り上がる。
「へえ――なかなかいいものがあるじゃないか」
そう小さく呟くと、アゼレアは躊躇なく走り出した。
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