第58話

 皆が目を開けると、そこは平穏な記憶の中のフィデーリス城。

 マリアベールの部屋であった。


 数十人ともなると、夢の中でもかなり狭い。

 現実ではスケルトンであった人々も、記憶の世界では普通の人に見える。

 竜も、ゾンビではなく生前の雄々しくも凛々しい姿に戻っている。




 部屋では、彩芽と小セクレトが待っていた。

 二人は、突然現れた大勢の人間に驚きつつも、作戦が上手くいった事に喜んでいる。


「アヤメ!」

「アヤメさん!」

 ストラディゴスとルカラが彩芽に抱き着いた。


「アヤメ、これで良いのだな?」


 マリアベールが聞くと、彩芽と小セクレトが首を縦に振る。


「しかし、どうやって我に声を?」


 マリアベールは、彩芽がマリアベールとの間に出来た繋がりを使って言葉を伝えて来たのが不思議であった。

 彩芽は、魔法を使えないし、そう言った呪具も持っていない。


 その謎はすぐに解ける。


「私が手を貸した」


 部屋の奥から現れる緑色の服を着た男。

 その姿を見て全員に緊張が走る。


「ヴェンガン!?」

「本人、なのか!?」

「どういう事だ!?」


 その場の全員が警戒するが、ヴェンガンは至って落ち着いた様子で話しを始める。


「私もソウル・イーターに飲み込まれてしまったのでね。ここの住人の仲間入りと言う訳だ。しかし、まだ完全には取り込まれてもいない。残された時間は、そう多くないが」


 精神世界でも、ヴェンガンは魔法を少しなら使えた。

 それは、恐怖で相手を操ったり、死の宣告を植え付けたりと言った精神作用系の魔法が得意で、精神世界との相性が良かったからである。

 魔法の補助具無しでも、マリアベールとの繋がりを利用するぐらいは出来た。


「どのツラ下げて俺達の前に立ってる!」


 ストラディゴスが食ってかかるが、それを彩芽が止めた。


「待って、一時休戦! ソウル・イーターを止める為に協力して!」


「約束だぁ!? こんなイカレ野郎の約束信用できるか! アヤメ、どうしてお前はこんな奴と取引を!?」


「待て、巨人の小僧。ヴェンガン、お前が協力とは、どういう風の吹き回しだ? 我もアヤメもお前にとっては敵であろう。ミセーリアに見捨てられて、目でも覚めたか?」


「バカを言うな。私の忠義は揺らいでなどいない……だが、ミセーリア様は、ソウル・イーターで世界の全てを飲み込むおつもりだ。それを、お止めしなければ……私とて、その女とお前の繋がり以外に、外への連絡手段が無かったのだ。もっとも、助けを求める相手がお前しかいないとは、なんとも皮肉な話だがな」


「どういう事だ!?」


「世界の全てをソウル・イーターに食らわせ、この世の全てを現実にとって代わる記憶の世界だけにしようと、ミセーリア様はお考えなのだ。私は、ここに来て気付いたよ……ミセーリア様の中では都合の良い嘘つきだと……もはや私ではお止めする事も出来ない。私の言葉では、届かぬのだ……ミセーリア様のお考えが不可能であってもな」


 ヴェンガンは、この様子だと一度は説得を試みたのだろう。

 だが、いつものミセーリアを傷つけない為の、一方的な嘘と思われた。

 それも、ミセーリアのしたい事を初めて反対する、訳の分からない嘘だと。


「ソウル・イーターは不完全だ。カーラルア、お前の様なセクレトの子孫を取り込んだ数が、足りなくなってしまったのだ」


「え、私、セクレト? 子孫?」


 ルカラは、セクレトも知らなければ、自分の出自も知らない。


「ヴェンガン! 伝えるならちゃんと伝えて! わざと傷つけようとしないで!」


 彩芽がヴェンガンを睨みつける。

 だが、ヴェンガンは表情も変えず、語るのをやめない。


「事実を言ったまでだ。カーラルア、お前もさっき見ただろう? お前の生まれた奴隷牧場も無くなり、お前だけがセクレトの直系、最後の生き残りとなった。こうなっては、ソウル・イーターは自我を保てない。そうなった今、この記憶の世界は、いずれ、遠からず崩壊する」


「その前に、我らにソウル・イーターを解体しろと言うのだな。この世界が無くなるとしても」


「そう言う事だ。ここは所詮はセクレトが見ている夢の中に過ぎん。もとはと言えば、マリアベール、お前が死者の軍勢を送り込む事で、ソウル・イーターは限界を超えたのだ」


「我のせい……そうだな……」


 マリアベールは、事態の原因が自分が何気なくセクレトに言った一言にあったと思い、受け入れる。

 それを受け、ヴェンガンは言い返されるのを期待していたのか、毒気が抜かれた様な事を返した。


「なんだ、もとはと言えばセクレトの……ソウル・イーターは私とミセーリアのせいだと、お前ならイチイチ正論でも言うと思ったが……」


「我は、自分の責任を取るだけの事……それしか出来ぬよ……」


「?」




 * * *




 残された時間は、セクレトの自我がもつまで。


 それまでに、この世界のどこかに隠れてしまったミセーリアを見つけ出すか、ソウル・イーターの要となったとミセーリアの日誌にあったアンフィスバエナと言う種類のドラゴンを見つけなければならない。




 宝探しは、大勢の方が効率が良い。


 それに、フィデーリスを知る大勢の人間の手で探せば、それだけ違和感を見つける手がかりとなる。

 だから、なるべく大勢を連れて来る必要があった。


 さらには、フィデーリス市民の協力には、別の効果があった。

 すでにソウル・イーターに取り込まれて住人と化した人々への、友好的な干渉が可能となる事に狙いがあったのだ。


 ソウル・イーターの作る記憶のフィデーリスの住人達は、生者死者問わずに夢を見ている様な状態である。

 彼らは、夢の中のフィデーリスで、夢とは気付かずに日常生活を送る。


 そんな彼らの目の前に、勝手な動きをする他人が現れれば、それは生物で言う抗体の様な反応を示し、悪ければ攻撃を加えてくる事となる。


 だが、それが知り合いであれば、取り込まれた人々は、夢を夢だと気付くに至る切欠を得る。


 これは、人の繋がりの力を、盗人や裏切り者を苦しめる事に使ってきたヴェンガンから出たアイディアであった。


 ヴェンガンは、何も「死の宣告」だけを生み出した訳では無かった。

 フィデーリスの民には、「絆の祝福」とも言える呪いをかけ、フィデーリスの民が大事にする人々は傷つけないようにと、心を配っていた。

 彼は一貫して、当時のフィデーリスの民に対してのみ、良き統治者であり続けようとしていた。


 そんな彼だからこそ、人の繋がりの重要性を裏も表も利用してきた彼だからこそ思いついた、記憶のフィデーリスの攻略法であった。




 過去の膨大な死者を取り込む事で、マリアベールが行ったソート・ネクロマンスによるフィデーリス浄化の比では無い人々の再会、邂逅が様々な場所で産まれた。


 マリアベールが悪と切り捨てた者達でさえ、ソウル・イーターは等しく機会を与える。




「ザーストン!」

「マリード! ゾフル! ずっと探してたんだぞ! どこにいたんだ!?」


 マリードとゾフルは、リーパーとして燃え尽き、夢の世界を彷徨っていたザーストンと生前の姿での再会を果たし、協力も取り付けた。


 このように、記憶の世界の住人の中に協力者は増え続け、過去と今と言う時間を超え、生と死を超越し、フィデーリスは一つとなっていた。


 そこに、過去の行為は関係無かった。

 誰もが、自分の正義を持っている。


 己の弱さや運命の悪戯によって、その正義に生前は従えなかったとしても、今、こうして運命の収束によって最後のチャンスが得られた。




 人は追い詰められれば、本性を表す。

 フィデーリスがセクレトによって陥れられた時、ミセーリアは賢王から魔女に堕ちてしまった。


 だが、人は最後を悟った時にこそ、やらなければならなかった行動を思い出す。


 ヴェンガンは、ミセーリアを守るだけでは、ミセーリアも民も救えない事を悟った。

 大勢の死者達は、復讐よりも、夢の続きよりも、大事な人の生を願った。


 策謀と勘違いから起きた世界を危機に陥れる終末的状況によって、フィデーリスの人々は四百年前の誇りを取り戻していた。




 * * *




 町を捜索する中、ストラディゴスの肩の上に座る彩芽とルカラ。


 ヴェンガンによって出生の秘密を無遠慮に明かされ、「借金の肩で売られた」なんていらぬ嘘をついていた理由が「セクレトの子孫を苦しめる為」の一言で終わらされたのが、つい先ほどの事。


 彩芽もストラディゴスも、ルカラに何と言えば良いのか、分からない。




 国を陥れた大罪人セクレトと裏切り者ガモスの娘ラタの子孫で、生まれながらのフィデーリスの奴隷。


 三十世代近くも近しい血だけで、最後はソウル・イーターの餌にする為に掛け合わされた忌むべき存在。


 この世界において、近親相姦は一般的には避けるべきと言うのが常識である。

 一部の王族で血を濃く保つ為と行われてこそいるが、世間一般では表向きには禁忌となっている。




 大衆の前で、咎人の子孫で、誰が父で母で兄で姉かも分からない忌子で、化物の材料となる運命の奴隷と言われれば、のしかかる事実の重さに人は耐えられない。

 きっと、ヴェンガンの最後の最後の虐待だったのだ。

 真実を突きつけて、セクレトの血が通う者を、こんな状況でも苦しめてやりたかったのだ。


 ずっと「苦しむ事がカーラルアの価値で仕事だ」とヴェンガンが言い続けていた理由が、ルカラの中で、点と点が線になるどころか、絵となって繋がった。


 今までは、ヴェンガンがサディストで、奴隷に苦しむ事を望んでいると思っていた。

 ヴェンガンはサディストかもしれないが、ルカラに対してはセクレトの血への憎しみで虐待をしていた。


 道理で、他の奴隷の様に粗相せずとも暴力が飛んでくる訳である。

 暴力をふるう事、それ自体に意味があるのなら、避けようが無い。




「ルカラ……」


「……アヤメさん、ストラディゴスさん……」


「……無理しなくても、いいんだよ」


「私は私です……二人が言ってくれたから……私は、大丈夫です」


 ルカラは自分に言い聞かせるように、二人に言う。

 自分は大丈夫だと。


 大丈夫と言っていても、ショックが無いわけでは無い。

 だが、ルカラは事実をありのまま受け入れようとしていた。


 そう思えたのは、二人に出会えたからだ。

 二人に救われ、今もまた二人に救われている。


 巨人の頭を挟んで横にいる彩芽と、もっと一緒にいる為には、悲しんでいる時間など無い。


 それに、そんな肩書が今更増えた所で、自分にはさほど関係無い。

 ルカラは、運命を呪っても仕方が無い事に、彩芽とストラディゴスとの出会いで、二人以上に気付いていた。




 * * *




 フィデーリスの人々が知り得る記憶のフィデーリスを探したが、ミセーリアは見つからない。

 まだ探していない場所は無いか必死の捜索を続けるが、隠し通路や奴隷牧場に使われてた空間にさえもミセーリアは、どこにもいない。


 アンフィスバエナも同時に探すが、どこを見ても多頭の竜等見つからず、タイムリミットが刻一刻と迫っていた。




 人は、どこに隠れる。

 追い詰められたら、どこに身を隠す。


「……もしかしたら」


 マリアベールは、ここまで探してもミセーリアが見つからない事で何かに気付いた様に、ある場所を目指す。

 セクレトは、安全地帯としてマリアベールとの思い出に守られていた。

 それならば、ミセーリアも……




 そこは、フィデーリス城。

 ただし、七百年前のフィデーリス城であった。


「ミセーリア……」


 当時、子供のミセーリアが使っていた部屋。


 美しい元の姿のミセーリアの姿は、そこにあった。

 紛れも無く本人である。


「マリア先生……」


 ミセーリアは、懐かしい自分のベッドで子供の様にシーツにくるまっている。


「逃げずに、話を聞くのだ。ソウル・イーターの自我が失われる前に、解体せねばならない。緊急時の安全装置があるなら教えてくれ。無いなら、アンフィスバエナはどこだ?」


「マリア先生、私怖いの……王様になんてなりたくない……私には、家の歴史もフィデーリスも背負えない……なんで私は王家に生まれたの?」


「ミセーリア?」


「マリアベール、やはりお前に頼ったのは正解だったな……こうして見つけてくれた……」


 マリアベールを追ってきた、ヴェンガンが部屋に現れた。


「ミセーリア様、このままでは現実のフィデーリスだけでなく、ここもいずれ崩壊してしまいます。どうか、フィデーリスの民の為、王としてご決断を……」


「ヴェンガン! あなたが私やマリアに嘘をついたから! マリア! あなたがヴェンガンの話を信じないから! 悪いのは家臣として未熟だったあなた達のせいよ! 私のせいじゃない……違う、違うわ、ごめんなさい……フィデーリスが滅ぶのは、セクレトのせい! セクレトとガモスが全部悪かったの! ごめんなさいヴェンガン! こんなにも、あなたを愛しているのに……マリアも、生きていて本当は、嬉しかったの! ああ、違う……マリアは四百年前に死んだ! 私のフィデーリスと一緒に死んだの! ああ何なのよ! 私は悪く無い! セクレトは苦しんで当然でしょ! なんでセクレトを鞭うったぐらいでマリアは私を責めようとしたの!? 私は悪く無いじゃない! 私は悪く無い!! 私は悪く無い!!! 私は悪く無い!!!! 私は悪く無い!!!!!」


 ミセーリアは明らかに混乱している様であった。

 まるで話が通じず、どうしてこのような事態になったのかも、見ようとさえしていない。


 話にならない。


「ヴェンガン、ミセーリアを任せられるか」


「それならば……あとの事は、お前に任せられるのか?」


「……せめて、お前が傍にいてやってくれ。ソウル・イーターは必ず解体する」


「マリアベール、お前のせいで、私は今日まで守ってきた全てを壊された。なのに、こんな事を言うのは、おかしいのかもしれないが……言わせてくれ」


「……なんだ?」


「フィデーリスを救ってくれ……私とミセーリア様には、民を導く事は出来なかった。四百年間、ゆっくりと腐っていくフィデーリスを、それでも維持するのがやっとだったよ……私自身、いくつもの外法に手を染めてしまった……」


「外法は我も同じ事……死を統べ、四百年もの間、我がお前の邪魔をしなければ、あるいは」


「ふふふ、それは無い。マリアベール、お前は外法でさえ、民を、民の意志を信じ、導いていた……ミセーリア様が王となるのに必要なのは、私では無くお前だった……私もミセーリア様も、民を救いたかった。だが、民の事を信じてなどいなかった……それだけだ」


「ヴェンガン……」


「力及ばなくてすまない……お前を、救えなかったのも、心残りだ……行ってくれ……マリアベール」




 * * *




 マリアベールは、彩芽達がミセーリアを探す時代のフィデーリスまで戻ると、全員をフィデーリス城に集めた。

 ミセーリアが壊れてしまった今、ヴェンガンが話を聞き出せるかに賭けて待つ余裕は無い。


 残す手段は、精神世界のどこかにいる、生物を生きたまま繋ぐ要の生物となった、アンフィスバエナと言う多頭の竜を見つける事。


 その方法の仮説は、小セクレトとミセーリアによって分かっていた。


 この精神世界に取り込まれた人々は、術者や侵入者の干渉が無い限りは例外無く最も心地の良い記憶領域の近くにいる。


「マリア、アンフィスバエナなんて竜見た事も聞いた事も無いぞ」


 エドワルドが聞くと、皆もうなずく。

 闘技場の獣の中にも、多頭の竜は見た事が無い。


 四百年余りの間、そのどのタイミングでアンフィスバエナがフィデーリスに持ち込まれたのかが日誌で分かっても、アンフィスバエナの心地良い記憶とやらが、何なのかが想像もつかない。


 頭が多い時点で、一ヶ所にいるのかも怪しい。


「フィデーリスのどこかにいるのは確かだ。城壁の外は、朧となっていて出る事が出来ない」


「ねえ、その竜って、頭良いの?」

 彩芽が聞いた。


「我も詳しい事は知らぬ。ミセーリアの資料によれば、強大な力を持った竜で、血を手に入れたと書いてあった。アンフィスバエナ自身は、フィデーリスを見た事も無い可能性が高い」


「血って事は、輸血したって事かな」


「……恐らくは」


 彩芽が小セクレトを抱きかかえる。


「もしかして、セクレトの中にいたりして……」


「えっ!? 僕!?」


「いや待て……ソウル・イーターのベースは、セクレトとラタの子孫……そこにセクレトを繋ぎ……亜人と獣人を犠牲にしてとあった……それならば……その中に、アンフィスバエナの血が流れているのに気付いていない者が?」


「それなら、逆もあるんじゃねえか? 取りこまれた全員が、アンフィスバエナって事は?」


 ストラディゴスが聞くと、マリアベールはとんだ考え違いをしていた事に気付いた。


 ソウル・イーターの身体のどこかに、アンフィスバエナの記憶があり、知性があるなら交渉し、無理なら居場所を特定してから物理的に切り離しが出来れば、ソウル・イーターが解体できる算段であった。


 だが、そうでは無くて、取り込まれた全員が、既にアンフィスバエナとなっているなら。

 アンフィスバエナの亜種としてのソウル・イーターの自我が分散し、失われ、無意志の本能だけの生物となりそうならば、解決策は別になる。




「全員、聞いて欲しい」


 マリアベールは、記憶のフィデーリスにいる全員に呼びかけた。




 * * *




 自我を取り戻した過去から今までのフィデーリス市民。

 その数は、十万人を優に超え、その中には、王墓からやって来た古の王や騎士達の姿までもがあった。


 バルコニーから姿を現すマリアベール。

 その姿は、終戦演説を行ったヴェンガンを彷彿とさせたが、告げられるのは戦いの合図であった。


「伝えたとおりだ。出来るもの達から始めて欲しい」


 マリアベールが言うと、人々は知り合いを見つけると、握手をしたり、抱き合ったりした。

 そうして二人は溶け合い、どちらでも無いが、どちらでもある存在へと記憶の中で変わる。


 全ての思い出を共有する、一心同体の存在へと昇華されると、また別の者と抱き合う。

 広場の人々は徐々に数を減らし、存在する精神体の名前は変化していく。


 小セクレトも、自分の子孫達の幼くして死んだ精神を全て統合し、セクレトの血族ともいうべき存在になる。


 個人から、親子や友人と言う関係の存在になり、関係から家族や仲間と言う大きな関係になっていくと、十万人を超えていたフィデーリス今昔の市民の数は、一千人程にまで目に見えて減っていった。




 マリアベールが外の光景を自分だけ一度身体に戻って見る。

 ソウルイーターの増殖速度は僅かにだが落ちていた。


 混沌としていた精神世界にまとまりが生まれ、十万を超える意志が、無意識に仲間を求め、飢えを癒す為に町を飲み込んでいたのが、一千の集合意識によって抑え込まれ始めているのだ。


 マリアベールは、もう一度精神世界に戻る。


 戻る頃には、時間の流れが違う為、一千の意識は二人にまで減っていた。


 マリアベールに連れて来られた者達が見守る中、十万を超える人々は一つの集合意識となり、フィデーリスと言う名の、人型のアンフィスバエナの意識が生まれた。


 バラバラだった意識が一つになる事で、無意志の増殖だけは速度が落ちた。


 フィデーリスその物となったソウル・イーターは、触れた物の生命力を吸い続け、自分を維持しようとしていた。

 これは、フィデーリスの意思では無く、生物としての本能である。


「これからどうするんだ?」


 エドワルドが聞く。


「完全な制御は出来ぬようだ……」


「ここまでやって制御できないって……マジでどうするんだよ……」




 * * *




 人々の集合意識がフィデーリスと言う曖昧だが確固たる人格を持った存在になり、増殖を抑えようと意識を集中すると、それは起きた。


 人々の善意の集合意識だけで、記憶のフィデーリスが出来ている訳では無い。


 人々の悪意は、善意と同じだけそこには存在し、それは形となって善意に抵抗し始める。

 絆で繋がった人々とは違い、死なない事を本能から求めて足掻く存在。


 生物としての防衛本能が動き出したのだ。

 これが、マリアベールの狙いであった。


 この防衛本能が、善意と同じ様に具現化すれば、見つける事が出来る。




 しかし、ここでマリアベールにも予想出来ない事が起きた。

 人々の悪意は、核とするのに相応しい者へと集まり始めたのだった。




 * * *




「ミセーリア様!? お気を確かに!」


 ヴェンガンの目の前で、ミセーリアに様々な物が流れ込み始めた。

 今まで自分が逃げ、時に生み出してきた全ての悪意と共に本能に飲み込まれて行ったのだ。


 十万を超えるフィデーリスの民だけでは無い。

 獣や、血でしかそこに存在していないアンフィスバエナの生存本能をその身に受け、ミセーリアは自分が苦しめる為に作り出したセクレトの成れの果て、ソウル・イーターよりも醜い姿へと変えられていく。


「ミセーリア様! ミセーリア様っ!!!」


「ヴェン”ガン”! マ”リ”ア”! ダズゲデ! ナ”ン”デワ”ダジガ! ワダジダゲ! イ”ヤ”-----ッ!!!」


 異変は、彩芽やマリアベールがいるフィデーリスにまで影響を及ぼす。

 空は血の色に変わり、フィデーリス城を内部より崩しながら、何かが這い出して来る。


「何なのあれ!?」


 ストラディゴスの肩の上で彩芽がマリアベールに聞いたが、マリアベールにも答えられない。




 ミセーリアの形がソウル・イーターよりおぞましい肉塊に変わると、それは中心へと収束を始める。


 ミセーリアを核とした生への本能と悪意は、形を成し、それはミセーリアの形へとなっていった。

 しかし、ただのミセーリアの姿ではない。


 両腕と下半身から竜の首を生やしたその姿は、ミセーリアを核に精神世界で生まれた新たなアンフィスバエナそのものであった。




 * * *




「ミセーリア様!」


 ヴェンガンの叫びは、ミセーリアには届かない。

 ミセーリアの姿こそしているが、ミセーリアの自我は完全に失われていた。


 ミセーリアの姿をした竜は、自分を殺そうとする意志を感じ取り、侵入者やもう一人のアンフィスバエナを襲い始める。


 ストラディゴスとエドワルドは応戦した。

 応戦するしかない。


 マリアベールと共に来た者は、元の世界に戻ればアンフィスバエナとなったミセーリアの精神体からは逃れられる。

 だが、逃れた先にはソウル・イーターの海が広がっていて逃げ場はない。

 その上、記憶のフィデーリスの中にいる彩芽と、一つとなったフィデーリスの民には、戻る身体さえないのだ。


「何なんだコイツは!」


 ミセーリアの腕から伸びる竜の頭に、構えた剣をかじられながらストラディゴスが叫んだ。


「これがアンフィスバエナだ! こやつを倒せ!」


 マリアベールも参戦し、戦える者総出での竜退治が始まるが、彩芽はフィデーリスの総体となったアンフィスバエナと守られる事しか出来ない。


 マリアベールの体感覚がこの世界では適応されず、素の彩芽に戻ってしまい、夢の中みたいな物なのに身体が元の様にしか動かないのだ。


 皆が傷つきながらミセーリアの姿をしたアンフィスバエナと戦っているのに、何も出来ない歯がゆさに、フィデーリスの総体を守る様に抱き寄せる事しか出来ない。


 夢の中でも、マリアベールは相変わらず強いし、ストラディゴスとエドワルドも圧倒的な強さを見せた。

 無数の竜の首が切っては生えを繰り返して襲って来ても、必死に刈り取っていく。


 ルカラも、モサネド達も、マリードとゾフルも、黒竜も他の住人や兵士達も、良く戦っている。


 彩芽も、ストラディゴスの短剣を片手に、必死に近づいて来る竜の首を威嚇し、切りつける。



 残りの問題は、時間だけであった。


 防衛本能であるミセーリアの姿をしたアンフィスバエナを倒し切り、フィデーリスの善意の総体であるアンフィスバエナによってソウル・イーターを解体、つまり、自殺をして貰う事で現実のフィデーリスを救う。


 それが出来なければ、ソウル・イーターの海にフィデーリス城や城壁に逃げた人々の現実の身体が飲み込まれ、キャパシティを超えた意識を飲み込む事でソウル・イーターの自我が保てなくなり、解体が不可能となるか。


「お姉ちゃん……もう、意識が……これ以上抑えられない……」


 ソウル・イーターのベースとなったセクレトの姿に変化した善意のアンフィスバエナが、彩芽にタイムリミットが近い事を訴えた。


 十万を超える「死にたくない」「道連れにしたい」と言う意志が竜の首となって襲い掛かり、それを全て殺し尽くすにはあまりにも時間が足りない。


 現実の世界では、ソウル・イーターの海に、城壁や城に逃げた大勢の人々が逃げられずに飲み込まれ、ソウル・イーターの自我が崩壊しつつあった。


「セクレト……」


 彩芽が小セクレトを抱きしめる。

 十万人を超える、善意が集まっても、それを超える生存本能と悪意には勝てないのかと、誰もが希望を失いかけた。


 マリアベールの精神も疲れて来たのか、動きに精彩が欠け始め、無数の竜の首に押され始める。


 一瞬の隙を突いて、マリアベールにアンフィスバエナの竜頭の牙が襲い掛かる。


 その時、ミセーリアの自我が完全に崩壊するのを目の前で見て、自身も絶望していた筈のヴェンガンが、マリアベールを庇って盾となった。


「ヴェンガン、お前!?」


「ミセーリア様の事は私が中から抑え込む……その隙に」


 ヴェンガンの精神体はバラバラに引き裂かれ、ミセーリアによって貪り食われてしまう。

 しかし、ヴェンガンの狙い通り、ヴェンガンはミセーリアに取り込まれ一つになると、アンフィスバエナの竜頭の動きが鈍くなった。


 ヴェンガンの犠牲により、勝利が目前に迫った時であった。




 先に訪れたのは、タイムリミットの方であった。


 記憶のフィデーリスは自我の崩壊によって崩れ始め、セクレトの姿をした善意のアンフィスバエナは、彩芽の手の中で意識を失いかける。

 それと同時に、マリアベールが連れて来た人々が戦線から消え始めた。


「アヤメ!」

「アヤメさん!」


 ストラディゴスとルカラ、エドワルドやモサネド達も消え、その場に遂には彩芽とセクレトだけが取り残された。


 崩壊する記憶のフィデーリスで、セクレトを抱えた彩芽一人、短剣片手にミセーリアの姿をしたアンフィスバエナと対峙していた。




 * * *




 現実では、城壁は全てソウル・イーターに飲み込まれ、フィデーリス城も塔状の蟻の巣かの様にソウル・イーターに浸食され、生存者は最上階に籠城する形となっていた。


 マリアベールの襟首をつかんで、ストラディゴスは諦めようとせず、大声を張り上げる。


「あともう少しだろ! もう一度連れて行ってくれ!」


「ソウル・イーターの自我は崩壊した……間に合わなかったのだ……」


「アヤメは、あそこに残ってるんだぞ!」


「この部屋が飲み込まれれば、万に一つの可能性だが、会えるやもしれん……」


「ふざけるな! あの中で、どこかで彩芽はまだ生きてるんだろ!」




「ストラディゴスさん待ってください!」


 ルカラが二人の間に割って入った。


「マリアベールさん、私は、奴隷牧場で作られた……あれの材料なんですよね?」


「……ヴェンガンの言った事など気にするな……」


「違うんです。私を飲み込めば、御先祖様の、セクレトの意識が戻るんじゃないですか」


 それは、ルカラがソウル・イーターの海に飛び込む事を意味していた。


 ルカラの言う事の、可能性はゼロでは無い。

 だが、十万人を超える記憶を内包しながら、ついには崩壊した自我を、たった一人の血族の血でどの程度取り戻せるかは未知数であった。

 心を一つにしたとしても、半分の心はバラバラのままなのだ。


「このまま、何もしないで全員死んじゃうなら、私に賭けてくれませんか」


「ダメだ! まだ他に方法がある筈だ!」


 ストラディゴスが、それだけはダメだとルカラを守る様に抱え上げた。


「エドワルド、ミセーリアの首は、あとどれぐらいあったか覚えておるか?」


「相当倒したからな……俺が最後に見た時で、両腕と尻尾を合わせて百も無いんじゃないか?」


「エドワルド! お前まで! お前ら頭良いんだろ! 他の方法を考えろよ!」


 ストラディゴスに抱きかかえられたルカラがストラディゴスを抱きしめた。

 今生の別れの様に。


「ストラディゴスさん。時間が無いんです。このままだと何もしないで、みんな飲み込まれちゃいます……」


「ルカラ……お前は、壁から出たかったんだろ! 自由になりたかったから今まで! それなのに、こんな……」


 ストラディゴスは、ルカラを力強く抱きしめ、ルカラの服を涙で濡らす。

 ルカラは、我慢していた涙を、ストラディゴスのせいで貰い泣きしていた。




 * * *




 セクレトを抱えた彩芽は、崩壊していくフィデーリスの中を逃げ回っていた。

 崩れる足場、乱れる景色、死を受け入れられず追ってくるミセーリアの姿をしたアンフィスバエナ。


 そんな状況だろうとも、彩芽は諦めない。

 持っている短剣は、もはや振るわず、セクレトを助ける事に全神経を注ぐ。


 逃げ場は、ドンドン狭まっている。

 周囲は気が付けば空だけでなく、抜けた床の底まで血の色になり、浮島の様に記憶の断片が漂うだけになる。


(マリアベール! これで終わりなの!?)


 精神世界で心の中と言うのも変だが、誰も応えない。

 セクレトと共に建物の影に隠れ、彩芽は息を殺す。


「お姉ちゃん……」


「セクレト、辛い?」


「お姉ちゃんの身体……守ってたけど……そろそろ無理そう……」


「いいよ……おかげでマリアベールを呼べて、ストラディゴスとルカラに最期に会えたから……ありがと」




「もう少し頑張ってください。ご先祖様」


 彩芽は、現れたルカラを前に、幻覚でも見ているのかと思った。

 しかし、ルカラがセクレトに触れ、その中に溶け込むのを見て、どうしてルカラが現れたのかを悟った。


「ルカラ……そんな……ああぁああぁぁぁぁ………‥」


 自分が死にそうだと言うのに、彩芽はルカラがソウル・イーター取り込まれた事実に崩れ泣いた。


「きっと来ます。諦めないで……」


 彩芽は、言葉を残してセクレトと一つになったルカラを抱きしめた。




 その時、ミセーリアが彩芽とセクレトを見つけた。


 ルカラが死に、自分ももうすぐ死ぬ。

 ルカラと一つになっても意識の戻らないセクレトを守る様に抱え込む。

 使えもしない短剣を持ったまま。


 彩芽の気持ちなど考える知能も持たず、襲い来る竜頭の群。




 竜頭の牙は彩芽には届かず、その首達は一刀のもとに切り伏せられた。


 彩芽の隠れていたそこは、いつの間にか、別の場所になっていた。


「!?」


 そこは、ブルローネの三人で泊まった部屋であった。

 セクレトを抱えた彩芽は、床に座り、その傍らには、大剣を振り回して天井や壁ごと竜頭を切り裂いていく巨人の姿があった。

 巨人の頬には涙の痕があった。


「またせたなアヤメ」


「ストラディゴス!」


 ミセーリアが再び現れたストラディゴスを威嚇し、襲い掛かる。

 しかし、扉を突き破ったランスがミセーリアの身体を突き刺し、そのまま黒竜に乗ったエドワルドが窓の外へと連れ去った。


「もう少し待ってろ!」


 ストラディゴスが窓から出て外へ追っていくと、部屋の窓の外は闘技場のアリーナとなっていた。


 でたらめに空間が繋がっている。


 それによって、ソウル・イーターの自我を掌握しているのがルカラだと彩芽には分かった。

 ルカラも、必死に戦っている。




 闘技場に連れ去られたミセーリアが野生の獣の様にのた打ち回り、体勢を立て直して黒竜と威嚇をしあう。

 すると、そこにマリアベールが現れ、ミセーリアの包囲網が完成した。


 マリアベール、ストラディゴス、エドワルドと黒竜。

 三人と一頭だけが、ルカラの作り出した時間の中で、ミセーリアを倒しに戻って来れた。


 ミセーリアが竜頭で三人に食らいつくが、首の数と残り時間以外、問題は無い。


 三人は次々と首を切り落とし、ついにミセーリアの頭だけがアンフィスバエナの胴体に残る。


 マリアベールは、最期まで生物の防衛本能と言う保身によって身を亡ぼす事になったミセーリアを憐れむ様に見るが、その考えを改める事となった。


 一人首が残ったミセーリアの表情は、ミセーリア本人よりも生に執着した表情は、保身よりも本能を感じさせ、雄々しく誇り高くさえ見えた。


 せめて、本人の意思でその顔で最期を迎えて欲しかった。

 そう思いながら、これ以上、ミセーリアが苦しまない様にと、その首を切り落とした。


 記憶の世界で精神体だとしても、マリアベールは、かつて溺愛した教え子の首が落ちるのを赤く光る目に焼き付けた。


 こうして、フィデーリスの存亡をかけた戦いは、静かに幕を閉じたのであった。

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