第47話

 ストラディゴスはルカラへ、なんと声をかければ良いのか言葉が見つからなかった。




 これは、彩芽の姿を見失い、エドワルドを失って、その原因の一つがルカラだと知った時。


 あの時のストラディゴスが望んだ事。


 その結末の筈であった。




 だが、ルカラがヴェンガンの下で拷問官をさせられると知った時、こんな所に置いておけないと思った。


 都合が良い時ばかり、ルカラに全ての責任を負わせ、ルカラがその責任を取ろうとしたら、途端に放っておけなくなる。


 ストラディゴスは、自分がルカラに何を望んでいるのか分からなくなっていた。




 彩芽を助けたい。


 だが、今はルカラも救いたい。

 自分が追い詰めた自責の念もあるが、それだけではない。

 釈然とせず、モヤモヤと引っかかる思いが胸にある。




 ここでルカラの意志を尊重して置いていけば、それは正しい事のなのか?

 それが、最も波風を立てない事ではあるだろう。


 でも、そんな事は出来そうもない。


 置いていけば、ルカラは何をさせられるか、何をされるか分かった物では無い。


 一度は怒りに任せて見放したが、ストラディゴスは今ならば分かった。

 あの時の判断が間違えだった事が。




「……ルカラ、聞いてくれ。俺は確かに、お前をあの時責めた。でもよ、それは間違えだ」


 ストラディゴスが考えもまとまらぬまま、停止しそうな思考状態で、とにかくルカラを連れ出そうと言葉をかける。

 だが、ストラディゴスよりも冷静なルカラを説得する事は出来ない。


「ストラディゴスさんは何も間違えてなんていませんから。いいから行ってください。少しなら、私だって時間ぐらい稼げます。早く」


 外から聞こえる騒ぎの音が大きくなる。


「何するんですか!?」

 ストラディゴスは、拒否するルカラを無理やり抱きかかえると、拷問部屋を出た。




「放してください! ストラディゴスさん! 私はあなた達と一緒にいられないんです!」


 自分が呪われても構わない。


 呪われる条件を知らないストラディゴスは、ルカラの理解も得ずに、小さな身体を連れ去ろうとする。


「ストラディゴスさん! あなたまで呪われたらどうするんですか! 私はいいからアヤメさんを探しに行ってください!」


「暴れるな」


「私はここを離れたら、またヴェンガン伯爵から逃げないといけないんですよ! 壁から出られないんです。今度は逃げきれませんし、私は大丈夫ですから!」


「黙ってろ。今考えてる」


 ストラディゴスの頭の中では、ルカラを説得する言葉ばかりがグルグルとまわっている。

 その中に、役立ちそうな言葉は一つもない。


「ここが私の居場所なんです。ここにいないと、いろんな人に迷惑がかかってしまうんです」


「黙れ」


「黙りません! 黙りませんよ! アヤメさんと約束したじゃないですか! 話し合って決めるって! ストラディゴスさんは、他に何も言う事無いんですか! 私は決めたんです。ここにいるのが、他の人にも一番良いんです! 連れて行く気なら、私を納得させてください!」


 追手に追われている非常時に、面倒な事を言う奴だと思った。

 だが、ストラディゴスは、ルカラの言う約束を思い出した。


 そうだった。


 ストラディゴスは、近くに彩芽がいなければ、自分は約束を守ってなどいなかった。

 彩芽が傍にいるから、いつだって約束を守ろうとしていた。


 彩芽ありき。

 彩芽が近くにいないと、どんどん元の自分に戻っている。

 ストラディゴスが考える理想とは程遠い自分。


 彩芽に相応しくない、自分勝手で、人の話を聞かず、自分が正しいと思って判断する自分だ。




 だが、彩芽との約束は、今も生きている。


 高級娼館の一室でした、口約束である。

 それでも、ストラディゴスとルカラの二人にとっては、金よりも重い約束であった。




 何かあったら、いちいち話し合う。




 そんな簡単な事が出来ていない。


 非常時に面倒?


 違う。

 話し合わなければならない。


 面倒でも、彩芽と決めた事を、約束を指針に。


 ストラディゴスは、ルカラを助け、納得させて連れ出す事こそが今の自分がするべき事であると、気付く。

 自分の中のイメージの彩芽が、そう告げている。


「ルカラを助けて」


 それからストラディゴスは、川岸で彩芽と話をしたのを思い出した。

 その約束も、ストラディゴスは彩芽が近くにいなければ、機能していなかった事に気が付いたのだった。


「ルカラ、聞いてくれ。俺は、アヤメとお前の事で約束をしたんだ。お前に言ってない、お前の約束だ」


「……アヤメさんと?」


 ルカラは、ストラディゴスの口から自分の知らない約束を仄めかされ、次の言葉を待った。


「俺は、こいつらにアヤメが捕まった時……」

 道案内するマリードとゾフルを見る。


「呼びに来たお前を、あの時のルカラを信じるって……そう……アヤメに誓った」


 ルカラは、巨人の瞳に涙が浮かんでいるのに気付く。

 ストラディゴスは、彩芽との約束を守れていない愚かな自分が悔しくて、言葉を詰まらせながらも話を続ける。


「奴隷でも、泥棒でも……カーラルアでも無い……あの瞬間のお前を信じるって……アヤメは俺にこうも言った。お前を信じないで……何かあった時に……『やっぱり』なんて……思うぐらいなら……お前を信じて‥‥…好きにさせてよ……それで間違ってたら、その時は……一緒に直せばいいって、だから……まずは。お前を助けようって……」


「……実際、呪われてるんですよ? それは、どうしたって変わらないじゃないですか……エドワルドさんは私のせいで……」


「アヤメがお前を仲間に……助けようとしたのは……呪われてないからだと……思うか?」


「それは……」


「あの時は、お前を追いつめて、本当に悪かったと思っている…………俺がバカだった。ルカラ……すまなかった」


 ストラディゴスは、ルカラに謝ると、一筋の涙がその頬を伝った。

 ストラディゴスからの謝罪は、小脇に抱えられているルカラに響く。


「そんな……謝らないで……ストラディゴスさん」


「お前は悪く無いんだ……アヤメをエドワルド達に任せて、あそこに置いてきたのは俺だ……俺なんだ。闘技場にアヤメを連れてったのも……そのせいでヴェンガンに目をつけられたのも、俺のせいだ……ルカラ、お前が悪いんじゃない。悪いのは俺なんだ」


「でも、アヤメさんが呪われたのは……」


「そんなのは、呪った奴が悪いんだ。お前が生きたくて、周りが死ぬ? それでエドワルドが死んだ? 殺した奴が一番悪いに決まってる。そうだろ。なら、そうならない様に、俺がどうにかしてやる。これは、もうお前だけの問題じゃない。俺達の問題でもあるんだ」


 監獄から闘技場へと続く長い地下通路の向こう側に、ぼんやりとだが小さな光が見えて来た。


「俺の犯した罪の、責任を取るチャンスをくれないか?」


「ストラディゴスさんは、私を許してくれるんですか?」


「許すも何も、お前は悪く無い」


 その言葉の中に、ルカラは彩芽を感じた。


「ルカラの方こそ、お前を追いつめた俺は……許されるのか? どうすれば俺は、お前に許してもらえる?」


「許すも何も無いじゃないですか」


 ルカラは、ようやくストラディゴスに笑いかけた。

 ストラディゴスは、ルカラの言葉に、彩芽を感じた。


「それなら、アヤメを一緒に探してくれ。見つけた時にお前がいないと、あいつも悲しむ」


「でも……もし……アヤメさんが……見つからなかったら?」


「見つかっても見つからなくても、やる事を変える気は無い。まずは、お前を自由にする。それだけだ。だから……俺達と一緒にいられないなんて、そんな事言わないでくれ」


 ルカラは泣いていた。

 自由にすると言われたからではない。

 彩芽だけでなく、ストラディゴスにもようやく、仲間だと認めて貰えた事が嬉しかったからだ。


「ルカラ、俺に、いや、俺達にもう一度、お前を助けさせて欲しい」




 * * *




 闘技場に着くと、地上に通じる道は、全て閉鎖されていた。


「ここであってるのか?」


 ストラディゴスが聞くと、マリードを始めとした囚人達は、出口が無いかと探す。

 すると、城から来た通路が上下開閉式の落とし門で堅く蓋をされ、一ヶ所だけ、まるで誘うかのようにゲートが開き始めた。

 長い通路の向こうには、光が差し込む出口。

 ゆっくりとゲートが開くと、外からは外気の砂臭い匂いと、ザワザワと歓声が聞こえてくる。


「おいおい、嘘だろ」


 囚人達は、これがヴェンガンの罠だとようやく気付く。

 脱獄を企てた囚人全員を、闘技場の見世物として殺そうとしているのが、その場の全員に理解できた。


「ストラディゴスさん……」


「ルカラ、俺の近くにいろ。隙を見て客席から逃げるぞ」


 ストラディゴスの身長とジャンプ力があれば、剣闘フィールドから客席まで十分に手が届く。

 棘柵や鼠返しで登れなくされていても、そんな物はストラディゴスの手にかかればどうとでもなる。


「俺達は!?」


 囚人達はストラディゴスを悲壮感漂う目で見上げた。


 無法者の犯罪者は半分にも満たず、大半は奴隷落ちの慣れ果てか、逃亡奴隷ばかり。

 そんな服も着ていない有象無象が数十人から百人近くいた。


 ストラディゴスは薄暗い剣闘士用の待合広間を見渡す。


 そこには、必要最低限の武器や防具が置いたままにされていた。

 どうやら、使えと言う事らしい。


 待合広間に、水が流し込まれてきた。

 ただの水の様だが、このままでは部屋は水没してしまう。

 本来は剣闘フィールドを海上に見立てる為のシステムだが、ヴェンガンが水路を塞ぎ無理やり流し込ませているのだろう。

 早く舞台に上がれと。


「戦える奴はすぐに準備しろ! 急げ!」



 

 ずぶ濡れの集団。

 揃わぬ隊列を組んで囚人達がゲートをくぐると、割れんばかり歓声と、ブーイングが響き渡る。


『皆さま! 脱獄を企てた囚人達の準備が整ったようです! この中で、何人が生き残り監獄に戻れるのでしょうか! 奮って賭けにご参加ください!』


 司会者が相変わらずマイクも無しに大声で会場に語り掛ける。

 主催者席にはヴェンガンの姿も見えたが、本物かどうか分からぬ以上、あのヴェンガンを捕えるのは危険である。


 今までこれだけ不意打ちと騙し討ちを仕掛けて来た相手が、表に出てきているとは思えなかった。


 アリーナの縁には大勢の兵士が立っており、これでは客席によじ登って逃げる事は難しい。

 ストラディゴス一人ならともかく、他の誰一人ついて来れないだろう。




 舞台が城から闘技場へと変わっただけで、何も好転などしていなかった。

 籠の鳥のままである。


 主催者席でストラディゴスとルカラを見るヴェンガンは、これから始まるであろう殺戮ショーを前にして涼しい顔の裏では恍惚としていた。




 * * *




 ヴェンガンの目には、黒い霧が見えていた。

 ストラディゴスがルカラによって、死の宣告を受けているのだ。


 これで、いよいよ逃がす事はありえない。


 人前なのでリーパー達は陰で控えさせているが、もっと面白い物がこれから見れる。


「獣達を放て」


 主催者席の椅子で優雅に指示を出すヴェンガン。


 闘技場内にある昇降機が、同時に何機も動き始める音が響く。


「さぁ、まずは、絆を温めて貰おうかぁ……」

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