矢山行人 十五歳 夏31

 夏休みの宿題を手伝ってもらう時に待ち合わせたローソンで陽子と落ち合った。

 陽子は黒の半そでティシャツに赤の花柄スカートという出で立ちだった。僕らは軽い挨拶の後、とくに喋ることなく隣合って歩き出した。

 どこに行くとも言わなかったが、陽子は黙ってついてきた。


 歩道を歩いていると、隣の道路で幾台もの車が僕らを通り越していった。時々、光る車のバックライトが目の奥でじんじんと残った。

 上り坂に差し掛かり、やはり数の少ない外灯を頼りに僕らは歩いた。

 一度、陽子の表情を窺おうとしたが、よく分からなかった。


 山の中腹まで来て、生い茂った木々の隙間にある石の階段までたどり着いた。

 あの暗闇にまた身を投じることを思うと、僕の足は竦んだ。


「ここ?」と陽子が言った。


 うん、と頷いた後に

「暗くて危ないから、手を繋いでいこう」と言ってみた。


「ううん。一人で行く。そうしなくちゃいけない気がする」


「そっか」


 あの時は先に朝子が階段を登っていた。

 けれど、今回は誰も先にはいない。

 耳を澄ませる。木々のざわめきがあるだけだった。

 僕は階段の一歩目を踏みしめた。一段、一段、形の違う石段を注意して僕は進む。数秒して、完璧な暗闇に包まれた。

 前回と違うのは、今回は先には誰もいないが、後ろには陽子がいて立ち止まるとぶつかってしまうことだった。

 だから、僕は一定のスピードを保って進み続けなければならなかった。


 ――誰かに肯定してもらって、行人くんはどうしたいの?


 ふと、朝子の声が浮かんだ。

 確か、セックスをしたい理由は誰かに肯定されたいからだ、と僕が言ったのだ。その時に朝子は言った、肯定してもらって、どうしたいの? と。

 そして、誰でも良いなら、私とする? そう言ってくれた。


 優しい子だった。

 本当にあの場でセックスをすれば良かった。

 夢の中なんてあやふやな場でセックスをするより、ずっと現実的で、素敵な体験だったはずだ。もちろん、上手くできたかどうか分からない。

 ただ試してみるべきだった。


 僕が誰かに肯定してもらいたい理由は多分、秋穂だ。

 ミヤと寺山凛の二人を見て、僕は本物だと思った。互いに傷つき合い、苦しみながら、そこには確かな愛情があった。

 僕は誰かを、例えば、秋穂をあれ程に傷つけ、それに苦しめられるだろうか、と思った。


 ――嘘をついて、流れに逆らわない言葉を身につけて。本音を隠した。


 そう美紀さんは言って、僕を立派だと続けた。


 ミヤは他人を演じていたが、僕は基本的に素で嘘をついている。

 それが美紀さんには分かっていた。ミヤには明確な本音があるけど、僕は嘘をついているが為に、あるはずの本音が捻じれてしまっている。

 だから、僕は本当の意味で誰かを傷つけられないし、真剣に苦しむこともできない。


 僕ができるのは朝子の死を知った時のような、虚脱状態になることだけだった。それは自分の心を守る為の、生命活動さえもを放棄する行為でしかない。

 傷つき、苦しんでいるはずの本当の僕を僕は直視できていない。

 そんな自分をセックスという未知の行為に導くことで何かが変わると僕は期待した。


 けれど、それは結局は他人任せの怠惰に他ならなかった。

 目の奥がじんじんと痛んだ。気づけば僕は階段を登りきり、ほのかな光の中に一人立ち止まっていた。変わらない小さな墓地。墓の真正面は開けていて、町が見下ろせた。

 一度しか見ていないが、少し懐かしい気持ちが浮かんだ。


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