第116話 地下牢へ

「遅い……」


兵士詰め所を後にした私は、師匠達と別れた場所である裏路地に戻ってきていた。しかし一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、日が段々と傾いてきた頃になってようやく変だと思いはじめ、師匠達に何かあったんだと思い至った。


師匠はもとより、今やディエーリアもかなりの腕前だ。剣だけでもかつての私と互角ぐらいか。精霊魔法も合わせれば、並の軍隊など軽く蹴散らせる実力者になっている。だから彼女達が捕らえられたとか危害を加えられたという心配はしていない。それでも姿を見せないのは、何か別の理由があるはずだった。


「考えられるのは……正体がバレて追跡を振り切ろうとしている場合。もしくは敵の情報を得るチャンスが巡ってきて、連絡している暇がないといったところか……」


しかし困った。師匠とディエーリア、最悪でもどちらか一人の協力を得られると考えていただけに、どちらも不在になるのは想定外だ。いくら厳しい修行で腕を上げたとは言え、同時に二つの地点で人質救出なんて器用な真似は出来ない。最悪の場合、伯爵とその妻子、どちらかが見せしめに殺される可能性だってあるのだ。


(いや、一番悪いのは三人が別々の所に監禁されていた場合か。あの兵士の話だと妻子は二人とも牢屋に入れられているそうだから、その可能性は低いと思うが……)


師匠には、何かあった時の集合場所としてソルシエール様の街の場所は聞いている。しかし飛行魔法の使える師匠やシエルならともかく、徒歩の私では往復だけで何日かかるか解ったものではない。


「うーん……」


どうしたものか悩む。時間的に余裕が無さそうなので街を出る案は却下だ。力押しで正面突破などしようものなら、まず両方助けられないと見て良いだろう。となると、潜入してから個別に救出するしかないが……。


「変装か……」


再び気分が憂鬱になる。仲間に比べて世間知らずな自分が変装したところで、すぐに正体がバレる可能性があるんじゃないのか? 詰問された時に上手く嘘を突きとおせるか? などと色んな考えが頭をよぎる。知らずに思考が悪い方へ悪い方へ向かっていくのを自覚した時、私は頭を振って考えを振り払った。


「覚悟を決めよう。最悪の場合、グロム伯爵は見捨てる。彼も妻子を犠牲にしてまで自分が助かりたいとは思わないはずだ。彼を優先して助けようものなら、後で恨みを買う可能性もあるしな。どちらか一方しかたすけられないのなら、無力な者達を優先するか」


そうと決まれば後は行動するのみ。私は今来た道を引き返し、城へと歩みを進めていった。


§ § §


娘の姿のままでは城に近づくことは出来ても、城内に入り込むのは不可能に近い。ならメイドか兵士、または出入りの商人か雑用を行う労働者にでも化けるしかない。


(できれば動きやすい服装が良いな……)


決してスカートが嫌だとか変装が面倒くさいとかではなく、純粋に戦闘面を考えた結果、私は兵士の装備一式を調達することに決めた。とは言っても、そんなものがその辺に落ちているわけがない。さっき情報をもたらしてくれた兵士達に協力を仰ぐと言う方法も考えたが、流石にこれ以上迷惑をかけるのは憚られた。


「明確に言えば犯罪だが……この際目をつむろう」


そこで私の出した結論は『盗む』だった。城の周りだけでなく、街中にある兵士詰め所を漁れば、埃を被っている装備の一つや二つは転がっているはずだ。それらを拝借して城に潜入し、秘密裏に人質を救出するつもりだった。


人目を避けつつ、城の周囲を時計回りに歩いて行く。兵士達の姿は見えるが、一般人の姿が殆どないので身を隠すのに苦労した。詰め所に近寄ると息を潜めて中の気配を探り、人が完全に居なくなったのを確認した上で窓から侵入する。


「剣と兜だけか……。一度に全部集まるかと思ったが、それは流石に都合が良すぎるな。しかしこれは……うぷっ! 臭すぎる……!」


兜から漂う酷い悪臭に吐き気を催しながら気力で我慢する。一カ所で無理ならしらみつぶしに探せば良い。結局全ての装備を調え、兵士の姿に変装出来るようになったのは、深夜を回った時間だった。


「期せずして、侵入に最も適した時間帯になってしまった」


長時間悪臭に晒されたことで鼻が馬鹿になってしまい、今は何も感じなくなっていた。運が良いのか悪いのか。幸い夜間だけあって巡回の兵も減っているようだし、今なら楽に侵入できるはずだ。素早く周囲を確認した後、昼間目をつけておいた最も人の目の少ない場所まで走り寄り、一気に跳躍して壁に飛び乗る。事前に気配を探っていたから見張りがいないのは確認済みだ。


「おまけに理由はわからないが、昼間大量の兵士が城外に出て行ったしな。カリン達を追うためには多すぎる人数だったが……師匠達が関係してるのか?」


仲間達がどんな状況か非常に気になるところだが、今は頭を切り替えて目の前に集中するべきだ。


師匠に弟子入りを決めてこの街にやって来た時から、師匠と同居を始めるまで、結構な時間を過ごした城だ。頭の中には建物の配置や人が通らないような小道、牢屋の位置まで完璧に覚えている。月明かりと、ところどころで周囲を照らすかがり火の光を頼りに、私は素早く牢屋を目指した。


牢屋は城の地下にあるため、辿り着くにはどうしても城内に入らなければならない。私は普段城内の料理人が使う裏口のドアに辿り着くと、ソッとノブを回した。当然というか何と言うか、引こうとしたドアは硬い音と共に動きが止まる。施錠してあるのだろう。


(何の問題もない)


私は腰の剣を引き抜くと素早く一閃させ、ドアと壁の僅かな隙間から鍵を切断した。以前ならドアごと斬るしか出来なかっただろうに、我ながら腕を上げたものだ。キィ……と言う乾いた音を鳴らしながらドアを開いて中に入ると、素早く閉じて、つっかい棒を簡易の鍵代わりにする。厨房は完全に火が落とされて人の気配もない。闇夜に目を慣れさせるため、しばらくその場に留まった後、抜き足差し足で歩き始めた。


外と比べて人気はあまり感じられないものの、やはり完全に無人になるわけじゃない。苦労して地下牢への入り口に辿り着いた時は、自然と息が漏れた。地下への入り口は更に薄暗く、夜中と言うことも相まって不気味な雰囲気を醸し出している。気合いを入れ直し、階段を一歩、また一歩と降りていくと、次第に奥の方から物音が聞こえてきた。


(これは……動物? いや、こんな所で動物を飼育するわけがない……)


何か嫌な予感が胸をよぎり歩調を速めると、だんだんと音の原因がハッキリしてきた。それは声。人間の声だ。甲高い声の持ち主が、獣のような叫び声を上げている。もたもたしてる暇はないと直感し、一気に階段を駆け下た。


「ああああああ! きゃああああ!」

「うるせえんだよ糞ガキが! 毎日毎日騒ぎやがって! いい加減にしろ!」


私は目の前の光景に絶句した。牢の前にで罵声を上げているのは二人の男。どちらも黒ずくめな事から、例の黒騎士で間違いない。しかし問題なのはその二人でなく、奴らの前――つまり牢の中に入れられた人間。私もよく知るその子供は、間違いなくグロム伯爵の一人娘、ユリアナだった。


彼女は鉄格子にしがみつきながら、理解出来ない奇声を上げ続けている。しかも正気を失っているらしく、目は血走り、口の端からは涎が垂れていた。私の記憶にある彼女はとても愛らしく、見ている者を自然と笑顔にしてくれるような存在だった。それなのに、まるで別人と思えるほどに豹変していた。


「あん? おい、お前! 誰がここに入って良いと言った!」


黒騎士の一人が威圧的な態度でこちらに歩み寄り、問答無用でこちらに拳を振り下ろした。しかしそれは私に届くことなく、顔の前で難なく受け止める。


「な!?」

「おい……聞きたいことがある。素直に答えろ」


男の腕をねじり上げて体を反転させると、私は容赦なくその体に蹴りを放った。男の鎧が鈍い音を立ててひしゃげる。驚愕の表情のまま吹っ飛ばされた男はもう一人を巻き込み、派手に転倒した。


「こ、この野郎! 誰に喧嘩を売ってるのかわかってるのか!?」

「黙れ!」


私の怒声に男達がビクリと体を震わせる。私の体からは隠しようもない殺気が溢れ、今にもそれだけで男達を切り刻みそうだった。


「ユリアナに何をした? なぜ彼女はそんな状態になっている?」

「な、なに? これは――」

「さっさと答えろ。さもなくば殺す」


目にもとまらぬ速さで剣を抜くと、男達も慌てたように剣を構えた。なるほど、痛い目をみないとわからんか。ならお望み通り、地獄を見せてやろう――!

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