第八十三夜 ウデマエさん
ウデマエさんという都市伝説をご存じだろうか。
この話をしてくれた和田と名乗る男は、こう語った。
「この話はな、世見町の女どもの間である噂なんだ。今だとネットで見れるような都市伝説ってやつか」
女ども、と一絡げに彼は言ったが、注釈しておくといわゆる水商売やそういう仕事をしている女性たちのことだという。
特に、世見町の中心部にある怪しげな店のあたりで「出る」と言われている頭のおかしな奴、という認識だったという。
「ウデマエさんってのは、ウデマエ、ウデマエ、って言いながら歩き回ってるんだと。右回りのウデマエさん、とか言われてて、あのあたりの迷路みてえなところを時計回りだか反時計回りだかに歩いてる不審者っつう感じだった」
不審者というより、おそらく何らかの理由で頭がおかしくなった奴だろう――というのがおおかたの想像だった。
「だけどな。ウデマエさんは――まあそういう界隈に出てくる奴だから、なんか色々と噂があったぜ。『あっち』の腕がいいって意味だとか、腕が股ぐらからもう一本ぶら下がってるとか、まあ言ってみれば下ネタ的な使われ方をしてたわけだ。
そういう話に昇華するくらいには、よくわかんねえ話だった。
売春婦やってた有名なばあさんだっていう話もちょっと聞いたことがあるけど」
話がよくわからないぶん、オチの部分が語り部によって弄られるタイプだったのだという。
「で、まあオレも若かったからよ。その話を聞いて、よし、ちょっくら暇潰しに探してやろうと、まあそういうことになったわけだ」
本当に暇潰しだった。
ウデマエさんはいつも深夜二時半くらいに現れるというのを聞きつけ、和田は世見町の奥まった場所へと入った。
和田のいうところの「あの界隈」は、深夜二時になると妙にひっそりと静まりかえる。だから明るいのにもかかわらず、不気味だった。
「おーい、ウデマエ! 出てこいよお!」
腕前見せてみろとかアレがでかいとか下品な言葉を繰り返しながら、和田たちは笑いながら右回りに歩いた。
「でもな、あそこ入ったことある奴ならわかると思うけどよ。本当に迷路みてえなんだよ。裏道っていうんかな。世見町の表通りや一番街は広くて今はキレイに整備されてるけど、なんかうらぶれたっていうかな。昔の世見町が濃縮されてるようなところなんだ。
空気がもう完全に違う。建物がひしめきあってて、明るいのに暗闇がたくさんあるんだ。
そこにいるウリ専の女も男も、どこか違うところを見てるみたいだった。全員が薬でもやってんじゃねえかってくらい。
そのくせ、深夜二時になる前にそんな奴らもどこかに引っ込んじまう」
そして気が付くと、和田たちは奇妙な声を聞いた。
最初はか細い声だったが、その声を辿っていくとやがてそれが「ウデマエ、ウデマエ……」と聞こえてくるのに気付いた。
「いやもう、その時はテンションが上がったよ。本当にいやがったってな。
それで、にやにや笑いながら声の主を追いかけたんだ。そしたら……どんな奴だったと思う?」
近づいていったはいいものの、和田たちはあまりいい気にはならなかった。
近づいた後ろ姿のそいつは、温泉や旅館で着るような寝間着――いわゆる和服の――を着崩して着ていて、裸足のまま、ひたひたと歩いていたからだ。
髪はざんばらで、細くて不健康な真っ白な足を引きずるようにして歩いていた。
「なんかもうそれを見ただけでぞっとしちまった。いくら若いとはいえ、なんかアレは触れちゃ駄目なんじゃねえかってのが強くなってよ。……だけど、今更怖いとか言えなかった」
和田は思いついて、ウデマエの歩く少し後ろを追跡しはじめた。そして、ウデマエの真似をしながら歩きはじめたのだ。
和田のその行為に、誰もが引きつった笑いから回復してきたようだった。
「おおい、何がウデマエなんだよ」
和田はそう声をかけた。
途端、ウデマエはぴたりと足を止めたのだという。
「……なんだよ」
戸惑いを胸に、和田は強がった。
意外なことに、ウデマエは和田を振り返った。
そこから、和田の記憶は途切れているという。和田の仲間に後で聞いたところによると、和田はウデマエの顔を見た途端絶叫し、倒れ、そのまま仲間たちが慌てて引きずり離したのだという。
「ウデマエさん、っていうのは、噂が色んなところに伝わるうちに、ちょっと発音が違ってきたやつなんだよ。腕前って言ってるんじゃないんだ、あれは――腕が無え、が訛ってウデマエなんだ」
和田は僅かにため息をついた。
「腕が無い、腕が無ぇ、ウデマエってな」
それから、しばらく煙草の煙を吐き出してから続ける。
「あいつはな、……戦前くらいの……まだ店に売られた女がたくさんいた頃の、遊女の末路だって話がある。ほら、末端ならいくらでもいただろう。逃げようとして、腕を切られたんじゃねえかってな。でもオレは、そんな幽霊めいたものじゃなくて、単に頭のおかしな奴だったって思うね」
言いながら、和田は煙草を消した。
そして、おもむろに自分の片手にした手袋を外した。中の手が手袋ごと外され、肘から下がスッパリと刃物で切ったように無かった。
「でなきゃ、絶叫して倒れた俺の腕がこんなことになってた説明がつかない。幽霊……なんかに……腕が持っていけるはずが……ないんだ」
興味深いことに、ウデマエさんはそれ以来ぴったりと姿を消したという。
和田はそれに関してもウデマエが自分の件で捕まったからだと信じているという。たとえ警察が一度も自分のところを訪れていなくとも。
ウデマエが自分の腕を持っていったことで、自分がウデマエに成り代わってしまったような――そんな気が時々するのだ。だから、あのウデマエは人間で、自分の腕を持っていたから捕まったのだと信じている。
そうでなければ、気が狂ってしまいそうだと付け加えた。
「そうなんだよ。腕が……ウデマエ、ウデマエ……」
和田はくつくつと小さく笑い出し、しばらくして大声をあげた。
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