第六十五夜 店にいるもの

 霜川はとあるバーの店長だ。

 今いるところで三年ほどやっているが、その前は世見町で店を出していた。


 店は繁華街の外側にあり、まあそこそこ往来もあるところだった。改築費の節約のために、ある程度自分で内装を整えた頃には、店を開く前だというのに早々に愛着も湧いた。

 開店の日には友人知人だけでなく一般客も入ってくれ、最初の一歩としては上々というところだった。

 一ヶ月を過ぎ、二ヶ月、三ヶ月も経った頃には固定客とも顔なじみになり、順調な滑り出しといってよかった。


 何度か来てくれている客が、酒を飲みながら言う。


「いや、今回の店もバーで良かったよ。この近辺、静かなところがあんまり無いでしょ」

「はは、ありがとうございます」


 チェーン店の居酒屋はわいわい騒ぐという感じがほとんどで、こうしたバーは少し入り込んだところにしかない。

 かといって別に女の子と遊びたいわけではない。

 とはいえ、昔ながらのキャバレーなんかだと、これまた昔ながらの固定客のほうが多くてどうにもかなわない、というのが客の言い分だった。


「前の店も良かったんだけどねえ。半年したくらいからかな、ちょっと売り上げが落ち込んじゃったみたいでね」

「へえ、そうなんですか。場所は結構いいと思うんですけどねえ」

「まあ、このへんは治安もそんな良くないしね。前の店も好きで通ってたんだけど、半年すぎたくらいから目に見えて客が減ってたよ。なんか雰囲気も暗くなってて。そのうちに店長さんが入院しちゃってさ、結局店も畳んじゃって。もしかするとその頃から病気の影響あったのかもね」


 なるほど、それは確かに原因としてありえそうだ。

 夜遅くまでやる仕事だし、自分も体調には気をつけないと、と霜川は気持ちを新たにした。

 それからまた数ヶ月して、ちょうど半年を過ぎたくらいの頃である。


 どういうわけか店の客が減ってきたのだ。

 最初は気のせいかと思ったが、売り上げもだんだん落ちてきた。


 ひょっとすると客のほうが飽きたか、新たな店でも出来たのかと思い始めた。世見町は気が付いたらどこかの店が変わっているようなところだ。

 だが客は目に見えて減っていく。

 どうも空気も悪く、入ってきた客もすぐに出て行ってしまう。


 ――どういうことなんだ?


 誰かに嫌がらせでもされているのだろうか。

 此処に店を出すなということなのであれば、それにしては半年後というのがわからない。

 霜川も首をかしげていた、そんなある日のことだ。


 いつものように店に出ると、不意に視界に人影が映った。

 店の中、中央にひとり、ゆらゆらと男が突っ立っているのが見えた。ぎくりとしたが、霜川はこれでも昔は体育会系で通った男だ。腕っぷしには自信がある。


「誰だっ!」


 鋭く声を出す。

 しかし、男はゆらゆらと小さく左右に揺れるだけだ。

 一体何かと思っていると、その男がこっちを見た――いや、くるりと振り返った――もとい、こちら側へと揺れた。


 見た事のある顔が首を吊っていた。

 見た事のある顔が苦痛に歪んでいた。

 見た事のある顔が舌を出し、目を剥きだし、首を伸ばし、硬直し、失禁し、ゆらゆらち揺れていた。


 霜川自身がそこで首を吊っていたのだ。


「うわっ!」


 思わずがたんと椅子にぶつかると、途端に首吊り死体は消え失せてしまった。

 慌ててあたりを見回したが、それらしいものはなかった。

 ただ、首を吊っていたあたりだけが、椅子もテーブルもなく、床が妙にはっきりと見えていた。


 ――前の店主はあれを見たのだ。


 どういうわけか確信した。

 それから、首吊り死体は定期的に霜川の前に現れるようになっていた。最初のうちは店の閉まっている時間だったが、最後のほうにはとうとう客がいる時間帯に現れるようになっていた。

 他の首吊り死体だというならまだいい。だがこれは自分だ。


 開店からわずか一年後には霜川は次の場所を探し、そこで心機一転、店を開くことにした。

 惜しまれつつも前の店は閉まったが、どことなく「また次があるさ」という諦めにも似た感情が渦巻いているのがわかった。


 次の店である今の場所では、首吊り死体は出てこないという。

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