Tips6 百物語

 それは、ユエとの邂逅が既に片手では数え切れないほどになってきた頃のことだ。


「さて、きみの話は確か……六十話まできたかな?」

「ええ、やっとです。でも全然足りませんね」


 ぼくがため息をつくと、ユエはおやという表情をする。


「足りない? 半分をとうに過ぎたというのに?」


 そして、子供のように首を傾いでみせた。


「そりゃそうですよ。百物語といっても、本に載せる話は選別するつもりでいるんです。百話ぴったりで作るなんて無理ですよ」


 ぼくは懐から、今回の百物語用に使っている手帳を取り出した。


「たとえば、この五十九番目の話とか――見てください」


 ぼくは言いながら手帳を広げる。

 五十九の番号が振られた話は、かつて高所専門の清掃会社に勤務していた葛城という人物の話だ。窓の掃除中、突然転がってきた生首と目が合ってしまうという話だが、唐突さが否めない。

 もっとも、その真実も由来もわからない現象だけが起こるのが、実話怪談らしいと言えばらしいが。


「葛城さん自身のこともちょっと書いてありますが、このへんは正直、要らない話ですよね。だけど短くしてしまうと清掃中に生首と目が合ったというよくわからない話になってしまいますから」

「短くてもいいじゃないか」

「もちろんそうですよ、たまには短い話も無いと。だけど、本にした時に映える話かどうかは別でしょう」

「ふうん」


 ユエは鼻を鳴らすように言った。


「もしかして、ユエさんは勘違いしていたかもしれませんけど。本を作るわけですから、話の選別は必要ですよ。ですから、百話よりもっと必要なんです。そこから百話を厳選して……」


 言葉の途中で、ユエが手を伸ばした。手帳を手に取り、勝手に自分のほうへと引き寄せた。しかたなくぼくも手を離す。


「なら、この並びも変わると」

「並び……? え、ええ。そうですね、並びも変わります。……ともかく、百話を厳選して……厳選する必要があるんです」

「ところできみ、百物語は本来は九十九話でなければならない、というのを知っているかい?」

「えっ? そうなんですか?」


 突然ユエが話題を変え、ぼくは慌てて素っ頓狂な声をあげてしまった。

 話題を変えたこともそうだが、九十九話というのははじめて聞いたからだ。


「それは初めて知りました」

「だって百物語をしたら怪異が現れるんだよ? だから最後の一話は胸に秘めておく。それが百物語のルールだよ」

「……へえ」


 ぼくはそう相づちを打ったが、そのルールについては困ってしまった。

 何しろ、百話目にやりたい話だけはもう決めていたからだ。


「でも……百話目は何の話にしようか、もう決めてるんですよ」


 ぼくは食い下がるように言った。

 これは本だ。

 一人一人が語り合い、ろうそくを吹き消すという百物語とは勝手が違う、という意味を含ませたかったからだ。


「へえ。一応聞いておこうか。何の話だい?」

「そりゃあ……世見町の怖い話というコンセプトですからね。世見町に昔から伝わる、赤い井戸の話をしようかと」


 その時、ユエの表情が一瞬こわばったのを、ぼくは見逃さなかった。

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