第三十九夜 割のいいバイト

「なあ、頼むよ、もうちょっとだけ待ってくれ」


 中川は今にも土下座しそうな勢いだった。

 相手は渋い顔でそれを見ている。


「もう少しすればバイト代も入るし、それまで待ってくれよ。な? な? 俺を助けると思ってさ。今は金がないんだって。俺が死んだら返すものも返せないからさあ!」


 借金の原因は明白だ。贔屓にしているキャバクラの女の子が誕生日パーティを開くからと奮発したのだ。まさか有名ブランドの鞄があんなに高いだなんて思わなかった。ただでさえ値段の張るブランドに、いい顔をしたいという欲望が重なった結果、自分ではとうてい手の出ないような値段の鞄を貢いだ。

 このままでは普段の生活すら、友人たちからの借金だけでは立ち回れない。


 相手はため息をついた。


「そんなこと言って、最初に俺から借りた三万円だってまだ返してないじゃないか。わかってるのか? もう二桁を越えてるんだぜ」

「それはわかってるよ。だからこうやって頼み込んでるんだ、お願いします!」


 中川はとうとう膝をついて土下座をした。

 それでも相手は渋い顔だった。


「……仕方ないな」

「じゃあ!」

「その代わりだ。俺の先輩からの紹介なんだがな、ちょっとしたバイトがあるんだ。そのバイト代が結構いい金額なんでな、それで払ってもらうぞ」

「バイトだって? 今だってバイトしてるのに……」

「そんなことが言えた立場か?」


 声は冷ややかだ。中川は慌てて「冗談だよ」と付け加え、へらへらした笑みを返した。


「それで、なんだよ。まさか体を売れとかいうんじゃないだろうな」

「全然わかってないな。選り好みしてられると思ってるのか」


 相手に睨まれ、中川はぐっと言葉を飲む。

 取り出したスマホでどこかに連絡している。微かに聞こえる


「まあでも安心しろ。肉体労働ではあるけど、そんなのじゃねえよ」


 そういう風にして、翌日連れてこられたのは世見町の一角だった。

 紹介されたのは中年の男だった。なんでも中川の知人曰く、先輩の知り合い、という微妙な間柄で、会ったことはないらしい。


「ああ、バイトでやってきた子だな」


 見た目は怪しいが、ニコニコと笑うさまは人好きがしそうだった。


「やってもらいたいのは軽作業だ。この建物、取壊すことになっててな。その前に荷物を全部下ろしてもらいたいんだ。時間になったらトラックでもう一度来るから、それまでに一階に下ろしてくれると助かる。何だったら、中に泊ってもいい」

「いいんですか?」

「もちろん。本当は一日くらいで一気にやりたいんだけど、どうも人件費がね。その代わり、三日間にわけてやることになった。報酬もそのぶん弾むよ」


 そのほとんどを借金の返済として取られるとわかりながらも、中川は期待に胸を躍らせた。

 中に入ると、ゴチャゴチャとした荷物が雑然と残されていた。

 一応、ということで二階まで見て回ると、そこにも荷物が残されていた。一階が事務所のような雰囲気なのに対して、二階は客間のようにして使っていたらしい。


「どうすっかなあ。一階にも二階にも……荷物がありやがる」


 先に二階の荷物をどうするか考えたが、それはやめた。一階より二階の荷物が多かったから面倒というのもあったが、ひとまず一階の荷物を外へ出し、それから二階の荷物を下ろしたほうがいいだろう、という結論に達したのだ。

 一階の荷物を見ると、途中まで梱包されていたものもあった。

 何かの会社が入っていたのか、梱包ではなく段ボールのまま入れられているものもあった。何か面白いものは無いかと思ったが、中川には理解ができない書類ばかりだった。


 ――ってか、こんなの赤の他人にやらせていいのかよ。


 もしかすると夜逃げの類だろうか。

 経営が傾いて、必要最低限のものだけ持って逃げ出したとか、そういうことかもしれない。ともすれば金目のものや、後から使えそうな資料なんて期待できそうになかった。

 とにかく全部運び出すとのことなので、中川はとにかく机の上にあったものを適当に梱包しはじめた。


 机や椅子はそのままでいいと言われたので、ひとまず中に何か入ってないかだけを確認して放置した。

 時間になるとさっきの男がやってきたので、中川はその机や椅子と、梱包した段ボールを玄関まで運んだ。トラックが一杯になると、中川は今日の作業を早々に切り上げて寝ることにした。

 二階に置かれたソファに寝転がり、スマホのゲームを起動させる。


 ――しっかし、ボロい商売だなあ。世の中のバイトがみんなこんなんならいいのに。


 中川は本来入ってくるはずの金額を思う。


 ――せめて半分くらい俺のモノにならねえかなあ。


 借金なんて碌なものじゃないが、返すのも億劫だ。どうにか借金がチャラになる方法は無いものかと考える。

 そんな時だった。


 ぎしっ。


「ん?」


 部屋の外の廊下から、妙な音が聞こえた。

 古いから家鳴りでもしているのかと思ったが、誰かが歩いているようでもある。


 ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。


 ――なんだ? 誰かいるのか?


 思わず上半身を起こし、あたりを見回す。

 気のせいかと思ってまた寝ようとしたが、ウトウトしてきたあたりで再びあの音が聞こえてきた。


 ぎしっ、ぎしっ。


 ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。


 ――な、なんだ。一体なんだよ?


 扉の向こうに誰かいるっていうのか。

 中川はもう一度上半身を起こして耳を澄ませる。そのまま立ち上がり、そっと扉に近づいた。

 もしかしたら、中川に仕事を斡旋した中年の男が入ってきたのかもしれないと思ったのだ。彼を驚かせるのと、自分が驚いたのだと理解させるために、大声を張った。


「誰だ!?」


 中川は意を決して扉を開けた。だが、予想に反して廊下はしんと静まりかえっていた。

 向こうには誰もいない。


「え……」


 ――気のせい?


 急に不気味になってきて、首を傾ぎながら扉を閉める。

 ソファに戻ろうとした、そのときだった。


 どんっ。


 という、さっきとはまったく違う音がした。


「え」


 振り返った瞬間、扉が小刻みに揺れながら叩かれた。


 どんっどんっどんっどんっどんっどんっどんっどんっ!


「う、うわ……」


 扉から離れても、顔が引きつっていくのが自分でもわかる。

 中川はソファに戻り、小汚い毛布をかぶって震えるしかできなかった。

 その間も扉は執拗に叩かれ続け、扉は小刻みに震え続けた。


 ――やめろ、やめろやめろ! ふざけんな、こんなん聞いてねえよ!


 結局朝まで一睡もできず、日が差し始めたころに、ようやく音は止まった。それと同時に、中川も気絶するように眠った。


 目を覚ますと、急いで男の連絡先に電話をした。怒鳴り散らすようにしてどういうことかと尋ねると、先方はむっつりと黙り込んだまま、最後にぽつりと、もう作業はいい、報酬は払うとだけ言った。

 電話はそれきり切れてしまい、何度かけ直しても

 翌日になってやってきた相手は、難しい顔をしていた。


「どういうことですか!」


 中川は息も荒く尋ねたが、男はそっと膨らんだ封筒を渡してきた。それは十万どころではなかった。ぐっ、と声がつまる。


「もうこれでおしまいだ、何も聞くな。その代わりにお前も何も言うんじゃない。こいつは口止め料でもあるんだ」

「で、でも、なんかあるでしょ。ねえ……」

「二度とは言わないぞ。わかったらとっとと失せろ」


 ちらりと見ると、衣服に隠れた腕からちらりと刺青が見えた。見た瞬間に、ふっかけてやろうとした気持ちはスッと醒めてしまった。代わりに別のものが沸き起こってくる。

 一番恐ろしいのは人間だ。

 この建物で何があったにしろ。


 中川は膨らんだ封筒だけを手にして、逃げるようにその場から走り出したのだ。

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