第二十三夜 シネマ七不思議・映写室
世見町に鬼王シネマがあった頃、七不思議のひとつに映写室の不思議があった。
かつてそこで働いていた老人・近井は、それらしいものを見たことがあるという。
それは近井がまだ二十そこそこの青年だった頃のこと。
近井はほとんど家出同然で東京まで出てきており、映画館の清掃の仕事を手に入れられたのは偶然だった。
清掃の仕事は数時間程度だが、朝が早い。特に鬼王シネマは早朝からやっていたので、まだ暗いうちから仕事が始まり、早朝というよりほぼ深夜の延長のようだった。
いつものようにスクリーン内の座席の間をチェックしながら、ゴミや忘れ物を拾い上げていく。腰をあげてなんとなしに映写室のほうを見上げると、おやっ、と思った。
映写室の窓に、動く人影がある。
映写係も遅くまで、あるいは早くから仕事をする人たちである。近井からすればわけのわからない機材の並ぶ映写室の清掃は、映写係の仕事になっている。そのため基本的に近井は立ち入らない。せいぜいそこから出たゴミ袋を回収するくらいである。
しかし、電気も点けずに何をしているのだろうか。
近井がそのまま見ていると、やがてぺたりと窓に手が張り付いた。
――な、なんじゃあ?
窓に映っていたのは真っ黒な人影だった。
窓に両手をべったりと張り付かせ、こっちを見ているようだった。
その途端、全身から鳥肌がブワッと立ち、金縛りにあったように動けなくなった。高さがあるからはっきりとは見えないのだが、そいつには顔というものがなく、真っ黒だった。輪郭もぼんやりしていて、こっちを覗いている。
これ以上見たら気付かれる。
だが、どうしても目を離せない。
離そうと思えば思うほど、目が吸い寄せられてしまう。
スクリーン側は電気を点けているので明るいのだが、それでも脂汗がたらりと垂れ、こみ上げてくるものを抑えきれなかった。
近井はなんとか声を出そうとしたが、喉が潰れてしまったかのように動けない。
――もうあかん。
すると、急にパッと映写室の電気がついた。
誰かが入ってきたらしい。
人影は消えていて、やがてばたばたと映写室の中でちゃんと生きた人間が動き始めた。ぽたりと近井の頬から汗が落ち、カーペットを湿らせた。
この映写室に関する話はそれだけではない。
近井がゴミの回収のために映写室の前を通りすがったとき、ボソボソと人の話す声が聞こえた。
そのときももう人がいるのかと思ったので、ノックをした。
ところが返事はなく、話し声はピタッとやんでしまった。
おかしいなと思っていると、突然後ろから話しかけられた。
「ああー、なんだよもう来たのかよ」
その声に振り返ると、映写係の男が慌ててやってきたところだった。
「遅刻しちまってよ。まだ俺が最初なんだよ、だから後でもっかい来てくれ。このことは内緒にしといてくれ。なっ?」
男が矢継ぎ早にそう言うので、近井は呆然としてしまった。
それから、時折映写室では人影がうろついているのがたまに見えた。その人影は稀に上映の前後にも現れたらしく、映写室を見上げて目を見開いている客を見たことがあった。あそこに何がいるのかはわからないが、結局映写係に教えることはなかったという。
だが後から思い返すと、映写係は妙に新しい人が交代するサイクルが早かったように思う。
世見町という場所柄かとも思ったが、おそらくあれは――。
映写室の中で直接、見えていたのだ。
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