Tips2 世見町と怪談
世間での世見町の印象といえば、裏表はあれど繁華街のイメージが強いのではなかろうか。
夜中までネオンが光り、深夜まで明るい町。
賑やかで、怪談とはあまり結びつかないように思う。
だがその町の成り立ちにおいて、たびたび怪談が登場するのはご存じだろうか。
ここで改めて世見町と怪談に関する興味深い話をしようと思う。
世見町はもともと、江戸時代に作られた宿場町「黄奥武宿(きおうしゅく)」の一角だ。
この名は現在、東京都鬼王(きおう)区として受け継がれている。
黄奥武宿自体は繁栄したが、色町として発展したこの一帯は治安や風紀はすこぶる悪かった。たびたび取り潰しの騒動となったほどだ。
だがそのたびに生き延びた世見は、昭和のはじめまででたらめに改装が続けられた。昔の地図を見ると、さながら迷宮のようである。特に、町にあった井戸にはたびたび女郎が身投げしたとか、女郎の孕んだ赤子が投げ捨てられたという噂があり、実際に幽霊を見たという話まで残っている。
この怪談がポイントだ。
実はこの井戸の幽霊話、現代まで続いているのである。
さて、その前に東京には大きな転機が訪れる。
第二次世界大戦末期の、東京大空襲だ。
東京は火の海となり、入り組んだ構造の町は、あっという間に逃げ遅れた人々で溢れた。
火が去ったあとには、唯一残された井戸に焼けただれた人々が群がっており、この世の地獄が広がっていた。中には幽霊が歩いていたとか、子供の泣き声がしたとかいう噂まであるほどだ。
注目しておきたいのは、ここでも井戸の話が残っていることである。
焼け野原となった町は今度は復興へ向かうわけだが、ここでも紆余曲折がある。
かつて迷路と揶揄された元・花町は、健全な文化・芸能の中心地とされるべく区画整理が進んだ。ところがこの計画も途中で頓挫することになる。
件の井戸を取り壊そうとした際に次々と事故が起こった……という井戸の怪談が残っているが、これに関しては正直眉唾ものだ。
それというのも、当初の中心人物だった斉藤孝二郎氏が誘致した文化博覧会の失敗が原因とわかっているからだ。金銭的な苦境に立たされた氏の代わりに、新たな商店街振興組合と興行三社(後に四社)がともに事業を引き継いだ。
鬼王区世見町と名を改めた場所には、有名な鬼王シネマ(映画館)や芸術劇場が作られた。しかし人が集まることによって次第に売春街としての側面が現れたのは、当初の計画を思えば皮肉なものだろう。
更に昭和六十年の新風営法の施行により、既得権を得ようとした性風俗店が乱立。ますますそれは強まっていく。
近代化によって潰えたかに見える井戸の怪談だが、実はその名残がある。
現在、かつての映画館、鬼王シネマの跡には天映の新たな映画館が建設されている。それに伴って周囲の老朽化した建物も様々な娯楽施設へと移り変わり、世見町はかつての性風俗街から、エンターテイメント街へと生まれ変わろうとしている。その代わりに奥へ奥へと追いやられた風俗店は、中心地でさながら迷宮めいてきている。
かつての花町のように。
その中に、奇妙な話がある。
迷宮の真ん中に不思議な井戸が現れるというのだ。誰かが下から覗いているとか、赤子を引きずった幽霊が出るとか、井戸に取り込まれると戻ってこないとか、噂は色々だ。
さながら花町時代から残された人の業のようなものか。
人が変わり、都市が移り変わっても、変わらぬものは確かにそこにある。
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