二人乗り、駅へ行こう

 朝食をフードファイターさながらの早食いで片付け、戸締りをして外に出ると、自転車の前で待ち構える姫光の姿があった。

「さぁ、早く乗って大和。光の速さであたしを駅まで送ってちょうだい」

 姫光はどうやら我が家まで徒歩で来たらしく、周辺に俺の自転車以外ない事を考慮すると自転車の二人乗りを強行しないと俺か姫光のどちらかが確実に遅刻する状況になっていた。

「まさかとは思うけど、あたしに歩いて行けとか酷いこと、大和は言わないわよね?」

 有無を言わせずというか、もはや問答無用だった。

 自転車の二人乗りは道路交通法違反なんだよなぁ……。悪質だと場合によっては罰金もあり得る。

 しかし、だ。背に腹はかえられない。

「……分かったよ。姫光の仰せのままに」

「うんうん。やっぱり大和は話が分かるわねー」

「へいへい。じゃあ、行くか」

 前カゴに二人分のスクールバッグを入れ、先に俺が自転車にまたがる。

「先に言っておくけど、これは“仕方なく”なんだからね? そこんとこ勘違いしないでよ?」

「あ? 何が仕方ないって──」

 そう訊き返した瞬間、胴体に回された腕と背中に当たる柔らかい感触を背中で感じて、俺は思わず言葉を詰まらせる。

「…………」

 俺は今日初めて自転車の二人乗りで言い様のない背徳感を覚えた。

 背徳感。

 読んで字のごとく道徳に背いた感覚。

 後ろめたさ。後悔。罪悪感。類語だとそんな感じだろう。

 間違っても背中に徳を感じるから背徳感という訳ではない。

 徳というより、この場合は『とくをする』の得が字面的にしっくりくるだろう。

 役得による背徳感。

 背得感。いや、そんな単語は無いけど。

 自転車の二人乗り。役得。背徳感。

 幼馴染の豊満な胸。

 これらのワードから導き出される答え、それは──。

 自転車の二人乗りのせいで姫光の胸が俺の背中にがっつりと当たっている。

 不可抗力で背中に胸が『当たっている』のか、自らの意思で背中で胸に『当たりにいってる』のか判断に困るところだが。

 いや、むしろこれは姫光が胸を背中に『当てている』が正解なんじゃないだろか!?

 真相は分からない。

 分からないけど分かることが一つだけある。

 この程度の苦難(ご褒美)に狼狽うろたえている様では姫光と付き合うことは一生叶わないだろう。

「……もう、何意識してんのよ……大和の馬鹿」

 ポツリと。

 背後から姫光の呟きが聞こえる。

「早く行ってよ」

「あ、ああ……」

 姫光の催促が耳に届き俺は自転車のペダルに足を掛ける。

「……悪い。なるべく揺れない様に安全運転で行くからな」

「ん、分かった」

 そんな感じのやり取りを経て、気まずい雰囲気のまま自転車を走らせる。

 姫光と自転車の二人乗りをするのは別に今日が初めてというわけではない。

 中学時代は姫光の奴が徒歩通学だったから。ワガママなお姫様は中三の『あの夏』が来るまで割と高頻度で俺に自転車での送迎をお願いしていた。

 昔と今で変わった事と言えば。

 姫光の身体つきが経過した月日の分だけ成長したことだ。

 本当に良く育ったと思う。

 姫光は昔から同年代の女子と比べて(誰とは言わない)発育が良かったけど。ここまでたわわに実るとは正直予想外だ。

 やっぱりここら辺は母親の血の恩恵なんだろうな。

「……大和、なんか喋ってよ」

 姫光はモニョモニョと。

「アンタまで無言だと、なんか気不味い……」

 そんな事を呟く。

「……急になんかって言われてもな」

 気不味いのは全面的に同意するけど。

 いや、この場合は『気恥ずかしい』が正しい表現なのかもしれない。

 さっきから背中が羞恥心と劣情の板挟みになって非常にむずがゆい。

 むず痒いけど。嫌じゃない。

 可能ならば、もう少しゆっくりと、緩やかに時間が過ぎて欲しい。

 時間が止まって欲しいって思うのは身勝手すぎるから。

「……たまには何にも喋らないってのもありなんじゃねーか?」

 我ながら臭い台詞だと思う。

 いや、決して話題がないとかトークするのが面倒だとか、そういうのじゃ無いから。本当だからね?

「何よ、それ……大和の癖に、そういうの何かズルい」

 姫光は暫しの沈黙の後「分かった」と呟き、ぎゅーっと少し強めにしがみつく。

「…………」

 もういっそ、学校に行くのを止めて、このまま何処どこかに遠出したい気分だった。

 控えめに言って俺は最高のひと時を満喫していた。

 俺史上最高の朝だった。

 だけど。

 現実は時に無情で非情な一面を俺に見せ付けてくる。まざまざと、これ見よがしに。

 幸せな時間はそう長くは続かない。始まりがあればいつか必ず終わりが来るから。

 白昼夢はもうすぐ終わる。

 五月二十六日、午前七時五十分頃。

 目的地の直江津駅まで残り200メートルくらいの辺りで見覚えのある人影が目に入った。

 気品のある立ち姿。白いブラウスに紺色のスカート。漆黒のタイツに包まれた美脚。前髪で右目が隠れた黒髪のミディアムボブ。

「……ねぇ、あれ伊織じゃない?」

 姫光の問いで向かい側の道路にいる人物が知人だと悟る。

「……ああ、そうだな」

 流れる風景の中で姿勢の良い歩き姿が妙に際立って見える。

 それはおそらく、横を通り過ぎるまで彼方あちら此方こちらをジッと見ているからだろう。

「珍しい。あの子っていつも一本早い電車に乗ってるわよね?」

「……ああ、そうだな」

 本当に珍しい。

 あの時間に正確でクソ真面目な委員長様が寝坊とか、今日は空から雪でも降ってくるんじゃないだろうか。

「思ったんだけどさ」

 と、姫光が唐突に。

「何でアンタと伊織って『今も』仲が悪いの?」

 そんな事を俺に訊いてきた。

「……何だよ。やぶから棒に」

「べつに、ただ気になっただけ」

「…………」

 何で、か。

 正直な話、自分でもよく分からない。

 明確な理由は最近まであったはずなんだ。

 委員長様も俺を犯人扱いしていた。アイツも姫光の事を見捨てた偽善者だから。

 何よりもアイツが俺に険悪な態度を取り続けていたから。

 でも。

 今はその理由も意味をなさなくなってしまった。

『ボクは君が犯人じゃない事を最初から知っていたから』

 あの夜、伊織に言われた言葉が脳裏をよぎる。

「…………」

 あれは、どういう意味なんだ?

 何であのタイミングでそんな事を言ったんだろう。アイツの意図がイマイチ読み取れない。

「で、結局どーなのよ?」

 再度の質問に俺は。

「悪い。もう少し考えさせてくれ」

 ちゃんと話すから、と姫光にそう返した。

「ふーん。そっか、分かった」

 意味深な感じに返す姫光。

「ねぇ、ちょっとスピード落として」

 そう言って姫光はポンと俺の肩を叩く。

「ん? 何するんだ?」

 疑問に思いながらも、言われた通り、ブレーキをかけて歩くくらいの速さまでスピードを落とす。

「よっと」

 あろう事か、姫光はピョンと自転車から飛び降りた。

 瞬間、赤いチェック柄のスカートがふわりと宙に舞うのが目に入った。

「っ!?」

 スカートのすそから覗く色白の太ももに思わず視線が釘付けになる。

 スカートの裾がゆっくりとスローモションで動いている。見えそうで見えないギリギリのラインを維持してハタハタと風にたなびいていた。

 そんな風に見えたのは、俺が今までの人生の中で一番の集中力を発揮していたからだと思う。

「あたしは先に行くから、アンタも早く来なさいよ?」

 姫光はクルリと振り返ってそう俺に告げた。

「お、おう。分かった……」

 結論から言ってパンツは見えなかった。

 見えなかったけど。

 それでも、良いものが見られたのは間違いない。

「……ほんと、お姫様はおてんばだよな」

 遠ざかる姫光の背中を見送り、俺はそんな事をぼやく。

 そして、自転車を置くために駅の駐輪場に向かう。

 自転車をいつもの所にめて二人分のスクールバッグを担いでトボトボと駅の入り口を目指す。

「…………ん?」

 駅の入り口付近で漆黒のタイツが俺の方に向かってテクテクと歩いて来るのが見えた。

「……げっ」

 嫌な予感がする。

 自転車の二人乗りは立派な規律違反だから。

 アイツにとって規律違反は悪事と同義だから。

 また口うるさくガミガミと説教される。そう思っていた。

 けど。

 漆黒のタイツは──委員長様はスッと俺の前を通り過ぎ、素知らぬ顔で駅の中に消えて行った。

「…………」

 拍子抜けというか、身構えていて損をしたというか。

 肩透かしを食らって呆気あっけにとられる自分がいた。

「……嘘だろ。あの委員長様が悪事を前に素通りとか……あり得ないだろ」

 本当に珍しい。

 珍し過ぎて逆に怖い。

 アイツ、何かあったんじゃないだろうか?

 言い様のないモヤモヤを胸の内に抱え、俺は姫光の待つ駅ホームに向かった。

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