夕方、逢魔が時の邂逅

 電車の車窓に視線を向けると茜色に染まった夕日が目に映る。


 午後六時頃、帰りの電車。

 委員長様のありがたいお説教のおかげで帰りの電車はいつもより三本も遅い夕日が見える帰宅ラッシュの時間帯になってしまった。


 片田舎の電車なんて通勤ラッシュの時間帯以外は基本的に一時間に一本だから。一本でも乗り遅れると嫌でも一時間待たされるのが地味に辛い。


 しかしながら、電車通学も二年目に突入すると待ち時間の潰し方も妙にこなれてきて、一時間程度ならスマホさえあれば何の苦も無く過ごせる。


『昨日のこと、考えておいてくれよな』

 親友から送られてきたトークアプリ内のそんなメッセージにどう返信すれば良いか悩むだけで小一時間。我ながら意気地が無いというか何というか。うじうじ悩み過ぎなんだよなぁ俺。


 このメッセージを既読スルーするのは簡単だ。

 既読スルー程度で壊れる友情ならとっくの昔に失っていただろう。


 でも、このメッセージに込められた親友の想いを深読みすると安易にスルー出来ないのもまた友情であり心情なのかもしれない。


 人情に厚い。俺ではなく健の方がだ。

 健は一貫してずっと俺の味方をしてくれた。


『何言ってんだ! 大和が犯人のわけねーだろ!』

 中三の夏休み直前である終業式のあの日。俺が断罪されたあの時。健は俺を糾弾した『王子様』の前でそう言った。

 そう言ってくれた。

 たった一人で俺の無実を訴え続けてくれた。


 不覚にもあの時「やべぇ、健マジイケメン」と心の中で呟いてしまった。

 同性の俺がうっかり惚れそうになるくらい、あの時の健はとてつもなくカッコよかった。

 勇者とか英雄って呼ばれる人物は、きっとこういう奴なんだろうな。たった一人で複数を相手取る。理不尽な数の暴力にあらがう姿勢に感銘かんめいを受けた。


 健の友達であることがほこらしく思えた。

 お前が幼馴染で本当に良かった。

 好きだよ健。

 許されるならこれから先もずっと仲良くしていきたい。素直にそう思う。

 健本人には照れ臭くて面と向かって言えないけど。


「…………」

 うん。

 我ながらキモい独白をしてしまった。

 同性相手に好きって。

 表現としては間違っていないけど、なんか違う。友愛と純愛の違いだろうか。愛情と友情は似て非なる物だから。


 考え直すと自分のキモさに鳥肌が立つ。

 まぁ、それはそれとして。

 結果的に健一人の弁護で判決がくつがえることはなかった。


 俺を犯人たらしめる物的な証拠が無いのと同じで、俺の無実を証明出来る物的な証拠も無いから。


 なにせ俺には信頼とか人徳とかそういうものが無いから。

『ごめんな大和。おれ、雪雄や伊織みてーに頭良くねーから』

 そんな健の謝罪に胸が痛くなった。

 健は俺の姫光に対する『想い』を知っているから。それを告白しないで容疑を否定するのが難しかったんだと思う。


 否定材料にそれを言うと、また別の面倒臭い問題が発生すると思ったんだろう。

 健は何だかんだで空気が読めるから。

 健の希望としては夏に『みんな』でデッケーことをやって、和解するきっかけを作れれば良いなと考えているんだろう。


 その気持ちは嬉しいよ。

 俺だって可能なら元に戻りたい。

 だけど。

 今日の委員長様とのやり取りで出来た溝の深さってヤツを改めて実感した。

『考えておく』

 そう一言だけ書いてメッセージを送信する。


「…………」

 いや、これ駄目なやつじゃん。

 約束事で『考えておく』と『行けたら行く』は大体やらないパターンだろ。

 まぁ、でも可能性はゼロでは無い。これでいいのかもしれない。


 ラァイン、と。

 トークアプリの通知音で即レスが返って来た事を知る。

 返信早っ。まだ一分も経ってないぞ。

 流石、友達が多い奴はトークアプリの管理能力が高い──。

『分かった。姫光に声かけておく』

 その一文を見て身体がピキッと硬直する。

 いや待て健、お前絶対分かってないだろ!

 何でもう俺が参加するの前提で話が進んでるんだよ!?

 考えておくは曖昧な返事であって了承したわけじゃないからな!


 即座に『待て早まるな』と返信をしたら数秒も経たずに即レスが返ってくる。

 返信内容はスタンプだった。

 いかにも『俺に任せておけ』と言いたげなスタンプだった。


「…………」

 たけるぅぅぅぅぅ!!!

 お前の事は好きだけど、好きだけど! それはちょっと迷惑かな!

 俺にも心の準備とか色々あるから!


『安心しとけ。姫光にはまだ話してねーし、まだ話さねーから』

 そんなメッセージに続いて。

『姫光のやつ、今日風邪で学校休んだみてーだから何も話せてないし』

 俺はそれを見てからスマホをそっとポケットに仕舞う。


「……ふぅ」

 安堵あんどのため息を吐き、ふと思う。

 やっぱり健は空気が読める。

 というか、姫光のやつ、学校休んだのか。

 風邪をひいている様には見えなかったけど。

 まぁ、でも流石に自分の家には帰っただろ。


「次は終点、直江津なおえつ、直江津です──」

 行きはともかく、帰りは終点だから。意識が上の空でも、うっかりして乗り過ごすことも無い。自宅からの最寄り駅が始発、終点駅だとこういう所が地味にありがたい。


 電車が終着駅に止まり車内にいる人の群れがゾロゾロと蟻の行列の様に外へ出て行く。何時もの如く人混みに揉まれるのが苦痛だから。車内の開かない方のドアから茜色の空を見上げて人が流れ出るのを待つ。


 夕暮れ時の午後六時頃。それはつまり黄昏時であり逢魔おうまが時でもある。

 逢魔が時、魔にう時間帯。

 この『逢う』という字は本来なら親しい間柄の人物と会う時に使う文字だ。

 なのに。

 魔という文字には不吉な者や災いをもたらす厄災の意味が込められいる。

 こうして逢魔という文字の組み合わせを分解して意味を調べると矛盾している様に感じる。


 厄災と親しい間柄になった覚えはない。

 いや、かつては親しい間柄だった。親しかったはずなんだ。


「よぉ、久しぶりだな青海」

 駅ホームの出口で正面からそんな言葉をかけられる。


 西の空が血の様に赤く染まる逢魔時の駅ホーム。そこで俺はずっと避け続けていた『見たくない顔』である『王子様』の声を約二年ぶりに聞いた。


「お前にちょっと訊きたいことがあるんだけど」

 駅ホームに逃げ道はない。

 退路が無いなら向き合わなくてはいけない。

 目を背けていた現実と。

 意を決して、現実と向き合い、逃げる事を止める。


 それは俺の青春にとって大きな転換点ターニングポイントだった。

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