透明な鍵

 操りだって……

 何がそうだというのだろうか。

 暗号に挑んでみたが解読に漕ぎつけることができず、俺がやったことはと言えば、出題編を書いてカクヨムにアップしたことだけだ。頭を悩ませてもわからなかったからこそ他人の力に頼ろうとしてカクヨム作家たちに委ねるという選択肢を取った。それは俺が自発的に行ったことだ。郁子香の意志は介在していない。


 いや、そうではない。

 自分がどこから着想を得たのか俺は思い出す。

 郁子香の『五十円玉二十枚の謎』という言葉によってひらめきはもたらされた。その単語を出してきたのは彼女だったではないか。多重解決についての会話において、彼女にしては雑な理屈だという感想を抱いたが、タイトルを引っ張ってくるために無理に話を運んだせいだとすると納得できる。急ごしらえで筋が杜撰になってしまったのだろう。


 まんまと乗せられて俺はカクヨムに出題編を載せてしまった。結果として『栂森メチルは安楽椅子がお好き』が郁子香によって腐された。操りの成果としてそれが引き出されたということは、俺の小説を読むことが目的だったのだろう。


 出題編の執筆と公開を引き出すことができれば、そこから俺の小説へ至るのは簡単だ。集合知ではないがネットの力を利用して自力で解けなかった暗号を解こうとしたため、当然のことながら出題編の本文には暗号そのものが含まれている。

 郁子香は暗号を知っていた。検索すれば一発で出題編を引き当てることができる。


 もちろん、彼女の目論見通り『五十円玉二十枚の謎』に触発されて俺が出題編をネットに投稿するとは限らない。カクヨムではなくTwitterに写真を載せるようなパターンだってありえたし、そもそもネットに頼るという発想にならなかったかもしれない。だが、思い通りの結果を引き出せなかったとしても、再度なんらかの方法によって俺に働きかければよい。チャンスはまた別に作れば問題ない。たまたま、一度で成功したというだけの話なのだろう。


 ネタに餓え、更新の滞っていた俺はカクヨムに書けるものができると食いついてしまった。それが特定につながる行為などとつゆほども想像しなかった。ひらめきは行き詰まりを解消する突破口となってくれるかもしれないが、それ自身が目を曇らせる色眼鏡となってしまう場合もある。物語を書くのに向いていると指摘されたとき俺はそう反省したではないか。そのそばから視野狭窄に陥っていては目も当てられない。


 俺が暗号をネットにアップするようにけしかけた。

 それこそが郁子香の行ったことだった。


 俺のアカウントを特定するための操り、その大本であるところの暗号は誰が書いたのだろうか。

 ノートに書かれた赤い九つの文字を用いて俺のアカウントを特定でするというアイデアから『五十円玉二十枚の謎』の名前を出す。暗号自体が郁子香の手によるものである必要はない。彼女の説のように、誰かが郁子香に暗号を送ったが解読できなかったという状況さえあれば、その手段をとることはできる。


 犯人と郁子香の間に齟齬がありメッセージのやりとりが失敗したというのはあくまで郁子香が主張した推理でしかない。確たる証拠があったわけではない。暗号が解ける可能性もあったはずだ。


 あの放課後、もう少し見当してみるつもりだと俺は渡り廊下で郁子香に告げた。もし俺が自力で暗号を解読できてしまったら出題編を書く意味はなくなる。あの時点では、出題編を書く可能性も書かない可能性も両存していたはずだ。


 彼女の企みが成功して出題編を書いたかどうかは、暗号で検索すればわかる。クローラーが巡回しているとはいえデータベースに登録され検索結果に反映されるまではある程度の時間を要する。その間は検索してもヒットせず、彼女の意図通り俺が動いたかは見極めようがない。


 だというのに、郁子香はあれから一度も暗号が解けたかどうか俺に尋ねもしなかった。まるで

 自分で暗号を作ったから、それが解けないものであると郁子香はわかっていたのではないだろうか。


 そこまで考えたところで俺は気づく。誰かによって書かれた暗号が存在したか、郁子香の完全自作なのかはどちらでも良いのだ。

 この操りが成立するための条件は暗号が解読不能であることだ。ならば、解ける可能性はできうる限り排除する必要がある。


 第三者によってノートに記された暗号から操りを思いついて実行した場合、解読できる可能性が残ってしまう。そのまま利用すれば俺が解いてしまうかもしれない。

 解ける可能性を減らすには改竄しかない。

 暗号鍵がわかっていれば絶対に解けないもの、解読後に意味の通る言葉にならないものに書き換えられる。郁子香自身が解けなかった場合にしても、適当に文字を入れ替えれば解けない可能性はぐっと上昇する。


 オリジナルの暗号が存在しようがしなかろうが、どちらにせよ俺が目にした暗号には彼女の手が入っている。解読不能な偽の暗号として郁子香が作ったものなのだ。

 そう、だからこそ解ける可能性がないと彼女は把握していた。


 犯人がミスをしたという推理を披露して解読を投げ出すポーズをとっていたが、郁子香は、眼の前に謎があって簡単に投げ出すような性格ではない。読者への挑戦状があれば躍起になって犯人を、トリックを当てようとするのが郁子香だ。いつぞやなど、その必死さに部員たちから呆れ、半ば強引に解決編へと進ませていたではないか。

 他人の作った暗号ならば、解けないと証明することはできない。悪魔の証明になってしまう。逆に言えば、解ける可能性は残り続ける。

 にも関わらず諦めたように振る舞ったのは、事実解けないからであり、そして俺に解けないと印象づけるためだったのではないだろうか。

 

 偽の暗号を用い最初からすべて計画して俺を操るつもりだったのだとすると、あのときの反応もしっくりくる。


 完全下校時刻の放送が流れ帰宅しようとしていたときのことだ。

 もう帰るのかと郁子香は驚いていた。時間になって部室の戸締りをするというのは部長の俺としては同然の行いで、いつもと同じように動いただけだった。一緒に部室を出ることも多い郁子香もその日課を把握している。だというのに、彼女は驚き慌てた。

 校内放送を耳にしてというのならば、そんな時刻になっていたことにびっくりしたとして納得できるが、そうではなかった。彼女の驚愕は、俺が帰り支度をしていることに対して、俺が帰ろうとしていることに対してだった。


 あれはなんだったのだろうか。

 本来はもう少し早く『五十円玉二十枚の謎』というキーワードを口にするつもりだったのではないか。思いのほか時間を食い帰る時間になってしまい、このまま帰宅されては計画が崩れると慌てた。そこで彼女は逡巡する様子を見せた。それは、まだチャンスはある、通学路を辿りながら会話をして俺をたぶらかせばいいというような思考がなされた時間だったのではないか。


 あるいは、点字からコードへの変換を総当たりするのを想像し項垂れる俺に「レイ兄」と呼びかけたときの違和感。

 郁子香らしくないと感じたのはなぜか。それは演技だからではないか。相手を詐術にかけようとするとき、真意をひた隠しにして偽の真相のもと動いているという演技を求められる。


 たしかに、オタクモードの入った彼女は、暗号をめぐる俺との対話を楽しんでいたように見えたし、実際、楽しんでいたのだろう。しかし、それは暗号を一緒に解くというベクトルではなく、操りとして、ある種のコンゲームとしての駆け引きを面白がっていたのではないだろうか。俺の視点からすれば、彼女の二つの楽しみを峻別するのは難しい。何に気分を高揚させているのかをオタクモードの発動によって糊塗する、そこまで彼女が計画に盛りこんでいたのかはわからないが、ともかく俺はそれらを混同した。


 裏から表から会話の手綱を握り、俺をコントロールしようとするのならば、ただ流れに身を委ねてそれを楽しんでばかりはいられない。ときには演じることも必要となってくる。それこそが、あの違和感の正体だったのではないだろうか。


 臨機応変に対応するつもりであっても、予定外の事態になれば下手を打つことだってある。

 俺が郁子香をやりこめるために嘘をついたときなど、まさにそれだった。


 犯人は俺かむっちゃんだ、俺はそう主張し彼女は強く反論した。図らずも、犯人が俺という嘘に導くための言葉は正鵠を射ることになったが、郁子香はそうだとは知らなかった。だからこそ、俺が真相を悟っているかもしれないと危惧して否定してしまった。


 そして、狼狽して言葉を重ねるうちに、彼女は自分の行動をも説明しうる言葉をこぼしてしまう。


 真相を隠して偽の推理を騙るのであれば、もっと早く私と接触すべきなんですよ。数Ⅰのノートに書いてあるのだから、数Ⅰの授業で暗号を発見すると推測できます。ならば、そのあとに私と接触すべきだったんです。そうすれば、から。


 まさに郁子香がやったことではないか。


 郁子香が「ところで」と話を転換させたのは本題に移るためだと当たりをつけた。しかし、あれは、自分の行動を説明してしまうと思い当たったから口をつぐみ、話を逸らすための接続詞だったのではないか。


 そうやって彼女は俺を操っていた。


 俺が暗号を目にしてからずっと部室で一緒にいたのだから、行動を見張って制限することもできるし、会話によって思考を誘導することもできる。誤った方向、彼女の望まないほうへと俺が考えを進めそうになったら口を出して流れを導くことができる。


 赤マジックで書かれた九文字を初見で俺は暗号だと思ったし、それを実際に言葉にもした。だが、もしそうならなくても暗号だと郁子香から言いだしたに違いない。ことあるごとに暗号だ、メッセージだと繰り返していたのは、ある種の刷り込みだ。


 点字に変換したときには、郁子香は早々にその案を打消した。そうすることで、暗号を解くのが困難なものであると印象づける。失敗し打ち消され、俺は他人に頼るような状況に追いこまれていった。


 あそこまで、俺がげんなりした表情をするとは彼女は思っていなかったのかもしれない。それで半ば強制的に別の方向から切りこむ必要が出たというのが、あの「レイ兄」だったのだろう。完全な演技だったのかもしれないし、もしくは俺を騙していることに対する後ろめたさが滲んでいたのかもしれない。彼女の普段とは異なる雰囲気を敏感に察知し俺はそこに違和感を覚えた。


 郁子香が想定していた会話からはどんどんとズレていった。元のパーツを組みこみながら軌道修正したりしていたかもしれないが、目的を達せないままに放課後は終わってしまった。そうして最後は無理筋になり、俺にさえわかる荒い論理の多重解決の分類と相成った。


 操るためには暗号は解けるものであってはいけないが、意味がないのだと見破られてもいけない。だから意味があるように見せかけなければならなかった。あの三行三列の配置によって、いかにもそこに意義があるかのように、マス目に当てはめるかのごとき丁寧さで並べることで、暗号らしさを演出していた。


 


 赤い文字の、透明な言葉。

 それは、ネット上の俺のアカウントという衆人環視の密室を破る、鍵だったのだ。

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