第3話 驚くほどにその魔の手は早く

「台所を……ですか?」

 文了が出した条件に十子は意味が分からず、思わず聞き返す。

「やっぱり探偵業も体力勝負なもので、お腹が空いちゃうんですよねぇ。もし、奥さんの自宅で調査するという事態になった場合は台所と……出来れば調味料とかも拝借できたらいいなぁーと。あ、材料とかは自分達でちゃんと調達するので!」

「はぁ」

 若干言い訳じみた文了の言葉に、やや怪訝な表情を浮かべる十子。

「その分、ちゃんと調査とかそういうの頑張るので。何卒!」

 文了はそう言って十子に向けて必死に頼み込んだ。その必死さに十子はフッと優しい笑みを浮かべる。

「それで解決してくださるのでしたらオッケーです」

 その言葉に、文了の表情はぱぁっと明るくなった。

「ありがとうございます!! 奥さんにも手料理振舞いますね」

「それは楽しみです。文了さんって料理がお好きなんですね」

「お腹がよく空くので、いつの間にか自炊が趣味みたいになっていまして。女々しいような趣味ですいません」

「いいえ、素敵なご趣味だと思いますよ」

「いやぁ。美人な奥さんにそういわれるとうれしいなぁ」

 文了は凄く満更でもないような表情を浮かべる。その横でその様子を見ていた千陽はやや冷ややかな目で文了を見た。

「ふみ君、本当に綺麗な女性には弱いよねぇ……。とりあえず契約は成立ということで大丈夫ですかね? これがうちの探偵事務所の依頼書になります。一応プライバシー等には配慮しますのでご安心ください。依頼料は成功時にお支払いしてもらう形になるので、そのときはまたご連絡しますね。調査とかは逐一報告するような形の方がいいですか? それとも、何か動きがあればで?」

「何か動きがあればで大丈夫です」

「結構、不安にされている方は逐一報告を選ぶ方が多いんですけど?」

「逐一報告だとそれこそ不安になっちゃう……かなと」

 十子は少し俯き加減で答える。

「なるほど、分かりました。では何か動きがあったら報告いたしますね。凍凪さんも何かあれば遠慮なくまたご連絡ください」

「はい、相談に乗ってくださりありがとうございます」

 十子は深々と探偵社の二人にお辞儀をする。

「いやいや、奥さんの頼みごとなら何でも聞いちゃいますって」

「……全く、ふみ君っては」

 未だ鼻の下を伸ばしている文了を見て、千陽は深くため息を付いた。


 十子が帰っていき、文了は十子から渡された脅迫状を椅子に座って眺めていた。

「ふみ君、ソレが気になるの?」

 千陽はそんな様子の文了を覗き込んだ。

「んー? いや本当に何の変哲もない脅迫文だなぁーって思って。今頃、新聞の切り貼りとかベタ過ぎるでしょ」

「あー、確かに最近はパソコンとかで打った方が早いもんねぇ」

「それに、わざわざ切って貼るのって労力だよ。私なら秒殺でお腹空いちゃうよ。そう言っている間にもお腹空いてきちゃったけど」

 そういって文了はうな垂れた。

「さっきのお菓子全部食べちゃったの?」

「私にかかればあんな量のお菓子朝飯前だって」

「まぁ、ふみ君だから仕方ないか。本当にふみ君は食いしん坊なんだから」

 やれやれというふうに、千陽は軽くため息を付いた。

「でも、そのお陰でふみ君の美味しい料理にありつけているわけだし、持ちつ持たれつって感じだね。次は何を作るの?」

「そうだなぁ。確か冷蔵庫にマーマレードと豚肉があったからシトラスポークソテーとかにしようかなぁ」

「え、なにそれ凄く気になる!?」

 千陽は食い気味に文了へ詰め寄った。

「気になるのは結構なんだけど、そろそろ千陽君は事務所のレッスンの時間じゃない?」

 文了にそういわれて千陽は事務所の時計を見る。時刻は午後四時を指そうとしていた。

「あ、いっけね。今日はサボると鬼電してくる先生だ。あー……でも、ふみ君のいうポークソテーもめっちゃ気になる」

「作って置いておくから、レッスン終わったらまたこっちに寄ればいいんじゃないかな? 私は一人で先に堪能しておくけど、千陽君の分までは取らないから……多分」

 文了はどうにも煮え切らないような返事をする。

「絶対だよ! 絶対、ぼくの分まで取ったらダメだからね! それじゃあ、レッスン言ってくる!」

 千陽はそう言ってそそくさとワンショルダーの鞄を肩に掛けると、事務所を出て行った。


 夜。十子はリビングで一人、夫の帰りを待っていた。

 警察にも相談し、探偵にも依頼をした。これで何とかなるとは思っていたが、でもどうしても心の中では不安が少しばかり残っていた。

 時計を見る。時刻は午後八時。いつもなら真っ先に我が家へ夫が帰って来る時間だというのに、呼び鈴の音すら聴こえない。

 何か事件にでも巻き込まれたんだろうか? 十子の頭の中は不安感がどんどん募っていく。

 そわそわしていると、呼び鈴が鳴った。インターホンで確認すると、そこには愛する夫の姿があった。

『ごめん。ちょっと仕事が押しちゃって電車一本乗り損なったんだよね』

 心配しているであろう十子の為に走って返ってきたのか少し呼吸を荒めにしながら話す夫の姿に十子はホッと胸を撫で下ろす。


 よかった。何も起こらなくて。


 そんな気持ちで十子は玄関の扉を開いて、夫を迎え入れた。


 次の日の朝。ベッドの中で何かが足りないと不安になって十子が目を覚ますと、いつも一緒に寝ている夫の姿が見えない。

「どこへ……行ったのかしら?」

 部屋の時計を見ると朝の六時。まだ出勤するような時間では無いはずだ。

「お手洗いかしら?」

 自分も起きてから喉の渇きを訴えていたので、のそりと起き上がった十子はゆっくりと歩きつつ、リビングへと向かう。部屋の扉を開けると……

 十子はその光景に目を見開いて、

「キャーーーーーー!!!」

 悲鳴を上げた。


 其処には見るも無残な冷たくなった夫が血だまりの中、倒れていた。



――――

【シトラスポークソテー】

《材料》

・豚ロース肉(とんかつ用など) 2枚

・ママレード 大さじ2  ・塩コショウ 適量  ・しょうゆ 大さじ2

・小麦粉 適量


《作り方》

1 ロース肉を叩き塩コショウで下味をつけて、小麦粉をまぶして焼く。

2 最後にママレードと醤油を一緒に入れて煮詰て完成。

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