第2話 のんびり気分で大丈夫か?
村井探偵事務所の固定電話がけたたましく音を奏でる。
「はいはーい。今出ますよっと」
焦げ茶色の長い髪をなびかせ、電話番である両国千陽(りょうごくちはる)が電話に応じた。
「はい、村井探偵事務所ですが。ご依頼ですかー?」
『あのっ。タウン誌の広告を拝見して電話したのですが。ちょっとご相談したいことがありまして』
受話器の先からは女性の声が聴こえる。
「あー、そういえばそんな広告も出しましたねぇ。それで、ご相談というのは?」
『今この場ではお伝えできないので、出来ればそちらへ伺いたいのですが』
「了解しましたー。いつ頃コチラへ伺えそうですか? 場所がイマイチ不安であるならばぼくが指定された場所まで迎えに行きますが?」
『あ、自力で迎えそうなので大丈夫です。今から二時間後でも大丈夫ですか?』
電話先からそういわれて、千陽は事務所の掛け時計を見る。
「大丈夫です。失礼ですが、お名前を……」
『凍凪十子です』
「凍凪様ですねー。では、二時間後にお待ちしてまーす」
千陽は見えない相手に会釈をして電話を切る。そして、スリッパをカパカパと鳴らしながら一人掛けのソファに深く腰掛けている、ゆるく天然パーマがかかった薄茶色の髪色の青年の下へと駆け寄る。
「ふみ君、ふみ君。依頼人さんが二時間後にくるよー」
「え? 人参さんが大群で押し寄せるって?」
どうやら彼は先ほどまで寝ていたらしく、千陽に言われたことを壮大に聴き間違いをする。
「違うよ。タウン誌の広告を見て村井探偵事務所に依頼をしたいっていう人が此処にやってくるんだよー。夢の中でも食い意地はらないでー」
「千陽君、私が食い意地はっているのはいつものことだろう? そう言っていたらお腹も空いてきたことだし、依頼人がやってくるまで、何かつまめるものでも作ろうかな?」
そう言って、この探偵事務所の主である村井文了(むらいふみあき)はソファから立ち上がると、横に掛けていたエプロンを手に持ち、台所へと向かっていった。
それからキッチリ二時間後、凍凪十子は村井探偵事務所の前までやってくる。呼び鈴を鳴らそうとしたとき、ふと焼き菓子の甘くていい香りが漂ってきた。
何処かここら辺に洋菓子屋でもあるのだろうか? と十子は思いつつ、呼び鈴を鳴らした。
「……はーい!」
電話で聴いた声と共に扉が開かれる。すると、甘い匂いが更に強くなった。
「あっ、依頼者の凍凪さんですね!」
扉の先から現れたのは童顔で長い髪の女性。しかし、声の感じからどうも青年のような感じも見受けられた。
「あ、はい。」
十子はそんな相手をじっと見つめる。
「ん? ぼくの顔に何か付いてますか?」
扉の先の相手は観察している十子に首を傾げる。
「あ、ごめんなさい。探偵事務所だなんて来るの初めてで緊張しちゃって」
「まぁ、縁が無い人はとことん無縁な場所ですもんね。さ、どうぞ上がってください。ちょうど出来上がったんですよ」
長い髪を揺らしつつ、青年は笑いかけた。
「出来上がったって、何がですか?」
「キャロットスティックケーキです!」
「え?」
青年の思いもよらない回答に、十子は唖然とするばかりだった。
十子は青年の誘導により応接室へと通される。そこには、薄茶色のパーマがかったスーツ姿の青年がソファに座っており、テーブルの上には、スティック状になっている鮮やかなオレンジ色のケーキがお皿にこんもりと盛り付けられていた。
「ふみ君、依頼者来たよ」
青年の声に気づいて、スーツ姿の青年がくるっとコチラを振り返る。すると、十子に向けて目を輝かせ、すくっと立ち上がると十子に近づいてくる。
「おぉ! お待ちしていました! 私、この事務所の主である村井文了と申します。よろしくおねがいします!」
十子の両手をガッシリと掴んでブンブンと握手をする文了。その言動に十子はたじたじになっていた。
「あ、どうも……。探偵さんは結構お若いんですね」
「こういう仕事には年齢なんて関係ないですよ。それに、探偵業は私の夢を叶える為のワンステップでしかないので」
「そ、そうなんですか」
「ふみ君、依頼人さんドン引きしてるよ? ストライクゾーンの女性に対してカッコイイ素振りしていても、現実は滑っているからね? あ、ぼくは此処の探偵社で助手をしています、両国千陽といいます」
千陽はニッコリと挨拶をすると、十子をソファへ座るように促した。
「あ、テーブルにあるケーキはご自由に食べてください。ふみ君の手作りなんですよー。ぼくはお茶を持って来まーす」
千陽はそういうよパタパタとスリッパを鳴らしながら、何処かへと消えていった。十子は緊張した面持ちで座り、テーブルにあるキャロットケーキをチラッとみた。
「……もしかして、緊張されてます?」
心配そうに文了が十子をみる。
「え? えぇ……、ちょっと」
「なかなか訪れないような場所ですもんね。探偵社って。とりあえず、喫茶店に来た様な感覚でリラックスしてもらいたいので、ケーキ、お一つどうぞ」
文了もケーキを勧めてくるので、十子は皿に乗っている一つを手に取り、口に運んだ。
ケーキはしっとりとしていて、口の中に人参の風味と蜂蜜の甘い香りが広がる。
「おいしい」
「お口にあったようで何よりです」
文了はニカっと笑う。
「丁度夢の中で山ほどの人参に遭遇する夢を見たんですよ。その時にこれだけの人参を使ったらさぞかしオレンジ色の濃い人参ケーキが出来るんだろうなーって思っていたら、目が覚めちゃいましてね。お腹も空いてたので、貴方がやってくるまでにお茶請けになるようなキャロットケーキを作ってみました。人参はすりおろしてオレンジ色が綺麗に保つようにレモン汁を少々、そして風味付けの蜂蜜を適量加えてから、スポンジ用の生地と一緒にさっくりを混ぜ合わせてオーブンに入れて二十分ほど加熱をすれば出来上がりという手軽さなんですよー」
文了は嬉しそうに話しながら自らもケーキを摘んで口にいれる。
「んー、人参美味しい」
幸せそうに食べる文了を十子はただただ眺めることしか出来なかった。
「お茶、お持ちしましたよー」
ちょうどのタイミングで千陽がティーカップがのったトレイを持って応接室へと入ってきた。
「凍凪さんは珈琲で大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です」
十子がそう返事をすると、千陽は桃色のティーカップをテーブルへと置いた。
「はい、ふみ君は黒豆茶ねー」
一方の文了には茶色のティーカップをテーブルに置いた。それを文了は手にとって喉を潤す。そして、一つ深呼吸をして口を開いた。
「お菓子をつまみながら、楽しく……とまではいかなくても、ご相談ごとを訊きましょうか? 今回、私に依頼したいこととは何ですか?」
文了が本題を十子に切り出す。
「実は……」
十子はハンドバッグから一通の手紙を取り出した。
「私の誕生日の日にクロユリの花束と一緒にこんなものが届けられまして」
すっと文了に手紙を差し出すと、文了はそれを受け取って中身を開け、文面を一通り読む。
「脅迫状の……類いですか?」
「多分……そうだと思います」
「誰かにこんな脅迫状を送られるかもという心当たりは?」
「……ありません」
十子はそう言って俯く。
「そうですか。脅迫状が届いてから何か実害とかはあったんですか?」
「今のところは無いのですけど、こんなものが届いてからというもの不安で胸が押しつぶされそうで……」
「それは、ですよねぇ」
文了はそう呟いて、ケーキを再び口に運んだ。
「このことは警察に言ったんですか?」
千陽はずいっと前のめり気味に十子に聞き出そうとする。
「はい。一応周囲のパトロールなどを更に徹底するとは言ってくださったんですが、それだけじゃ不安で」
「それで、この探偵社に相談をしようと思ったんですね?」
「はい」
「だってさ、ふみ君、どうする?」
千陽が文了にそう訊くと、文了はうーんを唸りつつ、腕を組む。暫くののち、
「綺麗な奥さんの心配事は私の一大事なんで、何とかしましょう!」
「ホントですか!?」
文了の答えに、十子の表情は若干晴れやかになった。
「ただし、この依頼を引き受けるにあたって、一つ条件を出します」
「じょ、条件ですか?」
文了の言葉に、十子はゴクリと息を呑む。
「奥さん所の台所を自由に使える許可が欲しいんです」
【キャロットスティックケーキ】
《材料》
・小麦粉 100g ・砂糖 15g ・人参 1本 ・卵 1個
・レモン汁 少々 ・ベーキングパウダー 小さじ1 ・サラダ油 大さじ1
・(お好みで蜂蜜 適量)
《作り方》
1 人参を根性ですりおろす。すりおろした後、レモン汁を少々加える。
2 小麦粉・砂糖・ベーキングパウダー・卵を入れてさっくりと混ぜ合わせ、すりおろした人参とサラダ油(、そしてお好みで蜂蜜)を入れてダマにならないように混ぜ合わせる。
3 天板にクッキングシートを敷いて、平らになるように生地を流し込む。予め180度に予熱したオーブンの中に入れて、20分焼き上げる。
4 棒状にカットすれば完成。砂糖をかけたりしても美味しい。
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