エピローグ

 久しぶりに来た隠れ家のバーは、外観もマスターも何も変わっていなかった。

 あの日と同じ時間に行こうかと思ったが、生憎、明日は朝から仕事だ。開店時間の23時に来た。

 店に入るなり、10年前から変わらない体型のマスターがカウンターに立ってた。

 視線を俺に一度向けて、すぐにカウンターに戻した。が、すぐに驚いた顔でもう一度こっちを見た。

「おお、叶野君か?いや、今は叶野先生と呼んだ方が良いかな?」

「止めてくれ。病院外なんだから、名称はくんで良いよ」

 マスターの向かいのカウンター席に座る。マスターのぷるっとした頬が、キュッと上に上がった。笑っているのだ。

「久しぶりだなぁ。あの時以来じゃないかな?叶野君が店に来たのは」

 まだ何も注文していないが、マスターはドリンクをコップに注いだ。ほとんど毎日通っていた頃に飲んでいたコーヒーだ。

 10年も前に来ていた常連客の飲んでいた「いつもの」をよく覚えているな。

「あの時は、マスターの機嫌が悪かったな」

「機嫌が悪かったんじゃない。閉店時間間際に面倒な客が来たなと思っただけさ。ぶっきらぼうにすればすぐに出て行くかと思ったが、効果はなかったな」

「接客業にあるまじき接客するなよ」

 でっぷり太ったおっさんらしからぬ、ふふっと可愛らしい声を出した。

「しかし、どうして急に医者になったんだい?確か、会社を経営してただろう?あの日にぞろぞろと社員を連れてきていたし」

「まぁ、いろいろあって」

 マスターが、熱いコーヒーを目の前に置いてくれた。すでにミルクが注がれている。

「働いていたみんなは、今はどうしているんだい?」

「仕事してるよ――」

 俺はマスターに、みんなの今を話始めた。


 ミヤは、検問で精神的に病んでしまったり、酷い身体的な虐めを受けた非O型の警察のケアをする団体を立ち上げた。

 非O型区とO型区を隔てる壁が壊され、自由に行き来できる。そして、血液型なんて関係なく好きな場所で暮らせるようになったら、離ればなれになった家族に会えることが出来るような団体も立ち上げるつもりらしい。

 シマさんも誘ったら?と言ったら「シマさんがその団体を立ち上げるのよ。タカダさんも一緒にね。私はそのお手伝い」と微笑んだ。


 ウノは探偵事務所でアルバイトをしている。最初は事務のアルバイトをしていたようだが、突然社長に「情報を集める才能がある!」と言われ、今は探偵のアルバイトをしている。

 この間飲みに行った時、近々正社員になると困った顔で言っていた。どうしてそんなに嬉しそうじゃないんだ?と訊けば「だって、事務は定時で帰れますけど、探偵は張り込みとか追跡調査とかあるじゃないですか。オンラインゲームが出来ない日が増えるのは嫌です!」だそうだ。


 ミズノは大学卒業後、ミヤを手伝いたいとのことで、カウンセリングやメンタルケア心理士の資格を取得した。普段はOLをしながら、ミヤのお手伝いをしているらしい。


 アイダとは、会社を廃業してから一度も会っていない。

 ミズノから聞いた話しでは、高校卒業後、一浪して大学に合格。今は英語の通訳や小説の翻訳の仕事をしているのだとか。


 マスターは聞き終えると「誰も路頭に迷っていなくて良かったですね」目を細めた。

「そうだな。本当に良かった」

 久しぶりのマスターのコーヒーを飲む。味は少し変わっていた。豆を変えたのかもしれない。

「それで?」

「ん?」

「叶野君は何故医者になったんだい?」

 それは、と言ってから考え直す。

「その前に、マスターから頼まれていた話をするよ」

 マスターは一瞬だけ目を右上に向けたが、すぐに思い出したようだ。頷いた。

「あれか。どうして非O型区内でも血液型別に暮らしているのか」

「それだ。けっこう苦労したんだ。まずな――」

「待ってくれ」

 マスターがスッと酒を出した。

「おい、俺が酒飲めないの忘れたのか」

「それはノンアルコールカクテルだよ。ジュースだ」

 ノンアルコールカクテルとジュースは変わらない物なのだろうが、ジュースと言われると子供扱いされている気になる。

「さっきから注文してないのに飲み物が出るんだが、無料か?」

「コーヒーは再会祝いと新薬開発おめでとうの意味を込めて無料、そのノンアルコールカクテルは試作だから無料」

 なるほど。ひと口飲む。

「うまいなぁ。ジュースだけど」

 量が少ないので、一気に飲み干す。

「それで、マスターに頼まれた話しなんだが――」

「それも、もちろん聞きたいんだけどね」

 またもや遮られた。

「なんだよ」

「叶野君が医者になった理由を先に教えてくれ」

「まぁ、話しても良いんだけどさ」

 話すにしても、医者になろうと思ったのはAB型区に行ったのがきっかけなのだ。それを話せば、AB型区の話しをすることになる。それなら先にマスターに頼まれた話しをした方が良いと思ったのだが。

「歯切れが悪いね」

「違うんだ。その、医者になろうと思ったきっかけは、マスターに頼まれた事を調べている時に関係しているからさ。まずはそっちの方を話した方が良いんじゃないかと思って」

「へぇ。AB型区に行ってきたんだ」

「治験もAB型区でやっていたし、彼らとは良い関係が築けたよ」



――およそ3年前――



 医者になってから、副作用の弱い抗疑似結核薬を製薬する為に、再びAB型区へ行った。

 抗疑似結核薬が出来ていたが、彼らはフルフェイス型N95マスクをしていた。

 しかし全員が装着しているのではない。AB型の人はまだ外すのが怖いらしく、数名が装着していた。

 人口の少ないAB型区であるものの、マツダさんに会えるだろうか。会えたら、伝えたいことがあった。

 院内の事務員に案内されながら、ぞろぞろと治験を行う予定の病室へ向かう。その途中で、「カノウさん?」と声をかけられた。

 呼ばれたのは俺だけだったが、その場にいた全員が声の方へ振り返った。

「やっぱり、カノウさんだ。どうしてここに?」

 Fマスクを着けているので顔は分からないが、声に聞き覚えがあった。

「マツダさん」

 俺は戸惑っている皆に「先に行っててください」と伝えた。

 皆が離れると、二人で端に寄った。

「カノウさん、お久しぶりですね」

「えぇ…」

 顔色は分からないが、マツダさんは大きな怪我もなければ、病気で弱っているようには見えなかった。

 何故病院にいるのだろう。

「今日は、ウノさんは一緒ではないのですね」

 今日は白衣ではなくスーツを着用していたので、医者だと思っていないのだろう。

 俺はここに訪れた理由を話した。会社を廃業してから医者になった経緯も話した。

「治験、ですか」

 過去、彼は薬を盗んでブドウ糖だと憤慨していた。しかし、後に本当に新薬が製薬された。

 だからきっとO型化計画は頓挫したのではないかと思っていた。

「ええ。何故O型は発症しないのかというメカニズムも研究で明らかになったし、より効果があって副作用がほとんどない薬が出来ると思いましてね」

「…そうですか」

 マツダさんは少し俯いた。

 大丈夫ですか、と声を掛けようとしたら、顔を上げた。

「昔に話したこと、覚えていますか?」

「もちろんです。どの話しも強烈でしたから」

「…実は、O型化計画は頓挫しました」

 ホッと胸を撫で下ろす。「そうでしたか」

「カノウ」そこで敬称に悩んだのか、一度口を閉じた。「カノウさん達に話したら、スッキリしたんだと思います。そこで冷静になりましてね」

 俺はてっきり治験への疑いが晴れたから計画を止めたのだと思っていたので、驚いた。

「妻に何度も説得されても、俺達はO型化計画を成功させる――。頭の中はそればかりでした。

 絶対に復讐してやる。AB型を死んだ扱いしやがって。そればかりで。

 でも、外部から来た貴方達に聞いてもらって、知ってもらって、良かったって思って」

「良かった、ですか」

「はい。あの頃はまだ20代でしたし、若かったのもあるかと思います。周りが見えなくなっていたんですよね。

 …カノウさんに話して、俺は復讐がしたいんじゃないって気づいたんです。

 単純に、AB型はここにいるぞ!って知ってほしかっただけだって。ほんと、馬鹿な話しで恥ずかしいんですが」

 マツダさんは後頭部を掻いた。顔は全く見えないが、恐らく恥じらっているのだろう。

「SNSでも否定されて、政治家にも否定されて、このAB型区以外の人達は俺達を否定している。否定されてばかりで、外部の人達からしたら、私達は幻のような存在。

 そんな存在にした原因はO型区にある。そう考えたら、憎くて仕方がなかったんです」

 あの日、最後の最後に「憎いですか?」と言ったマツダさんを思い出す。

「だから、話したら存在を知ってもらえたと思って、楽になったんです。ありがとうございました」

 マツダさんが頭を下げた。

「ウノにも、伝えておきますよ」

「はい、お願いします」

 では、と言って去ろうとするマツダさんを呼び止める。

「何故、この病院に?」

「ああ…。妻が出産を控えてまして、それで」

「そうでしたか。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 頭を軽く下げて、治験の病室へ向かおうとすると、今度は俺が呼び止められた。

「どうして急に医者になろうと思われたんですか?」

「ああ、それは」

 マツダさんを真っ直ぐ見つめる。

「薬ひとつ無いだけで、こんな世の中になってしまったのが嫌になったからですよ」

 少しだけ間が空いた。

「そんなことの為にですか」ふっふっと、笑っている息が聞こえた。

 俺もつられて笑う。

「そんなことの為にですよ」

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非O型国民 朝日 風馨 @asa-awoi08

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