第5話 誠心

 ホテルの最寄駅に着くまで、お互いに話しもしなければ目さえ合わさなかった。

 ミヤが元警察官であるのは知っていたが、まさか検問に勤めていたとは…。

 駅を出て、黙って歩くミヤの背中について歩いていたら突然足を止め、くるりと俺の方を向いた。

「酒に付き合ってくれない?」

 突然の誘いに戸惑いつつも、視線を上に向ける。

 空はオレンジに染まろうとしているが、腕時計を見ればまだ16時にもなっていない。

「こんな時間から飲むのか?いや、第一俺は酒が飲めないの知っているだろ」

「知ってるわよ。一緒に飲めってことじゃなくて、私の酒に付き合ってって言いたいの」

 立場が逆なら、パワハラとも受け取れる誘いだ。いや、立場が逆でなくとも、アルコールハラスメントになるではないだろうか。

 B型区まで来たのは、噂のO型を探しに来たのであって、酒に付き合う為じゃない。

 そしてその噂は、O型かB型かわからないままの人がいるだけという真相だった。

 その人に検査をしてもらうよう説得できたとしても、血液型検査をしている病院まるごと巻き込む必要がある。もしO型だった場合、大変なことになるからだ。

 俺が立てた「非O型区で暮らしたO型の人を利用して、世間に感染区はO型区の方だ」作戦は、簡単な話ではなくなったということだ。

 真相を知って、俺はすっかり意気消沈してしまった。

 正直、どこかタバコが吸えるところで煙をもうもうと吹かし、感傷に浸りたい。酒に付き合いたい気分ではない。

 だから断ろうと口を開くと同時に、「察してよ」とミヤが先に喋った。

「今、断ろうとしたでしょ?」

 図星で何も言えず、目をしばしばさせるだけになってしまった。

「察して、私の酒に付き合って」

 ズイッと顔を近づけてきた。綺麗な顔だが、目で「断るな」と凄んでくる。

「察してって言われても、何の事だかさっぱりで…」

 笑ってかわそうとしたが、ミヤの表情は変わらない。目を細め、じぃっと見つめられる。

「どうして私が酒を飲みたいのか、察して、付き合って」

 これは有無を言わせないつもりだな。

 ミヤはクールでサバサバした性格だと思われている。が、実のところクールなのは間違いないが、実は我が強い。

 いつまでも駅前に留まっていたくはないし、俺から折れるしかないと察した。

「はぁ…わかったよ。酔払いは苦手だから、泥酔は勘弁してくれ」

「出来る限り抑えるわ」

 そう言って俺に背を向けると、スマホを操作し始めた。店でも調べているのだろう。

 ぼんやりと空を眺めて待っていると、不意に「ありがとう」と聞こえた。

 ミヤの方を見るが、まだ背中を向けてスマホを触っている。

 クールで我が強い性格と、もう1つ厄介な性格を忘れていた。

 彼女は素直じゃない。


 時間も時間だったからか、入った居酒屋にはまだ客がいなかった。

 靴を適当な番号のロッカーに入れ、扉を閉めた。その番号が書かれた木札を抜き取る。

 店内はなかなか広く、長い廊下が奥まで続いていた。その廊下の右や左に、六畳ほどの掘炬燵のある和室が、衝立によって仕切られている。

 靴を廊下で脱ぎ、一段上がって部屋に入る。向かい合って座った。


 そして40分ほど経った。

「あー、オイシー!で、検問ってほんっと辛い仕事でさ、辞める人がいっぱいいるのね。何でかって、特殊の特殊だから辞めるの」

 レモン酎ハイを運んできた若い女性の店員は、ミヤに一瞥を投げてから、空になったコップを持ってそそくさと離れていった。

 ハイボール2杯、レッドアイ1杯、カルーアミルク2杯、今飲んでいるのがレモン酎ハイだ。

 まだ混んでいないからなのか、注文するとすぐに酒や食事が運ばれてくる。

 おかげで、ミヤはこのハイペースだ。絶対に泥酔している。

 アルコールは表情筋を柔らかくする効果でもあるのか、自分の過去を話し始めてからずっと笑顔だ。

「泥酔するなって約束はどうした。出来る限り抑えるって言ってた奴はどいつだ」

「まだ、3割酔いだから。全然、ローギアよ。さて、次のお酒はどうしよっかなー」

 いつもより声が高い。相当飲んでいるから、気持ちが高揚しているのだろう。

「もうお茶にしとけ。ウーロン茶にしろ」

「え?ウーロンハイ?飲ませるねぇ!オッケーオッケー。何でも飲んじゃうよー」

 ミヤは飲み終えたコップを退けて、注文用のタブレットをテーブルに置いた。自分の右手のひとさし指で何度かタップしているが、反応が鈍かったのか、タッチペンを持った。

「俺が頼むから、そのタブレット貸せ」

 注文用のタブレットをミヤから奪う。一瞬だけ不満そうな顔をしたが、すぐに頬が緩んだ。

「モーツァルトとか、ファジーネーブルも飲みたいなぁ。あ、日本酒も飲まなきゃ。日本酒は何があったっけ?ま、辛口ならなんでも良いよ」

 俺が酒を頼むと思っているのか、楽しそうに飲みたい酒を言ってくる。

 その要求を全て無視して、ウーロン茶を頼んだ。画面に『オーダー受付ました!』と表示される。

「で、特殊の特殊って、具体的にどう特殊なんだ?」

「え?ああ、仕事の話ね。まずね、検問の近くに寮というか、プレハブ小屋で寝泊まりするの。任期は5年なんだけど、みんな1年ぐらいで辞めちゃうんだよね。だって、特殊の特殊だから」

「だから、特殊の特殊って何なんだよ」

「うーんと…マスクだ。マスクしてね、検問の入口でずーっと黙って立ってるだけの仕事よ。O型の子供を引き取る人達――新生児保護団体のことね――が出入りするだけの、無機質な出入り口を見張るのよ。マスク着けて」

「マスク?」

「ガスマスクみたいな、ガスマスクじゃないの」

 なぞなぞで有名な、パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?と言われた気分だ。

「何でガスマスクなんだ?」

「ガスマスクじゃないんだって。でも、非O型区とO型区の警察が同じ数だけいるんだけど、私達だけ着けるの。感染防止と、アイコンタクトとか使って意思疎通が出来ないように」

「意思疎通をさせないようにって、どうしてなんだ?」

 刑事ドラマで、周囲に異常はないか、アイコンタクト等を使って意思疎通してる場面を何度か見たことがある。

 ほとんど突っ立っているだけの仕事には、そういうやり取りは不要だというのだろうか。

 ミヤは来るはずのない酒を待ちわびているのか、きょろきょろし始めた。

「昔、非O型区の警察の何人かが、O型区へ入ろうとしたらしいんだよね。その対策として、仲間意識を持たせない為に、そのマスク着けて、O型とそうじゃない警察官で組むの。O型2人に、非O型1人で一組ね。ちなみに、あっちは顔丸出し」

「マスクは、感染防止の役割もあるんじゃなかったか?」

「だって、私達は感染して死ぬけど、あっちは感染しても死なないじゃない。だから、あっちには必要ないの。

 それに、全員がマスク着けていたら、非O型がO型に紛れて、O型区に行っちゃうかもしれないでしょ?見た目じゃ血液型なんてわからないから、区別する為ってのもあったかもしれないわね。感染源の私達と、区別する為にね」

 自嘲するかのように、ふふっと笑った。

 その時、店員がウーロン茶1杯を運んできた。それを端に置くと、素早く去っていく。

「ふーん。ウーロンハイにしたのね」

 酒だと信じているミヤは、一気に半分まで飲んだ。口から少し溢れたのか、服の袖で口元を拭っている。

「じゃあ、一緒に仕事していた非O型の仲間の顔は、一度も見ないままなのか?」

「最低でも一度は見るわよ。着任して、仕事初日の顔合わせ」

 ミヤは急に黙ると、にこやかだった表情が苦悶に変わる。

 まさか、ウーロン茶だとバレたのか?それとも、気持ち悪くなって吐きそうになっているのか?

 そう不安に思っていると、ミヤは「そこだ」と指をパチンッと鳴らした。

「何がだ?」

「シマさんと初めて会ったの。顔は全然覚えて無かったけど、O型含めて全員の名前は覚えるようにって言われてたから、名前は覚えてたのよ」

 首を縦に振って、自分が言うことに納得している。

「名前は覚えておくようにってのは、どうしてだ?仲間意識を持たせないんじゃなかったのか?」

「連帯責任の為よ。仕事の始まりと終わりに、点呼を取るんだけど、自分で自分の名前を言うの。私はいます!O型区に逃げていません!って意味を込めて、ね。

 もし、そこで誰かの名前が出てこなかったのに、報告をせずに黙っていたら、連帯責任として、秘密の場所で非O型が全員拷問される」

 拷問される、と言った顔は怖かった。背筋がゾクッとした。

「ま、拷問は噂でしかないんだけどね」すぐに頬が緩んだ。

「だから、顔を見てもシマさんだと解らなかったってことか。でも、シマさんはミヤの顔を見ただけで一緒に検問していた人だって、気づいていたんだよな」

 ミヤはウーロン茶のコップに口を付けたまま「ああ見えて凄い人なのよ」と言って、一気に残り全部飲んだ。

「きっと、その顔合わせの時に、顔を覚えたのかもしれない。私は、誰の顔も覚えてないけどね」

「一度見ただけで覚えているのは、確かに凄いな」

 ただの馴れ馴れしい男ではなかったということか。

「5年の任期満了したのは、今も昔も、シマさんだけ。非O型区内の警察で知らない人がいないと言っても過言ではないほど、伝説の人よ」

「一人だけ、なのか?」

 ミヤは小さく頷いた。

「…非O型はね、私語厳禁なの。でも、O型はそんな規制ない。だから、感染源扱いしている私達に罵詈雑言、身体的な虐めをする。それは、黙認されていたのよ。

 大抵は1年ぐらいで辞めるって、さっき言ったでしょ?それは、O型からの酷い虐めに耐えられなくて、辞めるから」

 ミヤも虐められたのか?とは、流石に聞けなかった。それに、訊いて「そうよ」と言われたところで、掛ける言葉は浮かばない。

「勿論、虐めの対象はシマさんも例外じゃなかった。向こうは、1年で辞めないのが気に食わなかったんでしょうね。シマさんが一番酷い虐めを受けていたって、私が警察辞めた後に先輩から聞いたわ。

 …どうしてシマさんは辞めずに、任期満了したと思う?」

「…意地、とか」

 ハズレだったらしく、ミヤは首を横に小さく振った。

「シマさんに妹がいるらしいんだけど、O型だったから、別々になってしまったのよ。5年もあれば、隙を見てO型区へ侵入して、妹を探しだそうとしたらしいわ」

 嗚呼、と、吐く息と共に弱々しい声が出た。

「そこまでするのかって思うでしょ?でも、シマさんの家族、みんな若くして亡くなったらしくてね。それもあって、家族に会いたい気持ちが、異常に強かったのかもしれない」

 俺の両親はまだ何処かで生きているだろうが、シマさんの気持ちがよく解った。

 名前を付ける前に奪われた、顔も知らない家族に会いたいと思う気持ちが。

「シマさん、任期満了してすぐに精神科に通院してるって聞いたことがあるの。タカダさんが言っていた通り、今は陽気な人なのかもしれない。だけど病院の前で出会ったのは…」

 一度そこで区切ると、飲み干したはずのウーロン茶のコップを持ち上げ、飲むような動作をした。

 ミヤは、冷静じゃないのかもしれない。

「シマさんはまだ、過去と戦っているのかもしれないわね」

 最後は声が震えていた。

「どうして、そんな仕事があるんだろうな」

「さあね。知りたくもない」

 吐き捨てると、「お酒、追加」と言われた。先程と同じく、ウーロン茶をオーダーする。

「そういえば、O型に会ったら聞きたかったことって、何だったんだ?」

 俺は駒代りの目的で探していたが、ミヤは質問があるから来たのだ。そう考えると、ミヤも無駄足を踏んだということになる。

「ああ、それね。幸せですか?って、聞きたかったの」

「なんだそれ」

 ミヤは真剣な顔をしていたので、「冗談だろ?」と続けるのは止めた。

「私が見てきたO型は、非O型を卑下してばかりで、本当に同じ人間か疑いたくなるほど、外道畜生だった。

 だから、O型なのに非O型が多くいる場所で暮らして幸せなのか、聞きたかったのよ。その人が、私達を虐めたO型とは関係なくてもね」

 確かに、ミヤの過去を知らずにその質問をO型の人にしていたら、どうしてそんなことを聞くのか問うだろう。

 突然、ミヤがふふっと笑った。

「酒に酔えば、笑って話してスッキリするかと思ったけど、全然ダメみたい」

 ミヤは頭をゆっくり下げると、額をテーブルにくっつけた。長い髪が、テーブルへ流れていく。

「寝たら置いていくからな」と冗談を言えば、「大丈夫…」と涙声で返ってきた。


 結論から言うと、大丈夫ではなかった。

 ミヤは結局、そのままグゥグゥと眠った。客が混んできた時間帯に叩き起こす。フラフラのミヤを見守りながら歩く。やっとホテルに到着したのが夜の20時過ぎ。非常に面倒だった。

 翌日は、昨日の記憶が無いだ二日酔いだで、帰りの飛行機に遅れそうになる。飛行機が離陸すれば「死にそう」「もう降りたい」とブツブツ言ってくる。非常に面倒だった。

 だから酔っぱらいは嫌いなんだ。

 


 飛行機で帰ってきた翌日、久しぶりのA型区3丁目の空気を吸う。住み慣れた場所は、帰ってくるだけで癒される。

 ノスタルジックの気分になっていたら、集会所に到着した。

 玄関に靴が2足あった。ロングブーツとボロボロのスニーカーだ。

 靴を見るだけで、ミヤとウノが来ているのがわかる。

 部屋に入ると、ミヤとウノが向かい合う形で座っていた。各々のパソコンを開いており、何やら作業しているようだった。

「おはようさーん」

 ウノは俺が入ってきたのに気がつくと、振り向いた。顔がゲッソリしている。気のせいか、目が隆起しているように見える。

「おはようございます…」

 ただでさえガリガリなのに、ゲッソリしているとミイラに見えてくる。

「おはよう。今日は起きられたのね」

 ミヤはクスリと笑う。完全にバカにされている。

「ウノに頼んでいたことが気になってな。早起きしちまったんだ」

 ウノの隣に腰を下ろす。

「頼んでいたことって?初耳なんたけど」

「そりゃあ、ウノ以外には言ってないからな」

「だから、何を頼んだのよ?」と、ムッとされた。

「ほら、マスターに頼まれていただろ。非O型区内でも、どうして住んでいる場所が分かれているのか調べて欲しいって」

「ああ、そういえばあったわね」

「で、何か分かったか?」

 ウノはパソコンを操作すると、画面を俺の方へ向けた。

 画面には『AB型区は幻?』と見出しになっている、ネットニュースだった。日付は15年近く前だ。

「これが、何なんだ?」

 ざっと目を通したが、AB型区について独自に調査した内容なだけだ。

 ウノの隆起した目と視線が合う。よく見たら、唇が乾燥していた。ますますミイラに見えてくる。

「いろいろ探したら、AB型区に住んでいる人なら何か知っているかも、ということが分かりました」

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