不良系攻略対象と瞳で対話中にそこに割って入ってきたJKが怖いんだけど、幼気な柴犬はどうしたらいいの?


 ガチャリ、と玄関の扉が開く音がした。だけど私はその前から彼が帰ってくるとわかっていた。玄関でお出迎えスタンバイして、彼の帰りを待っているのだ。


「ただいま、あやめ」


 ご主人おかえりなさ~い!

 愛しのご主人が帰ってきたことが嬉しくてしっぽフリフリしながら彼の足に縋り付く。ご主人は笑って私のもふもふ後頭部を撫でてくれたが、ふとスラックスについた毛を見て眉を八の字にさせていた。


「抜け毛が凄いな。そろそろ換毛期か。ブラッシングしてやろう」


 もうそんな時期か。

 着替えてくるというご主人を見送り、私は階下で待機した。2階には上がらない。落ちたら危険だから登るなと厳命されているのだ。…何度かその言いつけ破って登ったけどね。


 ショリ、ショリ、とスリッカーブラシで毛並みを撫でられる。


「グルルル…」


 気持ちよくて、思わず口から唸り声が漏れ出る。


「すごい抜け毛だな。もう一体お前が作れそうだ」


 そうでしょ、毛のせいで今まで太って見えていたけど、今の私とてもスリムでしょ。

 ご主人のお膝の上で私は目をつぶってまったりしていた。至福の時間。ご主人と私のラブラブ時間は誰にも邪魔できない。


 私は柴犬。

 悠々自適に合法でニートをしている。




「ただいま」


 朝食後まったりしていた私は、かじっていたおもちゃを放り投げて玄関へダッシュした。どんなに走っても滑らない。滑り止めで廊下にマットが敷かれているのだ。リビングにもクッションマットが敷かれている。これ全部パパ上が全部設置してくれたの。ホームセンターにわざわざ出向いてくれたんだよ! フローリングで私が脱臼したら可哀想だからって。優しいよね!


 おかえりなさーいパパ上!

 夜勤から帰ってきたパパ上をお出迎えすると、パパ上はいつも硬い表情をほのかにほころばせていた。玄関を上がったパパ上の足に縋り付くと「わかった、ちょっと待て」と返される。

 パパ上、忘れたの!? 今日のナデナデがまだなのですが!

 私がナデナデを求めて足元でチョロチョロしていると、パパ上に抱っこされた。ナデナデじゃない…けどまぁいいか。


「おかえり父さん」

「…あぁ、ただいま」


 おばあちゃんが言っていたけど、私がうちにやってきてから会話が増えたんだって。なんか話の種に利用されてる感否めないけど、仕方ないよね、私みたいに可憐な柴仔犬を前にしたら口も軽くなっちゃうよね。


 私は橘家の皆さんに愛され、すくすくと成長し、日々幸せに暮らしていた。

 


■□■



「一生大事にするのでそこんところどうか…!」

「そんなこと言われましても……」


 土曜日の夕方頃、それは急な来客であった。

 私はご主人のお膝を枕にしてまったりしていた。マッタリモードの私のほっぺをもにもに揉みながらご主人は戸惑った声を出していた。


 目の前で土下座をする一人の男性。

 私を迎えることを諦めていない田端のおじさんが、私を養女に迎えたいとお願いに来たのだ。ご丁寧に菓子折り付きで。


「どこで教育間違えたの? ってくらいうちの息子荒れに荒れまくってるんだよ…!」


 この間は壁に穴空けてたし、この勢いで家を壊されそう……おじさんの胃にも穴が開いてしまいそうだよ…! と嘆くおじさん。気のせいかな。おじさんの頭も換毛期のようである。前に見たときより薄くなってるような。お揃いだね、換毛期。

 

 ハゲそうなおじさんの訴えを退けて、ご主人は私をしっかり抱っこしたままおじさんのお帰りをお見送りしていた。

 おじさんは最後まで「あーちゃぁぁん」と悲痛な声を上げていた。犬が好きなら保健所とか保護施設で引き取ったらいいのになぜ私なのだろう。

 そんなに私は養いたくなる柴犬なのだろうか。



 乙女ゲームの攻略対象である田端和真は成績急落の影響でグレるのだが、現実では家庭内暴力に発展するほど荒れに荒れるのか。

 私はご主人のお膝に乗ったままご主人を見上げた。乙女ゲームのストーリー内では攻略対象同士が関わるシーンはそう多くない。風紀副委員長であるご主人と不良系後輩・田端和真は関わり合う機会はあるのだろうか?


「…亮介、田端さんの息子さんはお前の後輩なのだろう。…その、どうなんだ?」


 私のおもちゃを持ったまま、私をちらちら見ているパパ上がご主人に尋ねていた。そのおもちゃで遊びたいなら貸してあげるから遊んでていいよ、パパ上。

 そしてご主人はといえば、その質問に表情を曇らせる。


「何度か風紀指導として話をしようとしているんだが、逃げられてる」


 この間は目の前でゴミ箱蹴飛ばされた。とご主人は遠い目をしていた。話をしようとすると尖ったナイフ状態の田端和真が暴れるのだという。それにはパパ上も同情の眼差しを送っているようにも見える。

 反抗期かなんだか知らんが、関係のない先輩相手に八つ当たりとはけしからん奴だな! どれ、私が田端和真に一言ガツンと言ってやろう!

 ご主人のお膝から降りてシュバッと立ち上がった私はご主人に「私に任せて!」と使命に燃えた視線を送った。すると、ご主人は柔らかく笑って、私の頭をナデナデしたのだ。


 そもそもご主人は受験生なのだ。

 今はまだ委員として活動しなきゃいけない時期かもしれないけど、田端和真一人に時間を費やせるわけがない。

 ここは忠犬・柴犬あやめ、動かせていただきますよ!



■□■



 そんなわけでやってきましたご主人の通う高校。攻略対象の田端和真もこの学校の生徒なのだ。

 いつものお散歩コースを外れてここに誘導すると、おじいちゃんは仕方ないなぁと苦笑いしつつも連れてきてくれた。待機中はお利口さんにして待っておく。顔見知りのギャルJKに撫でられるときだけは愛想振りまくけど。


 今日はご主人のお迎えに来たわけじゃない。

 不良の田端和真に一言ビシッと文句をつけるためである。

 クンクンと匂いを嗅ぐと、いろんな匂いに混じって匂ってくる……これは、ご主人の匂い、保健室の先生の匂い、ヒロインちゃんの匂いに……田端のおじさんに似てるけど、それよりも若々しい匂い…!


 私はキリッとした顔で正門方向へ向く。

 そしたら…いた。

 生意気にもアッシュカラーに髪を染めた不良っ子は浮いていた。制服を着乱して、ふてくされたような顔をしていた。


「わんっ」

「あっあやめちゃんっ」


 私が田端和真を発見して駆け寄ると、おじいちゃんが慌てた声を上げていた。ちょうど正門を通り過ぎるタイミングだった田端和真の前に通せんぼすると、「キャン!」とひと鳴きした。


「…お前は…」


 私の顔覚えているよね!

 田端のおじさんにお持ち帰りされた時会ったことあるもんね!

 あんたね! 反抗期もいいけど、やりすぎじゃない!? おじさんの頭換毛期なんだけど!


 私はちょっくらお説教をしてやろうと思っていたのだ。キャワキャワと吠えていると、田端和真は胡乱な顔でこちらを見下ろしている。

 ヤイ! 見下ろすんじゃないよ! 私の話を聞いているのか!

 私は田端和真へのお説教に夢中になって足元チョロQしていたら、田端和真の足にリードが絡まった。


「こらこら、あやめちゃんいけないよ」


 おじいちゃんが優しく窘めてくるが、私にも引けない理由があるんだよ! 田端和真の足に抱きついてキャワキャワ吠え続ける。

 あんたが反省して非行をやめますと誓わないなら私はあんたを離してやらん!


「…チビ、離れろ」

「ギャワン!」


 いやだ!


 私は田端和真と睨み合った。

 ──本来、田端和真は優しい子なのだと思う。

 だって現に私を蹴り飛ばしたり、無理やり引き離したりしないもの。かと言って私に怯えているわけでもない。犬嫌いとかそういうわけでもない。

 本当に性格の悪い人間なら蹴り飛ばしたりするはずだもんね。だからきっとこいつなら話が伝わる。


 私柴犬だけど、きっと田端和真とは意思疎通ができると思うんだ…!


「わぁ! その犬、和真くんのお家で飼ってるの?」


 私と田端和真の、瞳の対話を邪魔するように飛び込んできたのは女の子の声だ。

 誰だ? と私が首を動かすと、そこにはサラサラロングヘアの美少女の姿。

 ……ますます誰だ?


 田端和真を見上げると、奴は面倒くさそうに顔を歪めている。なるほど、友達ってわけじゃないのね?


「可愛いね! 私も犬好きなんだ! 柴犬? 秋田犬?」

「…柴犬」

「キョワッ」


 にゅっと腕が伸びてきて、ぐんっと勢いよく抱っこされた私はびっくりしすぎて奇声を上げた。

 私を無理やり抱っこしたのは乱入JKである。本当に犬好きなの? その割に持ち方おっかなびっくりだし、なんのコミュニケーションも無くいきなり犬に手を出すのは悪手だよ。咬まれても仕方ないんだからね。


 えぇーなにこの人ぉ、なんかヤダー。馴れ馴れしいー。

 私はいきなり抱き上げられて機嫌が急降下した。ジタジタと暴れると、彼女は「きゃっ! ちょっと暴れないでよ!」と騒いでいた。お構いなしに暴れまくると、拘束から逃れられた。

 私は華麗にスタッと地面に着地する。


 もう、なんなの。この人…やだわぁ。私のツヤツヤ毛並みが乱れちゃったじゃないの…


「あれ? …あやめちゃん…?」


 お花のような香りと優しい声に顔をあげると、そこには不思議そうな顔をしたヒロインちゃんがいた。

 ヒロインちゃーん助けてー。知らない人が急に抱っこしてきたのー。あの人苦手ー。なんかよくわからないけど苦手ー!

 私がスタートダッシュを切って、ヒロインちゃんのもとに駆け寄ると、ヒロインちゃんはしゃがんで私を優しくナデナデしてくれた。


「…そのチビのこと、知ってるんスか?」

「橘先輩のお家で飼われているあやめちゃんよね。うちの田中さんと仲良くしてくれてるのよ」


 ヒロインちゃんに優しく抱っこされた私は安堵のため息を吐き出した。あー怖かった。

 私とヒロインちゃんの親しげな様子が気になったのか、田端和真が話しかけている。下から見上げても美男美女だ。流石ヒロインと攻略対象である。お似合いだ……

 ヒロインちゃんって今誰といい感じなんだろ。ご主人とヒロインちゃんの仲を疑ったこともあるけど、今じゃただの犬友達だし…。できれば生徒会長と副会長はやめてほしいなぁ。あの人達性格悪いじゃん…。ヒロインちゃんの性格がいいだけに、悪い男に引っ掛かんないか私心配だよ…


「田端くんも顔見知りなの?」

「…うちの親父が気に入ってるんですよ。そのチビのこと」

「そうなんだ! あやめちゃん可愛いもんねぇ」


 あまりの可愛さに誘拐されたこともあります。私はドヤ顔をしてみせた。

 なんか会話が盛り上がってるみたいじゃない。ヒロインちゃん、ここはヒロインパワーで不良系攻略対象の非行を止めてくれないか。

 乙女ゲームの登場人物たちが会話するのを目の当たりにして私は少しばかり興奮していた。フンフンと2人を見比べてワクワクしていたのだが、どこからか「ギリィ…」となにかが擦れ合うような音がして、私の肉厚はんぺんお耳がピクリと反応した。


 視線の先に、歯をぎりぎりさせてこちらを睨みつける、自称犬好きJK……


 …怖い、何あの人。

 私はその顔を直視してしまったので、恐怖で尻尾をサッと隠してしまった。


「田端くんのお父さんも犬好きなんだね」

「…今までそんなことなかったんですけどね…」


 睨みつけられてるとは気づいていないヒロインちゃんは、田端和真と話をし続ける。

 ねぇ、なんで気づかないの。すごい形相でこっち睨んでるよあの人……鈍感ヒロインなの?


 あのJKが何者なのかはわからないが、恐らく田端和真を狙うモブ女子なのだろう。そこに現れた正規ヒロインちゃんの登場に歯噛みしているのだろう……


 私は帰宅途中のご主人に発見されるまで、ヒロインちゃんの腕の中で化石のように固まっていたのである。


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