あなたと二度目のバレンタイン。去年よりももっとずっと先輩が好きです。


 2月に入っても私の毎日は変わらなかった。

 学校に行って補講を受けて、家に帰ったら受験勉強をして。もちろん休みの日もみっちり勉強して。

 二次試験に向けて私は最後の追い込みをかけていた。


 大学の後期試験を終えて、春休みに入った亮介先輩がバイトの合間にうちに来て勉強を教えてくれることもあるけど……全然イチャイチャできていない。

 二人きりなのに全然何もしてくれないのが私は不満である。


「先輩、電池切れを起こしたのでハグをしてください」

「……えーと次は」

「スルーしないでくださいよ!」


 二人きりの部屋の中でハグを所望しても先輩は聞こえないふりをするんだ。

 ハグくらいしてくれよ!

 …私は深刻な欲求不満に陥っていた。


「せんぱーい…」

「あやめ、試験まであとちょっとなんだから我慢しろ」


 それを言われたらどうしようもない。私のワガママってのは重々承知の上だ。わかってるんだよ。わかってるけど……仕方ないよね…

 私は煩悩に無理やり蓋をして、中断していた勉強を再開した。


 …先輩は私とイチャイチャできなくても平気なのだろうか。私はこんなにそばに居るのにベタベタ出来ないのが辛いのに。

 ……ハグしてくれたら私はもっとやる気が出るのに……


 私は不貞腐れながら勉強を再開したのである。



 その日は朝から先輩とマンツーマンで勉強していたのだが、ピピピッと私のスマホが鳴り響いた。

 音を鳴らし続けるスマートフォンに手を伸ばす。これは私がセットしておいたアラーム音である。液晶を見れば【15:00】と表示されていた。


「先輩! 15時だからちょっと休憩しましょ!」

「そうだな」

「待っててくださいね! 用意してきます!」


 本日2月14日は私が待ちかねていたバレンタインデーである。

 たまたま今年のバレンタインが日曜だったので、私の家に来てもらった時にでも食べてもらおうと思ってチョコレートを準備しておいたのだ。

 私だけ一階に降りて、台所に入ると昨晩作成しておいた特製フォンダンショコラを冷蔵庫から取り出した。先輩に出す為にそれを温める。それと口直し用にコーヒーをドリップしておく。


 リビングから休日スタイルの父さんがこっちをジトッとした目で見てくるが無視だ。今日の父はピンクの豹が描かれたトレーナーと使い古したジャージを着用してソファーでゴロゴロしている。

 彼氏が家に来る時くらいちゃんとしてといくら言っても聞かないからもう放置だ。


 バレンタインの日に私が最初にチョコをあげるのは先輩だと決めているから、そんな目で見てもあげないぞ父よ。

 

 フォンダンショコラ、甘くなりすぎないようにして作ったけど大丈夫かな? 

 ドキドキしながら部屋にフォンダンショコラとコーヒーを持って行くと、それらを先輩の前に並べた。

 …そういえば今年のバレンタインは大学の春休みと被っているけど、先輩は他の人にバレンタインチョコを貰ったのだろうか。


「…先輩、これ今日何番目に食べるチョコですか?」

「最初だが? 今年は貰ってないから」

「春休みだからですかね。私としては独り占めしてるみたいで嬉しいですけど!」

「そうか」

 

 去年は他の人に先越されたけど、今年は最初で最後かな? やったね!

 先輩は私の作ったフォンダンショコラを美味しいと言ってくれた。甘さが不安だったけど、残さず食べてくれたので安心した。…良かった。


 糖分控えめで作ったからこれなら英恵さんも食べれると思うんだけど…と先輩にお伺いを立ててみると、暫し先輩は考え込んだ。そして「まぁ…ひとつくらいなら良いんじゃないか?」と許可をいただけた。

 お正月の時すごく食べたそうにしてたから、あぁ言ってしまった手前すごく気になってたんだ。


 気分転換で散歩がてら今から届けに行くか? と誘われたので私は二つ返事をした。

 散歩でもデートみたいなものでしょ! 行くに決まってるじゃないの!

 防寒対策+マスクを着用した上でフォンダンショコラの入った袋を持って、先輩と一緒に橘家に向かった。





「あら亮介! あやめちゃんも久しぶりね! どうしたの?」

「こんにちはお久しぶりです。あのこれ、良かったら皆さんで召し上がってください」

「まぁなぁに? お菓子?」

「バレンタインなので。フォンダンショコラを作ったんですけど」

「わざわざありがとうねぇ」


 橘家に到着するとお祖母さんが出迎えてくれたので紙袋を渡す。人数分あるから一人一個ずつ食べてもらえたらいい。


「ばあちゃん、母さんが二個以上食べないように注意しておいてくれないか」

「もう亮介ったら疑いすぎよ。少しはお母さんを信じてあげなさいな」

「母さんには前科があるだろう。砂糖のとり過ぎは良くないというのに…」


 先輩は砂糖摂取に関して英恵さんを信用できないらしい。お正月の橘父との討論はヒートアップしたものね。

 お祖母さんに玄関先じゃなんだから…と中に入るのを勧められたが、長居するつもりはなく、すぐに帰宅するつもりだったので遠慮した。

 

「亮介? 帰ってたのか」

「あぁ。あやめが渡したいものがあるって言ったから寄ったんだ」

「…あやめさん、君は受験生なのだからこのような気を遣う必要はないんだぞ」


 休日なのにキッチリした格好をした橘兄はお祖母さんの手元に目をやり、私がお菓子を持ってきたことを察知したらしい。

 そうね今日バレンタインだからわかるよね。


「これは気分転換ですよ。大丈夫です」

「…それならいいが…ちゃんとマスクするのは良いが、大事なのはうがい手洗い、きちんとした睡眠に食事だからな」


 わぁ、橘父が言ってた事と似た発言してるし。橘兄の教えにハイハイと頷いて、私達は橘家を後にした。受験勉強の息抜きで来ただけだから戻って勉強しないと。

 曇り空の下を先輩と手を繋いで歩いていく。もうすぐ3月なのにまだまだ寒い。


 去年の今日は…そうだ、色々と忙しかった覚えがある。先輩の同級生にチョコレート踏まれたり、久松にセクハラされたり…先輩と沙織さんの傍でオロオロしたり。

 あの日も…先輩と手をつないで帰ったんだよね。



「私、一年が経つのが早かった気がします」

「そうか?」

「受験から早く解放されたいけど…卒業するのは寂しくて仕方がないです」

「…それはわかる」


 3月になれば卒業。

 そして先輩とお付き合いを始めて一年が経つことになるのだ。

 早い。本当に早かった。


 去年の今頃は先輩に想いを伝えるつもりはなくてチョコレートを渡すだけでいっぱいだった。

 だけど今こうして二人並んで歩いている。

 ずっと私はモブだって、先輩は攻略対象だって思い込んで逃げようとしていたのにすごい進歩だと思う。


 彼の傍にいたいと願って、それが叶い、今も傍にいることができている。

 この先はどうなのだろうか。

 私達が歩んでいるこの道にシナリオなんかはなく、自分たちが選んで歩んでいる道なのだ。


 この先、まだ見えない未来で私達はどうなっているのだろう。

 正月に見た初夢のように大学生になった私は先輩の傍にいるのだろうか?

 更に10年後20年後の私は先輩の隣に立っているだろうか?


 言い知れぬ不安と、期待が入り混じった感情に私の体が震えた。


「? どうした寒いか」

「ちょっとだけ…」

「早く帰ろう。…冷えてきたな」


 その震えが手を繋いでいた先輩に伝わっていたらしく心配させてしまった。


 …考えるのはよそう。

 悩んだってわからないものはわからない。

 この大きな手はしっかりと私の手を握ってくれる。今はそれだけでいいじゃないか。


「…先輩、私去年よりももっと先輩のこと好きですよ」

「……何だ急に。熱でもあるのか」

「ありませんもーん」


 好きなんだもん。愛を伝えるくらい良いでしょ。

 見上げた先輩の顔は少し照れた表情をしていたので私はついついニヤけてしまった。 

 もう可愛いんだから。


「…ハグしてくれても良いんですよ?」

「……我慢してるのはお前だけじゃないんだからな」


 そう言いながら先輩は屈んで、私のマスクを外すとそっとキスをしてきた。触れるだけの軽いキスだったけど今の私にはそれだけでも元気の源。

 まだまだ受験勉強頑張れそう!


 どさくさに紛れて先輩の胸に抱き着いたら仕方ないなとハグし返してくれた。う〜幸せ。

 先輩の胸に抱きつきながら私は思った。

 先輩の唇カサカサだから後でリップ塗ってあげようって。



 その後私の家に戻ると、体を冷やしたんじゃないかと心配した先輩にセーターとかカーディガンを幾重にも厚着させられた。

 

 脱ぐことを許されずに、ジットリ汗をかきながら勉強を再開する羽目になったのだった。

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