喧嘩したら早めに仲直りしたほうがいい。意地を張っていたらどんどん謝りにくくなるから。
「あやめちゃん? どうしたの?」
花恋ちゃんの心配そうな声に私はハッとした。
先頭の私が動かなきゃ渋滞するに決まってるのに私は棒立ちのまま突っ立っていいた。
いかんいかん。ついついボーッとしていた。
亮介先輩と喧嘩別れして3日経った。
私も連絡をしていないけど、彼からも連絡は来ないままである。
ちゃんと本音で話したら結局喧嘩別れしてしまった。やっぱり言うべきじゃなかったじゃないの…
現在は放課後で体育祭の種目、三年女子のムカデ競争の練習中だ。これ地味に難しい。
私は気を取り直して練習をするが、やっぱり先輩のことが頭にちらつく。
もやもやした気持ちを抱えながら、このまま先輩と別れてしまうのだろうかと一人沈む日が続いていた。
フラフラと様子のおかしい私を気遣ってくれたのか花恋ちゃんが「甘いものを食べに行かない?」と誘ってくれた。
私は彼女の誘いに乗って、繁華街近辺のクレープ&ジェラート専門店でガトーショコラ入りオレンジジェラートクレープを頼んだ。
体重とか腹の肉のこと気にしているくせにカロリーの魔物を食べている自分の意志の弱さに嫌気が差す。
あぁでも、おいしい。
「ひとくちちょーだい!」
「……」
「久松君どうしてここに?」
「ちょっと翔!? 誰よこの女!」
クレープでちょっと気分が浮上したというのに、私は一瞬で最低な気分になった。
またもや女連れで…コイツいつも連れて歩く女が違うなぁ…知ってたけど。
私は奴に向けて軽蔑の眼差しを向けた。
「もーらいっ」
食べていいなんて一言も言っていないと言うのに、パクッと私のクレープに大口でかぶりついた久松。
イラッとした私は無表情でヤツの足の甲に踵落としをした。
「いってー! ちょ、アヤメちゃん! これ本当に痛いの! 青痣が消えないんだよ!?」
「そうなるように踏んでるんだよ。知らなかった? てめぇふざけんなクレープ返せ」
上に乗っかっていたオレンジジェラートの8割が消え去ってしまった。ていうかこいつと間接キスしたくないのでこれを食べ進めるのはしたくない。
だけど勿体無い。どうしたら良いのだろうかこれ。
横で久松が足が痛いとうるさいけどもシカトしておく。
親の仇のような顔をしてクレープを睨んでいると、とある人物に声を掛けられた。
「あれ? あやめちゃん?」
「……植草さん…?」
「久しぶりだね〜…友達とクレープ食べてるの?」
「はぁ…まぁ…」
まさかの植草兄である。今日もちょいワル兄さん風のイケメンだな。
彼はこっちを小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。
「あやめちゃんって意外と暴力的なんだね〜見てたよ〜」
「…否定はしません。………?」
息を吸うように植草兄から笑顔でディスられていると、私の視界にあの色が映った。
その人は見目の良い男性の腕に抱きついてあの自信満々な笑みを浮かべていた。その肩には新品のブランドバックが掛けられている。
「……!?」
だけど隣にいる男性は、亮介先輩じゃなかった。明らかに10以上年の離れた社会人の男性だった。
私は混乱する。
あなた、私に宣戦布告したじゃないのよ。亮介先輩のことが好きなんじゃないの? その男は誰なのよ。めっちゃ親密そうだけど…まさか短時間で気が変わったとでも言うの?
私が目をカッと見開いてその人を目で追うのを観察していた植草兄が「あぁ」と呟いた。
「サークル荒らし女王じゃん。あやめちゃん知ってるの?」
「!? サークル荒らし女王!? なんですかそれ!!」
あまり名誉な称号ではないなそれ。
植草兄は眉をひょこっと器用に上に上げると、視線はあの人に向けたまま教えてくれた。
「名前のとおりだよ。大学ってさ、サークルによっては他の大学と親交があるわけ。それの延長で飲み会とかがあるわけなんだけど……サークル生でもないのに参加して、見目の良い男達に唾を付けているんだよ。そのせいでカップルが破局したり、サークル内も荒れて、実際に無くなったサークルもあるらしいよ」
「……は? え…なんで?」
「欲しいものは彼女がいる男でも何でも奪う。手に入れた男に散々貢がせた挙げ句にゴミのように捨てる。…どうせあの女の持っているカバン同様ブランド品とでも思ってるんじゃないのかな?」
あまりな内容に私は開いた口が塞がらない。
ということは、先輩のことも同様に利用してポイ捨てする気だったと…?
私はあの女をとっ捕まえて問い詰めたい気分になったが、そんな事しても何も得はしないのでやめておく。
だけど居ても立ってもいられない気持ちになった。
「美人でも俺ならごめんだね。それにあの程度なら紅愛のほうが」
「教えてくれてありがとうございます。お礼にこれあげます」
シスコンがなんかぼやいているが、私は植草兄の手に久松の間接キスクレープを握らせると、花恋ちゃんに「ごめん! 私、用事思い出したから行くね!」と謝罪して踵を返した。
後ろで花恋ちゃんが「頑張って!」とエールを送ってくれたのが聞こえた。それに後押しされるように私は一度だけ行ったことのある、あの場所に急いで向かって行った。
…あのアマ、そういう意味での「貰うわね」だったのか! 許さん!
先輩が穢される前に説得しないといけない!!
☆★☆
【ピーンポーン! ピポッポポーン!】
勢い余ってチャイムを連打してしまった。
感情に任せて来てしまったけども彼はいるだろうか。
応答を待つ間が長く感じた。
走ってきたせいか、それとも緊張なのか私の心臓はバクバクしている。
……応答がない。
やっぱり居ないのだろうか。
私はがっかりと肩を落とす。
だけどここに待ち伏せするのもアレなので、今日の所は帰ろうと踵を返した。
先輩の部屋のドアに背中を向けて三歩くらい歩き始めた時、ガチャリと解錠される音がしてドアが開かれた。
振り返る間もなく、そこから伸びてきた腕に私は引きずり込まれた。
「!?」
「………」
私は先輩に抱きしめられていた。
いきなりのハグにびっくりして固まっていたが、先輩の腕の力はなかなか強く、少々苦しくなってきた。
「…先輩苦しいです。……私、話をしに来たんです」
そう言うと、先輩の腕がピクリと動いた気がする。
私は先輩の胸に埋まっていた顔を上げて、先輩と目を合わせると私は真剣な目で言った。
「…先輩、あの人はやばいです。先輩のこと狙ってますけど、あの人…光安さんと付き合ったらブランド品のように扱われ、貢がされてポイされます」
「………は?」
「他の男の腕にも抱きついてたんですよ! サークル荒らしの女王って他の大学でも有名なんですって!!」
真面目な先輩みたいなタイプが一番引っかかりやすい女だと思うんだ!
「……話というのはそれなのか?」
「え? …あ、えっと」
サークル荒らしの女王の話を聞いて慌ててやってきたけども、そう言えば私達喧嘩別れしたんだった。
だけどあの時言ったことは本音だ。
謝るというのは…
「…当てつけみたいにお兄さんの腕に抱きついて見せてすいませんでした。だけどああでもしないと先輩は分かってくれないかと思って」
「……俺も、お前の気持ちを推し量ってやれてなくて悪かった。本当にすまない。だけど、ああいうのはもうやめてくれ……兄さんには話すのに、俺には何も話してくれない……俺はお前の一体何なんだ?」
そう言って私の頬を撫でる先輩。
大きくて優しい手の感触に私の目にはジワリと涙が浮かぶ。
「ご、ごめんなさい、わたし嫌われたくなくて、」
泣きたくないのに、涙がこみ上げてきて私の声は震える。
「…私、本当は信じたいんです。だけど不安で仕方がないんです。…嫉妬心をぶつけたら、先輩にうんざりされちゃうんじゃないかって怖いんです」
「…何を言ってるんだ」
「私は地味なんですよ!? 化粧してもそれなりにしかなれない。なんにも魅力がないんです! 先輩の隣にいても釣り合わないんです。だから嫉妬をして先輩にうんざりされて嫌われるのが怖かった…だから我慢してたんです」
自分のコンプレックスを先輩にぶつけてもどうしようもないのに私は止められずに先輩に向かって吐き出していた。
「私、彼女なのに先輩に何もさせてあげられてない」
「…そんな事ない」
「だって! 光安さんが、先輩と寝てないでしょって、先輩可哀想だって…先輩もらうって言ってたんですもん!」
私はしゃくり上げ始めた。
泣いたら私の鎧が取れてしまうというのに。
決壊し始めた私の涙を先輩の指が拭う。涙で視界が歪んでいるけどもきっといま先輩は困った顔をしていると思う。
「……俺はお前の中身を好きになった。それだけじゃダメか? そりゃあ俺も男だからいずれはお前とそういう行為をしたいとは思っているが……その行為をする為にお前と付き合ってるんじゃない。お前が好きだから一緒にいるんだ」
「でも、でも…」
先輩の言葉は嬉しい。私を大切にしてくれてるって感じるから。でも他人の言った言葉が深く突き刺さってそれだけじゃ私は安心できなかった。
不安なのだ。怖いのだ。先輩の言葉だけを信じたいのに、雑音が耳に残っていて言いようのない不安が襲ってくるのだ。
「それに他人の言葉を気にする必要はないと思うんだが?」
「先輩はカッコいいからわからないんです! 私だって、和真みたいにキレイな顔立ちなら、堂々と胸を張って先輩の隣に立てるのに、どうして私はこんななんだろ…」
先輩が私の頬を指で撫でて宥めてきた。
だがしかし、私の容姿のコンプレックスは相当根深い。
もしも美形な弟じゃなかったらここまでではなかっただろう。
田端あやめになる前の前世の記憶がうっすらあるにしても、私は私。田端あやめなのだ。今まで受けてきた心の傷は今でも尚、私の心に巣食っている。
こんな事を先輩に言っても仕方ないと分かっている。だけどどうもこの間から負の感情が表に出やすくなっていて止まらなくなっていた。
「…お前が色々と不安に思ってるのを知ってたが、ここまで思いつめさせていたとは思わなかった……本当にすまん。俺も行動を改めるよう努力する。だけどすぐには無理だから何か気になることがあったらその都度言って欲しい」
「…でも、重い女っていやでしょ?」
スンスンと鼻を啜りながら、ポケットからハンカチを取り出して涙を拭う。
いつまでも玄関で話していても仕方がないからと先輩に手を引かれて部屋の中に通された。ワンルームの部屋に配置された二人掛けの小さなソファに座らされると、隣に先輩も座った。
「…程度によるけど、お前のそれはそこまで負担に思わない。…俺達はお互いのことを全ては分かっていない。俺もお前に話していないことがあるし、俺だってお前の過去に何があったかも知らない。話したくないことは話す必要はないけど、今回みたいなことで我慢するのはやめろ」
「…でも私、うんざりされて嫌われたくないんです」
こんなにも気分が落ち込むのは梅雨のせいなのだろうか。光合成しないと調子が出ない植物と同じなのか私は。
大体、何でもかんでも話すっていうのは今は良くても、そのうち愛想つかされそうで怖い。
自分のこの言いたいことを押し殺す姿勢は良くないとは自分でもわかっている。だけど好きだからこそ臆病になってしまうのだ。
暗い方に考え込んでいた私は俯きがちになっていた。
すると何を思ったのか、いつまでもうじうじジメジメしている私の鼻を先輩がぶにっと摘んだ。
「ふぐっ!?」
「お前は何でもかんでも我慢しすぎだ。今度からグダグダ考えてないでちゃんと言え。交際は二人でするものだとお前が言ったんだろうが」
「でも」
「でももしかしもない」
先輩に鼻を摘まれて目を白黒させていた私だったが、先輩の腕に引き寄せられて彼の胸に収まった。
先輩の大きな手が私の頭を撫でる。
「ごめんなさい…」
「もう泣くな。分かったから」
溢れてくる涙が先輩のシャツに染み込んでいく。
マスカラなのかアイライナーなのかわからないが、先輩のシャツに涙と共に染み込む黒い染料。
あ、私完璧アイメイク落ちてるわ。
「先輩、ちょっと…化粧直ししてもいいですか?」
「今ここで言うか?」
顔を見られないように下を向いていたのだけど、先輩に顔を上に向けられてしまった。
先輩と目が合った私は自分の裸を見られたような気分になり、顔を逸らそうとしたが、先輩は何を思ったか私の化粧が落ちてぐちゃぐちゃの顔のあちこちに口付けを落とし始めた。
「や、ちょ…すっぴんだから見ないで!」
「大丈夫、可愛い」
「え…」
その言葉に私はぽかんとする。
だって先輩が私を可愛いと言ったのは初めてだったから。
この流れで言われるのは慰めなのかもしれないと私は疑ってかかってていたけども、そんな私の内心を読み取ったのか先輩が眉をしかめた。
「…お前、今お世辞だとか思ってるだろう」
「…なんでわかったんですか?」
「顔に出てる。……健一郎に言われた時はヘラヘラ笑っていたくせに…」
「いつの話してるんですか」
拗ねてしまった。
だいぶ前のこと引っ張ってきたぞこの人。
「…俺は気の利いた言葉を言うのが下手くそなんだ。知っているだろう」
「…先輩、拗ねても可愛いだけですよ」
「……男に可愛いとか言うな」
ムッスリした先輩が私の唇に噛み付くようなキスを落とした。
私はそれを受け入れていたのだが、なんだか先輩に体重をかけられているようで、後ろに倒れそうになるのをなんとか踏ん張った。
だがしかし、先輩は尚も体重をかけてくる。その重みに耐えきれずに私の体はソファに倒れ込んだ。
ソファに寝転んだ私の上に乗り上がった先輩と目が合った。
「先輩、」
「…あやめ」
頬を撫でられ、先輩の唇が私の唇をなぞるように触れて重なった。それと同時進行で彼の手が私の胸の上に乗っかっていた。
ここまで来て何もわからないほど私もおこちゃまではない。目標体重にはまだ到達していないが、このまま先輩に抱かれても構わないと思っていた。
私の制服のリボンの留め具を外され、カッターシャツのボタンに手がかかる。
部屋が静かすぎて、心臓がドキドキしているのが自分の耳に大きく聞こえてくる。この音が先輩にバレているかもしれない。
シャツの一番下のボタンまで外されると、下着の上に着用しているキャミソールが現れる。その上から大きな手が私の身体を撫でてきた。
そんなにマジマジと見ないで欲しい。恥ずかしいから。
あとお腹は触るなとあれほど言っているのになんで触るかな。ポンポンは撫でなくていいです。
先輩の熱い手が私の首から鎖骨を撫で、キャミソールに指をかける。私はドキッとして先輩の手を掴んで止めようとしたが、その動きを読んだらしい先輩は私の鼻の頭に宥めるようにキスを落とす。
好奇心の裏に隠れた未知の恐怖をごまかすために、先輩の首に抱きついて自分からキスをした。
【♫♪♬……】
そのタイミングで着信音は流れた。
私達の動きはピタリと止まり、私の鞄に目が行く。
私は手の届く距離に置いてあった鞄に手を伸ばしてスマホを取り出して見ると、液晶画面には【母さん】と表示されていた。
それを見ていた先輩も出ていいと頷いていたので私は母からの電話に出た。
「…もしもし…?」
訝しげな声が出ていた気がする。
だけど電話口で言われた母の言葉に私はハッとした。
「ご、ごめん。すぐ帰る。うん、じゃあね」
電話を切ると、開かれたカッターシャツの前を手で抑えながら私は先輩に頭を下げた。
「門限が迫ってるんで…その、すいません……」
「………わかった。送っていく」
20時近くになっているなんて気づかなかった。
私は慌ててカッターシャツのボタンを締めていたのだけど、ソファから立ち上がった先輩が背中を向けた状態で深い溜め息を吐いているのが聞こえて、何だかとても申し訳ない気持ちになったのである。
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