お子様扱いされた。私は先輩の一個下なんですけど。

 あんまり心配していなかったけど、卒業式から三日後、亮介先輩の志望大学合格の報告が来た。

 先輩は自分の担任に報告するために、夕方頃学校に来るとのことだったのでそのついでに一緒に帰る約束をしていた私は化粧直しをしながら教室で先輩の連絡を待っていた。


「あやめちゃん帰らないの?」

「亮介先輩待ってるんだ。今、担任に合格報告しに来てるからそれ終わるの待ってるの」

「そっかぁ。じゃあまたね」

「うんばいばい花恋ちゃん」


 ここ数日私の顔の筋肉は緩みっぱなしである。この世の春と言っても過言ではない。

 一人でスマホを眺めながらニヤニヤ笑っていると亮介先輩から連絡が来たので急いで昇降口に降り立った。

 昇降口で待っていた先輩と肩を並べて私は帰宅の途についたのだが、私服の先輩と一緒に制服のままで帰るのに若干違和感がある。先輩は卒業しちゃったから仕方ないんだけどさ。

 それよりも今もこうして彼の隣に堂々と立てるのが幸せだからどうでもいいか。



「亮介先輩、合格おめでとうございます。大丈夫だろうとは思ってましたけど、これで一安心ですね」

「ありがとう。…ただ手続きや引っ越しでちょっとバタバタすることになるからまだ安心できないんだ。学用品も買わないといけないし…」

「あ、それなら引っ越しのお手伝いしますよ? 私片付け得意だから」

「いや、大丈夫。大方荷物はまとめてあるし、そんなに多く持ってくつもりはないから」

「……そうですか?」


 先輩に遠慮された私はムウ、と唇を尖らせた。

 先輩の一人暮らし先見てみたかったのに。


「でも落ち着いたら遊びに行ってもいいですよね? だって私…か、彼女…ですし……」

 

 自分で言って自分で照れる私。両手で自分の顔を覆って赤くなった顔を隠す。

 私の問いに対して先輩は暫し沈黙した後、私をジト目で見てきた。

 

「……構わないが…お前分かっているのか?」

「え? 何が?」

「……男の部屋に来ることの意味だ」

「? 分かってますよ? 私、先輩のお家だから行くんですよ? だって彼女ですもん!」

「全然分かってないなお前…」


 えへえへとニヤける頬を抑えないで先輩を見上げると、なぜか亮介先輩は首を横に振って嘆いていた。

 なんで? 何その反応。

 なんでそんな反応するのか先輩に追求したけども先輩は答えてくれなかった。


「お子様なお前とはしばらく外で会うことにする」

「えー!?」


 お子様扱いされた。

 解せぬ。

 

 お外デートもいいけどお家でまったりデートもしてみたい。

 なのに後者はお預け食らって私はしょぼんと項垂れたのである。

 



 電車に乗ると人が多く座れそうになかったため、窓際に立って先輩とおしゃべりしていると「亮介、あやめさん」と橘兄が声をかけてきた。

 最近よく会うな橘兄。


「兄さん、今帰りか」

「あぁ…また君は化粧が濃くなって…」

「このお陰で防衛できるようになるんですよ。安いもんでしょう?」

「…皮肉なものだな」


 あの痴漢のことを思い出した橘兄は渋い顔をしていた。余程痴漢を取り逃がしたことを苦々しく思っているんだろうな。気にするなと言ったのに真面目だなぁ。さすが亮介先輩の兄なだけある。

 私達の話を聞いていた亮介先輩はそれが何の話がわからず、私と橘兄を訝しげに見比べていたのだが……そう言えばこの話してなかったな。


「何の話だ?」

「お前の卒業式の朝、彼女が電車で痴漢に遭っていたんだ」

「は!?」

「で、お兄さんが取り逃がしたんです」

「それを言うな」

「ホントの事じゃないですか」


 私と橘兄の話に先輩はぎょっとした顔をしていた。


「先輩大丈夫ですよ。私、地味にしてたから痴漢に遭っただけで、化粧派手に戻したら痴漢なくなったんで!」

「いやいや! そういう問題じゃないだろう!」

「もっと言ってやれ亮介」

「大丈夫ですって。痴漢にはいつも踵落とししてますから。久々すぎて油断してましたけどお尻触られただけだったから」


 安心させようと笑い飛ばしていたのだが、 目の前の亮介先輩の顔はとっても怖い顔になった。

 はっ、踵落としにドン引きしたのだろうか…


「……お前の門限は20時だったな?」

「? はいそうですよ…?」

「じっくり話したいことがある。そうだな。あのファーストフード店で話そうか」

「えーなんですか? あんまり楽しそうな話じゃ無さそうですね…」


 あぁ説教かな…彼女になっても変わらないのか…

 なんて言えばよかったんだ…

 怖かったの〜って泣きつくほど私は可愛げもないし、地味な時に何度も痴漢被害にあってきたのでまたかよという諦めもある。

 それに私は毎度踵落としや肘打ちなどやり返しているので被害者なだけではない。 


 あーぁと諦め半分のテンションで遠くを眺めていると、電車の座席の列の向こう側の通路で不自然な動きを見せるサラリーマンが視界に入った。なんだかどこかで見たような特徴的なメガネをしている。…それにおでこのあの大きなホクロには見覚えがあった。

 少々混んだ電車の中、そのサラリーマンは気の弱そうな若いOLさんの後ろにピッタリくっついており、その手は彼女のお尻を撫でていた。


「お兄さん! あいつ!」

「ん? あっ!」

 

 私は同じく痴漢の顔を目撃した橘兄に痴漢の存在を知らせると彼はカッと目を見開いた。

 そして大股で痴漢に近づいていくと、流れるような動作で腕を捻り上げていた。

 橘兄もなにか武道習ってるのかな。強いわぁ。


「いてててて!!」

「この間はよくも逃げてくれたな…今度という今度は絶対に許さん」

「お兄さん、悪役みたいな顔になってますよ」

「やかましい」


 余罪がありそうな痴漢は鬼の形相した橘兄にガッチリ捕獲されて駅員に突き出されていた。


「あ、あのっありがとうございました!」

「…お礼なら彼女に言うといい。彼女が真っ先に気づいたから」


 助けられたOLさんは顔を真っ赤にして橘兄を見上げていたが、橘兄の反応はドライなもので発見者の私に振ってきた。

 なんかすごいがっかりした顔でOLさんにお礼言われたんだけど。なんでがっかりされなあかんのよ。

 あれか? 橘兄もイケメンだから痴漢救出から始まるラブロマンス的なこと想像したのかな。

 

 橘兄は雪辱を果たしただけなんだけどね。めっちゃ悔しそうだったもん。




 私はその後最寄り駅に到着した後に予定通りファーストフード店にて亮介先輩から説教を受けた。

 ちなみに橘兄はあっさり帰っていったよ。しかも別れ際に「しっかり絞られてこい」と捨て台詞を投げかけられた。なんてお人なんだ。

 亮介先輩の説教は基本的に理詰めだ。つまり長い。反論しようものなら論破されて余計に長くなる。正論を言っているからぐうの音も出ない。無駄な足掻きしか出来ないってわけだ。

 先輩が風紀副委員長だった当時、風紀指導で幾度も説教を受けてきた私はへらへらと茶化して余計に説教を長引かせていたものである。


「いいか、わかったか」

「はい…」


 うう、説教を受ける予定なんてなかったのに…なぜ、彼氏彼女になっても変わらないこの関係……

 先輩にこってり絞られた。

 私には危機感がないと怒られたけど、悪いのは痴漢じゃないの。私は悪くない。何故怒るんだ。

 そう反論したら先輩は「俺は心配だから注意してるんだ」と更にくどくどと。

 今度は反撃するから大丈夫って言っているのになんで信用してくれないんだか。


 ようやく先輩の説教が落ち着いた頃、私は先程から思ってたことを質問した。


「…あのう、お兄さんもなにか武道を習っていたんですか?」

「兄さん? 兄さんは合気道を習っていたぞ。最近は腕鳴らしで道場に行くだけだが」

「……私もなにか武道習ったほうがいいんですかね」

「やめろ。余計心配になる」

「ムエタイとかどうですか? 私、脚力には自信があるんですよ」


 いい案を思いついたと思ったんだけど、亮介先輩は即反対していた。

 なんでよ。今のこの世の中、身を守る術を身につけるのも一つの策だと思うんだけど。私のことが心配なら賛成してくれてもいいじゃないの。

 やる気に満ちた表情でキックボクシングはどうかと提案してみると、先輩は頭を抱え、深い溜め息を吐き出した。


「……頼むからやめてくれ…」

「そんなに落ち込まなくてもいいじゃないですか」


 もしかしたら女性にはムキムキになって欲しくないタイプなのかな亮介先輩は。

 あの道極めてる女性って肉体美だからなぁ…

 …それとも自分より強くなってほしくないとか? それは流石にないと思うんだけどな。


「あ、でも空手ならそんなにムキムキにならないかもしれませんよ」

「何の話をしてるんだ。お前が武道なんて習ったら余計怪我とかトラブルに巻き込まれそうだから言ってるんだ」

「来年度は大丈夫ですよ!」

「その自信はどこから来たんだ?」


 先輩は相変わらず心配性だ。もうトラブルに巻き込まれることはないと思うけどゲームのことを話しても信じてもらえないだろうしなぁ。

 この話は終わり、血迷うんじゃないぞと先輩に念押しされ、私達はファーストフード店を後にする。先輩はちょっと疲れた顔をしていたが家まで送ってくれた。ごめんなさい。疲れさせるつもりはなかったんですけどね。

 家に到着すると私はいつものように先輩にお礼を言った。


「送ってくれてありがとうございます」

「…あやめ」

「はい?」


 辺りをキョロキョロしていたかと思えば、先輩は身を屈めて私に軽くキスしてきた。

 私はそれにボッと頬を赤くする。


「…じゃあまたな」

「…はい…」



 あぁ、私はたしかにお子様なのかもしれない。

 軽いキス一つでこんなにドキドキしてしまうのだから。


(先輩って意外とキスするの好きなんだな…)



 先輩の言うお子様と私の考えるお子様の認識の違いに気づくのはそれから数日後になるが、ここでは全くの蛇足である。

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