私はヒロインじゃない。だけどあなたが好きです。
風紀室には窓の外を眺める橘先輩がいた。
彼は私の声に反応して振り返ると目を丸くして私を見てきた。
私が格好変えると高確率で先輩びっくりしてるよね。そんなに驚かなくてもいいのに。
「…田端…? どうした、何があった」
「最後くらい風紀を守ろうと思ったんですよ。でもそのうち戻しますから」
何があったって…先輩、今まで散々髪のこと注意してきたのにいざ黒くしたら、その反応は無いでしょう。
私は緊張していたがそれを誤魔化すようにいつものノリで先輩に近づく。
先輩の胸元には卒業生が皆付けている花が飾られていた。風紀室の長机の上には鞄の他に記念品や卒業証書の入った筒が置かれており、それを改めて目にすると「卒業しちゃうんだな」と嫌でも実感する。
「…そのままでも充分似合うと思うが」
「髪を染めて派手にするのは私の鎧なんですよー。いいじゃないですか先輩には迷惑かけなくなるんだし」
そうだ。もう先輩は高校を卒業した。風紀副委員長として私を注意することも無い。
……私は軽口を叩くために先輩に時間を作ってもらったわけじゃないのだ。
顔をキリッと真面目なものにして、先輩を見上げた。
「まずは橘先輩、ご卒業おめでとうございます」
「…ありがとう」
「この一年間、風紀とかトラブルとか多大なご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。それと色々お気遣いいただき本当にありがとうございます」
私はそう言うと深々頭を下げた。これは本心だ。私は間違いなく問題児で迷惑しかかけてない。先輩にとって私は手のかかる後輩だったに違いない。
その辺は大変申し訳なく思う。
今まで本当にありがとうございます。
そして私はゆっくり頭を上げると、大きく息を吸った。
頑張れ私。
大丈夫、大丈夫だ。
振られる覚悟はできている。
最初私は橘先輩を攻略対象としか見ていなかった。
攻略対象だからヒロインとくっつくもの、ヒロインのものだという意識が強くあった。つまりゲームのキャラクターとしてしか見ていなかったのだ。
だけど自分自身気づかぬうちに、先輩と関わっていく中で先輩に恋をしている私がいた。
もう攻略対象とかゲームのキャラクターとかそういう存在じゃなく、ただ一人の男の人として私の目は彼の姿を追っていた。
…だから、今日という日に私はモブを卒業し、ただの田端あやめとして橘亮介に想いを伝えると決めたのだ。
「先輩! 私本当は黙っておこうと思ったんですけど、どうしても言わせてほしいことがあります!」
さぁ、言うんだ私。
心臓がバクバクする音が耳に大きく聞こえてくる。
ギュッと握っている私の両手は手汗がすごいし、寒い時期なのに変な汗かいてきた。
「わたし、私っ」
「待て、言うな」
さぁ告白するぞって時に当の橘先輩からまさかの制止をされた。一世一代の告白を止められた私は呆然とする。
…まさか、橘先輩も私の気持ちに気づいていて…告白を聞きたくなかったとか?
私は告白すらさせてもらえないのか…?
じわりと自分の視界が涙で歪んた。それにぎょっとした橘先輩が近寄ってきたので私は後ずさる。
「田端…」
「わ、私振られても先輩のこと引きずったりしないのに。すっきり諦める覚悟で来たのに!」
「は? 何を言ってる?」
「私には告白すらさせてくれないんですか!!」
私の声は悲鳴のようになっていたと思う。
もう無理だ。
このままここに居ても私は泣いてしまう。
最後の最後まで先輩に迷惑をかけたくはなかった。綺麗にさよならしたかったのに。
感情が高ぶっている私は先輩の制止を無視して叫んだ。
「私は橘先輩のことが好きでした! …さよなら! お元気で!!」
私の告白に先輩がどんな顔していたか。私は怖くて見ることが出来なかった。
こんな別れ方したくなかったのに。
ぐるっと踵を返して風紀室を出ていこうと私は引き戸に手をかける。涙が迫り上がっており、今にも溢れてしまいそうだったから一刻も早くここから立ち去りたかったのだ。
しかし、風紀室から出ることは叶わなかった。
先輩の長い腕が私の身体を包み込むように後ろから抱きしめているのに気づいたのは数秒後。
「やっ! 離して! 慰めなんて要らない! 自惚れさせないでくださいよ!」
「…お前というやつは……人の話を聞け」
「先輩! 離して!」
耳元で先輩の声が聞こえる。
私はドキドキというか、胸が苦しくて仕方がなかった。だけどそれはときめきとかではない。
先輩のこの優しさが私を余計に苦しくさせる。
好意がない人に優しくするのは逆に残酷なことなのに。
私はその腕から逃れようともがいたが先輩の腕は緩まない。
泣くつもりはなかったのに、涙が頬を伝う。聞き苦しい嗚咽まで漏れはじめてしまう始末だ。
泣きじゃくる私の耳元で先輩がため息をつくのが聞こえた。
「田端。……俺はこれで終わりにするつもりはないぞ」
「……えっ」
終わりにするつもりはない?
…後輩としてこれからも付き合うってこと?
……なんでそんな残酷なこと言うの?
「や、やだ、私そんなんじゃ諦めきれない」
「…だから聞け。……すぐに突っ走るところがある危なっかしいお前を守れるのは俺だけだろう」
「…え?」
ぎゅう、と私を抱きしめてくる力が増した。
「……お前を他の男には渡さない」
「………」
え、なに? それってどういう意味?
私、自惚れてもいいの?
「…なにこれ夢?」
「お前な……俺は元々気の利いたことを言うのは苦手なんだからな」
先輩は呆れた声を出して、抵抗を止めた私の体をぐるりと反転させた。対面した先輩は真剣な眼差しだけど、頬と耳が少し赤くなっている。
彼はぎゅっと眉をしかめていたが、照れくさそうな顔をしてるんだと分かった。
「…夢じゃない。…お前が好きだ、田端」
「……!」
ウソでしょ? …今、好きって言った?
え、本当に? 夢じゃないの?
やばい私、嬉しすぎて死ぬかもしれない……
私の涙は更に溢れた。勝手に溢れてくるのだ仕方がないだろう。
ボロボロと涙を流す私の頬を先輩の手がぎこちなく撫でる。その長い指で私の涙を拭ったかと思えば、先輩は大きな体をかがめて顔を近づけてきた。
先輩の整った顔がゆっくり近づいてきたのを私はぽかんと眺めていたのだけど、そのまま先輩の少しカサついた唇が私の唇に重なった。私の唇に軽く撫でるように触れたかと思えば角度を変えて重なる。
これがファーストキスな私はされるがまま固まっていた。
ちょっとまって、ちょっと、息、息が。
ついでに心臓が暴れまくって死にそうです。
先輩の胸を叩いて唇を解放してもらうと私は体内に酸素を取り込もうと空気を吸い込んだ。先輩は「…鼻で息しろ」と低く囁いて再度私の唇を塞ぐ。
…泣いてるせいで鼻が詰まって息ができません!
私は唇が解放されるまで息を止めていたのである。
☆★☆
卒業生はもう下校する時間だが、友人・後輩との別れを惜しんで大多数がまだ校内に残っていた。
橘先輩と手をつないで正門に向かっていると、風紀委員や柔道部員に囲まれていた大久保先輩がニヤニヤしながらこっちに近寄ってきた。
「やーっとくっついたか。思ったより時間がかかったな? 亮介」
「…うるさい」
「田端姉知ってるか?? コイツ先週の金曜めっちゃ凹みながら帰ってたんだぜ?」
「え?」
大久保先輩は橘先輩をからかうような笑みを浮かべていた。
橘先輩が「健一郎、余計なこと言うな!」と怒っているけど大久保先輩は種明かしした。
「本当は金曜の帰りにお前に告白するつもりだったらしいぞ。だけどお前が本橋と帰ったから言えず仕舞いで意気消沈してたんだぜ」
「健一郎!」
「…言いたい事ってその事だったんですか?」
「……」
橘先輩は恥ずかしそうに私から顔を背けた。
私はいつものイタズラ心が湧いてぐるっと回って先輩の顔を確認しようとしたけどホールドされて見ることが出来なかった。
先輩! ちょっと公衆の面前だからこれはちょっと恥ずかしいですってば!
「お〜お〜お熱いことで」
冷やかしてくる大久保先輩に橘先輩だけでなく私まで照れてしまう。
その後、風紀の面々から卒業おめでとうございます。と言葉を送られている先輩方を隣で見守っていると、背後から橘先輩を呼ぶ渋く落ち着いた声がした。
「亮介」
…あれ?
私はその声になんだか聞き覚えがあった。
なんだろう、どこかで…
橘先輩が振り返ると同時に私も振り返った。
「じいちゃん」
「亮介、卒業おめでとう。次は大学か」
「あぁ、ありがとう。それとわざわざ来てくれてありがとうじいちゃん」
先輩、お祖父さんのこと「じいちゃん」って呼んでるんだ。なんか可愛いと思う私はおかしいのだろうか?
先輩のお祖父さんがふと私に視線を向けてきて目が合った時、やっぱりどこかで会った気がした。先輩の面影があるとかそんなんじゃなくて…
「そのお嬢さんは?」
「あ…付き合うことになった、田端あやめさんだ」
「付き合いたてホヤホヤなんスよ〜」
「健一郎やめろ」
ここでも大久保先輩が茶々を入れてくる。
見てみろ。橘先輩の額の血管が今にも切れそうになってるからやめたほうがいい。
橘先輩は大久保先輩を締め上げようとしていて、こうして見ると橘先輩がただの男子高生に見えた。
若者の元気な様子に橘先輩のお祖父さんはにこやかに笑っていた。
……やっぱり、もしかして。
私は橘先輩のお祖父さんを見つめて、とあることを確信した。
「田端あやめさん…はじめまして。亮介をよろしくね。これからも仲良くしてやって欲しい」
「はい。…あの、失礼ですが、三年前この近所にある神社の夏祭りで下駄を直してくださった方ではありませんか?」
私が先輩のお祖父さんにそう質問すると、大久保先輩に技をかけていた橘先輩がこっちを見てきた。
イテェイテェ騒いでいる大久保先輩をそのままで。
先輩、大久保先輩が涙目になってますけど。
「…三年前……あぁ、そう言えば鳥居の所で女の子が下駄の鼻緒がとれて困っていたな」
「あの時は本当にありがとうございました」
「いやいやあの時のお嬢さんか。…綺麗になっていたから気づかなかったよ」
「きれ…そ、そんなっ」
私の頬は瞬間湯沸かし器のごとく一気に紅潮した。
今思えば多分あれが私の初恋だったのだろう。彼があと50歳若ければなんて思っていたけども、そんな事なかった。
だってきっと橘先輩が年をとったらこんな素敵な老紳士になるってすぐにわかるくらい面影がある。
私はきっと先輩が年をとっても恋をする自信がある。
「…知り合いだったのか二人共」
「知り合いというか夏祭りでちょっと助けてもらったと言うか…」
「ふうん…?」
「…なんで拗ねてるんですか先輩」
「別に?」
「…先輩、拗ねても可愛いだけなんですからね?」
「…可愛いとか言うな」
何故か拗ね始めた橘先輩のご機嫌取りに忙しくなった私は、先輩のお祖父さんがにこやかに、そしてどこか安心したように私達を眺めているのには気づかなかった。
正門にたどり着くと先輩は振り返って校舎をぐるりと眺めていた。やっぱり寂しいよね。3年間学んだ学校とお別れするのって。
「ここでいい。お前は教室に帰れ」
「せんぱーい機嫌直してくださいよ〜」
「別に怒ってない」
「仕方ないじゃないですか〜初恋の人が先輩のお祖父さんだったんだから。今の私は先輩が好きなんですからね?」
「…前から知ってる。お前わかりやすいから」
「!」
私の気持ちは先輩にバレバレだったらしい。
今更恥ずかしくなってきた私は顔を赤くして沈黙する。
先輩はそんな私を見て笑った。
「…まぁ俺もそんなお前を好きになったから、人のこと言えないんだけどな」
「…先輩」
「連絡するから。じゃあまたな。…あやめ」
「…はいっ亮介先輩!」
初めに自分で私の名前を呼んでおいて、私が呼び返すと先輩は照れくさそうに顔を背けて正門を出て行ってしまった。
お祖父さんが先輩を微笑ましそうに眺めている。
しばらくは名前呼びで先輩のテレ顔が見れるのか。楽しみだ。
といいながら、先輩に自分の下の名前で呼ばれた私も頬が赤い自覚はある。
私はともかく先輩もピュアすぎないか?
名前呼びで照れるってどういうことなの。
図体でかいくせに可愛くてキュンキュンするじゃないか!!
私は先輩たちが去っていくのを見送ると、グラウンドの隅に植えられているまだ芽吹いていない桜の木を見上げた。
去年の四月、ここからヒロインちゃんの舞台は始まった。
だけど明日からはゲームの舞台とは違う、私の知らない物語が始まるんだ。
「うん、教室戻ろうかな!」
教室で私の帰りを待っているだろう友人達にこの事を報告しないと。きっと友人達は一緒に喜んでくれるはずだ。
私は未来へ一歩進むため、校舎に向かって駆け出した。
【本編完結】
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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