迷惑をかけたくないの。なのにいつもあなたを心配させてしまう。



「田端?」

「……あ。橘先輩、こんにちは」


 いつもなら私のほうが先に気づいて挨拶するのに今日はついついスルーしていた。

 いかんいかん。しっかりしないと。


「そっちはなにもないと思うがどこに行くつもりだ?」

「あぁ風紀室です…」

「……お前どうかしたのか? 何だか様子が…」


 あ。熱で頭が働かなくなってきた。

 先輩が私を心配してくれているようだが、私にはすべきことがあるのだ。立ち止まる暇はない。

 とりあえず私のすることは一つ。風紀室に行くことである。


「すいません。呼び出されていますので失礼します…」

「おい待てたば…! お前っ熱があるんじゃないか!?」

「あぁ大丈夫です。全然大丈夫」


 私の手を掴んだ橘先輩がぎょっとした顔をしている。しまったバレた。

 私は彼を安心させようとして元気アピールをしたのだけど彼の目は疑いに満ちている。

 参ったなぁ。

 

「…保健室に行くぞ」

「大丈夫です。私本当に風紀室に行かないと」

「それは俺が言っておくから」


 この廊下の先すぐに風紀室があるのに中々たどり着くことが出来ない。

 橘先輩に手を引っ張られて綱引きみたいに私はずりずり引き摺られ始めていた。

 止めてくれ。飼い犬が散歩から帰りたくないと駄々をこねているみたいなこの構図は。




「はぁ!? ちょっと言い掛かりはよしてよね!」

「そーよ! あたし達がそんな事するわけ無いじゃん!」

「マジありえないんですけど」

「証拠はあるの!? その女の証言だけじゃ証拠にはならないんだから!」

「あんた達が私とあやめちゃんを閉じ込めたのはわかってるの! 言い逃れは許さない!」



 私が先輩に引き摺られている所で、女の子たちの怒鳴り声が廊下の先の風紀室から響いてきた。

 それが聞こえた様子の橘先輩も私を引っ張るのを止めた。

 

 彼女たちの言い合いはヒートアップし始め、女同士の罵り合いになり始めていた。柿山君が制止しているようだが一年女子らしき声に「うるせーんだよ! 黙ってろゴリラ!」と罵倒されている声が聞こえた。

 ウワァ…柿山君、ドンマイ…

 でもさ、ゴリラって霊長類最強だし、ポジティブに考えたらいい意味だよ。


 私は橘先輩の手が緩んだその隙におぼつかない足取りで風紀室に向かおうとした。

 林道さん1人に証言させるのは申し訳ない。私も早く行かないと。

 だけどそんな私を見逃してくれない橘先輩が肩を掴んで引き止める。


「田端待て。閉じ込められたとはどういうことだ」

「…大丈夫です。なんでもないですから。先輩は心配しないで」

「何言って…」

「先輩は受験にだけ集中してください。私のことは気にしないでください」


 気遣いのつもりで私はそう言った。

 言ったつもりなのだが、それを聞いた橘先輩の表情はなんとも言えない表情をしていた。


「…そんなに、俺は頼りないか」

「は? …そうじゃなくて」


 熱が上がって頭が働かない私は地雷でも踏んでしまったのだろうかと考えた。考えたけど頭が働かないせいで考えがまとまらない。 

 私はただ心配させたくないだけ。そんな顔させたくないのにどうして。

 


「センター入試前だから…」

「それでも」

「いい加減しろよお前ら!」 



 私と橘先輩のやり取りは和真の怒声でかき消された。ガチギレの和真の声だ。

 これは不味いと思って私は風紀室に駆け込んだ。


「お前ら…俺の姉貴に向かって暴言吐いてくれたらしいな? お前らのそういう醜いところがほんっと気に入らねぇ。自分に自信があるのか知らねぇけどよ…お前らみたいな自己中でわがままな女が一番嫌いなんだよ俺は」

「なっ!」

「和真!?」

「俺の姉貴はなぁ、目を引くような美人じゃねぇかもしれねぇ。…だけど笑うと可愛い俺の大事な姉ちゃんなんだよ! これ以上悪く言ったら承知しねぇぞ!」


 和真の怒鳴り声に私はフリーズした。

 わぁ、なんて盛大な告白なんだろう。私は和真にこんなに慕われてたのかと内心感動していた。


「それと! 昨晩姉ちゃんを資料室に閉じ込めたことも許さねーし! 真冬の暖房の効かない部屋に閉じ込めて何がしたいんだよ! 夜の気温知ってるか? 下手したら死ぬぞ!」


 和真の怒りが増したのに気づいた私は、和真の腕に飛びついて手を上げるのは抑えた。


「ストップ! 暴力はダメ! 道場で教わったでしょ!?」

「姉ちゃん!」


 どうどう、と弟を抑えて、弟に怒鳴られて怯んだ様子の一年女子らに目を向ける。腕を組んだ状態で首を傾げると出来るだけ偉そうな態度をとってみた。偉そうに見えるかは定かじゃないけど。


「…まぁそういうことだから。あんた達、然るべき罰はしっかり受けてね? …それと。あんたらみたいな女共にウチの可愛い弟は絶対にあげないから」


 もう小姑と言われようが気にしない。

 弟に相応しい女じゃなきゃ交際は認めません。

 好きな男に自力でぶつからない女は以ての外です!


「そういうこと、だから」


 グラッ

 

 あ、やべ。

 からだが…


 たおれる



ーーードサッ


「あ…?」

「…後で話は詳しく聞くとして…お前はまず保健室だ」

「…ほけん…しつ?」

「…姉ちゃん、体調悪いのか!? やっぱり昨日の!」


 和真、大丈夫。…いや、やっぱり大丈夫じゃないかも。


 頭がガンガンしてきた。

 やばい。意識が朦朧とする。足元がいよいよグラグラして来たのだが、すぐにそれは楽になった。

 なぜかって、体が浮いたからだ。


「…?」

「暴れるなよ」

「…………は!?」


 橘先輩と視線が近くなって、ついでに距離までも近くなってようやく自分の体制に気づいた私はぎょっとした。

 風紀室を出て、廊下を早歩きで進む橘先輩はまるで私を抱っこしていないかのように歩いている。

 私はパニックを起こして騒ぎ立てた。


「やだ! 降ろして!」

「保健室に行くまでだから。こら!」

「橘先輩はダメ! 私に近づいちゃダメ!」

「……なに、言って」

「だって…ダメなんだもん…」


 私は色んな意味で泣きそうだった。

 姫抱っこって…私重いのに。

 迷惑かけたくないのに。

 風邪うつしてしまうかもしれないのにって。


 なんでわかってくれないの。

 どうしてそんな傷ついた顔をしてるの先輩。

 

 熱も増々上昇している。体は寒いのに顔が熱い。

 …あぁ息が苦しい。


 そのせいなのか目元にじわわ、と涙が滲んできた気がする。



「…俺のことが嫌なら仕方がない。だけど今は我慢しろ」

「…ちがう。だって私重いんだもん…」

「…え?」

「それに迷惑かけたくないのに…それに…風邪が、風邪がうつるから…」

「…田端?」

「………わたしは」


 悲しそうな顔をした橘先輩にそんなありえない誤解をして欲しくなくて私は上昇する熱と酷い頭痛と戦いながら、必死に誤解を解こうとした。



「せんぱいのことだいすきだもん…」

「え」

「…………」

「…田端?」



 もう限界だった。

 私は意識を失い、熱にうなされてようやく気づいた時は家のベッドで横になっていた。

 あれから2日経っていたらしくて、私は大事を取って熱の下がった日の翌日まで学校を休んだ。



 気づけばセンター入試が翌日に控えており、学校で言うことが出来なかった私は橘先輩に応援のメールを送っておいた。


【ありがとう。今まで努力した結果を発揮してくる】


 彼から簡単な返事が帰ってきたので私はホッとした。

 きっと大丈夫。先輩はベストを尽くせるはずだ。あんなに頑張っていたのだから。



「…あれ、そういえば私、どうやって家に帰ったんだっけ?」



 熱っぽかったけど学校に行って…んで風紀室に行こうとしたけど先輩に捕まって…それから…



 …ん?



 私は一連のやり取りをすっかり綺麗に忘れていた。だから熱にうなされて告白してたことも綺麗サッパリ忘れていたのである。

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