期待させないで欲しい。勘違いしてしまうから。

 こんな寒い夜に何をしてるんだ先輩は。

 私が呆然と橘先輩を見上げると、彼は目を逸らして言いにくそうに答えた。


「…いやちょっと息抜きを」

「この寒いのに外に!? あぁこんなに冷えてるし」

「!」


 手にとった先輩の手は冷えていた。

 この様子じゃ長時間外にいたのだろう。

 そういえば私のコートポケット内にホッカイロがあったはずだ。…手袋もあるが流石に先輩の手は入らないだろう。


「先輩! 受験生なんだからこんな真冬の夜に出歩くなんてしないでください!」

「…悪い」

「どうしたんですか。勉強に行き詰まったんですか?」

「いや、そういうわけじゃなくて…」

「?」


 じゃあなんだろうか。

 でもこんな寒空の下、先輩を放置できない。

 私のマフラーを巻いてあげようと思ったけどそれはお断りされてしまった。背伸びして先輩の首元に無理やり巻こうとしたけどもやんわり拒否された。こないだふんわり仕上げで洗ったから綺麗なのに!

 仕方なくコートのポケット内で高熱を発していたホッカイロを彼の手に握らせると私は「帰りましょう」と促した。

 急いで家に帰さねば。



 …そう言えば、乙女ゲームの橘先輩の設定では自分に自信がなくて、風紀やルールに縛られた真面目で堅苦しい人間だったはずだけど…

 堅物なのは変わらないけど、それが過剰とは感じたことがない。


 橘先輩は元々名門私立の高校が第一希望だった。


 しかし安全圏であると油断して落ちたため、公立高校に進んだ。エリート街道から転落した彼にとってそれは大きな挫折であった。

 厳しい風紀副委員長・ストイックな剣道部部長でありながらも何処か自分に自信がないというキャラ設定。


 なんかちょっと和真と似てるな。学業で挫折感を味わっているところとか。和真みたいにグレてないけど。


 だけど優秀なお兄さんがいて、お兄さんに見下されている設定なんてなかったし、彼女がいたという設定もなくて所々異なるところがある。

 まぁ私が存在している時点でこの世界、既におかしいんだけどね。


 橘先輩ルートではライバルキャラは確かいなかった気がする。

 彼の弱さを受け入れ、自信をつけることで彼とのルートが開ける。

 ちょっとでも浮気心を出して彼を不安にさせたらバッドエンド。

 学業や学校イベントを真面目にこなさないと失望されバッドエンド。

 ヒロインは彼のトラウマを克服してあげること、それと同時に自分自身もしっかり成長しないといけない。

 眞田先生や大久保先輩よりはルートに入りやすかったけど、その後がちょっと、大分大変だったような気がしないでもない。



 だけど現実の彼はもっと複雑ななにかがある気がする。橘兄然り、元彼女然り。

 橘先輩の口からお祖父さんお祖母さんの話はよく聞くけど、ご両親の話はあまり聞かないからそんなに仲が良くないのかもしれない。

 それに、大学に進学したら家を出るとも言っていた。橘兄はまだ実家にいるみたいだけど、橘先輩は一人暮らしするつもりらしい。



 …ただの後輩である私が詮索することじゃないんだけどさ。

 

 私はゲームのことを思い出していたが、なんだかもやもやしてきたので考えるのをやめた。

 先輩は現実の人間だからもうキャラクターとして見れないし、考えたくない。


 気を取り直して、隣を歩く先輩に話しかけてみる。



「…先輩、センター入試いつですか」

「来月半ばだ」

「もうすぐなのに体調崩すような真似しちゃダメじゃないですか!」

「…そんな柔な体してないぞ俺は」

「何言ってるんです! インフルエンザが流行り始めてるんですからね! 大切な時期なんですから油断しない!」

 

 私はまるで弟を叱りつけるような心境で注意したのだが橘先輩はキョトンとして、そして小さく笑った。


「気をつけるよ…今日はまた兄さんに進学のことで言われていたのか?」

「いえいえ。進学も視野に入れてると言ったら小言だけで済みました」

「田端の気を変えるくらい兄さんの調査結果はすごかったか」

「違いますよ。…先輩が言った通り、頑なになるのは良くないなと思ったんです。他の大学も見てみて就職か進学かもう一度決めようと…将来をよく考えてみようと思っただけですよ。決してお兄さんのレポートの影響ではないですよ」

「そうか」


 そう言えばこうして橘先輩と二人でゆっくり話すのはいつ振りだろうか。…球技大会前以来だから一ヶ月前かな?

 …こうして話せるのはいつまでなんだろうか。


 それを意識するとまた胸が苦しくなる。 

 私は橘先輩にバレないように小さく深呼吸した。

 先輩は私がこんな思いをしてるなんて思ってもいないだろうな。



「そういえば田端は来月修学旅行だったか?」

「そうですよ。京都に行ってきます」

「羽目を外すなよ」

「二言目にそれってどういうことですか」

「俺はいないから、行動する時は注意して…」

「先輩の中で私どんだけ危なっかしいんですか」


 心配性な橘先輩に修学旅行の話題でまず「羽目を外すな」と釘を差された。解せぬ。 

 むう、と顔を顰めていた私はとある事を思い出して橘先輩を見上げた。


「そうだ! 橘先輩、京都では清水寺に行くんで学業にご利益ありそうな写真送りますよ! ご利益おすそ分けします」

「…あぁ、楽しみにしてる」


 橘先輩は柔らかく微笑んだ。

 前はそんなに笑顔を見ることはなかったけど、ここ最近橘先輩はよく笑ってくれるようになった。私はそれを見る度に自分までつられて笑顔になっていた。

 だって笑ってくれると嬉しいじゃない。

 

 それを近い距離で直視した私の胸はドキドキしてしまう。バレないように深呼吸して落ち着こうとしたがしばらく収まらなかった。




 その後駅に辿り着き、ホームで電車を待っていたのだが、同じく電車を待っていた橘先輩が意を決したように口を開いた。

 ずっとなにか言いたそうにしていたから急かさずに待っていたのだけど…なんだろうか。



「…沙織のことだが」

「…え?」


 突然出てきた沙織さんの名前に私の心臓は凍ったように大人しくなった。

 …なに? 

 沙織さんの話がなんでここで出てくるの?

 

 私はそれを聞きたくないような気持ちになっていたが、先輩はそれに気づくことなく話を続けた。


「兄さんから聞いたかもしれないが、去年まで沙織と付き合っていた。…中学の同級生だったのだが、俺が志望校に落ちてからすれ違いが増えて…最後の一年は音信不通も同然だった」

「あ…そう、なんですか…」


 

 過去の話だとしても聞きたくなかった。

 だって沙織さんは過去の橘先輩を知っているのだもの。

 嫉妬しても仕方ないのは分かっているけど私はあの、どす黒い醜い感情が出てきそうで嫌な気持ちになった。


 まさか、復縁したとでも言うのだろうか。

 それを私に言うために待っていたの?


 橘先輩の次の言葉に私は思わず耳を塞ぎたい気持ちになった。



「だからなんともないから。既に終わった間柄だ。…今日もゼミが同じだから一緒にいただけだ」

「え…」

「勘違いされたくなかったんだ。お前に」

「…へ」



 ガタンゴトンガタンゴトン……と電車が駅のホームに入ってくる。そしてドアが開くと橘先輩に背中を押されて電車に乗車した。

 残業帰りのお疲れ気味の会社員が多く乗車している電車内で人に潰されないように橘先輩が壁になってくれているので快適に乗れている。

 このシチュエーション、いつもなら心臓バクバク物なはずなのに…


 …その時の私は頭が真っ白になっていた。



 私と先輩は最寄り駅まで無言だった。

 私を家まで送ろうとする先輩をまっすぐ帰そうとして結局送られ、家の前で別れた。


「先輩、送ってくれてありがとうございます…家に帰ったらすぐに湯船浸かって体温めてくださいね」

「わかった。…おやすみ田端」

「…おやすみなさい」


 橘先輩が帰っていく姿を私はしばらく見つめていた。




 …どうして私に勘違いしてほしくないんだろう。

 …期待しちゃうからそういうの…思わせぶりな態度やめてほしいんだけどな…



 だめだ、これ以上好きになったら自分が苦しいだけとわかっているのに。


 好きです先輩。

 どうしてあなたを好きになってしまったのだろう。

 モブである私はあなたのヒロインにはなれないのに。

 いつかこの想いを忘れることができるのだろうか。


 あなたを諦める日は来るのだろうか。




 私は、静かに涙を流していた。





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