壱朝壱夜:奇跡の罠~1b~
「ティオ、娘さんとは知り合いか?」
呆れられて話題を変えられた事に気付かないまま、ティオは老人の問いに対してしかめっ面をして答えた。
「いんや。魔物に会う前に上から降ってきて……」
「降ってきた?」
「……」
その時の状況を思い出したのか、少女は呆れ顔を一転させて恨めしそうな表情でティオを睨み始めた。
その鋭い視線に気づいていない当の本人は、老人に向き合ったまま話を続けている。
「一緒に落ちてきたりんごを踏んじまったら、急にコイツが追っかけてきて……」
ティオは「コイツ」と言いながら少女に指先を向けた。ここで言う「コイツ」は魔物ではなく、少女の事を指している。
少女は指されるのが嫌いなのか、彼の指が自らに向けられた瞬間に彼女の表情が僅かに険しいものに変わる。
その時、『ぐー』と言う、何とも間の抜けた音が発せられた。
余りにも小さなその音はティオの声に掻き消されてしまったが、少女が音と同時に僅かに目線だけを逸らして焼き魔物を一瞥したかと思うと、すぐにティオを睨みつけていた。
老人はそんな少女の様子を見逃さなかった。
(……嗚呼、読めた)
ティオに話しかけられながらも、老人は彼女の様子を眺めて苦笑している。彼女が何故彼を追い掛け回したのか、何となくだが理由が判ったからだ。
対してティオは、小さな音にも少女の反応にも気づきはせずに、そのまま会話を続けている。
「逃げてる最中にその魔物に会って追いかけたってワケ。だから何でコイツに追いかけられたのか……」
ティオは「判らない」と言う代わりに髪の毛をかきむしってみせる。
彼の鈍さに呆れながら、老人は諭すように語った。
「ティオや。娘さんはお前の踏ん付けたりんごが食べたかったようだ。空腹のようだぞ」
「は?」
ティオは目を丸くして少女の居る場所を振り返った。
「ぐー」
少女は相変わらずティオを睨み続けたまま、今度はわざとらしく声で空腹を表現してみせた。
「だから、りんごを潰されて怒って追いかけたようだの」
老人の言葉に同意するように、少女は無言のまま何度も頷く。
「バ、バカ野郎!さっさとそう言えよ!」
鋭い視線を浴びせられたティオはしどろもどろになりながら大声でそう言った。
「そしたら逃げなかった?」
「うっ……」
少女が今度は冷ややかな視線でティオを凝視すると、ティオはまたもや言葉を失ってしまった。
素直に答えを返しはしないが、彼が何も言えないでいる様子からは嘘が付けない性格である事が良く判る。
「……」
暫く口をもごもごと動かしているティオを睨みつけていた少女であったが、不毛な争いだと判断したのか彼女は視線を逸らしてしまった。
「……っ?」
「……お腹空いたからどうでもいいや」
そう呟いた少女は睨むのを止めて、片手で握りしめていた焼き魔物を引き寄せた。
少女の不意な仕草からまだまだ問い詰められると思っていたティオは脱力したものの、息を吐いて安堵の表情をしてみせる。
「ったく……」
意味のない呟きを漏らしたティオを一瞥し、老人は空を見上げた。
木の葉の隙間から微かに見え隠れする空は、黄金色に彩られていた。太陽が沈もうとしているのだろう。時は夕刻を迎えていた。
「どうだ?娘さん。もうすぐ日も暮れる。泊まる所がないならうちに泊まらんかい?」
視線を下ろした老人は、少女に向かって微笑んで言った。
「は?」
「え?」
そんな何気ない老人の言葉に対し、ティオと少女は同時に各々の思いを声にして目を丸くしている。
「なっ、なんでコイツと一緒に?!」
「……」
口にした後、ティオは言ってはならない事を口にしたと気づき、手で口を塞ぐが遅かった。
そう言われた少女は一瞬、哀しい表情になった。彼女はすぐに何でもないような表情をしてみせたが、感情の変化がない事を示すように反論もせずに俯いてしまう。
老人は少女の表情を見逃さなかった。ティオが口にした言葉は『これまでの行動』からのものだが、彼女の『出で立ち』から出た言葉だと思われてしまったことを察したからだ。
「こんな馬鹿孫の言う事は気にせんで良い。娘さんが一人野宿する事が心配なのだ」
彼は厳しい視線でティオを睨んだ後、少女に優しく語り掛ける。
「バッ?!」
馬鹿孫と言われた事に怒りを感じたのか反論しようとするティオだったが、老人に口を塞がれてしまう。
ティオに対する老人の強引な態度に、少女は顔を上げて首を傾げた。
「良いの?……私は、嫌われているのに」
「儂らは嫌っておらんよ。それに……娘さんと話してみたいと思ったのだよ」
「……?」
何故自分と話したいと思ったのか、思い傾げていた首を更に傾げる少女の様子を、老人は微笑ましく感じていた。
「名前は何と言う?」
老人は手を差し出して名前を問いだす。
「儂の名はゴルダ。この馬鹿孫の名はティオだ」
ゴルダと名乗った老人に自己紹介を求められ、少女は戸惑いを見せる。
「……あ。えと……」
彼女は再び顔を俯かせるが、今度は恥ずかしそうにしていた。
「えっと……レーメ……」
言い辛そうな態度で、これまでの少女の声とは正反対の小さな声でそう名乗った。
その様子を、不満とも満足とも言えない複雑な表情で眺めていたティオは、突然そっぽを向いてしまった。
「レーメか、良い名だ」
ティオの様子を気にする事無く、ゴルダは微笑んだ。
「レーメ、握手しよう」
「握手……」
予期もしていなかったゴルダの態度に困ったような顔をしてみせたが、差し出し続けたままの手を見つめて、レーメは魔物から手を離して彼に近寄った。
「今夜はごちそうだぞ、レーメ、ティオ」
「……」
未だに困惑し続けるレーメだったが、ゴルダと握手すると忘れていた何かを思いだしたような気持ちになっていた。
「あ……」
「ん?」
突然小さな声をあげたレーメに、何があったのかとゴルダは問いかけるように促したが、彼女は慌てて首を振って答えた。
「な、なんでもない……」
――暖かい、黄昏の記憶。
小さな頃に手を繋いで帰った記憶を思い出し、レーメはほんの少し暖かな気持ちになっていた。
「よし、家に戻るぞ!」
無事に自己紹介も済ませた事に満足し、しゃがみ込んでいたままのゴルダは勢い良く立ち上がろうとするが……。
「あいたたたたた……」
立ち上がりきれずに、すぐにうずくまって呻いた。
「怪我してんのに無理すんなよ。それに歳だろ?」
「歳は余計じゃ!怪我はしとるが腰が痛むんじゃ」
顔をしかめたゴルダは自身の腰をさすっている。
それまでそっぽを向いていたティオはいたずらっぽい笑みを浮かべて、ゴルダの片腕を背負い、立ち上がらせた。
「ははっ、それならやっぱ歳が原因じゃん」
「私も手伝おうか?」
二人のやり取りを見守っていたレーメも、そう言ってティオが背負っていない反対側の腕を担ごうとする。
不思議なくらい他人に対して積極的に接したレーメは、彼女自身が起こした行動だと言うのに驚きを感じていた。
しかし、その衝撃も束の間。
「バーカ。お前の貧相な体じゃ手伝えねぇだろ?」
ティオの馬鹿にした口調に、レーメは彼を睨みつけて反論する。
「貧相にみえるからって体が弱いわけじゃない!」
「へぇー。じゃあ貧相って認めるのか?」
「おいおい……いい加減にしてくれ……」
両隣で言い争いをされ、ゴルダは更に呻り声をあげた。
結局の所、散々の論争の末にゴルダの体重は重いと言う事で、レーメは焼き魔物を引きずって行くことになる。
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