第55話 希望のみちしるべ(25)

 Mira 2010年1月14日 20時32分14秒 ガンダーポール廃坑道



 ――――視えていた。今の今まで、確かに僕の目は僕の体を離れて、アザトス大佐の視界と、思考を盗み視ていた。アリスが僕の顔をのぞき込み、鼻を指で突っついたことで、漸く僕の視界が戻ってきた。


「ミーラーくーん! どうしたの?」

「今……アザトス大佐が……」

「隊長がどうかしたの……!?」


 流石のアリスも僕が光の魔法で何か良くないことを視たのだと察知したらしい。あのとき僕が視たのは、アザトス大佐の視界と思考。彼の考えた全てが僕の脳に刻まれている。即ち――――


「アシュレイ隊長と闘うつもりです」

「な……なんで!? 二人に闘う理由なんて無いじゃない!!」

「僕にも分からない。けど、アザトス大佐はもうロキシーの能力から解放されています。操られてはいない筈ですが……けど……アシュレイ隊長は……!!」

「で、でもギルテロさんが洗脳は解けてるって!! ……破滅の焔が……もう制御できていない……?」


 僕らは戦慄するよりも早く、揃って迷わず坑道を飛び出した。かつて人が行き来した面影のある林道をしきりに腕を振るって走った。こういうときばかりは光の魔法の存在はとても都合がいい。アザトス大佐の通った道が手に取るように分かる。ただ、彼は結構な距離を進んだようだ。五分も走ればたどり着く場所のようだが、それでも二人の激突を阻止することは不可能だ。


「あっ……クラウザー!!」


 アリスが何かを閃いたのか、拳を突き出して指輪から光を放った。それは瞬時に本来の姿を取り戻し、赤い鎧の騎士クラウザーとしてアリスの前にかしずく。


「クラウザー! アザトス大佐のところに運んでください!」

「待て、何があった?」


 訝しげに眉を寄せ、クラウザーが問いかける。だが、僕らにとってそれは予想外な返答だった。


「聞いてなかったの!?」

「指輪の中にいると何も聞こえない」

「最初に言え! アザトス大佐とアシュレイ隊長がピンチなんです! えーっと……二人が闘おうとしてて……それで……」

「心を読めば分かる。私につかまれ」

「最初から読め!」


 僕らはクラウザーの両脇腹にしがみつき、急激に体に襲いかかるGに耐えんと歯を食いしばった。まばたきも許さぬ間に、歪んだ景色がもとの輪郭に戻される。


「もう大丈夫だ」

「ありがとう!」


 僕はまた走り出した。二人の姿は既に見えている。アザトス大佐の後ろ姿と、その先に……本当に久し振りに姿を見た。いや、映像メッセージのホログラムを見はしたが。やはり、あの人はひと目見た瞬間、その強い存在感に圧倒されそうになる。今はまさに戦闘態勢だから余計にだ。


「……」


 アシュレイ隊長はこちらに気づいていない様子だった。じっと敵を見据え、その右手から一筋の赤い閃光として形成された焔の収束したブレードが出現し、バチバチと音を立てて、エネルギーの奔流が今か今かと獲物を待ちわびている。対してアザトス大佐も、青白い閃光を剣に纏わせ、両手に携えている。両手を大きく広げ、まるで胸に飛び込んでこいとでも言わんばかりの仁王立ち。彼の戦術は中長距離を保ち、自在に飛び回る剣で敵を寄せ付けない。ここから剣を飛ばしての攻撃も、誘いに乗ったアシュレイ隊長の剣戟をカウンターするのも、彼にはできる。逆にアシュレイ隊長にも、彼の攻撃も防御もまとめて焼き尽くす焔の魔法があるのだ。わざわざ剣の技に頼る必要はない。一触即発とはこのことだ。


(僕は……)


 ここに来て二人の間に割って入る勇気がないことに気づかされる。この状態は火と油が薄い壁一枚で隔てられているようなものだ。その壁を取っ払って僕が割り込めば、その瞬間に爆発する。下手な刺激を与えれば、僕が真っ先に死ぬ。この二人の技ともなると、ロキシーが殺さないように加減してさっきまでのザマなのだから、シャドースパークの回復も追いつくかどうか怪しい。そもそも今の彼女に僕の言葉が届くのか――――


(……ッ!! 何をバカなことを!!)


 僕は大切なことを忘れていた。僕はアシュレイ隊長に育てられた。僕はあの人の家族だ。きっと僕の言葉を信じてくれる。そして……アリス。


 アリスも大佐の家族だ。僕ら二人なら、あの二人を止められる。家族を信じるんだ。


 僕たちは互いに手を握り、思い切って対峙する二人の英雄の前に背中を合わせて立ちはだかった。どちらも傷つけたくない。傷つけあってほしくない。傷つけあう必要は、ない。


「ミラ……」

「アリス……!!」


 二人は本当に僕たちの存在に今まで気づかなかったようだ。だが信じた通り、二人とも咄嗟に剣を下げ、戦闘態勢を解除した。……いや、正確には攻撃の姿勢を一時的に崩しただけだ。相手がいつ攻め込むのかと警戒はしている。表情は一切緩んでいない。刃のような鋭い視線で“敵”を捉えている。


「ミラくんからどうぞ……」

「口下手なのに……アシュレイ隊長! アザトス大佐! 二人が闘う理由はありません!剣を納めてください!」

「そこをどけ。その女は今倒さなきゃならない」

「隊長!」


 体のすぐ隣を疾風が通り抜けた。その正体は大佐だと直感で看破し、僕は反射的に体を動かしていた。大佐が突きだした剣を地面に向けて弾くように、シャドースパークの刃を振ったのだ。体勢を崩した今の大佐は焔剣の格好の的だった。アシュレイ隊長は焔剣を振るって火炎弾を飛ばしたが、アリスが氷の壁を作り出すことでそれを受け止める。大佐は咄嗟の判断で両足にC'sWを集中し、大きく後方に跳躍していた。かなり無理をしたせいで、地面に体をぶつけながらの回避になってしまった。それでも受け身を正確にとって、すぐさま姿勢を正すのだから、結果的に無意味だったとはいえ、最悪の状況を躱す判断力と、その瞬間的な思考に追いつく肉体はまさしく歴戦の英雄。流石としか言いようがない。


「もう一度言う。そこをどけ。命令だ」


 剣の切っ先を向け、より威圧的な声色で言った。


「その命令は聞けません!」

「彼女を倒さなきゃならないんだ!!」

「いったい何のために!?」

「話すことは無い。最後だ! そこをどけ!!」

「自分でどかしなさいよッ!!」


 考える余裕さえ僕らには許されない。大佐は剣を携え、立ちはだかるアリスに向かって大きな歩幅で歩み寄った。威圧的に、攻撃的に、ただでさえ大きく開いた体格差が余計に開いたように見紛う程の迫力だった。このままでは本当にアリスを攻撃しかねない。殺しはしないとしても、ちゃんと娘を愛している父親に不本意でそんなことをさせるけにはいかない。僕は大佐が今正に剣を振り上げようとした瞬間に、体当たりするつもりで懐に飛び込んだ。


「やめてください大佐!!」


 ガッチリと組みつき、このまま大佐を押し倒すつもりで膝と腰に力を込めた。


「ッ……離せ!!」

「うあッ!!」


 しかし背中を思い切り殴られ、雪の絨毯に伏せられてしまう。その瞬間にアリスが氷の剣を出現させ、顔面に向けて攻撃的な突きを繰り出した。


「はあッ!!」

「――――ッ!!」


 流石の大佐も、かわすこと自体は簡単でも、それがアリスによる攻撃だと驚きを隠せなかったようだ。排除すべき相手ならともかく、愛する娘となると、本来繰り出すべき反撃の一手を打てない。そのあまりに大きすぎる隙は僕にも見切ることができた。Cs'Wを両手に集中し、脇腹めがけて拳を一直線に放つ。長年に渡り鍛え上げられた大佐の肉体でも、その上に防護服を着ていたとしても――――


「ぐっ……うおおおお!!!!」


 この一撃は、耐えられない!!


「ああああッ!!!!」


 クリーンヒット。状況が味方し、相手がアザトス大佐だったからこそ運良く不意を突くことができた一撃。大佐はほとんど対応ができず、体を仰け反らせ、これ以上体勢を崩すまいと踏ん張るしかない。


「アリス!!」

「うん!!」


 間髪いれず、アリスが冷気を発生させ、大佐の四肢を氷で固めていく。彼が剣を操るには手から放つ磁力のCs'Wが必要だ。その制御は両手のグローブ型デバイスに頼っているのだから、そこを封じれば彼は最大の攻撃手段を失う。だが、完全な封殺ではない。


「――――ッ!!」


 凍ったままの手をハンマーの様に振り下ろしての攻撃――――単純な発想の一撃で読むのは容易いが、大佐の格闘術となると対応は難しい。あまりの素早さに僕は思わず両腕でそれを受け止めてしまった。ベーシックスーツではとても衝撃を殺しきれず、骨までダメージが通る。


「うッ……!!」

「邪魔をするな……!!」


 遂に大佐は妨害を振り切ってしまう。


「ッ……待って! 大佐!!」


 腕を伸ばし大佐の足を掴むつもりだったが、思ったよりもダメージが大きく、手を伸ばすことさえできなかった。抵抗虚しく大佐は重い足取りで歩んでいく。それでも僅か三メートル程度を歩くことさえ、疲労と蓄積したダメージのために困難を極めた。そしてアリスの邪魔を許してしまう。


「アリス……」

「二人が剣を納めないなら、先にあたしと闘ってもらいますから! 変身!」


 漆黒のバトルドレスに身を包み、更に指輪から一振の剣を出現させ、左手で構えた。細身の刀身で、大佐の得物の様にCs'Wを纏うことが前提の作りのようだ。アリスは一度虚空を斬ってから、左手の剣で大佐を狙い、右手から魔法を撃つ構えをしてアシュレイ隊長を威嚇した。前者は目に見えて動揺し、後者は一切表情を変えない。あらゆる意味で当然の反応かもしれない。大佐はアリスを傷つけることなどできない。しかしアシュレイ隊長は違う。彼女はロキシーに洗脳されている上、それ以前に直接顔を合わせたことさえこれが初めてだ。何よりCs'Wの属性で圧倒的有利に立っている。アリスがどんなに実戦を勝ち抜いた手馴れだったとしても、このアドバンテージを覆すことはできないだろう。この状況、僕にできることはただ一つだ――――


「変身!」


 愛する人が敵だとしても、立ち向かうこと。今までの僕らは……いや、僕は逃げるだけだった。都合の悪い事実、取り返しのつかない事実、後ろ指を指す現実、僕の正体――――優しい嘘は心地よかった。仮面を被ってさえいれば、僕に向けられたあらゆる不都合から免れた気になっていた。けど、僕はこの心がじわじわと蝕まれていることからも目を逸らしていた。もう過去のことはどうしようもない。死んでいった人、助けられたかもしれない人、変えられたかもしれない過去、僕の力――――ー全部、背負うしかないんだ。責任の取り方なんて分からない。できることは“忘れないこと”。、そして何よりこの世界のどこかでのうのうと生きているド悪党のクソ野郎を、消えてしまった過去の人たちに代わってブチのめすこと。この“眼”も、この“血”も、この“力”も、全部僕の物だ。使い方は僕に託されている。まずは目の前で苦しんでいる愛する家族を助けてみせる。


 僕は目隠しをポーチにしまい、シャドースパークを構え直した。今必要な形がこの眼に流れ込んでくる。正しい使い方が分かる。それだけじゃない。その形に適した体の動かし方もだ。まるで最初からできたみたいに――――


 その構えを見たアシュレイ隊長が、初めて表情を変えた。彼女は知っているからだ。かつてギルテロさんが彼女を倒すため、そして守るために使ったナイフのバトルスタイル。自分でいうのはなんだかムズ痒いが、間違いなくかつての傭兵の生き写しのように全く同じ動きができている。


「ミラくん!」

「アリス、力を合わせないと二人を倒すことはできない。クラウザーも呼んでくれますか?」

「もちろんよ。クラウザー!!」


 指輪の騎士は、最初から分かっていたかのように全身武装で顕現した。背中合わせの僕とアリスの間で槍を構え、切っ先をかつての主に向ける。だが、その眼に敵意はない。彼も僕と同じだと、直感で分かる。あの人を救いたい。その想いで一杯なのだと眼を使わなくても分かる。


「ミラ……」


 クラウザーが静かに僕の名を呼んだ。心に語りかけるのではなく、生きた声が耳に届いていた。


「ええ」

「ありがとう」

「ご主人様に言ったらどうです?」

「フッ……私が盾になってチャンスを作る。お前が決め手になれ。アリス、アザトスをできる限り引き留めろ。危なくなったらすぐ私を呼べ」

「はいっ!」


 ギルテロさんの走り方……走って攪乱して一撃を叩き込む……『ラン・バッシュ・ストーム』と名付けよう。習ったりしなかったが、今はカンニングできる。あれは彼の魔核能力と見せかけて、実際は疾風の如く駆け抜ける“技術”だ。体をより軽く、風の抵抗をより弱く、目的地までより短いルートで、重力から解放されるように、足裏にCs'Wを集中し爆発させる――――


「はっ……!!」


 ナイフの一撃は、結果的にはかわされた。真後ろから背中を狙い、当たりさえすれば間違いなく大きなダメージを与えられる。無論、命を奪おうなどと思ってはいないが、この人を説得するまでは極力動けない状態にした方が良い。とりあえず気絶する位は痛い思いをしてもらうしかない。防がれこそしたが、間違いなくこの技は有効だ。ただガードが堅い。死角を突いても、当たる直前で感づかれてしまう。トドメの一撃はラン・バッシュ・ストームだが、それまではガードを切り崩す技を使う。この状況で有効なのは――――魔法だ。


「スティルさん……!!」


 彼はボトルに入った水を操作していた。それと同じ要領で“コイツ”も動く――――


 シャドースパークの刃が本物の血液のようにドロドロと溶けていく。Cs'Wと同じ――――いや、もっと肉体に“近い”。手足を動かのように、呼吸をするように動かせる。今までは超獣であることを心の全てで否定していた。今は受け入れた……というか開き直ったから、シャドースパークが体に同調している。


(単純にぶつけるだけではだめだ。手数を増やして防御を崩す……と言いたいけど、アシュレイ隊長の方に攻撃が行ったときの対策もしなきゃな)


 液状化した刃を二つに別れさせ、背後に飛ばす。アシュレイ隊長を狙って放たれた大佐の剣を防ぐ為だ。僕らの目的はあくまで二人が殺し合うのを止めること。問題は僕たちの勢力と対する大佐の圧倒的経験の差だ。見上げ果てた先に立ちふさがる彼に相対しているというのに、僕らはモタモタと手段を選んでいる。選ばざるを得ない立場だ。


「くっ!!」


 狙い的中!盾となったシャドースパークの刃はバラバラに飛び散ってしまったが、次の瞬間にはクラウザーが剣に追いつき、槍を振るって弾き飛ばした。


 大佐はあそこから一歩も近づかず、そして僕らをほぼ無視してアシュレイ隊長を狙う。彼のバトルスタイルは長~中距離を保って一方的な攻撃を仕掛ける。バトルスーツの防御性能は銃撃に対抗する一種の防弾チョッキのような魔法が施されている。僕は一度格闘に持ち込んで一撃叩き込んだ。その時に彼のバトルスーツは単純なCs'Wへの耐性は施されていても、格闘戦を考慮していないと看破した。大佐自身の身体能力に頼り切っている。近づかれない自信と、それを証明する実績があるからだ。さっきの一撃は状況に救われていた。この次は偶然当たるなんてことはあり得ない。こっちから必然的に当たる状況を作らなければならない。幸いアシュレイ隊長はまだ動く気配を見せない。彼女が攻撃するタイミングには常に気を配らなければならないが、光の魔法の予知能力をフル活用すれば分かる筈だ。


「ッ……しつこいぞ!!」


 雷の魔法を放つ……今度はしっかり対応できる。シャドースパークの刃のもう片方を盾にして、大佐の手から放たれた電撃を凌いだ。クラウザーの時と違って相手に未来を視られることはない。今度は盾を半球状に広げ、前方からの攻撃を受け流すことに集中した。大佐の剣はアリスとクラウザーによって捌かれ、その操作にCs'Wを使っているせいか、盾を破らんとする電撃も、さっきと比べて威力が低い。消耗はしているが防ぎきれると確信したその瞬間に、僕は迷うことなく走り出した。もう一撃、次の一撃で彼を戦闘不能にする。


「っ……やむを得ないな」


 大佐の戦術が変わるのを察知したが、僕は足を止めなかった。躊躇ったり、臆したりすることを思いつかない。この闘いが始まった時から、僕に逃げたり諦めたりする選択肢は無くなってしまったのだ。彼が強力な技を繰り出すなら正面から立ち向かってやろう。罠を仕掛けるならブチ抜いて殴りかかってやろう。大佐に手が届くまでの距離は既に一メートル程度。大佐も両拳を打ち付け、Cs'Wをスパークさせた。


(さあ、どうくる!!)


 Cs'Wを手足に均等に分け、攻撃と回避のどちらにも移れるようにした。光の魔法の予知が、大佐の行動を映し出す――――


 両手のガントレットで増幅された電気のCs'Wで格闘を仕掛けてくる。最初の右側からの手刀を回避してから……


「見えたぞミラ……!」


 大佐がほんの一瞬眼を見開いたと思った途端に、彼の動きに急激な変化が起きた。彼が左手を振るうことは無く、繰り出されたのは右手のストレートだった。上半身を仰け反らせ手刀を回避するつもりだった僕に、そこからの対応策など思いつくはずもなく――――


「ぐッ……うあああああああああッ!!!!」


 胸の中心に直撃した拳。皮膚を突き抜け、肋と肺を巻き込んで心臓をえぐられるかのような痛みだった。雪の絨毯に倒れ込み、その後数秒は肺と心臓が馬鹿になり、まともに呼吸ができなかった。そんな状態で反撃の手など思いつく筈もなく、僕は半殺しにされた芋虫のように這いずって距離を置こうともがくばかりだった。


(何故だ……何故予知と違うことが……?)


「お前、結構神経質なタイプか? 俺の行動に対して完全な反撃の策を練ろうとしたんだろうが、考える時間が長すぎだ。お前が視て、考えて、動く。そのタイムラグを突けば、勝てる。お前のやろうとしたこと自体は間違っちゃいない。だが、能力だけじゃ闘いには勝てない」


(クソッ! 結局は実力の差か!)


『罠だったのだ! 確かに君が視たものは一つを除いて全て当たっていた。確かに奴の格闘耐性は低い。だがそれは“近づかせない”自信があるからだけではない。近づかれたところで“格闘戦で絶対に負けない自信”があるからだ!』


 大佐の格闘スタイルは切り札だったって訳だ。変身状態だと光の魔法が片目だけになるから、深読みができなくなる。予知は確かに大きなアドバンテージだけれど、頼りすぎちゃいけない。大佐がそうするように、自分の感覚を信じるんだ。もう一度立ち上がり、ファイティングポーズをとって戦意を奮い立たせた。


『彼を倒さなければ前に進めないのだ。できないとか無理とか不可能とかもう、心の声は聞き飽きたぞ。“やる”とだけ考えろ』


(あんたの言うとおりです。やる! 僕はやるぞ!)


 大佐は怪訝な顔をしてから再び両拳を打ち鳴らした。一撃で僕を倒せなかったことはどうやら計算外らしいが、超獣の力を思い返してから合点がいった様子だ。しかも彼は明らかな手心を加えていた。舐めていたわけではなく、殺さないように慎重になっていたのだ。しかし次はそうもいかない。脳震盪を狙って頭に技を当ててくるに違いない。


 互いにゆっくりと距離を詰めていく。数センチ、数ミリ……どちらかというと僕の方が大胆に足を進めている。大佐の剣はアリスとクラウザーが相手をしているから、彼に残された技は魔法か格闘。しかし既にCs'Wをスパークさせ、格闘の体勢に入っている。この距離で電撃を使わないのは、その状態で魔法を撃つことができないからに違いない。つまり彼は格闘に持ち込まなければ戦術の幅が狭まったままだ。対して僕のシャドースパークの刃は回復しつつある。さっき吹き飛ばされた分が音もなく元の形に戻ろうとしていた。これだけで僕は圧倒的なアドバンテージを得ていた。大佐は“気づいていない”のだ。


(待てよ……この人は魔法の発生に恐ろしいほど敏感だった。だがそれはあくまで“Cs'Wを使った魔法”に限定した感覚なんじゃないだろうか? いや、そうに違いない! 雪の下を這わせて液状化した刃……『リキッド・スティール』だ。必殺技には名前がなくちゃダメだ)


 悟られるな。じっと相手の目を見据えろ。この人にはパワーで勝てない。この期を逃せば次はない。勝負は“一瞬の二撃”。正真正銘“三度目の正直”――――!!


「…………」

「…………」


 長い長い虚無の時間だった。石でできた像が向かい合っているだけのような、緊迫感さえ失った静かな時間。極限まで研ぎ澄まされた感覚と心が対峙したとき、呼吸による微かな空気の振動も消えてなくなってしまうと、僕は生まれて初めて知った。何かがこの空間を刺激したとき、僕と大佐は同時に繰り出すだろう。


 そして時は満ち、冷たい一陣の風が木の枝を揺らした――――今だッ!!


 こちらが足にCs'Wを集中させたことを察知した大佐が、腰を低くして迎撃体勢に入った。僕は愚直に正面から衝突しようとする。当然とる手段は一つ、クロスカウンターだ。狙い通り顔面に叩き込むならこれが最もシンプルで最も強い。だが、僕の狙いはラン・バッシュ・ストーム。大佐の背後に回り込み、顔面に鉄拳を叩き込む――――


「――――それは見切ったぞ!ミラ!」


 瞬時に方向転換し、反撃の拳を激しくスパークさせる。大佐は僕がCs'Wを足に集めた時点でこの技を繰り出すと分かっていた――――


 ――――そう、分かっていた。一度防がれた技を、この偉大な歴戦の勇士に当てられる筈がない。彼は必ず見切ると信じていた。だからこそ通用する。


 雪に隠されたリキッド・スティールが大佐の足下から飛び出し、僕の鼻先を掠めながら大佐の右手に食らいついた。軌道を狂わされた拳はターゲットを大きく外し、明後日の方向で暴発する――――


「――――うおおおおおおおおッ!!!! まだだァーーーーッ!!!!」


 無理矢理に体を捻らせ、左腕を鞭のようにしならせた!! 風の抵抗を極限まで削った手刀に勝負を賭けたのだ!! この対応力、やはり彼は圧倒的に強い。強くなるべくして強くなり、強くあるべくして強い。


 ――――だが、この闘いは、僕が勝つべくして勝つ!!


「刃は……もう一つあるんだッッ!!!!」


 最初にリキッド・スティールを繰り出した時点で、それは二つに分裂していた。大佐はシャドースパークの能力を探知できない。僕でなければ突くことができなかった小さな弱点だ。偶然が僕を勝利に導いた。両腕を封じられた今、大佐に防御手段も攻撃手段も無い。この状態でこそ、彼の領域に侵入できる――――


「はあああああああああッ!!!!」


 ――――憧れの大英雄の顔面をブン殴るなんて、結構とんでもないことをしでかしちゃったな。拳の皮がめくれて滅茶苦茶痛いし……肘から肩にかけて痺れてるし……。何より、大佐にどうやって謝るか考えてない。いやそもそも、超獣の力をフル活用してCs'Wも上乗せしてブン殴って大丈夫なのかとか、ここに来て血より冷や汗の方が多く流れ始めた。


「大佐!」

「アザトス隊長!」


 僕はアリスと共に慌てて吹き飛んだ大佐のところに駆け寄り、仰向けになって倒れている彼の首筋に指を当てた。


 ――――脈はある。呼吸もしている。意識も……ある。ただ、Cs'Wを操作する余裕はさすがに無いらしく、剣は糸を切られた人形のように動きを止め、ようやく重力に従った。


「アザトス大佐……ごめんなさい。あとは僕たちが……」


 ――――問題はここからだ。未だ仁王立ちのまま一切攻撃の素振りを見せないアシュレイ隊長……。


(待て……彼女はいったい何故攻撃してこない?)


 僕は目の前で目撃したはずだ。大佐がアシュレイ隊長から致命的な一発を受けそうな瞬間を!


(……もしかして……隊長は自らの意志で行動していた? 破滅の焔が暴走する寸前で尚、彼女は今も闘っているのか?)

『ミラ、気づいたか?』


 クラウザーが心に呼びかけてきて、僕の確信を後押しする。


(まだ確証があるとは言い切れませんが、しかし)

『希望はある。お前の感じたまま、やれるだけのことを全てやるんだ』


 僕とクラウザーは構えを崩し、武器を納めてアシュレイ隊長の方へと歩みだした。アリスは怪訝な顔をして問いかける。


「どうしたの……?」

「もう少しだけ僕に任せて。大佐と違って、彼女は殴らなくても分かってくれそうだから」

「うん……」


 僕は思いっきり近くまで寄ろうと歩幅を広くした。並んで歩むクラウザーを無言で制止し、僕だけで決着をつけるという意志を伝えた。


 手をピンと伸ばさずとも届く距離。ちょっと手をあげれば小さな手を握りしめられる距離。そこまで近づいてやっと、僕は昔より背が伸びたことを実感した。ああそういえば、隊長は結構チビだったかな。昔はドングリの背比べだったけれど、今は僕の方が圧倒的に大きい。このか細い腕の女性が一部隊を従えて闘っていたという事実が信じがたい。だが、この人が巨大な力を持っていることも、今まで闘ってきた事実も、そして……隠していた秘密も、全て、真実なんだ。僕の眼が、闇を照らす――――


「あなたの力を……あのロキシーは制御しようとした」

「……うん」

「クラウザーの予言どおり、放っておいたらあなたは世界を滅ぼすでしょう。そう、放っておいたら。だからあなたは、抹殺されることを望んだ。自分の本心を殺し、あなたを確実に殺せる戦士の出現を待ち望んだ。クラウザーにギルテロさん、スティルさんにアザトス大佐……そして僕」

「……せやな。ロキシーの能力から解放された時点で、破滅の焔は制御を失ってまった。もはや誰かがウチを殺すのは必然や。その最大のチャンスをミラ、あんたが終わらせた」


 アリスに介抱される大佐を指し示し、アシュレイ隊長は言葉を続けた。


「その人は間違いなくウチと同等の力を持った戦士や。一度やり合ったから分かる。あの人ならウチを殺せる。ウチの描いたシナリオ通りに事は進んだ。進んどった。ウチが殺され、アザトスの反抗勢力がロキシーを倒す……筈やったが、まさかあんたがあの男を倒すとは、予想もしとらんかったわ。十年もあんたのことほっぽりだして、こそ泥みたいな真似して、もういい加減ウチに興味なんて無いやろと思っとったら……このザマや。まだかーちゃんのお乳が恋しかったか? ……あんた、死ぬで?」


 細い手に収まった炎剣はメラメラと燃え盛っている――――しかしこの人は自分の意志で剣を振らない。振れない。決して。


「僕はあなたを助けに来ただけじゃない。あなたと一緒に、僕らを酷い目に遭わせたクソ野郎をブチのめすためにここに来た。あなたの力が必要だからここに来たんです」

「無理や!!」


 その瞬間熱波が発生し、止めどなく降り続けていた雪が止み、積もっていた雪が瞬時に溶け、地面は土が顔を見せた。汗が吹き出し、体から熱を逃がそうと必死に抵抗する。


「ウチはこの焔の傀儡かいらいや。もうどうしようもない」

「いいえ、アシュレイ隊長。あなたは僕を……僕らを殺せない」

「何を根拠にそんなこと言っとるん? 試してみるか? ウチの技の威力……知らんとは言わせん。全員死ぬで?」

「その剣もその拳も、本当に向けるべき相手を分かっている筈です」

「どきなさい……」

「イヤです!!」

「なら死んで学べ!!」

「ミラくん!!」


 震えている。僕を焼き殺さんと向かってくるその炎剣は無慈悲な破壊の力以上に、膨れ上がりすぎた悲しみに満たされている。あなたが必死に抵抗していることは能力に頼らずしても看破できた。だが、運命は破滅の焔以上に非情で冷酷で、しかし僕らを見捨ててはいない!!


「ヤーッ!!」


 炎剣の軌道を狂わせたのは、アリスが放った氷の礫だった。的を見失って雪に突き立てられた紅蓮の光が音を立てて雪を溶かす。間髪入れず、僕は隊長の背後に回り込んで彼女の頭に向けて手を伸ばした。


(狙いは一つ! 彼女の本心を引きずり出すこと! 光の魔法で僕の意識を直接流し込んで……!)


「かわして!!熱波や!!」


 咄嗟にリキッド・スティールを呼ぶが、間に合わない!!肌は既に熱を感じ取っている!!


「ハァッ!!」


 灼熱のCs'Wが肉を焦がし骨を焼くかと思った刹那、熱波は不自然に“遮断”された。閉じていた瞼をおそるおそる開くと、目の前に巨大な氷の柱……否、氷の筒が出現していたのだ。


「氷星天ならあたしの方が魔法を早く使えます」


 Cs'Wは環境によって魔法として発現するまでの時間に僅かな差が出る。この星の寒さと、彼女のCs'W制御の技術、そしてアシュレイ隊長のCs'Wが対立する炎属性であることが重なって、結果的にアリスが有利になったのだ。そしてこの氷の筒が、熱波を上空へと逃がしたのだ。すぐに溶けてしまったからこれ以上隊長の動きを封じることは期待できないが、致命的な一撃から命を救われた。


「結構Cs'Wを使いましたから、次に大技を撃たれたら防ぎきれないかも……」

「次のチャンスに繋がったと考えましょう。アリスは近づきすぎず、距離を保ってください……」


 指示を出した途端にアシュレイ隊長の姿が瞬時に視界から消えた。どちらに動いたかは分かる。ただ、よりにもよって距離をとれと言ったばかりのアリスの方へと攻撃をしかけていたのだ。


「ああ!!」


 全身に炎を纏った体当たりがミサイルのような速さで氷の盾に突き刺さった。急拵えの盾だったためか防御力が間に合わず、技がほとんど直撃してしまう。更に彼女の胸ぐらを掴んで、腹部に至近距離から拳と膝を連続して叩き込み、姿勢を崩したところで背中を殴りつけて畳みかけた。


「避けて!!」


 倒れたアリスにトドメの踏みつけを見舞おうとしたとき、隊長の右足が空中で止まった。透き通った水色の鎖が彼女の足首に巻き付いていたのだ。


「これは!?」


 鎖の反対側を握っていたのはクラウザーだが、それ自体を形成しているのは氷――――即ちアリスの魔法だ。あの連続攻撃を受けて尚、彼女は戦意を失うどころか高度な魔法の準備を進めていたのだ。


「ぬんッ!!」

「うああ!?」


 鎖に足を引っ張られ、隊長の体が中に浮いた。攻撃も防御も許されないその隙をアリスは逃さない。


「ヤアアアッ!!」


 逆立ちするように体を跳ねさせ、隊長の体に反撃のキックを打ち込む。逆に地面に倒れた隊長の腕や足に氷の鎖を次々と巻き付け、身動きを封じようとした――――が、一つの判断ミスが更なる逆転を許してしまった。アリスは足の動きから防ごうとした結果、炎剣を振る隙を作ってしまったのだ。


「しまった!!」


 氷の鎖は断ち切られ、アシュレイ隊長が再び立ち上がる。氷の剣を作って応戦しようとしたが、属性の相性的にあまりにも分が悪い。


「ダメだ!!」


 僕は大した考えもなしに駆けだしていた。アリスを守らなければならない。その想いだけが僕の体を突き動かしている。この状況で思考がまともに機能していたなら、きっとリキッド・スティールを盾にしてアリスを守ろうとしただろう。けれど僕の心は、隊長に立ち向かう勇気がより大きく成長していた。それを読みとったシャドー・スパークが、今まで見せなかった形へと変化していく――――


「だあああああッ!!!!」


 紅蓮の光を、もう一つの光が受け止めた。僕が今最も必要とした形へと変化したシャドースパークの光だ。即ち、光の剣。アシュレイ隊長の技と相対するために作り出した、僕の知る最強の“形”。炎の剣を打ち砕く霊妙な青い光を束ねた影の剣『極光影剣オーロラ・ミュート・ブレード』だ。


「これは……!!」

「あなたを倒し、あなたを救う覚悟の印です!! ちょっと痛いのを我慢してください!!」


 極光影剣と炎剣の刃がぶつかると同時に、僕が想像した通りの効果が発揮された。全てを焼き尽くす筈の炎は、青い光の『炎を打ち消すための力』によって急激にその威力を弱められたのだ。しかしそれでもまだ技の威力が同格に落ち着いた程度。つばぜり合いの均衡を突破するため、僕は両腕にCs'Wを送って筋力を助長した。炎の剣が押し破られ、正面ががら空きになったところにすかさずアリスが掌底を打ち、間髪入れず僕が炎剣を狙って刃を振るった。手の力を一時的に失った隊長では、そのまま炎剣を保持することができない。狙いは的中し、隊長はほぼ完全に攻撃手段を失った。


「まだまだ!!」


 アリスが氷の鎖をもう一度出現させ、四肢を完全に固定する。隊長が魔法を使う前に、僕は距離を詰めて隊長の頭に手を伸ばした――――が、しかしそれでも、隊長の魔法能力はずば抜けていた。


「ミラ!! 右手や!!」

「なに!?」


 右手にほとんどのCs'Wを集中して、氷の鎖を破壊したのだ。全身で感じる巨大な熱量と、直視することも許されない眩い光が突如として襲いかかり、全神経が一つの危機を知らせる。あれはアシュレイ隊長の宿した破滅の焔の象徴。かつて彼女が超獣バルギルにトドメを刺した最強の切り札――――


原子拳アトミック・パンチだ!!!!)


 その事実を認識したとき、僕は既に叫ぶ余裕など失っていた。恐怖、絶望、悔しさ……あらゆる感情があふれ出すよりも前に、真っ白に染め上げられた視界に突如として“黒”が出現したのだ。まるで太陽の黒点のように冷たく勢力を大きくしていくその黒は、実際には僕の目に直接見えているものではなかった。いや、正しくは“まだ”見えていないのだ。これは光の魔法の予知――――照らし出した先に、照らし切れない何かがある。その正体は――――


「エイヤーーーーッッ!!!!」


 僕を現実に引き戻したのは、鋭く木霊する叫び声だった。そして虚空を大きく震わせる衝撃――――それはアリスの拳だ。彼女の放った一撃が原子拳と激突し、あの圧倒的なエネルギーと打ち消しあっている!!


「この技は!?」


「ミラくん!! ボーっとしてちゃ……ダメでしょーーーー!!」


 この一瞬、隊長の拳が僅かに押された!!


「今だ……ッ!!」


 我に返った僕はもう一度手を伸ばし、今度こそ隊長の深紅の髪に触れた。変身を解き両目で光の魔法をフルに使えるようにしたが、指先がその肌の熱さを感じるよりも先に、眼に流れ込んでくるものがあった。


「うっ……ああああ!!!!」


 かつてクラウザーが同じように視た闇。思わず目を閉ざしてしまいたくなる冷酷な深淵。肥大化した破滅の力が彼女の心を押しつぶそうとしている――――


『もうだめ……逃げて……』


 ――――視える。今の僕なら、照らしだせる。その絶望の先に確かに存在するあなたの本心と、あなたが見据えるべき“希望の道しるべ”を。あなたが歩き出すその一歩を、僕が助けなければならない――――


「ッッ――――諦めるなあああああああああ!!!!」


 ――――アシュレイ隊長、やっぱりあなたは……優しい人だ。僕を拾った理由は、本当は自分を殺させる為なんかじゃない。超獣だからとか、光の魔法の素質とか、そんなのきっとクソ食らえって思ってたんじゃないかな。光の魔法で覗き見るだなんて、こんな卑怯な手段で知ってしまったのはちょっと悔しいけど、それでも、あなたの優しさとか、人らしさに触れられて、すごくうれしい。


 だってあなたが望んだのは、僕たちが揃って家族として生きること。大切な人と生きること。人として生きること。


「ほら、生きてる!」


「ッ……!!」


 隊長の拳を止めたのはアリスの拳だが、完全な決まり手ではない。純粋な技の威力は原子拳が上だ。本来の力を発揮しなかった最大の要因は、アシュレイ隊長の心の抵抗。僅かな時間だけ体の自由を取り戻し、Cs'Wを無意味な方向に発散することで威力を殺したのだ。結果、相殺するには足りない力量の差が詰められ、逆の性質を持つアリスの冷凍拳――――原子停止拳アトミック・フリーズ・パンチによって、灼熱の拳は完全に“停止”させられた。


 今の一撃で、アリスはCs'Wを使い切り、変身が強制的に解除されてしまった。倒れそうなアリスの体をクラウザーが支え、背中をさすって呼吸を助けた。対してアシュレイ隊長はCs'Wの残量こそ極端に少ないが、立っているだけの体力はまだある様子だった。ただ呼吸は荒く、言葉を発することさえ苦労しているようだ。


「まだ……終わりと……ちゃうで……」

「隊長……!」

「焔は……今にも動き出すわ……」

「あなたは確かに、ロキシーの暗示で焔を制御していた。今もあなたの意志が辛うじて抵抗しているだけだ。破滅の焔が動き出したら、きっと今度こそ隊長の体の主導権は奪われる。でも……」


 僕は彼女の赤熱した両手をとって、僕の胸に当てた。文字通り火傷しそうな程熱かったけれど、いま口で伝えたい言葉があるから。


「でも……僕を殺すつもりでいたのを、あなたの心が止めたんだ。僕のことを……大切に想っていてくれたから」

「そこまで分かってんだったらはよう……殺してや……ウチはもう……苦しいんや……ウチの体の感覚はどんどん薄れて……もう無理や……こんなん耐えられへん……」


 生まれて初めてアシュレイ隊長の涙を見た。思わずドキリと心臓が跳ねる。彼女の苦しさと悲しさを想うと、僕まで泣いてしまいそうだった。けれど……


「その目は……」

「ウチは化け物になんや!! この目は闇しか映さんのや!! あんたに……あんたに暴けるか!? ウチの闇を!! ウチにはもう何もできんのや!!」

「その涙は何だ! あなたが自分と立ち向かわないで誰が……他の誰が立ち向かう! あなたの涙で、その焔は消えますか! ロキシーを倒せますか! この世界を救えますか! みんな必死に生きているのに、挫ける自分を恥ずかしいと思わないんですか!! やるんです隊長!! あなたが大切な人を想う気持ちがあなたを強くする!! 滅びの焔もロキシーの野望も全部、まとめて全部ひっくり返せます!!」


 僕がそうだったように、あなたにできないはずがない。僕よりずっと偉大で強いあなたなら、巨大な闇にも立ち向かっていける。あなたは僕の太陽だ。光を放ち、闇を照らす。滅びの焔など寄せ付けず、意のままに操れる。


「死にたくないよ……死にたくないよ!!」


 初めて本音を打ち明けながら、すぐに彼女は首を横に振った。


「ううん……死にたくないだけやない……」


 あなたは死ねない。あなたの命は、あなただけのモノじゃない。


 彼女は僕の手を力強く握り返し、叫んだ。


「生きたい……みんなで……人として生きていたい!!」


 ――――その瞳に燃える命のルビー色を取り戻したとき、暖かな光が空に舞い上がった。敵意とか殺意とか、攻撃的な意識が入る余地など一切無く、氷星天には永遠に訪れることのない春の微風に似た暖かさ。涙を乾かす命の光。心が本当に叫びたかった意志ことば。今度こそ僕は、十年ぶりに家族に再会した。そこに彼女の心が戻ってきたから、これが本当の再会だ。


「ミラ……」


 やっと目を見て名前を呼んでくれた。僕は衝動的に彼女を抱き寄せた。


「ごめんなさい……ミラ……」

「もう良いんです。隊長が隊長の意志で焔を操れるようになったんです!」

「うん……大きくなったね、ミラ」

「ちゃんと食べて、ちゃんと鍛えてますから」


 僕が一番見たかった、本物の笑顔を隊長が見せてくれた。気が早い話だが、僕はもう既に世界を救ったくらいの気分だった。無論、終わりでないことを自覚している。


「隊長、これで終わりじゃありません」

「分かってる。けどその前に……クー」

「……アシュレイ……様」


 主と、かつての従者が向かい合う。二人は暫く押し黙ったまま見つめ合っていた。二人が共有できなかった空白の時間を噛みしめるように。失いかけた絆を確かめ合うように。


「帰ってきてくれるって、信じてたよ」

「……私もです。我が主よ」


 クラウザーの真摯な返答に、隊長は無邪気にニッコリと歯を見せて笑った。


「アリスちゃん……だよね」

「あっ、はい!」


 名前を呼ばれたアリスがドキッとしたように飛び上がる。


「本当にごめんなさい……ウチが弱いばかりに、こんな事になって……」

「ええええ!? あたし何にも力になれませんでしたし!! むしろあたしがごめんなひゃい!! さい!!」

「ありがとう……えらいべっぴんの嫁さんやね」

「イヤらしい笑い方しないでください。ああ、いけない! アザトス大佐!」


 アリスに任せたとはいえ放置したのはマズかったかもしれない! と考えはしたが、大佐は既に変身を解いてフラフラとこちらに向けて千鳥足で歩いていた。すぐにアリスが駆け寄って肩を貸した。


「話は聞いた。久しぶりだな、アシュレイ」

「ううっ……オヒサシブリデゴザイマス」


 妙にカタコトな口調でアシュレイ隊長が返事をした。向かい合った二人は視線を合わせそうで合わせない。互いに申し訳が立たず遠慮しているようだ。


「その……すまなかった」


 先に切り出したのはアザトス大佐だった。どちらが先でも同じようにしただろうけれど、僕は居ても立ってもいられず彼の擁護に回った。


「大佐は世界を思って闘ったんです!! 悪いことなんて……」


 だが、大佐は首を横に振って僕の言葉を遮った。


「いやミラ、俺も同じだ。俺も楽な道に逃げようとした。彼女をどうやったら助けられるかなんて俺には思いつかないから……勝手に俺だけで決着をつけようとしたんだ。俺の身勝手のせいだ……愛した女に剣を向けるなんて、男としてクソッタレだ」


「だから、それもこれも全部ロキシーの……ん? えええええええええ!!!! 今結構すごいこと言わなかった!?」

「え? 何? 隊長、まさか、アシュレイ大佐のこと好きなの!? えええええええええええええ!!!!」


 なんてことだ。思わぬところでとんだスキャンダルに遭遇してしまったぞ。アシュレイ隊長の口から大佐との関係について語られたことも、そんな雰囲気を匂わせたこともまるでなかったが、まさかこの二人は意外と長い付き合いなのだろうか。そんな疑問をクラウザーに目を向けて訴えると……。


『知らんな』


 ……なんかあんた、ムキになってないか?


「積もる話ばかりだな。だけど、ここに留まるのはマズい。一度廃坑に戻って体を休めよう。ヘトヘトだ」


 大佐の提案に異を唱える者はいなかった。道中で言葉を交わすこともなかった。出会ってその場で言いたいことだらけだったのに――――



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