第54話 希望のみちしるべ(24)

 Azathoth Ashcroft 2010年1月14日 20時27分03秒 ガンダーポール林道



 冷たい。


 氷星天の雪のせいじゃない。肌も肉も骨も通り過ぎる魔法のナイフを直接心臓に突きつけられたような恐怖に曝され、送り出される青ざめた血液が全身を巡っているからだ。その刃の正体は、もとはと言えば、後悔と絶望と肥大化した己への嫌悪感。


 心は『殺してくれ』と馬鹿の一つ覚えのようにこいねがうしかない。だが俺の本能は生き残る術を探そうと必死にのたうち回っている。


 果たして死にたいのか、死にたくないのか。心と本能、どちらに従えば正しいのだ。出来の悪い俺の頭では分からなくなってしまった。ただどちらにしても、その前にやらなきゃならないことがあるってことを、俺は知っている。俺が始めたことだ。俺の犯した罪だ。俺の手で始末をつける必要がある。


 ――――肌が熱を感じた。冷たい血と冷気で凍えきった体は熱に敏感だ。だがそれよりも速く正確に俺の魔核能力パーソナルスキルが極端に強い熱を帯びたCs'Wを探知していた。このクソ寒い星で、炎の魔法使いならばその力で暖をとるのは珍しいことではない。こんな人の寄りつかない場所でなければの話だが。俺は早足だった歩調を緩めて、熱源の方角へと体の向きを変えた。その瞬間から雪を踏みしめる足どりが意識を無視して重くなった。恐れている。ほんの僅かでも気を抜けば、あの“太陽”が隠そうともしない敵意に押しつぶされてしまう。唾を飲み、木と木の隙間から覗く奴の姿を視界に入れる覚悟を決めた。やろうと思えばいつだって戦える……筈だった。


 こちらから攻め込む一手はイメージできていたし、逆にどんな攻撃をされても少なくとも致命的なダメージにならないような防御手段だって用意できている。ただ、あの顔を、眼の色を捉えたとき、今までに感じたことのない強い闘志が全身を走り抜けたのだ。その一瞬だけは完全に姿勢が崩されていた。この僅かな隙に攻め込まれていたなら、体中どこの急所だろうと自由に弄ばれていたことだろう。だがもう既に、その一瞬を彼女は逃した。どんなに力が強かろうと、戦士としての経験が奴には足りていない。十六年前の闘いから遙かに強くなっているのは察知できたが、俺はこの三十五年の人生のほぼ全てを騎士の追求すべき叡智と、体得すべき技の為に捧げてきた。


 そう、語り合う時間なんてもういらない。俺たちは互いに“排除すべき敵”になってしまった。俺には守らなければならないものがある。世界と、そこに生きる大切な人。それが俺の存在理由。敵を倒すための必殺の一撃。それが誇りと強さの証明。


 俺は視線を彼女から決して逸らすことのないようにバイザー型の覚醒機を目に当て、静かに呪文を唱えた。


「変身」


 装着された冷たい鎧が彼女から放たれる熱を遮った。この姿を見た彼女は、きっともう俺の覚悟を受け止めてくれたことだろう。そう、アシュレイ――――キミがロキシーと契約したことは知っている。その事実を受け止めるために……自分でも驚くほど時間を要した。かつて共に超獣から魔天の街を守った誇り高き戦士が、あろう事か俺と同じようにロキシーに弱みを握られるとは。それ以上にキミと闘わなければならないことが……その覚悟を背負うまでの時間が何より辛く、長かった。


 俺はキミという存在をひと目見たあの瞬間から、その美しい焔の虜だ。キミの動向を追い、キミに再び逢える時を求めていた。キミほどの強い力を軍が、ロキシーが放置する筈がない。事実、こうしてキミはロキシーのしもべとなり、俺と相対している。俺が一歩も二歩も遅れたばかりに、キミをそんな危険な立場に追い込んでしまった。全ては俺の責任だ。キミの焔のまったき光に影を差しこんだ、その落とし前は俺の手で精算しなければならない。


 ミラ、この闘いに俺が勝利したとき、お前に憎まれる理由がまた一つ増えてしまう。だがどうか、俺だけを憎んでくれ。


 アリス、もう誰も恨まないでくれ。お前の心の底でお前も気づかない巨大な怒りが確かにくすぶっている。どうか、人並みの幸せを追求してくれ。


 ――――兄さん、もうすぐそこへ行く。

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