第35話 希望のみちしるべ(4)

 Mira 2000年9月6日 12時1分0秒 氷星天 ラーゴラス市弐区 騎士団氷星天支部 仮設北棟 5F WGF寄宿舎


 まだ僕が子供だった頃。隊長と、ギルテロさんと、スティルさんが、僕の家族になった。記憶を失った僕を引き取り、隊長は本当の親のように、ギルテロさんとスティルさんは兄弟のように接してくれた。設立したばかりのWGFに与えられたオフィスが、僕の家であり、帰るべき場所になった。記憶を辿ってどこかへ行こうだなんて、考えもしなかった。


「ミ~ラ~く~ん!!」

「うぼぁ」


 ソファに腰掛けていた僕めがけて細い肢体が弾丸のように飛び出し、網のように僕の体を捕らえた……隊長はやけにスキンシップを取るのが好きだった。隊長という名詞から想像しうるあらゆる屈強なイメージを投げ捨て、人懐っこい動物のようにスベスベの頬を僕の顔にグリグリとこすりつける。仕事が無い日はもう一日中こんなことをやっている。僕はというと、「やめろー」とか、「ぐわー」とか、抵抗するフリをする。


「ミラくん今日もお仕事つかれたよ~。ウチ頑張ってきたんやで~」

「お疲れさまです隊長。そろそろ離してください」

「やだ~」


 隊長は気づいていないけれど、彼女の平均体温はかなり高い。故に擦りつけられる僕の顔は割と火傷寸前まで熱くなっていた。


「お嬢!俺にも!俺にも!」

「嫌よスケベ」

「あ、お前にだけは言われたくなかったわー」


 ギルテロさんは隊長のことが女性として好きだったみたいだけれど、多分諦めていたんだと思う。おどけた、ひょうきん者みたいに振る舞っていたし、『放蕩のギルテロ』なんて自称している人だったけれど、誰よりも隊長のことを考えていた。いつもナイフを隠し持っていたし、隊長を訪ねて騎士の偉い人が来たときは、微かに殺気立っていた。


「いいよな~ミラは。俺も子供に戻ってお嬢のおっぱいを合法的に触りたいな~」


 ……多分、本気で羨ましかったんだと思う。


「ギルテロさん、ミラに馬鹿なこと教えないでくださいよ」

「ひゅ~ふゅ~……あー口笛なんでできないんだろ」

「誤魔化すなよ! あんたが下品な言葉ばっかり使ってミラまで真似しだしたらあんたの責任だからな! 教育係の俺の身にもなってくれよ!」


 スティルさんは真面目な良い人なのは間違いないんだけど、どこか間の抜けた人だった。ギルテロさんにいつも振り回されて、それでも隊長とギルテロさん、それに僕のことも大切に思っていた。僕以上に、仲間という関係が壊れてしまうことを怖がっていたんだ。


「ところでアシュレイ様。ミラにお話があるのではなかったんですか?」

「あ、せやった」


 アシュレイ隊長が僕を解放し、ソファの隣に座って改まったように姿勢を正した。普段とは全く違う行動だったので、僕は離されたことに対する無念など瞬時に忘れていた。


「ミラくん、知っての通りウチの仕事は闘うことや。戦場はいつ命を落としてもおかしくない、そんな場所や」

「ええ……けれど、隊長はお強い方ですし、ギルテロさんやスティルさんもついているから、死んだりしませんよ」

「……せやな。けれど、ウチより強い“敵”っちゅーのは、案外すぐ近くにいたりするもんや。いや、そもそも死ぬんは遅いか早いかの違いしかない。誰でも平等や」

「お嬢」

「分かってる。ええか、ミラくんはウチらと違う。これからどんな道を進むのもミラくん次第や。ほんでも、ミラくんの持ってる『力』は、単純な体の強さとか魔法の強さだけと違う。権力にさえ関わるものや」

「僕が持っている力……?」

「その力を持って生まれた以上、ミラくんはその力の使い方に責任を問われる宿命……決まりなんや。そんで、ミラくんが戦場に行くか、行かないかは別問題として、その力の間違った使い方をしないように、ウチが訓練をすることにしたんや」


 僕は言葉にこそ出さなかったが、喜びを隠そうとしなかった。真っ先に顔に出ていただろう。しかし意外にも、三人の反応は決して良いものではなかった。ギルテロさんはいつも通り笑顔のようで、何かを堪えるように下唇を噛んでいたし、スティルさんに至っては露骨に僕から目を逸らし、背中を向けた。隊長でさえも、声から普段の明るさが消えたような気がした。


「こんな言い方するのは癪やけど、ミラくんの力はウチらの手に負えん程強い。けれど、ウチにもミラくんっちゅー“個人”に対する責任がある。厳しい訓練になるけど……それでもやるか?」


 僕の返事は決まっていた。隊長の隣に立ちたい。隊長のことを守りたい。一度走り出したこの気持ちが止まることはない。僕は首を縦に、力強く動かしてから答えた。


「僕は……騎士になりたい!」


 このとき、彼女は僕が見た中でもっとも哀しい顔をしていた。彼女がこの選択を望んでいないことなど分かり切っていた筈なのに、僕はこのとき、揺らいだ。その微かな心の揺らぎを否定するために、僕は強くなることを誓い、後ろ向きな気持ちを上から抑え込んだ。



 ――――決して、消えたわけではなかったのだ。僕にとっても、彼女にとっても。


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