第33話 希望のみちしるべ(2)

Ashley 2000年6月5日 9時58分16秒 氷星天 シーグラ市参区 ホテル『イヴ』


 逃げて逃げて逃げ続けて、それでも着実に、しかも予想よりも遙かに早く、タイムリミットが迫りつつあった。即ち私が生きることを許される期限であり、世界の寿命でもある。世界に選択の余地はない。一刻も早く私を殺し、滅びを回避しなければならない。


 だが、爆弾を抱えた私はいつでも括れる筈の首に手をかける振りばかりだった。死ななければならないという焦りも、死にたくないという本能も、日に日に膨れ上がっていく。氷星天の寒さなら滅びの炎を押さえ込めるかもしれないなどと、その場凌ぎの戯言を吐けたのも、私がいかに利己的な大悪党なのかを証明している。


 不安が加速するなか、それでも私は気丈に振る舞った。せめて仲間たちに不安を伝染させないように……いや、違う。来るべき審判の時に、奇跡が起きるかもしれないと、根拠も無く思いこもうとしているからだ。そうして時間を引き延ばし、最後までズルズルと罪悪感を引きずりながら、惰眠を貪ろうとしているのだ。逃げ道など無いと分かり切ってるのに――――


「アシュレイ様」

「んっ……勝手に“見るな”って言うたやろ」

「しかし……」


 ベッドにうつ伏せになったまま、私はそれ以上ろくに返事さえしなかった。クラウザーに心を覗かれては、この真っ黒な感情が否応なしにダダ漏れになる。


「……お召し物か、せめて布団を」

「……」


 氷星天に居着いて五年。最初はあまりの寒さに初めて服を着たが、力が強まるにつれて、そのうち寒さなど感じなくなった。結局素っ裸に逆戻りだ。肉体は少しだけ大人になったが、心はわがままな子供のまま進歩してない。と言うより、生物としての欲求は強まっているのに、少しずつ人としての常識が欠落しつつあった。クラウザーの魔法で姿を消すことに馴れすぎたから、羞恥心などとうに失せていた。実に気色の悪い話だが、仲間たちが目の前にいようとお構いなしに自慰できるほど“退化”していた。私にとって楽しみはソレと、食べることくらいだ。


 もう一つ。熱を感じなくなった。もとより炎に触れても平気だったが、コーヒーの暖かさも、人の温もりも、雪の冷たさも感じることが無くなった。突然の出来事で、最も分かりやすい退化だったから、ショックが大きかった。


 それでも私は、生に縋る。醜く生に縋り続ける――――


「……誰か来る」

「スティルが帰ってきたんじゃないの~?」

「違う。この感覚は……」


 クラウザーとギルテロの様子がおかしいことに気づき、私はようやく重たい体をベッド柄切り離し、二人の背後に立った。


「足音を殺してる。軍人か……」

「もう一人いる。ギルテロ殿、警戒を緩めてはならない」


 二人がドアに近づき、謎の“侵入者”に備えた。部屋の中が殺気立つのを感じた直後、それを上塗りするかのように強い気配が外側から流れ込んできた。さすがの二人も表情が強ばり、ただ事ではないと察知した私も漸く起きあがる。気配を放つ何者かは、ドアの前で止まった。


「ルームサービスは頼んでないぞ」

「あらあら、ならワインくらい用意してあるのかしら」


 女の声だ。それも聞き覚えがある。六年前の魔天の事件以来、メディアに露出するようになった女だ。それを察したギルテロが、銃を構えたままドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いた。次第にその女の姿が明らかになっていく。


「ロキシー……ローウェン」

「あら、私ってもしかして有名人? お目に掛かれて光栄よ、アシュレイ」


 この場にスティルがいないのはある意味幸運だ。この女の顔を見た途端、建物ごと吹き飛ばされかねない。しかし気になったのは、彼女が妙に大きな袋を脇に抱えていたことだ。丁度私が姿勢を変えず丸ごと入ってしまいそうだ。


「……最高議長閣下がウチみたいな浮浪者になにかご用ですか?」

「そんな謙遜しないで。私なんて貴女からしたら道端の雑草のように取るに足らない女でしょ? もっと胸を張って、偉そうにしていいのよ」

「ご用件は?」

「なぁに、ちょっとしたビジネスのお話をしたいのよ」


 抱えられていた袋がドサリと音を立てて彼女の足下に落とされた。袋を指で指し示し、ねっとりとした笑みを見せながらロキシーは言葉を続けた。


「“コレ”を買い取ってほしいの。あなたたち全員の『罪』で一括払い」


 そう言って袋の紐を丁寧に解いていき、その中身を明かした。私たちはその正体に息をのんだ。なぜならそこに納まっていたのは、やせ細った銀髪の少年だったのだ。服の形を成さない見窄らしい布切れを一枚だけ羽織り、微かにうめき声を発している。背丈から考えて十歳に満たないだろう。私は僅かに間を置き、怒りに震える拳が飛び出していくのを必死に押さえ込んだ。


「何を、そんなに怒ってるの?ふふっ、“彼みたいな目”が無くても、長生きしてれば手に取るように分かるわ」

「それ以上余計なことを喋ればその喉を焼き切ってやる!」

「やーねぇ……この子を引き取って、仲間になってくれれば、あなたたちの罪を帳消しにしてあげるって言いたいのよ。私の手元の記録では、あなたたちが殺した騎士の総人数は十八人。ああ、貴女が直接手をかけたのは二人。裏切り者もいたとは言え結構な損害だったわ。故に貴女の“グループ”をミレニアンと同じくらい憎んでいる部下もいるわ。捜索隊を結成させて不満を解消させていたけれど……どうせ、勝てはしない」


 六年前の魔天で多くの人間が“炎”を目撃している。こいつが私の力を知っていても不思議ではないが――――


「ウチの力は制御できん。いずれ暴走し、世界を……この銀河を焼き払ってまう。せやから、取引はできん……」

「その力を封じ込める手段があるとしても?」

「!!」

「あなたがダメなら、しょうがないわね……」

「待って!」

「お嬢……!」


 私を揺さぶっていることくらい看破している。けれど、私はこの見え透いた釣り餌に、ものの見事に誘い込まれてしまった。


「もっと詳しく聞かせて……」


 まるで予想通りと言わんばかりに、ロキシーは少しも笑みを崩さなかった。これほどの屈辱を味わったのはこれが初めてだった。それでも私は使命のため苦虫を噛み潰し、飲み込まねばならない。


「それでいいのよ。最後まで条件を聞かず取引を蔑ろにするなんて“淑女的”じゃないわ」

「勿体ぶらないでよ」

「ええでも、ちょっとだけ確認させて頂戴な。貴女の力……世界に破滅をもたらす『焔』は、もうすぐ覚醒する。だから貴女はその力を葬りたい……けれど命は惜しい。そうよね? だけど私の能力を使えばそれを回避できる。魔核能力コア・アビリティを知ってるかしら?」

「初めて聞く言葉や」


「ざっくり言っちゃえば、魔核に一つだけ宿ってる超常の力よ。魔法よりも容易く、複雑な効果を発生させることができる技術。貴女の焔だって、実際のところCs'Wを一切消費していない、魔核能力によるものよ。そして私の能力『オール・ザット・ジャズ』は、私と“契約”したとき発動し、その内容に従って契約者の行動を束縛する」


 ロキシーが私の顔の前に手を差す。鼻先で“熱”を感じ、私は押し出されるように一歩後退りした。この手を握ったとき、私と彼女の契約が成立するということだ。だが私はまだ、この女を追求しなければならない。簡単に罠にハマってたまるかと、私は奥歯に力を込め、ロキシーの目を見つめた。


「クー、この女は嘘を言ってる?」

「……強力な閉心術を使っているようです。しかしこれまでの言葉に嘘はない」

「嘘は下手っぴでね。こっちの騎士様がいる以上、貴女に嘘はつけない。ねえ、彼女の騎士様?」

「……」


 クラウザーは押し黙ったままだったが、ついさっきまで感じさせていた警戒心を解いたようだった。いつの間にかどこか穏やかささえ感じさせる平坦な表情になっている。それほどこの女は信用できるということか。


「ウチは何をすればええんや?」

「なーに、今までとほぼ変わらないわ。闘う相手がミレニアンに変わるだけ」


 ミレニアン――――六年前の事件で明らかになった異次元の軍勢。成る程、騎士殺しを止めて異次元人殺しをしろと言うわけだ。


「契約が成立すれば、ウチの力は暴走しない……?」

「私が『静まれ』と唱えれば、少なくともこれ以上酷くなることはない。そもそもその力は“貴女自身”から生まれたものではないわ。本質的には寄生虫に近い……別の場所からやってきた力なのよ」

「だったら契約しているウチをコントロールしたところで……」


「焔を抑え込むことはできない……って思うでしょうね。けど、もっと自分に自信を持つべきよ。貴女自身の力がなければ、そもそも今この瞬間まで世界は存在できなかった。貴女がいるからこそ焔は制御されている。そしてこれからは、貴女が焔を使いこなし、もっと別の驚異に立ち向かわなくちゃいけないわ。人類が団結する時は、今なのよ……」


 さあ手を取れと言わんばかりに、ロキシーの声は語尾に近づくに連れ強気さが高まるようだった。この手を掴めば、世界は救われる。ただし対価は私という“個人”に留まらない。この女の言葉を鵜呑みにすれば、クラウザーとギルテロ、そしてスティルも、私を挟んで間接的に操られることになる。


 ――――私たちは多くの人を犠牲にして滅びを先延ばしにしてきた。ただ自分が生きるために、殺す度に屁理屈をつけてきた。その精算の時が来たのかもしれない。


 私は自らの手に視線を落とし、その肌が焼けただれ、血にまみれているように幻視した。失った感覚がこんな時に限って素知らぬ顔で帰ってきて、自分の血のどす黒さと、犠牲者たちの血の熱さに、全身が凍えるようだった。初めて人を殺したときの記憶がフラッシュバックした。拳が焼けるように熱くなり、その熱を血で流したあの瞬間。刹那の間、確かに耳に届いていたあの騎士の声――――目の前の手と手を繋げば、耳をつんざく叫びは収まるのか。


「さあ、選びなさい。世界か、貴女か!!」


 ――――私に、選択の余地はない。心も、命も、私の持つあらゆるものを――――


「――――くれてやる!!」


 その救いの手は、私の手よりも遙かに大きく、力強かった。このまま私を地獄の底へと引きずり落とし、代わりに世界が引き上げられる。


 ただ、私はまだ知らなかった。


 “もう一人の少年”――――ミラと名付けられた彼が、この物語サーガを予想もしなかった結末に導くことを。彼の瞳が、進むべき道を指し示す。彼こそが私の――――


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