25.これで本当に終わりだと貴方は笑う
さてと、ナンパした蓮さんを連れて俺が向かった場所は駅広場。
その途中で俺お勧めの三丁目四つ角交差点前にあるたい焼き屋でたい焼きを購入し、目的地に設置されいたベンチに腰を下ろす。
べつに駅広場でなくても、静かに話せる場所であればどこでも良かった。誰にも邪魔されず、負傷者の体が休める場所があれば本当にどこでも良かった。
「どうぞ」ナンパに乗ってくれた不良にたい焼きを差し出すと、「ヘビーだな」文句が返ってきた。甘味は心の癒しだと思うんだけど。後でリバースをしてもいいから、今は食べてもらわないと俺がこれを処理しなければいけない!
幸い、蓮さんは受け取ってくれた。「あ、うまい」大層なご感想をちょうだいし、俺としては大満足である。
既に蓮さんは俺が荒川庸一の舎弟だってことを知っている。
『エリア戦争』の時に知られたんだと思っていたけど、それ以前から知っていたらしい。「異色の舎兄弟として有名だからな」蓮さんは俺にそう語ってくれた。随分俺も名前が売れてきたもんだよ。ほんと嬉しいやら迷惑なことやら何やら……複雑な心境だ。
俺のナンパに乗ってくれた清瀬蓮は基本的に、誰とでも気さくに喋れるタイプなのだと会話をしていて思った。
今は仲間内と話し辛く俺が彼のチームと接する姿を見る限り、表情は能面が多いけれど、俺個人と話す間は表情が柔らかい。私生活では表情豊かな人なんだろうな。
また意外も意外。蓮さんは積極的に俺と会話をしてくれた。それはきっと蓮さんの気持ちの表れだろう。落ち込んでいる時ほど喋って発散したいアレなんだと俺は推測。こっちが話を切り出さずとも、何処に住んでいるのか、ゲームは好きか、喧嘩にはいつもチャリンコなのか、等など話を振ってきてくれる。
「どうして舎兄弟になったんだ?」あれほど文句を言っていたたい焼きをぺろっと平らげ、蓮さんが舎弟の契機を聞いてくる。たい焼きの腹の部分を齧っていた俺は、あんこを一舐めして返事する。
「大した理由はありません。舎兄が俺を面白いと思ったから、半ば無理やり舎兄弟を結んだ。それだけのことです。蓮さんはどうして浅倉さんの舎弟に?」
いきなり浅倉さんの話題を振るのはまずいかな、と思ったけれど彼は気にする素振りもなくミネラルウォーターで喉を潤す。
「同じような理由かなぁ。和彦さんが『舎兄弟ってどんなもんかなぁ』と言い出してさ。丁度、俺と話していたから成り行きで」
「なんだ、俺と似た成り行きだったんですね」
「そう、最初は成り行きも成り行き。何を言っているんだこの人? 内心で驚きながらも、向こうが決めちまったことだから。仕方がなしにな」
けど、いつの間にか大尊敬する舎兄になっていったんだと蓮さんは柔和な笑顔を見せる。
俺はそれを見て、「尊敬できるとは凄いですね」褒めを口にした。俺とヨウは舎兄弟でありながら、まあ……尊敬とかそういう気持ちはなく、友達として今の関係を保っている。兄分弟分の関係じゃないってことだ。
「いやでも最初はさ」蓮さんは、太陽の光できらきらと輝く川面を見つめながら思い出話を聞かせてくれた。
「和彦さん、周りが見えない人だから……何かと舎弟は苦労していた記憶があるんだ。所構わず喧嘩しては恨みを買って。とばっちりのように喧嘩が俺のところまで飛び火してくるし」
「分かります。俺の舎兄もそうです。『お前が荒川の舎弟か!』とか言われて、戦闘開始。俺は蓮さんみたいに喧嘩なんてできるタイプじゃないので、逃げてばっかりです」
「チョー苦労するよな。周りの見えない舎兄って。なんで俺まで喧嘩売られるの? 的気分にならね?」
「なりますなります。『はあ? 俺、カンケーねぇって!』とか心の中で毒づいて、結局は飛び火を有り難く頂く、みたいなカンジですよね」
深々と頷いて見せたら蓮さんが一笑、俺も一笑を零した。
話すだけで分かる。俺と蓮さんは馬の合うんだって。蓮さんは不良さんで髪は真っ赤、ガタイもいいけれど、ちっとも恐くなかった。親近感を抱いているせいなのだろうか。
丸々太った鳩の群れが俺達を興味ぶかげに見つめている。大方、俺のたい焼きを狙っているに違いない。無数の小さな視線を浴びながら、尚も平然とたい焼きを口に運ぶ。「俺ですね……」少し間を置いて、自分でもあまり触れたくない過去話を蓮さんに打ち明かした。
「こうやって今は平々凡々とヨウの舎弟をしていますけど、実は俺、一度ヨウを裏切っているんです。ヨウに話せば未遂だと言ってくれるんですけどね。対立している向こうの頭に舎弟を誘われて、友達を人質にされて、力で脅されて。弱い俺は向こうの舎弟になるしか方法はないと思い込んで……気持ちはもうヨウを裏切っていました」
たい焼きを齧る。あんこの甘味が不思議と遠のいた。
「向こうの舎弟になることで友達が救えるなら、それでもいいや。どうせ、成り行きで舎弟になったんだし。そんな軽はずみの気持ちを抱いていました。結局、人質になっていた友達が俺を止めてくれたから、寝返りは未遂で終わったんですけど。 もし止めてくれていなかったら俺は、確実に舎兄を裏切っていました。いや、未遂でも俺はヨウを裏切りました」
相手の持っているミネラルウォーターのペットボトルが日差しによってきらきらと輝いている。眩しさを感じた。
「あいつは俺のピンチを知って当然のように助けにやって来てくれた。なのに俺は……裏切ろうとしたその気持ち、そして俺自身に嫌悪しましたよ。嗚呼、なんで俺はあいつを裏切ろうとしたんだろう。他に方法はなかったんだろうか? ……そっか、俺が弱いからだ。弱いから簡単に裏切ろうとしたし、力がないからヨウの足手纏いになってばかりなんだ」
許せなかった、情けなかった、惨めだった、こんな自分が。
当時、仲間内から疑心を向けられ、俺は自身の弱さと我が身可愛さに裏切ろうとした卑屈な感情に嫌悪。もうヨウの舎弟には向いていないと挫折し、ヨウに申し出た。『舎弟は別の奴がいいんじゃないか』と。
でも結局あいつは俺を舎弟として選んだ。
舎弟問題が勃発し、俺より適正な不良が現れてもあいつは俺を選んだ。いつだってあいつは俺を選んでくれた。
「貴方を追って来たのは過去の自分を重ねてしまったから、なんでしょうね。俺は蓮さんの気持ちがすごく分かるんですよ。浅倉さんや仲間が歩み寄ってきても、言葉そのものを拒絶してしまう気持ち。こんな状況しか選べなかった自分が何より、許せないんですよね。俺もそうでした。弱い自分が誰よりも許せなかったです」
「――なんか、舎弟の境遇まで似ているんだな。舎兄の気質もソックリだし、変な縁だよな」
蓮さんは俺の身の上話に苦笑い。
たい焼きを食べ終わる俺を合図に腰を上げ、飲みかけのミネラルウォーターをこっちに投げ渡して移動を始める。喉を潤すと急いで彼の背を負った。
蓮さんは俺を置いて行く気は毛頭なかったようで、行く先で待ってくれていた。俺が隣に並ぶと歩調を合わせて歩き始める。彼には向かいたい場所があるようだ。黙って隣を歩く。
「分からないんだ。これから先、どうしていけばいいか俺には分からない」
彼は俺にそっと吐露してきてくれる。横顔を見つめると、途方に暮れたような面持ちを作っていた。
蓮さんは言う。この一ヶ月、自分は榊原チームを内側から崩壊させることを目指してきた。そして浅倉さんと、そのチームを勝者にして『エリア戦争』と自分達のチームを終わらせることを心の底から望んでいた。
目的を達成した今、自分は途方に暮れている。
目指すものが何もなくなり、毎日のように自責の念に駆られているのだと彼。
気の置けない仲間達を裏切ってしまった現実に打ちひしがれ、自分の弱さに嫌悪し、仲間内に恨まれているのではないかと恐怖している。向こうの話を聞く勇気も持てない。そんな臆病な自分が許せないんだと俺に教えてくれた。
コンクリートで固められた石の橋の上に立つ。
背後には片道二車線が通っているせいか、車の行き交いが忙しい。橋の下では別段綺麗とも言えない川が流れている。「ここお気に入りなんだ」蓮さんが頬を崩す。夕焼けがよく見えるから好きなのだそうな。川面に映る赤い日の色に目を向けると確かに綺麗だと思った。川の水は濁っていて底が見えないけれど、川面は煌びやかに日を反射している。手に取りたくなる輝きだった。
「俺自身はさ、仲間達が和彦さんのところに戻ってくれたら嬉しいと思っているんだ。あいつ等は榊原なんかよりも、和彦さんの傍にいた方が生き生きとしているから。勿論、俺の下にいるよりもずっといい」
通り過ぎていく車の排気ガス臭さを感じつつ、「貴方は?」ごつごつ、ざらざら、とした石造りの手摺を触りながら、俺は蓮さんを流し目にする。彼は肩を竦めた。
「俺は戻らない。もう決めているんだ。和彦さんに背を向けたその日から」
「仲間は良くて蓮さんは駄目なんて、そんなのお仲間は納得しませんよ。蓮さんが戻らないのであれば、貴方と手を組んだ同志も戻らないと思います」
いや、あいつ等は戻らない。
俺達の前ではっきりと意志を伝えてきた。今のリーダーは蓮さん、彼が戻らなければ自分達もチームには戻らない、と。
「気のいい馬鹿だからなあいつ等」微苦笑を零す蓮さんは自分に構わず、チームに戻ってくれていいのに、と本音を漏らす。その方が自分も気が楽だという。
戻りたくないのか? 問うと、戻れないのだと彼は素直に自分の感情を教えてくれる。舎兄を裏切ったあの現実が自分を諌め、淡い期待をいつも打ち砕く。本当は舎兄に誘われて嬉しかったくせに。蓮さんは苦い顔を浮かべた。その中に笑みは見受けられない。
嗚呼やっぱり彼の気持ちは痛いほど分かる。未遂でも同じ運命を辿ろうとしていた俺だ。気持ちは胸が張り裂けそうなほど分かる。
「蓮さんがそう思っていても、結局……仲間は放っておいてくれないんですよね。逃げれば逃げるだけ追い駆けてくる。そうじゃありません?」
切れ間なく自責をする不良に力なく笑みを向けた。
俺は舎兄や仲間に教えられた。現実から逃げれば逃げるほど、その苦しみは長引くことを。またもがき苦しむ自分を見て仲間達が心配することを。心配じゃなく迷惑を掛けろ、これはモトが俺に言い放った言葉だ。心配は迷惑よりも迷惑を掛ける。余計な気苦労や気疲れをさせる。今の蓮さんはまさしく迷惑ではなく“心配”を掛けている人間だ。
仲間達に本音すら見せず、何も言わないで自己完結したって向こうは納得しない。ただただ蓮さんが自責している姿に憂慮を向けるだろう。
「俺はヨウに沢山迷惑を掛けてきました。裏切りもしました。弱く情けないところも見せてきました。喧嘩もできない足手纏いです。それでも舎弟を続けています――気持ちさえ通じ合えば何度だってやり直せるのだと、俺は思うんです。もしも自分が許せないなら」
言葉を待つ彼に満面の笑顔を作ってやった。
「自分が自分を許せるようになるまで行動すればいいと思います。人生楽しまなきゃソンソン、行動したモン勝ちですよ」
響子さんに言われた受け売り台詞だけど、今の蓮さんにはピッタリだと思う。
言葉で蓮さんの悩みを一掃してやると「能天気な奴」彼の口から笑声が零れた。それは褒め言葉かな? 蓮さん。
つられて笑声を上げる俺は視界の端に映った人影に目じりを下げ、「ほら。貴方の仲間は放っておいてくれない」首を捻って相手を確認する。片側二車線を挟んで向こう側の歩道に駆けている不良が一匹。俺達の姿を見るや、「そこを動くなよくらぁ!」怒声を張って車が行き交っているのにも関わらず、浅倉さんが無理やり渡ってくる。
「マジかよ」蓮さんは驚きを通り越して呆れているようだ。普通ここまで探し回るか? 嘆息する彼に大笑いし、「愛されていますね!」揶揄を飛ばしてやる。
「逃げなくていいんですか?」
手摺に凭れる蓮さんを小突くと、「それも失せた」逃げるだけ相手を焚きつかせるだけだと言って嘆きを口にした。
車にクラクションを鳴らされまくっている浅倉さんが、大慌てで此方側の歩道まで渡り終える。勢い余った彼が段差に躓いてずっこけると、見ていられなかったのだろう。蓮さんが彼に歩んで負傷していない手を伸ばした。やや驚きを見せるものの、浅倉さんはしっかり蓮さんの手を取って立ち上がる。
「サンキュ」舎兄の言葉を右から左に流し、「しつこい人だ」毒づいて蓮さんは再び手すりに腕を置く。やっぱり彼は舎兄の浅倉さんを拒絶していた。表情も体の筋肉も強張らせている。
「おい蓮。ケリつけっぞ。俺達のこのクソッタレな関係に」
何を思ったのか浅倉さんがケリをつけたいと申し出てくる。
驚く俺を余所に、自分に勝てばお前を諦めてやると浅倉さん。自分に負ければ言うことを聞いてもらうと条件を叩きつけてきた。
彼にはきっと考えがあるのだろう。負傷者に対してタイマンを張りたいと主張。
蓮さんは息を詰めて、瞼を伏せてしまった。舎兄から逃げているのか、それとも思うことがあるのか、傍観者の俺には分からない。夕風を頬に晒していた蓮さんが瞼を持ち上げる。川面に視線を落とし、キュッと目を細めた。口を閉ざしている彼が承諾をしたのは間もなくのことだった。
俺は遠ざかる二人の背を見送る。追い駆けようとは思わなかった。水を差すような野暮なことはしない。彼等の問題は二人だけで解決するべきだろうから。
「アイデ!」
暫く夕風と戯れていると、背後から頭を叩かれた。
後頭部を押さえて振り返れば、「テメェって奴は」舎弟を探しに来てくれたイケメン不良の姿。勝手に飛び出すなと文句をぶつけてくる兄貴に微笑む。
ほら、俺の兄貴も放っておいてくれない。俺が何処かへ行くと必ず探しに来てくれる。
◇
河原に下り立った蓮はタイマンを張りたいと言い出した元舎兄の様子をまじまじと観察する。
純粋な疑問ばかりが胸の内を占める。どうしてこの人は去り行く自分の背を追い駆けてくるのだろう。こんなにも拒んでいる面倒な人間を何度も追い駆けてくるような真似をするのだろう。自分だったら、こんな人間なんてすぐにでも見捨てるというのに。
重傷者にも容赦なくタイマンを張るであろう元舎兄に傷付けられる恐怖はない。否、自分はそれを望んでいるのだろう。
「いいか。俺が勝てば言うことを聞けよ」念を押してくる浅倉を見つめると、「アンタに勝てば諦めてくれるんだろう?」条件を確認する。
首肯を示す浅倉に分かったと返事し、蓮は首に掛けていた固定用の布を外す。右腕の骨にヒビが入り、到底動ける状態ではないのだが、これっきりと思うと動かせないほどでもない。
「おりゃあサシでやりてぇ男だ。利き腕を使わねぇ」
つまるところハンデをくれるのだという。
この男は忘れているのだろうか。自分が護身術を習っていた男だということを。利き腕が使えなくとも、有利なのはこちらだというのに。
(足場は石ばっかの砂利。動きにくいな)
準備はいいか。
元舎兄の質問に頷くと彼は意地悪な笑みを浮かべ、「勝ってお前を捕まえる」覚悟しろと吐き捨て地を蹴った。
最初から猪突猛進。自分が怪我人など念頭にもないのだろう。利き腕は使わないと宣言した男は、言葉通り、左腕を振って拳を下ろしてくる。体を反らして避けるが、反撃の拳は触れなかった。負傷しているのは右腕だけではない。肩もまた負傷している。簡単に腕が上がらない。
眉をひそめた蓮は腕が使えない分、足で振り上げて反撃に出る。相手のバランスを崩すために右のこむらを狙う。掠めた程度で避けられてしまった。勢いが足りなかったのだろう。一旦距離を置くために後ろへ飛躍。
(やべぇ。普通に体が動かねぇよ)
大体、全治三ヶ月の怪我を負っている人間がタイマンなど張れるわけないのだ。
元舎兄もそれは分かっている筈なのに、どうしてタイマンなど申し出たのだろう? 自分に恨みがあるのならば話は別だろうが、彼の場合はそうではない。そんなに自分を舎弟に戻したいのだろうか? 既に彼には多くの仲間がいる。新たな舎弟も作り、頼れるチームメートも増えた。自分なんて居ても居なくても同じだと蓮は卑屈に思って仕方がない。
そもそも自分も何を考えているのだろう。こんな体でタイマンなど張れるわけもないのに。負けは目に見えているというのに。
怪我を完治させてからタイマンを張れば、八割の確率で元舎兄に勝てる。確信があるのに。
舎兄の猪突を防ぐために蓮は自分から仕掛ける。
不能である右の手を振って相手の脇腹を狙うと、左の手で受け止められた。相手は片腕しか使えない。
チャンスだと考えた蓮は己の左手を振り上げるものの、先を読んでいた元舎兄がそのまま腕を引き、体勢を崩しにかかる。前のりになる蓮は考えた。このまま相手の膝蹴りが来る可能性もある。その前に相手の腕を掴み、この勢いを利用してしまえば、体勢を崩し返して膝蹴りをお見舞いできるかもしれない。
だが脳裏に過ぎる体に染みついた動きは実行できずにいた。心の片隅で思っているのだ。追って来た舎兄を傷付けられる筈ない、と。
尊敬する彼のためならば、裏切ってしまった舎兄のためならば、彼を背負うチームのためならば、汚れ役でも何でも買うと決めたあの日。彼等に勝利をもたらし、すべての終わりを掴むと決意した。なんだってやると決めた。それが彼等を傷付ける言動であったとしても。
だけど今は目的がない。
あるとすれば、本当の終わりを掴むためのケリ。本当の終わりを、自分は。
「蓮、これですべて終わりだ――!!」
鳩尾に強い痛み。脳天を貫く。
あ、やばい。これは意識が遠のく。蓮は自分の身に降りかかった災難を前に心中で苦笑する。嗚呼、元舎兄は容赦がない。本当に容赦が、ない。
気付くと満目いっぱいの茜空が蓮を見下ろしていた。
自分が失神していたのだと察した蓮にそれが数十秒だったのか、数十分だったのか、はたまた一時間だったのかは分からない。ただ綺麗な茜空が此方を見下ろしている、ということだけ把握できた。
瞬きを繰り返していると、「この馬鹿野郎」元舎兄が顔を覗き込んできた。どことなく泣きそうで、どことなく怒気を纏った面持ち。持ち前の金髪を微風に揺らす彼は本当に馬鹿野郎だと自分を罵り、上体を支えてくれる。
「おめぇはいつもそうだ。俺の肩ばっか持とうとして自己犠牲に走る。ンなの誰が喜ぶんだ。おりゃあ冗談でも嬉しくねぇ」
勝者の表情は雨天模様に近い。
エリア戦争が終わった日もこんな顔をしていたっけ。蓮はぼんやりと彼を見つめた。
「蓮、終わりだ。くだらねぇ喧嘩も、意地の張り合いも、自己犠牲も終わりだ。一人でしょい込むキザな真似も、もう終わったんだよ」
元舎兄は終わりをくれた。
それは蓮の望む終わりではなかったが、確かに“終わり”を与えてくれた。
「おめぇを随分と追い詰めたな。おりゃあ、おめぇが榊原についた“うわべ”だけの現実だけ信じちまって……蓮の苦しみを一抹も分かってやらなかった。最初から俺がおめぇを信じていればこんなことにはならなかった。悪い、気付けなくて悪かった、本当に悪かった」
「和彦さん……」
「戻って来い蓮。これはおめぇだけの責任じゃない、俺達の責任だ。俺達で片付けねぇといけねぇ問題なんだよ」
「勝負はおめぇの負けだ」片意地張るのはもうよせ、元舎兄は敗者に命じる。
何もかも自分の心境を見透かし、己の苦しみを理解した彼はもういいのだと言葉にしてくれた。自分を許せない蓮に、その問題は自分にも責任があるのだと苦しみを折半してくれた。エリア戦争は本当の意味で終結したのだと教えてくれた。
元舎兄は蓮の心の中に沈んでいた本当の望みを、その“終わり”を与えてくれたのだ。
喉の奥が熱くなる。
彼の下には戻らないとあれほど決意していたのにこれ以上、意地を張ることができず、ついに蓮は己の心情を明かす。
許せない、自分が許せない、弱い自分を許すことができない。本当は誰も裏切りたくなかった。けれど弱かったばっかりに裏切ることとなった。
だから終わらせて欲しかった。誰でもない、尊敬する舎兄にこの茶番を終わらせて欲しかったのだ。もう隣にいられない現実や自分に嫌気が差し、確かな“終わり”が欲しかったのだ。この苦しみに“終わり”が欲しかったのだ。
堰切った感情をそのままに腕で顔を隠す。
「やっと蓮の本音が聞けた」
一ヶ月、この一ヶ月、己に背を向けた舎弟の心を探して道に迷っていたと浅倉。
その舎弟をようやくここで見つけたと彼は声を震わせ、腕で首を絞めてくる。涙声を隠すように笑い、舎兄弟喧嘩は仕舞だと蓮の頭に手を置く。
裏切りなど一切使わない。彼は舎兄弟喧嘩だったのだと言い切る。言い切って笑い飛ばしたのだ。それが元舎兄なりの“終わり”の示しなのだと蓮は気付き、ますます情けない顔を作ってしまう。どうしたってこの人には敵わないと思った。
強引で何をするにも一点張り。すぐに熱くなる男は人を放っておいてくれない節介馬鹿。そこが彼の惹かれる一面でもあるのだ。
浅倉の肩を借りて立ち上がる。
未だに痛む鳩尾のせいで膝が笑っているが、すぐにこの痛みは治まることだろう。
この痛みを与えた犯人は加減ができなかったことに対し、反省の色を見せているが蓮は謝らないで欲しいと切に思った。彼は自分の頑固な性格を決壊させるために進んで悪役を買ったのだ。正々堂々が好きな男にとってこのタイマンは爪先も望んでいなかっただろう。
しかし頑固者の説得にはこれしかないと思い、タイマン勝負を申し出たのだ。尤も、偽悪者にもなり切れていなかったが。
「蓮」
浅倉に名を呼ばれる。
含みある声音、きっと先程の返事を待っているのだろう。蓮は夕陽を捉えている川面を見つめ、見つめ続けて、ふっと肩の力を抜く。憑き物が落ちたような気分だ。
未だに自分を許せそうにない。彼がどれだけ慰めてくれても、蓮が蓮を許せなければ結局終わりはないのだ。
けれど、何処からともなくナンパしてきた地味くんは言ってくれた。許せるまで行動をすればいいと。許せるその日がくるのか蓮には分からないが、行動を起こさずうじうじするよりかはマシだろう。これから先、何度も自分は過去に挫折し、彼に迷惑を掛けることがあるだろう。
だが心配よりも迷惑を掛けた方が断然いいと、地味くんは言ってくれた。なら、少しだけ彼に寄りかかろうか。
「いた! 和彦さん、蓮!」
いや、彼等に、かな。
浅倉と共に振り返る。二代目舎弟の桔平と副リーダーを務めている涼が駆け寄って来た。彼等は蓮にとって浅倉の次に気の置けない、大切な仲間だった。
「おめぇ等。先に帰ってろって言ったじゃねぇか」
目を丸くする浅倉に対し、冗談じゃないと桔平が食い下がる。
分からず屋の頭をかち割るまで地の果てまで追い駆けるのだと蓮を指さした。涼も同意見らしく、微苦笑を浮かべて肩を竦めている。
優しくない奴等だ、誰も自分を放っておいてくれない。
だけど、それがこいつ等の良さなのだと蓮は知っている。
「一ヶ月前の時間に戻った気分だ。和彦さんがいて、涼がいて、桔平がいて。もう戻らない時間だと思っていたのに」
そっと語り部に立つ。
戻るのだと返す浅倉に首を横に振り、一ヶ月前の時間には戻れないと蓮は言い切る。
何も知らなかった頃と今は違うのだ。あの頃にはきっと戻れないだろう。
ただ、彼は罪の意識に苛む自分に終わりをくれた。くれたのだ。
「あの頃には戻れない。だけど作りなおせることはできる。そう信じてもいいでしょうか?」
新たに己の舎兄となる男を瞳に捉える。
勝気な瞳は強い光を宿して返事した。
「作りなおせるさ。おめぇと、副の涼と二代目舎弟の桔平。そして気のいい馬鹿達と、作りなおせるさ。俺が証明してらぁ」
自然と頬を崩したのは直後のことだ。
「負けました和彦さん。今度は二代目と共に貴方を支えましょう。ただし戻さなければ良かった、と後悔しても知りませんからね」
「するかよ」満足げに眦を和らげる舎兄は絶対にしないと此処で宣言する。
これが自分の望んだ末路であり、再出発なのだと口角を持ち上げた。驚愕、一変して見る見る泣き顔を作ったのは二代目舎弟。
言葉の意味を理解した彼は「帰って来るのが遅ぇんだ馬鹿!」待ちくたびれたと叫んで飛びついてくる。
「痛ぇよ阿呆」
自分は重傷なのだと訴えるものの、桔平は知らん顔だ。力の限り背中を叩き、崩れそうな蓮の体を支えた。
遅れて涼も歩んでくる。
「留守にして悪かったな」
「ほんとばい」
軽い挨拶をかわし、相手の手を叩く。久しぶりのやり取りだった。
「おい蓮、大丈夫か? 腹を押さえているけど」
「ああ。ちょっと和彦さんとタイマンを張ってやっちまっただけだから」
「和彦さん、蓮とタイマンを張ったとですか? 全治三ヶ月と言われた負傷者とタイマンを? ゲスか! ひどか!」
「いや、これは俺なりの考えがあってだな!」
「和彦さんゲスい」「ゲスかとです」「話を聞けおめぇ等!」騒がしい連中だと蓮は一笑し、彼等と共に皆が待っているであろうたむろ場に向かう。
不思議なことに足取りは軽かった。
終わりの先に待っていた“始まり”を見い出した蓮の足取りは、ただただ軽かった。
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