04.田山圭太音信不通失踪事件(俺びっくり編)




 来た道を辿る二人は、再びケイにメールを送ってみる。『今から家に行く』と。


 しかし返信は一向にやって来ない。シカトをされているのか、それとも気付いていないだけなのか。後者の考えはないと切り捨てた。連日に渡ってメールを送っているのだ。ということは前者のシカトという考えしかないだろう。ケイが自分達のメールをシカトするなんてよっぽどのことだ。


 はてさて、どうやったらケイに会えるか。またケイに会えなかった時の仲間内への対処法をどうするか。 


 二人は淡々と話し合っていた。

 仲間内に疑心が芽生えていたら、それを素早く摘まなければ。チームの輪が乱れるような事態だけは避けたい。ヤマト達に隙を突かれてしまう。こういう時、チームで動く難しさを覚える。ひとりが不穏な動きを見せたら、伝染したかのように仲間内に不穏が広がってしまう。単独行動にはない厄介な問題だ。


「難しいよな」


 ヨウは頭の後ろで腕を組み、チームを纏める難しさを漏らす。「ほんとにな……」眠気を噛み締めながらシズは相槌を打った。


「その点、ヤマトはチームを纏めるのも使うのも上手かったな」


 棘あるシズの独り言に、「これから上手くなってやるよ!」ヨウがムキになったのはその直後。

 「それが余計不安なんだ……」発言者が重々しく溜息をついた。自分達のリーダーは後先考える事が苦手だから、皮肉を含んだご尤もな意見にヨウはぐうの音も出ない。


「最後にケイに会ったのはヨウ、お前だろ? ……どうだったんだ?」 


 どう、と言われても傷付いていたしか言いようが無い。

 見ていられないほど打ちひしがれていた。あんなに弱り切ったケイは初めて見た。利二と喧嘩した時でさえ、否、日賀野にフルボッコされた時でさえ、あんなに落ち込んだ彼を見た事は無かった。

 だからこそ心配であり、不安でもあるのだ。今のケイは崩れてしまいそうなのだから。その不安が猜疑心に変わり、ヤマト達に移り気を漂わせたのではないかと心底思ってしまう。


 そんなことする奴ではない。利二に一喝されてしまい目が覚めたが……ケイへの猜疑心は心配の裏返しだと考えている。

 心配ゆえにあれこれ至らんことまで考えてしまったのだ。弁解かもしれないが、冷静に自己分析をしてみると先程の猜疑心はケイの心配から。数日間、音沙汰なしなのだ。弱り切ったケイを最後にしているのだから、心配するなという方が無理な話で。

 逆の立場だったら、ケイはどう行動していただろう?


「俺は、分かってねぇな」


「ヨウ?」


「喧嘩はできっけど、なんっつーかそれ以外のことはからっきしだ。自分の非力さを目の当たりにしているかんじ。仲間内のことだってよく理解してやれていない。しみじみ思う。ケイもそうだし、今の状況を他の仲間はどう思ってるのか……全部が分からなくても、何か掴めることくれぇはしてぇのに、俺は何もできちゃない」


 テメェでチームの結成をしたっつーのに色々考えさせられる。

 ケイは俺のこと『背負い過ぎる直球型』って言いやがった。よく俺のことを理解しているし、よく見ている。んじゃあ、俺はどうだろ? 五木みてぇにあいつを理解しているかっつーったらそうでもねぇし。寧ろ、五木に諌められた。舎兄のくせに何も出来てねぇや。出来ているとしたら喧嘩くらいか?


「初めて舎兄として何ができるだろう。そう、考える俺がいる。舎弟問題以上に、舎兄の存在意義を考える俺がいるんだ」


「……変わったな、ヨウ」


 フッとシズが笑声を漏らし、ヨウは少し変わったなと繰り返し告げてくる。

 昔は状況が面白ければそれでいい。仲間がピンチの時は手を貸して、自分の居場所を守り続けようとする奴だったのに。

 ヨウは少し変わった。単に自分の居場所を守り続けようとする奴ではなく、仲間のために率先して動くようになった。本当の意味で仲間思いになった。今までも仲間思いだったが、それ以上にヨウは仲間のことについて親身に考えるようになった。

 中学時代からの付き合いだ。ヨウの変化は手に取るようにわかる。


「響子とも度々話す……お前は変わった。いい意味で……変わった。リーダーシップ、発揮できるようになっている。思い付きでの舎兄弟だったかもしれないが……作って良かったな。舎兄弟」


「――ああ、ほんと、そう思う。舎弟問題が勃発した時はどうしようかと思ったけど、舎弟を作って本当に良かった」


 だから考えるのだ。

 今度は舎兄が舎弟に何をしてやれるのかを。

 ケイは望んで友人と決別したわけではない。だからこそ利二の言うとおり、舎弟は無理をして爆ぜてしまったのだろう。彼は何もかもが一杯一杯なのだ。


 舎弟は自分で言っていた。

 チームと一線引くところがある。それは自分の弱さから。悪い癖だということも理解している。

 けれど実際、何かに直面した時、自己防衛から線を引いてしまうのだ。だったら自分にしてやれることは何か? とりあえず、その線をまたいで消してやることが舎兄の役割なのかもしれない。


「ケイも勿論だけどよ。ハジメも……様子見している限り、あいつはあいつでケイと同じように一線引いているところがある」


 仲間内のハジメも、ケイと同じように現在皆と一線引いてしまう面がある。

 日賀野繋がりの不良達に奇襲を掛けられて以来、一人で思案しているところが度々見られるのだ。思い詰めたように考え事をしている場面が多々見られる。ハジメも自分の弱さを悟られたくなくて、仲間内に一線引いてるのかもしれない。


「その線を消すことがリーダーとしての第一歩なのかもしれねぇ、シズ」


 目尻を下げて同意を求めると、副リーダーは首肯した。


「ハジメのことは、自分も思っていた。あいつは以前から物思いに耽る事が多い。二人で纏めていくしかないな……リーダー」


「だな、副リーダー。ヤマト達以外にもやることは山積みだ」 


 リーダーという存在は大変だ。ようやく分かってきたとヨウは笑声を漏らす。

 傍らでシズは呆れ笑っていた。楽してリーダーの仕事が務まると思っていたのだろうか、我がチームリーダーは。なんて能天気なのだろう。それがリーダーの良いところかもしれないが。




 静かな住宅街を進み、二人はケイの家を目指す。

 先ほども目にした緩やかな坂をのぼると一軒家の平屋が見えてくる。ケイの家はもう目と鼻の先だ。今度こそケイに会えれば良いが。

 門の前に立った二人はアイコンタクトを取り、呼び鈴を鳴らす。待つこと数十秒、応答はない。もう一度、呼び鈴を鳴らす。やはり応答はない。暫しそれを繰り返していたが、うんともすんとも言わないため、溜息しか出なかった。


「やっぱ出ねぇか。くっそー、ケイの奴、家にいるような気ぃするんだけどな。ちょっと裏から覗いてみっか? ほら、庭から入ってみてさ」


「不審者だと勘違い……されないか? 不法侵入だろ」


 「ちょっと見てみるだけだってすぐに出て行くから」積極的に不法侵入を試みようとするヨウに、シズは肩を落とす。やはりヨウは変わったようで変わっていないのかもしれない。



「あれー? そこにいるのは庸一兄ちゃんと静馬兄ちゃん?」



 背後から声を掛けられる。

 顧みると小型の自転車に跨った小学生が興味津々に此方を窺っていた。その小学生に見覚えがある。ケイの弟、浩介だ。どことなく兄ソックリな容姿をしている。

 「やっぱり兄ちゃん達だ!」嬉しそうに声を上げ、浩介が自転車を降りて歩み寄ってくる。浩介とは以前、泊まりの際に仲良くなったため自分達にとても懐いていた。よっ、片手をあげて挨拶すると同じ動作で挨拶を返してくれる。


「こんなところで何をしているの?」


 こてんと首を傾げてくる小学生に、二人は顔を見合わせてシメたと口角をつり上げる。

 浩介の登場はとても都合がよい。ケイに会えるチャンスだ。ヨウはかがんで小学生と視線を合わせた。


「浩介、家に兄ちゃんはいるか? 俺等、兄ちゃんに会いに来たんだけど」


 するとこれ以上にないくらいに笑顔を作り、「遊びに来てくれたんだね!」兄ちゃんは家にいるよ、と浩介は返事した。

 どうやら居留守を使っていたらしい。ケイはしっかりと家にいるようだ。居留守を使われたということは、ケイは自分達を避けているのだろうか。それはそれで寂しい思いがする。思うことは多々あるが、まずはケイの身の上について聞こう。動くのはそれからだ。

 二人が思った矢先、「ありがとう!」きっと兄ちゃんも喜ぶよ! 浩介が嬉しそうに頬を崩してくる。


「兄ちゃん。ここ数日、すっごく辛そうだったんだ。兄ちゃん達に会ったらきっと元気になるよ! あ、ちょっと待っててね。自転車を置いてくるから!」


 車庫に自転車を仕舞ってくると浩介が駆けた。

 これまたなんたる幸運だろうか。家に難なく入れそうだ。浩介さまさまである。

 しかし、弟の話を聞くに、ケイはとても落ち込んでいるようだ。兄ちゃんべったりの弟が言うのだから間違いない。突然の訪問に向こうは度肝を抜くだろうが、これもチームのため、ケイ自身のため。今の心境を聞こうではないか。


 自転車を置きに行っていた浩介が片手にビニール袋を提げて戻って来る。

 パーカーのポケットから鍵を取り出し、引き戸を開けて招いてくれる弟くんに礼を告げ、二人は家に上がらせてもらう。

 そのままケイの部屋に招いてくれるかと思いきや、浩介は居間に二人を招き入れ、適当に座るよう指示してきた。ヨウ達としては一刻も早くケイに会いたいところなのだが、田山家の人間が居間にいるよう促したのだからそれに従うしかない。


「麦茶でいい?」


 台所に入った浩介が飲み物を聞いてくる。

 お構いなく、なのだが小学生は接待をするためにコップに麦茶を注ぎ、ポテチの入った皿とドラ焼きをお盆にのせてテーブルに並べた。そのままビニール袋を持って廊下に出てしまう。取り残されたヨウはそれを見つめ、途方に暮れるしかない。自分達はケイに会いたいのだが。


「んまい。のりしお」


 隣でパリポリパリポリとポテチを頬張るシズに、つい拳骨を食らわせる。

 「何を……するんだ」不機嫌に唸る副リーダーに、「能天気に食っている場合か!」俺達の目的はケイだろうが! ヨウは声音を張った。


「そうは言っても……折角、浩介が出してくれたんだ。食べないと……次はドラ焼き」


 いそいそとドラ焼きの封を開けるシズに額を当てた。

 食い意地はチーム一だ。リーダーが保証してやる。悪態をつき、自分もポテチに手を伸ばす。ああ美味い、のりしお。この塩梅が堪らなくいい。


 程なくして浩介が戻って来る。

 自分達の麦茶が減っていることに気付き、わざわざ茶の入った容器を冷蔵庫から取り出し始めた。気の利く小学生である。

 しかし、しかしだ。自分達の目的はケイなのだ……それともこれも舎弟の策略だったりするのだろうか? 弟を使って此方をうんぬん翻弄しているのだろうか?


「浩介。兄ちゃんに会えそうか?」


 何気なく話題を振ると、「んー」浩介が眉根を寄せながら麦茶を注ぎ足す。

 自分の分のコップにも麦茶を注ぎ、「辛そうだった」もうちょっと待っててあげて、と返事した。 


「さっきまで落ち着いていたのに。兄ちゃん、今回は凄く酷いんだ。ごめんね、兄ちゃん達、せっかく来てくれたのに」


「そんなに酷い……のか? 携帯にメールを入れたのだが……それも見れないほどに?」


 シズの問いにうんっと浩介は頷く。

 「だって兄ちゃん。入院の危機だよ」爆弾発言にヨウは茶を噴き出し、シズは食べていたドラ焼きを気道に入れしまい盛大に咽てしまった。目を白黒にさせ、「入院?!」血相を返る二人に、浩介がまたうんっと頷く。


「兄ちゃん、ご飯も全然食べれないんだ。寝込んじゃっているし……お母さんもあんまり酷いなら検査入院が必要かもって」


 ヨウとシズはごくりと口内のものを嚥下し、おずおずと視線を合わせる。


「(おい入院だってよシズ。そんなに酷いのか、ケイの奴。精神崩壊を起こしたのか?!)」


「(……分からないが……これは非常事態だな)」


 無理をし過ぎて爆発した結果が精神崩壊だなんて。そんなに山田健太との友情は厚かったのだろうか!

 これをどうやってリーダーの自分達が癒せば良いのだろう。カウセリングに関してはド素人なのだ。さすがに病んだメンタル面に関しては安易に触れられない。医者に任せるべきなのだろうか。顔を合わせて、なんと声を掛ければいいのだろう?

 頭を悩ませる不良達が大変な誤解をしていることに浩介が知るよしもない。



「そ、そうだ浩介。お前、山田健太って知っているか?」



 とりあえず落ち着こうと、ヨウが話題をかえる。

 山田健太と仲が良かったということは、少なくとも家に連れてきている筈。兄ちゃんべったりの浩介なら顔見知りではないだろうか? 案の定、浩介は山田健太を知っていた。「健兄ちゃんは面白いよ!」まるで兄ちゃんみたいだと楽しそうに話してくれる。

 つまるところ、ノリが良いらしく、ケイと似たところが多いようだ。


「健兄ちゃん、よく泊まりに来ていたよ。一緒にゲームして遊んでもらっていたんだ。兄ちゃんと仲が良かったけど、最近は家に来てくれないなぁ。学校が違うからしょうがないって兄ちゃんは言っていたっけ」


「そうか。山田健太とケイはそんなに仲が良かったのか」


 するとぱちくりと瞬き、浩介は不思議そうな顔を作る。


「庸一兄ちゃんや静馬兄ちゃんも兄ちゃんと仲が良いでしょう? 最近の兄ちゃんは兄ちゃん達のことばっかりだよ。お母さん言っていた。『庸一くん達と仲良くなって高校生活がより一層楽しそう』だって。兄ちゃんは不良の兄ちゃん達が大好きなんだよ」 


 意表を突かれてしまう。

 にこにこ顔を作る浩介だったが廊下から蚊の鳴くような声が聞こえ、腰を上げた。あの声はケイだ。


「兄ちゃん。熱は大丈夫? ん? ポカリは机に置いているよ。ゼリーは冷蔵庫だけど食べる?」


 居間からひょっこりと顔を出し、廊下の向こうに呼びかけをする浩介。

 熱という単語で二人は理解する。浩介の放った入院の意味を。ああなんだ、精神崩壊を起こしていたわけではないのか。ホッと安堵の息を吐く二人を余所に、「あんね。そっちに行っていい?」と浩介。OKの返事をもらったようで、彼がおいでおいでと手招きしてきた。

 浩介の後を追うため、ヨウとシズも腰を上げた。「体調が悪かったんだなケイ」変な誤解を抱いてしまった。疑ったことに悔いてしまうとヨウは自嘲し、「はやく仲間に伝えないとな」シズも決まり悪く笑う。


 ケイの自室に立つ。

 先に襖の前に立っていた浩介が、ちょっと待ってて欲しいと頼んでくる。病人を気遣ってのことだろう。二人は承諾した。

 「兄ちゃん入るね」襖を少し開け、浩介はその身を間に入れ込んだ。数秒後、向こうから微かに会話が聞こえてくる。隙間に耳をすませると、「え。ヨウ達が来ているって?」「うん。お見舞いだって」「お見舞い?」「携帯に連絡したらしいよ」「……携帯」会話が途切れる。



「アァアアアアアッ! やっべぇええええっ、あいつ等に連絡してねぇよ俺ぇえええ!」 



 程なくして掠れ声の絶叫が聞こえてきた。

 直後、盛大に嘔吐くような咽る声。ドッタン、バッタン、「イッダ!」と物音に呻き声。「うわぁああ兄ちゃん!」何しているのだと浩介の悲鳴。二人はアイコンタクトを取る。向こうの世界は混乱に包まれているらしい。


 バン――!


 勢いよく襖が開かれた。

 そこに立っていたのはまぎれもなくケイ本人だった。寝巻き姿のケイはゼェゼェ息を吐き、二人の姿を見るや否や、「ごっめん!」両手を合わせて謝罪してくる。後ろでは浩介が寝てないと駄目だとてんやわんやしてるが、ケイはそれどころではないらしい。


「ご、ごめん! マジごめん! 連絡を入れてなかったから、わざわざ来てくれたんだよな?!」


 携帯を片手に青褪めた(しかし顔は真っ赤)顔で、「こんなことになってるなんて!」何度も頭を下げて謝罪してくる。

 膝をついてくる彼は、もはや土下座する勢いだ。何度も頭を下げてくるケイに二人の方が慌てた。


「馬鹿! 寝とけってケイ。こっちもこんなことになってるなんて知らなかったんだ」


「いや、マジほんっとごめんっ、後日、ちゃんとお詫びするからっ……! ちょいメールを見る余裕無くてさ。着信まで入ってるしっ、なんで気付かな……ごめっ……あー……っ……らぁー?」


「け、ケイ……!」


「兄ちゃん!」

  

 ふらっとよろめき、ケイはその場に崩れた。

 慌ててヨウが体を受け止める。どうやら眩暈が襲ったようだ。天井がぐるぐる回っていると病人は顔を顰め、額を手の甲を当てた。その内、口を閉ざしてしまう。

 「お。おい?」ヨウが恐る恐る声を掛けると、ケイはのろのろと片手を口元へ。そのまま覚束ない動作で立ち上がり、壁に手をあて、少し待っててくれるよう小声で頼んできた。


「ちょい……気持ち悪っ……部屋で待っ……やばい。死ぬ」


 ケイは不調を訴えた。急に起き上がり、矢継ぎ早に喋ったせいだろう。

 暫く部屋で待ってくれるよう指示し、ふらつく体に鞭打って部屋を飛び出してしまった。「兄ちゃん。洗面器はこっちー!」間に合わなかったらこれね! と、後を追う浩介。バタンと聞こえてくる大きな開閉音に、浩介の心配する声。

 ケイが何処に篭ってしまったのか、容易に想像が付いてしまったため、二人は決まり悪く顔を見合わせる。バッドタイミングで訪問してしまったようだ。 





「――おぇっ、気分悪っ。まだ胃がムッカムカする。胃液も残ってないっつーの。あははっ、もうダメだぁ、田山圭太お陀仏っす。ついにお迎えきちまったな圭太! ……あぁーあシンドイ。馬鹿はもうやめよう」


「け……ケイ。マジ大丈夫か? テンションおかしいぞ」


「……ケイ……無理するな」


「あ、大丈夫だいじょうぶ。なんか熱で頭やられてるだけだから。それに、もうまったく吐く物はないから部屋は汚さないって……そっか、みんな、心配してくれているんだな」


 無事にトイレから生還したケイはベッドに横たわり、ヨウとシズに視線を投げていた。

 部屋には三人しかいない。浩介は空気を読んで居間に待機してくれたのだ。こういう時、空気を読んでくれる弟がいると助かるものだと思う。

 「寝ながらごめん」眉を下げるケイは詫びを口にする。本当は上体を起こしたいらしいのだが、二人が全力でそれを止めた。寝かせておく方がケイの体に負担が掛からないと踏んだからだ。先ほどの騒動を目の当たりにしているのだ。起きて話せという方が酷だろう。

 繰り返し謝罪をしてくるケイは、元気になったら皆に詫びると約束を結んできた。チームに迷惑を掛けたと思っているのだろう。


 しかしこれは事故であり、仕方のない出来事だ。事情は自分達で説明しておく旨を伝え、安心するように言い聞かせる。皆もきっと分かってくれるだろう。


「悪かったな、ケイ。押し掛けちまって。入院……しそうって聞いたんだけど」


 なるべく相手を刺激しないように気を付けながら、ヨウが舎弟をチラ見する。病人はおかしそうに笑った。


「浩介から聞いただろそれ? 大丈夫、あれは母さんが大袈裟に言っているだけだよ。高熱が続くから検査入院を考えているんだろうけど……熱は八度まで下がったから。今週はちょっと無理そうだけど来週には学校行けると思う。チームにも顔を出せそうだよ」


 だから心配しないでくれよ、ケイが柔和に頬を崩す。ヨウは決まり悪く頭部を掻いた。


「あんまこっちのことは気にすんなって。元気になって顔を出してくれたら、それでいいから。暫くはチームのことを考えなくてもいいんだぜ? 俺とシズで頑張るし。なあ?」


「……ああ。お前は、来たい時に、来ればいい」


 ケイの笑みが深くなる。軽く首を振り、「気遣ってくれてありがとう」でも、逃げても一緒だから。舎弟は熱っぽく息を吐いた。


「その様子じゃ皆、健太のことを知ったんだろう? 色々余計な気ィ遣わせちゃったな」


 荒呼吸を動作を繰り返すケイは、熱が下がれば何もかも立ち直れると微笑して見せた。健太のことは諦める。そう付け足して。


「俺はヨウ達のチームだ。俺はヨウ達を選んだ。そして向こうも日賀野達を選んだ。どーしょーもないし、これは俺自身の問題。チームには関係のない話だ。それより、日賀野達をどうするか考えないとな」


「ケイ……」


「リーダー、そんな顔するなよ。俺は……もう大丈夫だから。ヨウに散々弱音も聞いてもらったし、吐くもん吐いたし、もう大丈夫だよ。言ったろ? 何があっても最後まで俺は舎兄についていくって」


 ケイは、また自分達に気遣いを見せた。

 ヨウは意表を突かれる。一番傷付いているのはケイではないか。なのに自分達に気遣うなんて……嗚呼、そうか。これが五木利二の言う『筋金入りのカッコ付け馬鹿』な面か。無理をしているのか。自分達のために、そして自分自身のために。己に言い聞かせているのか。今の現実を諦めるように。

 必死に言い聞かせて、自分達の友情を守ろうとしているのか。目前の舎弟は。舎弟は弱さを隠そうとすると同時に優しいのだ。弱さと優しさは違う。舎弟は並々ならぬ優しさを持っている。人を気遣える優しさを持っている。


 そんな舎弟に自分は疑念を抱いてしまったのか。申し訳も立たない。


「ヨウ。俺はな、改めてお前の舎弟に選ばれたあの日から、心に決めているんだ。お前を信じるって。俺はお前を信じて、最後までついていくよ」


 信じる。それは簡単で重たい言の葉だ。

 誰より辛いのは舎弟なのに……舎弟はいつの日も、自分に告げてくれた。最後までついていくと断言してくれていた。

 しかし自分は一件でどういう態度を取った? 自分は舎弟を理解していなかった。本当の意味で彼に信用を置いてなかったのは自分だったのだ。何が舎兄だ。心の底から舎弟を信用してない舎兄が、どこにいるのだ。



「治して、また顔出すから、今日は……来てくれてサンキュ。嬉しかった」



 帰り際、ケイは礼を言ってきた。

 見送りに来られない分、自室のベッドから自分に向かって礼を言葉に表してくれた。


「ああ、そうだ。ヨウ、あの時、言えなかったけど……俺の弱音を聞いてくれてサンキュ」


 その礼を素直に受け取れずにいたヨウは、たむろ場に向かいながらひたすら考えていた。舎弟のことを。喧嘩はできずとも自分の足になると明言した舎弟。自分の力になると言ってくれた舎弟に、自分は何ができる? 何をしてやれる? まず舎兄とはなんだろう?

 舎弟は舎兄の支えだろう。ケイがそういう役割をしているのだから。では舎兄は?


(あ、響子とキヨタとココロの伝言。伝え忘れちまった。ココロの伝言を聞けば、あいつ、少しは元気になったんじゃね? シクッたな)


 ヨウは舌打ちを鳴らす。

 ケイには体だけじゃなくて心も元気になってもらいたいものだが……自分も舎弟を支えられるような存在でありたいな、とヨウは切に思う。

 舎弟に背中を預けている自分だが、自分もまた舎弟の背中を受け持ちたい。そこでヨウは気付いた。今、一方的に自分が舎弟に背中を預けている側なのだ。逆に自分が舎弟の背中を預けられた時など……あっただろうか? と。


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