第6話 プレオープンの日
タリーに拾われるようにしてギルガメッシュの酒場で働くことになった翌日、貴史とヤースミーンは店の大掃除からスタートした。
これまでも旅人を相手に細々と宿屋をしていたらしいが、人出ができたので酒場の営業も始めるというのだ。
タリーは昨日枝肉にしたクロゲウシドリを切り分けてブロックにし、その一部を使って調理を始めている。
酒場の床を水拭きし、同じくざっと水拭きして屋外で乾かしたテーブルと椅子を入れると、色あせて見えた酒場が息を吹き返したようだ。
ヤースミーンが掃除が終わったことを告げるとタリーは厨房にあるお風呂と見間違うような大なべを指さした。
「お疲れ様。次はこの鍋に半分くらいまで水を入れてお湯を沸かしてくれ。」
「はーい。」
ヤースミーンは元気よく返事をしたが、事はそう簡単ではなかった。
ギルガメッシュの敷地内に井戸があったが、備え付けの木桶を放り込むとカーンと固い音がする。
この地方は冬に向かうところで、井戸は凍り付いていた。
貴史とヤースミーンは荷車に大きな木桶を積んで近くの川まで水を汲みにいかなければならなかった。
大鍋に水を満たして、タリーにもらった種火から火を起こしたが、タリーが拾い集めたらしい湿った枝はけむりがでるばかりでなかなか炎が燃え上がらない。
「ヤースミーン、火炎の魔法で一気に火をつけてくれよ。」
「私は今魔法が使えなくなっているんですってば。そんなに言うならシマダタカシが裏に積んであった乾いた枯れ木を斧で割ってください。」
余計なことを言うんじゃなかった。
貴史は後悔しながらギルガメッシュの裏に立てかけてあった斧を手に取った。
薪の材料になる乾いた木材はたくさん転がっているが、のこぎりで引かないと薪にはならないような大きなか塊ばかりだ。
手ごろな大きさの木切れはタリーが使ってしまったに違いない。
残っているものにはそれなりの理由があるのだなと、貴史は感心しながら大きな丸太をのこぎりで引き始めた。
その時タリーが建物から飛び出してきて、だれかを大声で呼び始めた。
タリーの視線の先を見ると、馬にまたがり大きな槍を携えたランサーと、同様に馬上で弓を片手にしたアーチャーのコンビがゆっくりと馬を進めていた。
タリーに気が付いた二人は馬首をめぐらすとゆっくりと近づいてくる。
「やあ、この間は日が暮れた時に止めてくれてありがとう。」
アーチャーの兵士が気さくな雰囲気でタリーに話しかける。
タリーとは顔見知りらしい。
「実は酒場を開店することにしたんだ。今日はプレオープンでただにするから夕方飲みに来ないか。」
「もちろん来るよ、夕方から非番だからね。美味しい料理もあるのか?。」
「友達も連れてきていいかな。」
二人は口々にタリーに尋ねる。
「今、うまい料理の仕込み中だ。プレオープンは賑やかなほうがいいから友達も呼んでくれ。」
偵察兵らしい二人は顔を見合わせると、夕方には来るからと言ってそそくさと町の方に帰っていった。
しばらくして貴史とヤースミーンがどうにかお湯を沸かした頃、タリーは肉や野菜を山盛りにしたトレーを次々に運んできた。
「お疲れ様。やはり人手があるのはいいな。これから調理に入るから貴史とヤースミーンは休んでいていいよ。」
タリーのお許しが出たので、貴史とヤースミーンはエントランスのソファーにへたり込んだ。
「お湯を沸かすのがこんな重労働だとは思わなかったよ。」
貴史がぼやくとヤースミーンはクスクスと笑った。
「おかしな人ね。まるでお湯を沸かせる魔法を使える人みたいなことを言っている。」
文明レベルが中世くらいのこの世界では、電気やガスのほうがよほど魔法のように思えるなと、貴史は疲れた頭で考えた。
ギルガメッシュの酒場は四~五人用の丸テーブルが8セットある結構大きな酒場だ。
店の奥にはオープンキッチン風の厨房があり、客席との間はカウンターで仕切られている。
休憩を終えた貴史とヤースミーンはカウンターの客席側に立ってタリーの料理ができあがるのを持っていた。
夕刻になって、兵士達は友達にも声をかけたらしく、4人で店を訪れた。
タリーの料理が最初のお客達を満足させられるかどうかは、この酒場がトリプルベリーの町で商売するために大事な場面だ。
「タリーさん何を手間取っているのかな。」
待ちかねた貴史がつぶやいた。
「そうですね。お昼過ぎから何か料理していたのに、手際が悪いですよ。」
ヤースミーンは口をとがらせて不機嫌な表情だ。
「ねえ、シマダタカシこの服どう思いますか。スカートがちょっと短すぎるし、胸元も開きすぎているような気がするんですが。」
ヤースミーンが着ているのは貴史の世界ではメイド服と呼ばれていたデザインだ。
タリーが居抜きで買い取ったこの店の倉庫にあったものを従業員用ユニフォームとしてあてがったのだ。
貴史が着ているのも、同様にタリーがくれた白シャツと黒ズボンで、給仕するときは黒い前掛けを付けている。
この世界では中世風のファッションが主流だから、ゴスロリ趣味も似たようなものだ。しかし、ヤースミーンは異国風で違和感を感じるようだ。
「俺の世界ではよく見かけた服でおかしなところはない。よく似合っていると思うよ。」
貴史が褒めると、ヤースミーンはそうですかとしぶしぶ納得した。
実はヤースミーンの言うとおりで胸元が少し開いていて、彼女の身長の割に大きな胸の谷間が覗いているが、貴史は余計なことは言わないことにしたのだ。
「待たせたな。ヤースミーンはこのグラスとデキャンタに入れたパロの火酒を出してくれ。ちゃんと一人一人グラスに注ぐんだぞ。」
タリーは四つのグラスと、琥珀色の液体が満たされたデキャンターを乗せたトレイをヤースミーンに渡した。
「わかりました。」
ヤースミーンはトレイを持つとスカートを翻して客席に運んでいった。
「シマダタカシはこのボウルとスプーンを運んでくれ。重いから気をつけろよ。」
「これは何て料理ですか。」
木で出来たボウルに、スプーンが添えてある。中にはダイスカットの肉とジャガイモが入っている。いい香りが漂ってきて貴史はよだれが出てきた。
「クロゲウシドリのすね肉とこの辺でとれる根菜のポトフだ。町からここまで来るのは寒かったはずだから暖かい料理でおもてなしだ。」
貴史がポトフのボウルを持って行くと兵士達は歓声を上げた。
ギルガメッシュの酒場は町から少し外れた場所にある。トリプルベリーの町自体も今では魔族と対峙する最前線の砦とその周辺にわずかな店がある程度の寂れた町だ。
兵士達は魔族の襲撃に備えて完全武装で出かけてきたらしく。とがった飾りの付いた兜や盾、剣をその辺に積み上げていた。
「トリプルベリーに来て以来まともな食い物にありついたのは久しぶりだ。」
「本当に只でいいんですか。」
口々に話す兵士達に貴史は答えた。
「プレオープンの日は無料招待がお約束です。そのかわり明日からお友達を連れてきてくださいね。」
兵士達はもちろんだと請け合った。
精悍な雰囲気の騎士たちだが、料理を前にして穏やかな表情だ。
カウンターに戻った貴史はタリーに報告した。
「大好評ですよ。」
「俺の料理だから当然だ。次は二人でこれを運んでくれ。」
タリーが出したのは、五百グラムはありそうな骨付きの肉のかたまりだった。
「骨付きの背肉のローストだ。兵隊の連中でも食べ応えがあるだろう。」
ヤースミーンと貴史がメインディッシュを運ぶと、兵士達は無言で肉にかじりついた。
時折、パロの火酒のお代わりを運ぶ間も兵士達は夢中で食べていた。
「彼らは普段何を食べさせられているんだろうな。」
貴史がつぶやくとヤースミーンが答えた。
「腐りかけたジャガイモとわずかばかりの干し肉。この辺りの定番メニューです。」
貴史は兵士達の方を見ながら、どおりでおいしそうに食べるわけだなと思った。
やがて、兵士達は満腹したと見えて、口々に礼を言いながら身支度をして帰って行った。
「どうだ。あいつらリピーターになるかな。」
タリー自信満々の顔で貴史達に尋ねた。ヤースミーンはカウンターに片肘を突いた姿勢で答えた。
「きっとまた来たがるでしょうね。私も食べたくなるくらいおいしそうな料理でしたし。」
「もちろん、俺たちも試食してみよう。同じのを準備してあるよ。」
タリーの言葉にヤースミーンはびしっと姿勢を正した。
貴史とタリーそしてヤースミーンは客用のテーブルでクロゲウシドリ料理を試食した。
クロゲウシドリはトリと名付けられているが肉質は牛に近い。ポトフの肉は柔らかく煮込まれ、煮汁はコンソメスープのように澄んだ味だ。
そして背肉のローストは、表面がぱりっと焼かれ、中心部の肉はほんのりとピンク色でジューシーな味わいだった。
「うまい。」
別にレポートする必要もないがコメントが口をついて出てくる。
貴史とヤースミーンは夢中になって食べた。
「表面をこがして肉汁を逃がさないようにして、後は低温でじっくりと火を通すんだ。そうしないと魔物の肉は固くなってしまう。」
貴史は、パロの火酒のグラスを片手にうんちくを語るタリーを見て、こいつは只者ではないと思いはじめていた。
従業員の試食会がそろそろ終わろうとしていたとき、ギルガメッシュの酒場の入り口の戸が開いた。
入ってきたのは、二十歳前後に見える女性だった。身長は百七十センチ弱くらい。六頭身のプロポーションに背中まで届くストレートの黒髪。大きな目とすっきりとした鼻梁が目を引く美人だ。
「今夜の宿と夕食をお願いできないかね。」
傍らの従者とおぼしき老人が告げた。
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